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第六十三話「魔法理論」

 教室に入って、まず目に入ったのは階段だった。


 正確には、教壇を一番低い位置として、半円状に並んだ机と椅子が段々に高くなっている。


 三組の教室とはずいぶん違う。


「大きい」


「二組と三組が一緒だからね」


 ルシアンが教室を見渡す。


 六十人以上が入るだけあって、普通の教室よりかなり広い。


 前の席に座れば後ろから見下ろされ、後ろに座れば教壇まで見渡せる造りになっていた。


「どこ座る?」


「後ろの方でいいんじゃない?」


 ルシアンと一緒に段を上がり、後ろ寄りの席に座る。


 鞄を机の横に置き、教本を取り出した。


 昼食の時から楽しみにしていた魔法理論だ。


 まだ授業開始まで時間はあるが、目次くらいは見ておきたい。


 二組の学生は先に来ていた者が多いらしく、教室の前半分はかなり埋まっていた。


 三組の学生も次々に入ってくる。


 下の方から、少し大きな笑い声が聞こえた。


 顔を上げる。


「……何だろう」


 前方の席。


 二組の学生が何人も集まっている。


 一人の席を囲むようにして、男女合わせて七、八人ほど。


 その隙間から。


 金色の髪が見えた。


「あ」


 すぐに分かった。


(リア・セリウス)


 入学式。


 アルドリックと並んで壇上に立っていた少女。


 総合科の入学試験次席。


 そして。


 座学、特に魔法理論では突出した成績を取ったと聞いた。


 周囲から何かを話しかけられるたび、リアは相手の顔を見て答えている。


 金色の髪。


 琥珀色の瞳。


 白い肌。


 入学式でも綺麗だとは思った。


 でも、今はあの時よりずっと近い。


(……近くで見ると、もっとすごいな)


 整っている。


 というだけでは足りない気がする。


 周りにも貴族の子女は多い。


 綺麗な学生も珍しくない。


 それでも、あれだけ人がいる中で自然と眼が向いてしまう。


 華やかな顔立ちなのに、誰かと話している姿には落ち着きがあった。


「やっぱ無理だって」


 少し前から声が聞こえた。


 男子生徒が二人。


 俺たちと同じ三組だろう。


「何が?」


「セリウス嬢に話しかけるの」


「二組の奴ら普通に話してるぞ」


「あいつらは同じ組だからだろ」


「関係ある?」


「ある。絶対ある」


 随分断言する。


「だって、あの容姿だぞ」


「それは分かる」


「セリウス公爵家だぞ」


「それも分かる」


「座学、入試一位だぞ」


「……やっぱ無理だな」


「だろ?」


 結論が出たらしい。


 確かに、言いたいことは分かった。


(俺も話しかけろって言われたら……)


 多分。


 かなり緊張する。


「レイン」


「何?」


「見すぎじゃない?」


「……そんなに?」


「結構」


 ルシアンが笑っている。


「……魔法理論の一位って聞いて、気になって」


「うん」


「何?」


「別に」


「何、その返事」


「何でもないよ」


 口元だけが妙に楽しそうだ。


 絶対何かある。


 聞こうとした時。


 前にいたリアが、こちらを見た。


 一瞬。


 眼が合った気がした。


(……俺?)


