第六十六話「学んだ先に」
教室を出ると、ルシアンが廊下の壁にもたれて待っていた。
茶色い髪の下で、緑の眼がこちらを向く。
「待っててくれたの? ごめんね」
「ううん。地図、ずいぶん気に入ったみたいだね」
廊下を歩き出す。
「すごい面白かったから」
「実戦訓練の前に、レインがあそこまで地理に捕まるとは思わなかったよ」
「自分でも意外だった。授業が良かったのかな」
「政治・法規もその調子でいこう」
「法規……」
政治は意外と面白いと感じた。
だが、法規は何も頭に入らないくらい退屈だった。
「うう……やりたくない」
ルシアンが笑う。
「まあ、一緒に頑張ろうよ」
「……うん。ありがとう」
講義棟を出て歩く。
しばらくすると、実戦訓練場が見えてきた。
途中でガレスたちとも合流した。
「やっと対人戦だな」
肩幅の広いガレスが、両手を握る。
「ガレス、朝からそればっかりね」
リネットが赤い髪を揺らして呆れた顔をする。
「いいだろ。楽しみなんだから」
その横で、エミールは長い黒の前髪の奥から、実戦訓練場の方を見ていた。
「レイン、何を見てるの?」
とリネット。
「訓練場の地面に、魔力が流れてる」
眼を凝らすと。
訓練場の地面には、石材の継ぎ目に沿って細い魔力の線が走っていた。
区画ごとに線が交わり、地表を網目のように覆っている。
「結界か何かかな?」
「多分」
エミールが答えた。
「お前ら、観察早いな」
ガレスが言う。
実戦訓練場に入る。
広い土の訓練面がいくつかの区画に分かれていた。
訓練区画と待機場所の間は、腰ほどの高さまで積まれた石柵で仕切られている。
すでに一組の学生も集まっていた。
そして。
(いた)
濃い銀髪。
赤い眼。
アルドリック・ヴァレリウス。
入学式から何度も見かけている。
最初のうちは、名前より先に《ヴァレリウス公爵家長男》という肩書きが頭に浮かんだ。
三大貴族の本家。
帝国の軍事を担う家。
その立場を考えると、同い年でも妙に遠く感じた。
でも、一週間も学院で過ごしていると、その感覚も変わってくる。
同じ制服を着て、同じ授業を受けて、食堂でもちらほら見かける。
それに、濃い銀髪と赤い眼はカシウスを思い出させた。
顔も雰囲気も全然違うのに、そこだけは妙に馴染みがある。
いつの間にか、頭の中では《ヴァレリウス公爵家の長男》より《アルドリック》本人の方が先に出てくるようになっていた。
「整列」
低い声が訓練場に響いた。
話していた学生たちが一斉に前を見る。
教師は四十代くらいの男だった。
短く刈った黒髪。
太い首。
左頬に古い傷が一本走っている。
実技の教師というより、そのまま軍服を着せても違和感がなさそうだ。
「今日から、学生同士の模擬戦を始める」
声も硬い。
「先に安全規則を説明する。聞き逃すな」
教師の横には、小さな黒い金属具が並べられていた。
中心に透明な魔晶石が埋め込まれている。
「これは安全核と呼ばれる魔導具だ。模擬戦中は全員が装着する」
一つを持ち上げる。
「攻撃の威力、位置、装着者の状態を監視し、この訓練場の基幹結界と連動する。死亡、重篤な後遺障害、戦闘続行不能に繋がる攻撃が成立すると判断された時点で結界が介入する。その時点で敗北だ」
一度、言葉を切る。
「ただし、軽い怪我まで全て防ぐ装置ではない。それと、安全核は一度作動すればそのままでは使えない。次の試合に出るなら、教員の確認を受けて交換か再調整をしろ。安全だから無茶をしていい、とは思うな」
教師が安全核を台に戻した。
「下を見ろ」
靴底で地面を二度叩く。
「お前たちが立っている訓練面そのものに、基幹結界が組まれている。安全核は判定と接続を担う。実際に攻撃を止める力の大半は、基幹結界のものだ」
さっき見えた地表の魔力線。
あれが基幹結界の一部らしい。
「核は訓練用魔導具として数を揃えられる。だが、同じ基幹結界を野戦の戦場一帯に敷けと言われれば話は別だ。学院だから成立する安全設備だと思え」
なるほど。
安全核を持って戦場に出れば、誰でも安全に戦える。