 違った。


 リアの視線が少し横に動く。


 隣。


「あら」


 小さく口が動いた。


 それから周囲の学生に何か言うと、席を立った。


「……ルシアン」


「ん?」


「こっちに来てる」


「そうだね」


「知り合い?」


「一応」


 そう答えている間にも、リアは段を上がってくる。


 自然と周囲の視線がついてきた。


 俺も。


 何故か姿勢を正した。


「久しぶり、ルシアン」


「久しぶり、リア」


 リアが俺たちの一つ下の段で立ち止まる。


「入学式で探したけど、見つけられなかったわ」


「僕は壇上のリアを見てたけど。立ち姿とか、慣れたものだったね」


「そうかしら?」


 三大公爵家。


 昔から顔を合わせる機会があったのだろう。


 それにしても。


ルシアンは本当に誰とでも楽しそうに話す。


「こうして学生服を着てるの見ると、少し変な感じね」


 リアがルシアンを見る。


「リアもだよ」


「でも、似合っているでしょう?」


「自分から言うんだ」


「似合っていないの?」


「似合ってる」


「なら問題ないわ」


 リアの目元が和らいだ。


 思っていたより普通に話す。


 もっと、公爵家同士の堅い会話になるのかと思っていた。


「そうだ」


 ルシアンが俺を見る。


「リア。こっちがレイン」


「……」


 急に来た。


 リアの琥珀色の眼が俺に向く。


「レイン・アストリアさん?」


「うん」


「知ってるわ。入学式で名前を聞いたもの」


「俺も」


「セリウスさんのことは、壇上で見た」


 ルシアンと同じようなことを言っている。


「そう」


 一度、会話が切れる。


「そういえば」


 ルシアンが続ける。


「レイン、魔力が見えるらしいよ」


「ルシアン」


「何?」


 案の定。


 近くにいた学生たちの視線がこちらに集まった。


「魔力が見える?」


「アストリアの?」


「噂、本当だったんだ」


 小さな声が聞こえる。


「聞こえてるよ」


「そう?」


「そうだよ」


「隠してないでしょ?」


「隠してないけど……」


 リアを見る。


「へえ」


 一瞬。


 琥珀色の瞳が少しだけ俺を観察するように動く。


 驚いてはいる。


 でも。


 午前の実技で周囲から向けられた感嘆とは違う。


 本当に見えるのか。


 見えるなら何ができるのか。


 まず確かめようとしているような眼。


 それも。


 ほんの一瞬だった。


 すぐに柔らかな笑顔に戻る。


「改めて。初めまして、レイン・アストリアさん。リア・セリウスよ」


「初めまして」


「同じ総合科なのだから、リアで構わないわ」


「じゃあ……俺もレインで」


「ええ」


 リアが微笑む。


「これからよろしくね、レイン」


「うん。よろしく」


「それじゃ、私は戻るわ」


「うん。またね」


 ルシアンが軽く手を上げる。


 リアも応じて、前の席に戻っていった。


 金色の髪が背中で揺れる。


「……」


「どうだった?」


「何が?」


「リア」


「どうって……」


 少し考える。


「なんか、話すの緊張するね」


「そう?」


「うん」


あと。


近くで見ると、やっぱりすごく綺麗だ。


 鐘が鳴った。


 教室中の話し声が小さくなる。


 リアの周りに集まっていた二組の学生も、自分の席に戻っていった。


 俺も教本を開く。


(魔法理論)


 待っていた授業だ。


 教壇に、一人の男性教師が立つ。


 細身で、年齢は四十代くらい。


 抱えていた教本と数枚の紙を机に置いた。


「こんにちは」


「こんにちは」


 二組と三組。


 六十人以上の声が重なる。


「本日から、一年総合科の魔法理論を担当します」


 教師が黒板に文字を書く。


《魔法理論》


「二組と三組は、今年度の一部講義をこの形で合同受講してもらいます。人数が多いので、質問がある時は手を挙げてください。こちらから問題を出す時も、分かった人は挙手を。私が指名します」


 何人かが頷く。


「さて」


 教師がチョークを置いた。


「初回ですので、本来なら魔法理論とは何か、という話から始めるべきなのでしょうが」


 一度。


 俺たちを見る。


「総合科の皆さんに『魔法とは何ですか』から話しても、あまり面白くありませんね。

ですので、今日は実際の術式を使います」


(お)


 早速。


 面白そうだ。


 黒板に大きな術式が描かれていく。


 複雑なものではない。


 魔力供給。


 圧縮。


 属性変質。


 成形。


 発動。


 基本的な工程が繋がっている。


「魔法を使えることと、魔法を理解して説明できることは、同じではありません」


 教師が言う。


「非常に優れた術者でも、自分がなぜ成功したのかを上手く説明できないことがあります。反対に、自分では扱えない高位魔法の構造を正確に分析できる研究者もいる」


 黒板の術式を指す。


「魔法理論で皆さんに求めるのは、術式を読み、現象を分析し、他者が同じ手順を辿れる形で説明することです」


(同じ手順を辿れる形)


 気になる言い方だった。


「例えば」


 教師が教壇に軽く手を置く。


「皆さんも、セレナ・ミレイユ特任教授の名前は知っていますね」


 教室の空気が動いた。


「そりゃ……」


「帝国随一の魔導師でしょ」


 声が聞こえる。


 俺も顔を上げた。


 まさか。


 初めての魔法理論で、その名前を聞くとは思わなかった。


「現在はアステリオンに赴いているため、この学院にはいませんが、彼女もかつてはここの学生でした」


 教師が続ける。


「十二歳で特例入学。その後、十五歳で早期卒業し、十八歳で本学の特任教授に就任されました。学院でも類を見ない経歴です」


教室のあちこちから声が漏れた。


「十二歳で入学して三年で卒業……?」


「改めて聞くと恐ろしいわね......」


 俺は、もちろん経歴は知っている。


 でも。


 ここで教師の口から聞くと妙な感じがした。


「私は当時、若手教員として演習を担当していました。ですから、学生時代の彼女が術式を読むところを何度も見ています」


(先生、セレナの学生時代を知ってるのか)


 それは。


 聞きたい。


 いや、すごく聞きたい。


「彼女の才能については、特例入学や早期卒業、魔力量、高位魔法ばかりが語られがちです。しかし、私が最も驚いたのはそこではありませんでした」


 教師が黒板に描かれた術式を見る。


「既存の魔法体系に対する理解の速さです」


 教室が静かになる。


「初めて見る術式でも、どの部分が何を担い、既存のどの理論に基づき、どこを変更すれば結果がどう変わるか。彼女は非常に短い時間で整理しました」


 知っているセレナと繋がる。


 魔法を教わっていた時も。


 俺が何となくやったことを、セレナはすぐに言葉にしていた。


「一度、彼女がまだ入学したての頃、試しに三年生向けの演習問題を見せたことがあります」


教師は当時を思い出すように黒板へ目をやった。


「こちらとしては、さすがにしばらく考えるだろうと思っていました」


「三年生でも、解答まで三十分ほどはかかるだろうと考えていた問題です」


 周囲が息を呑むのを感じる。


「一分ほどでした」


「……一分?」


 どこかから声が漏れた。


「ええ。問題を読み終わると即座に、正答を出しました。しかも、それだけではありません」


 一拍。


「私が『なぜそうなるのですか』と聞くと、使った前提から順番に説明されました」


 教師はそこで一度言葉を切った。


 俺たちを見渡す。


「ですが」


 声色が変わる。


「今の話を聞いて、『セレナ教授だからできた』で終わらせるなら、私が彼女の名前を出した意味はありません」


 教室が静かになった。


「もちろん、あの理解の速さそのものは彼女の才能です。誰もが一分で同じ答えを出せるようになる、という話ではありません」


 一度、黒板を見る。


「ですが、彼女にも最初から帝国中の術式が頭に入っていたわけではない。知らない術式を読み、既に知っている理論と結びつけ、分からない部分を確かめる。それを何度も積み重ねた結果です」


 セレナの研究館の膨大な本や論文が思い出された。


 前の方で窓を見ていた学生が、身体の向きを変えた。


「皆さんも、今日から同じことをします」


 教師が続ける。


「四年後、私が次の新入生に皆さんの名前を出したくなるくらいには、頑張ってください」


 教室は静かなままだった。


 でも。


 さっきまでより、少し空気が違った。


 みんなが、黒板の文字を眺めている。


 俺もだった。


(いいな)


 こういうの。


「では、始めましょう」


 ***


 面白い。


 授業が始まってから、俺は教本の余白へ何度も書き込みをしていた。


 知っていることも多い。


 圧縮。


 変質。


 術式構築。


 魔力循環。


 ずっとやってきた。


 でも。


(これ、そう呼ぶんだ)


 今まで感覚的に捉えていたものに、名前がつく。


 別々だと思っていた操作が、理論上は同じ分類に入っていることもある。


 逆もあった。


 見た目には似ているのに、全く別の現象として扱われている。


 教師が術式を書き加えるたび、頭の中で過去に見た魔法と繋がっていく。


「……なるほど」


 小さく呟く。


 しばらくして。


 教師が黒板に書いていた術式の一部を四角で囲んだ。


「では、ここで一問」


 教室を見る。


「この圧縮節だけを、この形に変更した場合、最初に大きな影響が出る可能性が高いのはどこでしょう。分かる人は?」


 数本の手が上がる。


 前方。


 リアも手を挙げていた。


「では、セリウスさん」


「はい」


 リアが自分の席で立ち上がる。


「変質節だと思います」


「理由は?」


「圧縮率が上がることで、変質開始時の魔力密度が既定値を超えるからです。出力節で調整するより前に、属性変質そのものが不安定になる可能性が高いと思います」


「その通りです」


 教師が黒板の変質節に印を付けた。


「圧縮量だけを見ると出力が上がりそうに思えますが、その前にこちらが影響を受けます」


 リアが座る。


(早い)