そんな都合のいいものではないようだ。
後ろの方で誰かが小声で話した。
「私語」
教師が即座に言った。
声が止まる。
「説明中に喋りたいなら、外周を走ってこい」
「……すみません」
「次はない」
訓練場が静かになった。
(怖っ)
エドガー先生とは全然違う。
教師はそのまま続ける。
「今日の勝敗条件は三つ。降参。安全核の作動。教師判断による続行不能だ」
黒板代わりの板に数字を書く。
《二〇〇》
「単発、または同時展開中の魔法を合算した出力上限は二百。前回の基礎測定より上げる。総合科でも、これだけ使えれば不足する学生はほぼいない」
周囲の空気が動いた。
二百。
前の百より倍だ。
前回の実技では、俺が表示上限の百まで行ったところで測定を止められた。
ルシアンは八十七だった。
他の学生も同じように、二百という数字を聞いている。
二百あれば、総合科でも十分らしい。
(俺は、まだ出せるけど)
自然と口元が緩みそうになる。
「上限を超えれば、その時点で止める。出せるかどうかと、出していいかは別の話だ」
教師の視線が一組と三組を順番になぞった。
全員に同じ規則。
その方が分かりやすい。
「杖、訓練武器の使用は任意。ただし、登録していない魔導具は禁止。殺傷目的の術式も禁止だ」
俺は待機場所に置いた杖を見る。
今日は使わなくていいかな。
もちろん相手を見てからだが、アルドリックでもない限り多分大丈夫そうだ。
「今日は一人三戦。組み合わせはこちらで指定する。作動した安全核は次戦までに交換するから、勝敗が決まったら勝手に次の区画へ行くな」
「最後に一つ」
教師が学生たちを見回した。
「今日の内容を見て、最も優秀と判断した学生一名には、一週間後の実技で、模擬戦相手を指定する権利を与える。勝敗数だけで決めるつもりはない。模擬戦の内容を見る」
(え)
視線が動いた。
俺は一組を見る。
ちょうど、赤い眼がこちらを向いた。
アルドリックと目が合う。
赤い眼の先は、すぐに教師へ戻った。
(取りたい)
指名権。
欲しい。
相手はもう決まっている。
教師が組み合わせを読み上げ始めた。
***
最初の相手は、一組の男子学生だった。
細身で、右手に杖を持っている。
俺は何も持たずに区画に入った。
距離は二十歩ほど。
遮蔽物なし。
地面は平ら。
「開始」
相手の魔力が動く。
詠唱。
先に防御結界を張るつもりらしい。
正面に半透明の防御結界が広がった。
(普通に撃っても抜けそうだけど)
前回の測定で見た魔力量から考えても、多分そうだ。
でも。
せっかくなら、試してみたいことがあった。
俺は頭上に水を集めた。
一塊。
人の身体より大きな水球になる。
相手の眼がそちらを向いた。
結界の魔力も正面と上側に寄る。
俺は水球をゆっくり前に動かした。
速くはない。
でも、込めた魔力は目立つ。
相手が杖を上げた。
結界が厚くなる。
(今)
水球の周囲に、茜色の炎を作った。
水にはまだ触れさせない。
青い水球と、その外側を囲む炎。
二つの魔法を別々に保ったまま。
一気に距離を縮める。
炎が水球の表面に触れた。
白く爆ぜた。
水の表面が一気に気化し、蒸気が膨らむ。
一瞬で、白い蒸気が区画を埋めた。
「っ!」
相手の姿が見えなくなる。
多分。
向こうからも、俺は見えていない。
でも。
(見える)
蒸気の向こう。
防御結界を維持している魔力。
杖に集まり始めた次の術式。
目で姿を追えなくても、魔力の位置は分かる。
蒸気が広がった直後も、結界の厚い部分は水球のあった正面上側に残っている。
俺の位置を見失って、守りを動かす先が決められていない。
俺は風弾を三つ作った。
全部、弱く。
一つを正面に。
一つを右に。
最後の一つだけ、低く左から回す。
一発目が結界に触れた。
相手の魔力が正面に寄る。
二発目。
今度は右。
そちらに動く。
左下に隙。
(そこ)
三発目を通す。
防御結界の薄いところを突き抜けた。
相手の胸元の安全核が青白く光る。
「そこまで」
教師の声。
風を止める。
蒸気がゆっくり薄くなった。