 答えるまで、ほとんど迷っていない。


 それに。


 説明が短い。


 必要なことだけ。


 さっきのセレナの話を聞いた直後だからか。


 余計に目がいった。


(こういうことか)


 入学試験。


 魔法理論一位。


 その片鱗を感じた。


 その後も授業は続く。


「では、これは?」


 教師が問いを出す。


 手が上がる。


 教師が一人を選ぶ。


 二組。


 三組。


 何人もの学生が答えた。


 俺も二度ほど手を挙げた。


 一度目はすぐに分かった。


 二度目は少し考えたが、どちらも間違えなかった。


(これなら)


 結構いける。


 そんなことを思い始めた頃。


「では最後に」


 教師が黒板の一部を消した。


「少し難しい問題を一つやりましょう」


 教室の空気が変わる。


 俺も、ペンを握る手に力が入る。


 教師が新しい術式図を描く。


 横に。


 同じ術式をもう一つ。


「中級風魔法。《風弾》の発動記録です」


 術式自体は知っている。


「同じ術者が、同じ術式を二度使用しました。こちらを一回目。こちらを二回目とします」


 左の術式に一。


 右に二。


 数字が書かれる。


「魔力供給量、最終的な圧縮率、発動時の出力には大きな差はありません。術式そのものにも誤りはない。外部からの風や魔力干渉もなかったものと仮定します」


 二つ目の記録の一部に、短い線が三本書き加えられた。


「ですが、二回目だけは発動直後から形状が僅かに崩れ、十メートルほど進んだところで大きく軌道を逸らしました」


 教師が三本の線を指す。


「測定記録に残っている明確な違いはここです。属性変質の終端から成形節に入るまでの短い間に、三度の制御補正が行われています」


 黒板を見る。


 魔力供給。


 問題なし。


 圧縮。


 ほぼ同じ。


 出力も同じ。


 成形に入ってからは、一度安定している。


 でも。


 その直前。


 変質と成形の境目だけ。


 補正が入っている。


「さて」


 教師がチョークを置く。


「二回目の風弾が逸れた主因として、最も疑うべき工程はどこでしょう。記録から考えてください」


 静かになった。


 今までの問題と違い。


 すぐには手が上がらない。


 俺も黒板を見る。


(魔力供給はまず違う。圧縮と出力も、二つの記録でほとんど同じ。そうなると、変質か成形のどちらかになるはずだ。だが……)


 どっちが原因だ?


 隣を見ると、ルシアンも顎に手を当てて考え込んでいる。


 教室を見渡しても、皆それぞれの姿勢で考えていた。


 少しして。


 あれ。


(……これって)


 知っている。


 というより。


 見たことがあるかもしれない。


 かなり前。


 風魔法の練習中。


 似た崩れ方をしたことがあった。


 その時。


 魔力視で、何が起きているかを見た。


 属性変質が、魔法を構成する魔力全体で、同時に終わっていなかった。


 外側と内側。


 ほんの僅かな差。


 変質を終えた部分だけが先に次の流れに入る。


 そのずれが。


 成形の段階で歪みになる。


(これだ)


 手を上げる。


 少し遅れて。


 前でも一本。


 リアだった。


 教師が俺たちを見る。


「では、アストリア君」


「はい」


 立ち上がる。


「疑うべきは、変質の工程だと思います。失敗の原因は、属性変質の不均一だと考えます」


 教師が少しだけ眉を上げた。


「詳しく」


「はい。問題は、魔法を構成している魔力の全部が、同じ瞬間に風属性に変わっていないことです」


 教室が静かになる。


「僕が以前、同じように形が崩れた風魔法を魔力師で見たことがあります。外側の部分が先に変質を終えて、中心側の変質がわずかに遅れていました」


 何人かがこちらを見る。


「変質のタイミングまで見えるの……?」


「魔力が見えるって、そういうこと?」


「やっぱり特別選抜は違うな」


 小さな声。


 俺は黒板を見る。


「先に変質した部分だけが成形の流れに入るから、まだ変質を終えていない部分との間で流れにずれが出る。それで成形が歪んで、そこで補正が必要になる」


 三本の線がある場所を見る。


「一度補正しても、元の変質にずれが残っていれば完全には揃わない。だから発動後にまた形が崩れて、軌道が逸れたんだと思います」


 言い終わる。


 教師が少し考える。


「答えそのものは、正解です」


「よし」


 声が漏れた。


 周囲からも声が聞こえる。


「あれ分かるの?」


「実技だけじゃないんだな」


 口元が緩む。


 午前から。


 褒められることが増えた。


 正直。


 悪くない。


「ただ」


(え)


 教師が続けた。


「アストリア君。一つ確認しましょう」


「はい」


「今の結論に辿り着いた根拠は、この測定記録ですか?」


「……」


 少し止まる。


(いや)


「違います」


「では?」


「前に、同じような失敗を魔力視で見たことがあったからです」


「そうですね」


 教師が頷く。


「この記録を見て、過去に自分が視認した現象と一致すると判断した」


「はい」


「では」


 教師が教室を見る。


「今のアストリア君の説明を、魔法理論として評価した場合。何か問題に気づいた人は?」


 今度は。


 すぐに何本か手が上がった。


 前方。


 リアの手も上がっている。


「では、セリウスさん」


「はい」


 リアが席で立つ。


 こちらを一度見てから、教師を見る。


「結論自体は正しいと思います」


 声はよく通った。


「ただ、今の説明のままでは、他の人が同じ方法で検証できません」


「……」


「アストリア君——」


 一瞬。


 リアが言い直す。


「レインは、以前に同じ現象を魔力視で直接観察しています。だから、この記録を見た時点で原因を知っていた」


「はい」


「でも、私たちはその観察を共有できない」


 リアが続ける。


「私には、魔法を構成する魔力のどの部分が先に属性変質を終えたのかは見えません。ここにいる他の学生も、同じだと思います」


 周囲から頷く気配。


「つまり、『以前、魔力視で同じ現象を見たから今回も同じ原因だ』という部分は、レインにしか確認できない」


「……」


「同じ測定記録を別の術者に渡した時、その人が同じ根拠を追って同じ結論まで辿り着けないなら、理論として共有するには足りないと思います」


 俺の答えが間違っていると言っているわけではない。


 俺にだけ使える根拠を、そのまま答えに使っていることが問題なのだ。


「セリウスさんの指摘は適切です」


 教師が言った。


(……やっぱり)


「アストリア君の観察には、大きな価値があります」


 教師は続ける。


「通常は直接観察できない現象を見て、原因を先に発見できる。それは非常に強い能力です」


「はい」


「ですが、魔法理論として共有するなら、その次が必要です」


 教師が黒板を指す。


「なぜその原因だと、魔力を視認できない人間にも判断できるのか」


 俺も黒板を見る。


「そこまで説明できて、初めて他の術者が使える知識になります」


「……はい」


 分かる。


 そのとおりだ。


 それでも。


「ではセリウスさん」


「はい」


「今度は、魔力視による観察を使わず、この記録だけから説明してみてください」


「分かりました」


 リアは一度黒板を見た。


「先生。黒板を使って説明してもよろしいでしょうか」


 「構いません」


 リアが席を立ち、段を下りる。


 教師からチョークを受け取ると、短く工程を書いた。


《供給 → 圧縮 → 出力 → 変質 → 成形》


「まず、魔力供給量には大きな差がありません」


 供給の下に一本線を引く。


「圧縮率、出力も正常です。ですから、発動前半の魔力不足や圧縮不良を最初に疑う理由は薄い」


 圧縮、出力にも同じ線を引いた。


「一方で、二回目だけに現れている異常はここです」


 チョークの先が三本の補正記録へ向く。


「属性変質の終端から成形節へ入るまでに、三度補正が行われている」


 今度は成形の文字を指す。


「もし成形節そのものに問題があるなら、成形を続けている間にも補正が必要になる可能性が高いはずです」


(あ)