「勝者、アストリア」
終わった。
相手は自分の結界を見ていた。
壊れてはいない。
ただ、守っていた方向とは違うところから通った。
待機場所から声が聞こえた。
「今の、水と炎を同時に使ってたよね?」
一組の女子生徒だった。
「しかも詠唱してない」
別の男子生徒が答える。
「蒸気を作るためだけに、あれだけの水を出したのか?」
「普通なら割に合わないでしょ」
今度は三組の女子生徒。
「でもアストリアは、そのまま三つ別方向から撃ってた」
「霧の中でも結界の位置が分かるからか。魔力視って……」
思っていたより、見られていたらしい。
(できた)
胸の奥が熱くなる。
カシウスと戦った時は、大きな魔力を見せて別の攻撃を通そうとしても、最後まで対応された。
今は違う。
相手の動きを見てから考えても、間に合う。
それどころか、思いついたことを試す余裕まである。
自分でも分かるくらい、気分が良かった。
「アストリア」
「はい」
教師に呼ばれる。
「最初から蒸気を作るつもりだったな」
「はい」
「水球を囮にして、炎で蒸気を作る。相手の視界を奪って、自分は魔力視で追う」
「そうです」
教師は蒸気の残る区画を見る。
「発想は評価する。完全無詠唱で水と炎を別々に維持し、接触させる位置まで制御したのもだ」
「ありがとうございます」
嬉しい。
「だが、今日の勝ち方としては遅すぎる」
「……遅い?」
「そうだ」
教師が相手のいた場所を見る。
「正面から一発撃てば、あの結界は抜けただろう」
「多分」
「なら、お前は勝つ前から手を増やしすぎている。水を作る。炎を作る。二つを同時に制御する。蒸気を作る。相手の視界を切る。その後に三発だ」
確かに多い。
でも、それを試してみたかったのだが。
「普通の学生が同じことをやれば、蒸気を作るまでに集中力と魔力を余計に使う。そこまで制御できるなら、最初から普通に攻めた方が勝ちやすい」
「……そうですね」
「お前には魔力量も制御力もある。だから、無駄を無駄のまま成立させられる。それ自体は強みだ」
一拍。
「だが、強みがあるからといって、毎回最初から複雑にする必要はない」
「はい」
「複雑な手を使うなと言っているわけじゃない」
教師が続ける。
「相手や状況によっては、今みたいな工夫が必要になることもある。だが、今日は違う」
「今日は?」
「まず基礎だ。簡単な手が通るなら、それを正確に使う。止められたら変える。その判断を見る」
「分かりました」
「思いつくことをやめる必要はない。使う順番を覚えろ」
「はい」
確かに、複雑と言われればそうなのかもしれない。
(じゃあ次は)
もっと単純なのでいく。
***
二戦目。
相手は三組の男子学生だった。
開始と同時に、相手が土の壁を正面に二枚立ち上げた。
厚い。
その後ろで、さらに防御結界を組み始める。
守ってから反撃するつもりらしい。
さっきはもっと簡単に考えろと言われた。
相手は一方向に防御を集中させている。
なら。
俺は魔力を十に分けた。
上限は二百。
雷。
細長く圧縮する。
一。
二。
三。
十。
十本の雷槍が、相手を囲むように空中に並んだ。
十本全部を合わせて。
二百。
上限ぴったり。
詠唱はしない。
同時に作る。
「なっ——」
土壁の向こうで、相手の魔力が一気に広がった。
防御結界を全周に張り直す。
でも。
(遅い)
十本。
全部、放った。
雷光が、僅かな時間差を置いて走る。
正面。
左右。
斜め後方。
上。
逃げる場所はない。
最初の二本で土壁が砕けた。
三本目から六本目が結界に突き刺さる。
七本目。
結界が歪む。
八本目。
軋む。
九本目。
更に軋む。
十本目。
結界を貫通し。
次の瞬間。
安全核が光った。
「そこまで!」
教師の声が飛ぶ。
訓練場に雷鳴の余韻が残った。
砕けた土がぱらぱらと地面に落ちる。
相手は無傷だった。
胸元の安全核は光を失っている。
本人は固まっていた。
「勝者、アストリア」
教師が手元の記録具を見る。
眉が動いた。
「……二百」
「はい」