「ですが、記録上は成形に入った直後、一度安定しています」


 リアが成形の一つ手前。


 変質の文字を丸で囲んだ。


「なら、成形節そのものより、成形節へ受け渡された時点で魔力の状態が均一ではなかった可能性を先に疑うべきです」


 教師が頷く。


「続けてください」


「成形の直前にある工程は属性変質です」


 リアが二つ目の記録を指す。


「供給と圧縮、出力が正常で、成形の直前だけに補正が集中している。なら、最も可能性が高いのは、属性変質が正常に完了していなかったこと」


 俺の答え。


 同じだ。


「その状態のまま成形に入ったため、一度は補正で形を整えられても、内部の異常が残っていて、再び崩れたと考えられます」


「その通りです」


 教師が答えた。


「今の説明なら、セリウスさんと同じように魔力が見えない人でも、この記録から同じ推論を辿れます」


 リアがチョークを返し、席へ戻る。


「もちろん」


 教師が教室を見る。


「これはあくまで『最も可能性が高い原因』を推定しただけです。本当にそうなのか確認するには、追加の測定や再試行が必要です」


 黒板に一つ。


《仮説》


 と書く。


「しかし、誰が追っても同じ根拠から同じ仮説に辿り着ける」


 その下に。


《検証》


「そして、同じ条件で確かめられる」


 教師がチョークを置いた。


「これが、先ほど話した『他者が同じ手順を辿れる形』です」


 俺は黒板を見る。


(なるほど)


 すごい。


 俺は答えを知っていた。


 見たことがあったから。


 対して。


リアは知らない。


 魔力の流れも見えていない。


 それなのに。


 記録されている情報だけを使って、同じ場所に辿り着いた。


(……でも)


 何だろう。


 答えたのは俺の方が先なのに。


 理論では、リアに先を行かれた。


 それが、悔しい。


 前を見る。


 リアはもう黒板に視線を戻していた。


(次は)


 ちゃんと、理由まで説明する。


 ***


  授業終了の鐘が鳴った。


「今日はここまでです」


 教師が教本を閉じる。


「次回は今日扱った分析方法をもう少し詳しく見ていきます。教本の第二章まで目を通しておいてください」


 椅子を引く音が一斉に響き、教室がすぐに騒がしくなる。


「レイン」


「何?」


 ルシアンが鞄に教本を入れながら、俺を見る。


「変な顔してるけど」


「どんな?」


「納得してるけど納得してない顔」


「……そんな顔ある?」


「今初めて見た」


「……正しいとは分かってるよ」


「リアが?」


「うん」


「でも悔しい?」


「……悔しい」


「なら、いいんじゃない?」


 俺には見えたから答えが分かった。


 でも、それだけでは足りない。


(じゃあ、どうすれば——)


「レイン」


 声に振り向くと、リアがこちらを向いている。


 手には紙と筆記具を持っている。


「リア?」


「さっきの授業のこと、もう少し聞いてもいい?」


 階段を上がってくる。


「いいけど」


「変質のずれが見えたって言っていたでしょう?」


 リアが俺の机の前で足を止める。


「うん」


 と思ったら勢いが止まっていない。


 顔がどんどん近づいてくる。


 目が本気だ。


「あれは、魔力視よね?」


 息が感じられるくらい近い。


「ちょっ。近いって」


「あら。ごめんなさい」


 リアは一歩下がる。


 だが、会話の勢いは衰えていない。


「で、魔力視なのよね?」


「......そうだよ」


「他には何が見えるの?」


「他?」


「変質だけじゃなくて。魔力そのものの量とか、流れとか」


「それも分かるよ」


 気づくとペンをもって紙を机に置いている。


 リアの筆が動いた。


「魔力量の差も?」


「分かる」


「例えば、二人が同じ魔法を使っていて、片方の方が多く魔力を使っていたら?」


「片方が多く見える」


「何で多いって見分けてるの?」


「密度とか、流れてる量とか」


「数値は?」


「基準があれば大体分かる」


「なるほど......」


 リアがものすごい速度で何かを書いている。


「魔力は、魔法を使う前から見えるの?」


「うん」


「集めてる途中も?」


「見える」


「使った後に減ったのも?」


「分かるよ」


「ということは、今の私の魔力も見えるの?」


 見ると、授業前に離したときより魔力の漏れが多い。


「なんか、制御が緩んでる」


「あら」


 一瞬だけ手を止める。


「でも仕方ないわ。今はそっちに気を使っている暇はないもの」


 またペンが高速で動き出す。


「ええ......」


「それじゃあ、複数の魔力を見ることはできる?」


「できるよ」


「同時に?」


「うん」


「他人のも?」


「うん」


「何人まで?」


「試したことない」


「魔力が重なったら?」


「流れが違えば」


「属性が違う場合は?」


「そっちのほうが分かりやすい」


「同じ属性なら?」


 リアが前のめりになった。


 机を挟んでいたはずの顔が、また急に近くなる。


 目の前に琥珀色の瞳。


 反射的に少し身を引いた。


「リア、ちょっと待って」


「何?」


「一気に聞かれても答えられない」


「あ……」


 リアが口を閉じる。


「ごめんなさい」


「いや、いいけど」


 一度紙に視線を落とし、リアは今まで書いた内容を素早く見直した。


 いくつかの単語を次々と並べていく。


「まずは、一つずつ確かめた方がいいわね」


「......確かめる?」


「今の話、ほとんどレインの感覚でしょう?」


「まあ」


「なら、実際の観測結果と比較しなきゃ」


 紙の中央に、


《魔力量》


 と書き、丸で囲む。


「まずはこれ」


「魔力量?」


「同じ人に、同じ魔法を何度か使ってもらう」


「うん」


「変えるのは使う魔力量だけ」


 その横に《術者固定》《魔法固定》と書き足す。


「観測器で実際に使った魔力量を記録する。でも、レインには数値を見せない」


「ああ」


「それで、レインが見た順番と比べるの。一番多く見えたのはどれか、次はどれか」


「それなら——」


 できそう、と言う前に。


「何度かやって毎回同じ順番になるなら、少なくともレインが『多く見える』と判断しているものと実際の魔力量には関係がある」


 リアの筆が速くなる。


「その後は差を小さくする」


「えっと」


「魔力量の差。どこまで小さくしても見分けられるのか調べる」


「はい」


「具体的な値は実際に測ってからね」


「うん」


「それと答えだけじゃ足りない」


「何が?」


「どう見えたか」


「どう見えたか?」


「レインが何を見て『こっちの方が多い』と思ったのかも記録するの。濃さなのか流れている

量なのかそれとも別の違いなのか」


 そこでリアの筆が止まった。


「......待って」


「......何?」


「それなら、レインが見ているものと観測結果を一つずつ対応させられるかもしれない」


 琥珀色の瞳が、はっきりと輝いた。


「例えば、魔力量を増やした時に毎回同じ見え方が強くなるなら、それが魔力量を判断する手がかりの一つだと考えられる。逆に魔力量を変えても変わらないなら、それは別の要素を見ている可能性がある」


「ちょっと待って」


 話を追うので精一杯だ。


 筆が紙の端まで走る。


 余白がなくなると、リアは迷わず紙を横向きにして書き続けた。


「魔力量ができたら、次は流れ流れる速さや向きが観測結果とどう対応するか。それが終わったら属性ごとの差も調べたいし、複数の魔力が重なった場合にどこまで分けて見えるのかも——」


「......リア」


 リアが顔を上げる。


 あの瞳が丸くなって俺を見ている。


「何?」


「さっきから、勢いがすごい」


 筆が止まった。


「……そう?」


「うん」


 気づけば、紙の半分以上が文字で埋まっている。


「だって、気になるでしょう?」


 リアはまた紙に視線を戻した。


「魔力視で見えているものをただ『そう見える』で終わらせるのはもったいないわ。観測器の結果と比べれば、レインが何を見ているのかもっと具体的にできるかもしれない」


 そのまま新しい項目を書き足していく。


「量だけでも、どこまで判別できるのか、何を基準に判別しているのか。同じ量なら毎回同じように見えるのか。そしてそれを実験で確かめるには——」


(……すごいな)