「合算で二百ちょうどだ」
「上限ですよね?」
「ああ」
それでも、教師が記録具をもう一度確認したのは見えた。
「十本全部、同時に作ったの?」
生徒の声が聞こえた。
「同時に作っただけじゃない。時間差で飛ばしてたぞ」
「……あれを全部別々に操れるってこと?」
「おそらく」
「うそだろ……」
別の生徒が呟く。
視線が増えた。
さっきまでの、特別選抜という待遇を気にする視線とは少し違う。
実際に魔法を見た後の眼だった。
待機場所に戻ると、ガレスが俺を見る。
「お前、あれ十本全部同時か?」
「うん」
「一本でも突破できたんじゃない?」
リネットが言った。
「囲んだ方が確実かなと思って」
「でも、十本同時に操作なんて普通無理よ」
「まあ。普通じゃないから」
自分の目を指さす。
「調子乗ってる」
エミールが言う。
「そんなんだと、後で足元をすくわれるわよ」
とリネット。
「なんかずっと余裕そうだもんな。見ててハラハラしない」
とガレス。
「ちょっと。みんなひどいって」
俺は苦笑するしかなかった。
***
三戦目も勝った。
正面の炎で相手の防御を寄せ、足元の土を一度だけ持ち上げて体勢を崩し、空いたところに風弾を通した。
三戦三勝。
杖は最後まで使わなかった。
カシウスやセレナ先生を相手にしていた時とは、まるで違う。
同じ年齢の学生と比べると。
(俺、強いな)
今さらだけど。
嬉しくないわけがない。
むしろ、普通に嬉しい。
ずっと上ばかり見てきた。
セレナ先生。
カシウス。
父様。
追いつけない相手を見て、まだ足りないと思うことの方が多かった。
でも今は。
少なくとも、一対一の魔法戦なら。
同年代の中で、自分が強者だとはっきり分かる。
それくらいは、喜んでもいいと思う。
ただ。
一組の方を見る。
(アルドリックはどうだ)
ちょうど試合が始まるところだった。
***
アルドリックの一戦目は、短かった。
相手が水の防壁を作る。
アルドリックは炎を放つ。
それだけ。
水が一瞬で白く沸き、押し切られた。
安全核が作動する。
「勝者、ヴァレリウス」
圧倒的だった。
俺の二戦目と方向は近い。
相手が何をするかより先に、火力で成立させる。
ただ、アルドリックの炎は無駄に広がっていなかった。
必要な幅。
必要な速度。
必要な出力。
相手の防壁を抜く分だけ、正確に上げている。
(強い)
分かっていたけど。
実際に見ると違う。
二戦目も、最初は同じだった。
炎。
正面から。
相手も強い。
一組の学生が厚い水壁を作り、今度は押し切られなかった。
炎が水壁に削られる。
接触した場所から、白い蒸気が一気に広がった。
互いの姿が見えにくくなる。
その瞬間。
アルドリックの魔力が二つに分かれた。
(あ)
蒸気の左右。
その縁に沿うように、二つの炎が膨らむ。
正面ではない。
斜めから。
時間をずらして放つ。
相手は最初の炎を右の結界で受けた。
身体がそちらを向く。
直後、反対側から二発目。
水壁を作り直すより早い。
安全核が光った。
「そこまで。勝者、ヴァレリウス」
(なるほど)
蒸気を使った。
俺と同じだ。
でも。
やったことは違う。
俺は最初から蒸気を作るつもりで、水球と炎を自分で用意した。
アルドリックは違う。
最初は炎だけで押し切ろうとした。
相手が水壁で止めた。
その結果、蒸気が生まれた。
だから使った。
蒸気を作るために、一つも手を増やしていない。
正面で勝てるなら、正面から勝つ。
止められた。
そこで初めて、別の手を足した。
(こういう違いか)
俺なら、もっと別のことを考えると思う。
蒸気の中に雷を混ぜるとか。
上から撃つとか。
地面を変えるとか。
多分、考え始める。
アルドリックは違った。
必要になった分だけ増やす。
そして、それでも駄目なら——
腰の剣の鞘に嵌められた金具が鈍く光る。
(まだあるんだろうな)
炎だけの人間には見えない。
炎だけで終わる相手には、炎だけを使っているだけだ。
しばらくして。
三戦目もアルドリックが勝った。
また炎。
一戦目と同じように真正面から押し切った。
三戦三勝。
俺と同じ。
それだけ勝ったのに。
本人は、涼しい顔をしている。
周りは俺とアルドリックの話でいっぱいのようだった。
「アストリアか、ヴァレリウスじゃないか?」
「どっちだろ」
「アストリアの二戦目見た?」
「でもヴァレリウス、全部安定してたぞ」
「一戦目のアストリアもおかしいって。水と炎を同時に動かしてた」
「だからこそ模擬戦としてどう取るかじゃない?」
女子生徒の声も混じる。
(優秀者、どっちだろうな)
そんなことを考えているように、俺も涼し気な顔で試合を眺めていた。
いや。
涼し気な顔を作っていた、のほうが正しい。
内心は、アルドリックに勝てたかどうかが頭の半分ほどを占めていた。
その間にも、試合は続いていた。
ガレスは二勝一敗だった。
派手には勝たない。
土壁と防御結界で相手の攻撃を受け続け、焦って魔力を使い切りかけた相手に最後だけ踏み込む。
二勝とも、見ている方が先に疲れそうな勝ち方だった。
「何だよ、その感想」
「ガレスらしいなと思って」
「褒めてる?」
「もちろん」
「ならいい」
リネットも二勝一敗。
水と風の小さな魔法を重ね、相手が詠唱を始めるたびに風圧で姿勢を崩し、射線に入れば水弾を置く。
相手は最後まで、自分の得意な大きな魔法をまともに撃てなかった。
ただ、一戦だけ高出力の攻撃を正面から連続で押しつけられ、妨害を組む前に結界を破られた。
「火力って理不尽」
戻ってきたリネットが言う。
「分かる」
「あなたが言うと腹立つわね」
「それはごめん」
「負けたばっかなんだから、少しは気使いなさいよ」
「ごめんって」
エミールは一勝二敗だった。
一勝目は綺麗だった。
開始直後、遠距離から小さな魔力弾を一発。
相手の防御結界の継ぎ目だけを抜いた。
でも、残り二戦は距離を詰められた。
近くで魔法を打ち合う形になると、持ち味が出ない。
「一対一、向いてない?」
俺が聞く。
「相手による」
「悔しい?」
「負けたからね」
エミールは淡々と答えた。
「でも、遠くから撃てる状況なら勝てる」
「うん」
「なら、そっちで勝つ」
割り切っている。
ルシアンは三戦三勝だった。
俺やアルドリックみたいな圧倒の仕方ではない。
でも、危ない場面は全くなかった。
二戦目が分かりやすかった。
相手は攻撃魔法が得意な学生。
最初の一撃。
ルシアンは防御結界で受け、後ろに二歩下がった。
反撃。
相手が防ぐ。
二度目。
相手が打つ。
ルシアンは受ける。
また二歩下がる。
相手の動きが速くなった。
押せていると思ったのだろう。
三度目。
相手がそれまでより大きな魔力を集める。
ルシアンがまた下がる前提で、前に踏み込みながら撃つ。
でも。
ルシアンは下がらなかった。
一歩、斜め前に出た。
攻撃の中心から外れる。
相手は大きな魔法を撃ち終えた直後だった。
姿勢も、魔力の流れも前に寄っている。
そこに短い魔力弾。
安全核が作動した。
「勝者、メルヴィン」
(わざとだ)
一回目も。
二回目も。
同じように下がった。
癖じゃない。
三回目も下がると思わせるためだった。
相手はルシアンを追い詰めたつもりで、自分から撃つ場所とタイミングを決められていた。
言葉は一つも使っていない。
なのに、相手の判断を誘導している。
「どうだった?」
戻ってきたルシアンが聞いた。
「ルシアンって意外といじわる?」
「戦い方の感想だよね?」
「うん」
「ならいいや」
三戦とも勝ったのに、本人はいつも通りだった。
***
最後の数試合が進んでいる時。
「アストリア」
横から声がした。
振り向く。
アルドリックだった。
近くで見ると、やっぱり背が高い。
赤い眼が上からまっすぐこちらを見ている。
「ヴァレリウス……」
「アルドリックでいい」
「え?」
「学院では同級生だ。アルドリックで構わん」
言い方が簡潔だ。
親しげではない。
でも、距離を置こうとしている感じでもない。
「じゃあ、アルドリック」
「ああ」
呼んでみると、思ったより普通だった。