 一つ聞いただけなのに、もう実験の方法まで考えている。


 俺なら、見えているものをそのまま見て終わっていた。


 リアはそこから、何と比べればいいか、何を記録すれば確かめられるかを次々と紙に落としていく。


 ***


 数分後。


「ふう」


 リアが一段落着いたようだ。


 額には軽く汗が滲んでいる。


「ごめんなさい。夢中になってたみたい」

 

それは分かるのだが。


「......いや。......凄かったよ」


 初めは、話す速さに圧倒された。


 でも、それに慣れるにつれて、別の部分が際立って見えた。


 思考が早すぎる。


 授業前は、あんなにおしとやかだったのに。


 授業前。


 そこで、ふと思い出した。


「そういえば」


「何?」


「授業前、魔力視のこと何も聞かなかったよね」


「ああ」


 リアはあっさり頷いた。


「聞かなかったんじゃないわ」


「じゃあ何?」


「聞かないようにしてたの」


「……何で?」


「授業が始まるまでに絶対終わらないと分かってたから」


「……」


「何が見えるのか、どこまで見えるのか、魔力を集める途中はどう見えるのか、複数の魔力が

重なっても区別できるのか。それに量の違いまで分かるなら——」


 そこまで言って、リア自身が口を閉じた。


「……こうなるから」


「なるほど」


 興味がなかったわけではない。


 むしろ逆だったらしい。


「......リア、こういう実験って学院でできるの?」


「設備と許可次第ね」


「できそう?」


「使うのは観測器と簡単な魔法だけだから、大掛かりな設備はいらないと思う。でも、自由に使える場所があるかは確認しないと」


 そこで初めて、リアが眉を寄せた。


「……設備一覧を確認しておけばよかった」


「まだ入学初日だよ……」


「すぐに調べるわ」


「中央実験棟の設備資料くらい、図書館にあるはずよ」

 

今にでも行きそうな勢いだ。


 だけどそろそろ——


「リア!」


 教室の出口から女子生徒の声が飛んできた。


「次の授業、遅れちゃうよ」


「あ」


 リアが振り返る。


 二組の女子生徒が二人、出口で待っていた。


「今行くわ」


 答えたものの、リアは紙の余白にもう一行書き足してから、ようやく筆を置いた。


「レイン」


「何?」


「今度魔力を見る時、何を見て多いとか少ないとか判断してるのか、意識しておいて」


「魔力視で?」


「ええ。濃さなのか、流れている量なのか、それとも別のものなのか」


「分かった」


「できれば、何が一番分かりやすかったかも」


「……分かったよ」


「ならいいわ」


 ようやく満足したらしい。


 リアは紙を鞄にしまった。


「じゃあね」


 笑顔はやはり綺麗だった。


「うん。また」


 金色の髪を揺らしながら、待っていた二人のところに向かう。


「何話してたの?」


 出口から声が聞こえた。


「魔力視について少し確認してただけよ」


 返ってきた声は、もういつもの落ち着いたものだった。


 リアはそのまま二人と教室を出ていった。


「……すごいな」


 思わず口から出る。


「リアも相変わらずだね」


 横からルシアンの声がした。


「相変わらず?」


「昔から、魔法理論のことになるとああなるんだよ」


「昔から?」


「普段はあそこまで出さないけどね。人前だと一応抑えてるから」


 ルシアンがリアの出ていった扉を見る。


「でも、気になるものを見つけると止まらなくなる。紙を持たせると特に」


「……そうなんだ」


「でも久しぶりに見たよ。あそこまで楽しそうなのは」


 質問する。


 答えを聞く。


 その途中でも次の疑問を見つけて、紙に書き足す。


 さっきのリアを思い返していると、別のことにも気づいた。


 気づきたくないことだったが。


(俺って、あんなふうに見えてるんだ……)

 

正直。


ちょっと引いた。


 リアが悪いという話ではない。

 俺だって普通に楽しかった。


 でも、自分が同じことをしていると思うと話は別だった。


「……次から少し気をつけよう」


「何を?」


「魔法の話」


「やめるの?」


「それは無理」


「だろうね」


「ちょっと控える」


「頑張って」


 またルシアンに笑われた。


 机の上に残った自分の教本を見る。


(魔法理論、一位か)


 点数を聞いた時より、今の方がずっと納得できた。


 そして。

 

自分のことも、少しだけ分かった気がした。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


感想や評価をいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。


次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。


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