「お前の一戦目を見た」
「俺の?」
「ああ。最初から霧を作るつもりだったな」
「分かった?」
「水球が遅すぎた。あの大きさで本当に当てるつもりなら、あんな速度では見てから避けられる」
そこまで見ていたらしい。
「視界を消したかったんだ。俺は魔力なら見えるから」
「だろうな」
即答。
「水と炎を同時に維持して、ああ使うのは面白かった」
「アルドリックも二戦目、蒸気使ってたけど」
「ああ」
「だがお前のとは違う」
すぐに返ってきた。
「俺は蒸気を作っていない。正面を止められた結果、そこにできた。使えたから使っただけだ」
「俺は最初から作った」
「ああ。そこが違う」
「あれだけの水と炎を同時に制御できるのは、お前の強みだ。俺にはない使い方だと思う」
「……褒めてる?」
「評価している」
褒める、とは言わないらしい。
でも。
(こういう人か)
入試首席。
ヴァレリウス家長男。
近寄りがたいと思っていた。
実際、話しやすいわけではない。
ただ、思っていたよりずっと真っ直ぐそうだ。
「アルドリックは炎ばっかりだったね」
「ああ」
「他も使えるでしょ」
「使える」
「じゃあ、何で?」
「炎で勝てたからだ」
迷いがない。
「正面で通るなら、手を増やす理由がない。止められたら変える」
「それでも足りなかったら?」
「その時は別を使う」
アルドリックの手が、腰の剣に触れる。
(やっぱり)
剣も。
他の魔法も。
まだ見せていない。
隠しているというより。
必要がないから使わない。
それだけらしい。
アルドリックは前の試合に視線を戻す。
しばらく。
黙って見ていた。
それから。
「お前は、何のために学院に来たんだ」
唐突に聞かれた。
「俺?」
「ああ」
「魔法を学ぶため」
答えはすぐに出た。
学院に来る前から、それは変わっていない。
「魔法を学んで、何をする」
「……どういうこと?」
初めは、意味がわからなかった。
何をする、と言われても。
学院で何を学びたいかなら、いくらでも答えられる。
知らない魔法を見たい。
聖級魔法もいつか身につけたい。
魔法理論も学びたいし、他の学科だって見てみたい。
それに。
魔法は、面白い。
それだけで、学ぶ価値は十分すぎるほどある。
でも。
アルドリックが聞いたのは、そういうことではなかった。
「学ぶのは手段だろう。その先で、何をするつもりだ」
「その先……」
言われても、すぐには意味が繋がらなかった。
魔法を学ぶ。
使える魔法が増える。
もっと上手くなる。
強くなる。
俺の中では、それだけで十分に先へ続いていた。
そのさらに先に、別の答えが必要だとは考えたことがなかった。
「……アルドリックは、なんのためにここに来てるの?」
「俺は、ヴァレリウス家の長男だ」
低い声。
「いずれ家を継ぐ。軍を率いる立場にもなる」
事実を確認するみたいに言う。
「だから学びに来た」
「魔法を?」
「魔法だけじゃない」
「戦術。軍事。政治。法。外交。必要なら工学も学ぶ」
「……そんなに?」
「戦い方だけ知っていれば軍を動かせるわけじゃない」
「兵を動かすには物資が要る。国境で何が起きているか知るには地理も外交も要る。何を命じていいか知らなければ、法を破ることもある」
「俺の判断が、兵士の生死や隊の成否を分けるときが来るかもしれない」
一つ一つの言葉が硬い。
「知らなかったでは済まない立場になる。だから、知る。使えるようにする。判断できるようにする」
一拍。
「俺が学院で学ぶものは、全てそこに繋がっている」
赤い眼が俺を見る。
「この国を守るためだ」
「……」
自分が何になるのか。
何のために学ぶのか。
そこが一本につながっている。
迷いがない。
何のために学ぶのかと聞かれて、こんなふうに答えられる。
俺とは違う。
俺は魔法が面白い。
知らない魔法を知りたい。
もっと使えるようになりたい。
守れる力も欲しい。
セレナにも追いつきたい。
全部、本当だ。
でも。
その先を聞かれると。
急に輪郭がなくなる。
「……みんな、そんなこと考えて学院に来るのかな」
「それは知らん」
「知らないんだ」
「だが」
アルドリックは続ける。
「お前が考えていなかったのは意外だった」
「何で?」
「それだけの力があるからだ」
「……」
「少なくとも、考える責任はある」
アルドリックの眉がわずかに寄った。
「お前ほどの力なら、なおさらだ。使い方一つで、救えるものも失うものも変わる。何も考えていなかったというのは、正直に言えば理解できない」
さっきの試合。
十本の雷槍。
上限ぴったりの二百。
周りが驚くのを見て、嬉しかった。
自分が強いと分かって、いい気になっていた。
別に、誰かを傷つけたわけじゃない。
規則だって守った。
それでも。
前にも、似たことがあった。
カシウスとの模擬戦で、認めさせたいと思って、必要以上に自分の力を見せた。
その後、レオンに言われた。
自分で決めたことの責任を、子供だからと誰かに渡すことはできない。
セレナとも話した。
作れることと、作ってよいことは別だと。
どちらも、分かっていたはずなのに。
今日はただ、できることを見せるのが楽しくて。
それが何のためなのかなんて、一度も考えなかった。
急に、さっきまでの自分が恥ずかしくなった。
「……じゃあ、どうすれば」
「それは、俺が決めることじゃない」
アルドリックは淡々と言った。
「俺と同じ道を選べとは言わない。俺には俺の立場と責任がある。お前には、お前の事情があるだろう」
「……うん」
「だが、何も考えていないままでいいとは、俺は思わない。自分の力を何に使うかくらいは、自分で考えておけ」
返す言葉がなくて、俺は頷いた。
アルドリックと目を合わせられなかった。
そのとき。
「全員、注目!」
教師の声が響いた。
最後の試合が終わったらしい。
一組と三組の学生が集まる。
「今日の優秀者を発表する」
周囲が静かになる。
「先に言っておく。勝敗だけでは決めていない」
教師が腕を組む。
「出力制御。安全規則。相手に応じた対応。判断速度。再現性。今日の課題に対してどう戦ったか。全部を見る」
何人かが俺とアルドリックを見るのが分かった。
「アストリア」
「はい」
「三戦全勝。出力、同時制御、観測、発想。今日の中では頭一つ抜けている部分が複数あった」
いつもなら嬉しくて仕方がなかっただろう。
だが、今は、そんな気分にはなれなかった。
「特に二戦目。十本を同時展開し、合算出力二百を超えず、時間差で攻撃した。制御としては文句がない」
「はい」
「一戦目も、発想そのものは高く評価する」
一度、言葉を切る。
「ただし今日の課題に対しては、最初から手を増やしすぎた。水と炎を使って蒸気を作らなければ勝てない相手ではなかった」
「はい」
そのとおりだ。
教師の視線が隣に動く。
「ヴァレリウス」
「はい」
「同じく三戦全勝。一戦目と三戦目は正面から。二戦目もまず同じ方法を試し、それを止められてから手を変えた」
アルドリックは黙って聞いている。
「相手の水壁で生じた蒸気をそのまま利用し、必要になった時点で攻撃方向を増やした」
そこで教師が俺たち二人を見る。
「アストリアは、通るか確かめる前に自分から手を増やした。ヴァレリウスは、通らないと分かってから手を増やした」
「発想を競う授業なら評価は変わる。だが、今日は基礎的な戦闘手段を正しく反復し、必要に応じて組み替えられるかを見る授業だ」
「よって、今日の最優秀はアルドリック・ヴァレリウスとする」
ざわめきが起きた。
大きくはない。
一組からは納得の声。
三組からは惜しむような声も出ている。
(負けたか)
結果も悔しい。
でもそれ以上に。
アルドリックの問いに、何も答えられなかった自分が悔しかった。
「ヴァレリウス」
「はい」
「約束通り、一週間後の実技で対戦する相手を一人指定していい」
周囲の視線が集まる。
赤い眼が動く。
迷う様子はなかった。
「レイン・アストリアを指名します」
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