第五十六話「帝都中央魔法学院」
帝都の城門は、近くで見ると、遠目に見えていた以上に大きかった。
街道を進むほど灰白色の石壁が視界を埋めていき、やがて馬車の窓から上を見上げても、その頂上が見えにくくなる。
門そのものも、領都どころか州都で見たものより一回りも二回りも大きい。
だが、俺が本当に驚いたのはそこではなかった。
「……すごいな」
思わず声が漏れた。
城門の前には、何列もの馬車が並んでいる。
荷を満載した大型の荷馬車。家紋の入った貴族の馬車。屋根にいくつも荷物を括りつけた小さな乗合馬車。その間を、荷札を抱えた商人や旅装の人々が絶えず行き来している。
州都へ入った時にも、城門前には長い列ができていた。
けれど、数が違う。
それだけではない。
門には複数の通路が設けられ、入城する馬車と出城する馬車が最初から分けられていた。そのさらに脇では、徒歩の人間が別の列を作っている。
何人もの衛兵が書類を確認し、別の者が荷台を見る。
それでも、列はほとんど止まらない。
一台が進むと、その横でも二台、三台と同時に動いていく。
これだけの人間と物が毎日ここを通っているのだ。
「レイン様。まもなく検査になります」
御者の声に、窓から顔を離した。
「分かりました」
手元に置いていた身分証明書と学院の入学許可証を確認する。
五日間の旅で何度か使った書類だ。
それでも、帝都の門となると少しだけ緊張した。
前の馬車が動き、俺たちの馬車が門前へ進む。
外から声が聞こえた。
「身分証明をお願いします」
御者が書類を渡し、少しして別の足音が近づいてくる。
「失礼いたします。アストリア伯爵家、レイン・アストリア様でお間違いありませんか」
「はい」
「帝都中央魔法学院への入学で?」
「そうです」
窓越しに入学許可証を見せる。
衛兵は、開かれた書物と、その奥にそびえる塔が意匠化された学院の印章を確認すると、一礼した。
「確認いたしました。ようこそ帝都アルカディウムへ」
その言葉の後、馬車がゆっくりと動き出した。
巨大な門の下へ入る。
一瞬だけ日差しが遮られ、石造りの天井が頭上を流れていく。
馬車の車輪が石畳を叩く音が、門の内側で大きく反響した。
そして、再び光が差した。
「……すごい」
まず目に入ったのは、道だった。
広い。
州都の大通りもかなり広かったはずなのに、その記憶が一瞬で霞む。
中央の大通りを何台もの馬車が並んで走り、その両側にはさらに人の流れがある。それでも窮屈には見えない。
道沿いには、三階、四階と高さのある石造りの建物が並んでいた。
一階部分には店が多いらしい。
大きな硝子窓の向こうに衣服が並ぶ店。
入口にいくつもの杖を立てた魔法具店。
色とりどりの果物を積み上げた露店。
焼きたてなのか、パンの香ばしい匂いまで馬車の中に流れ込んできた。
その向こうでは店員が声を張り上げ、通りを行く人間に呼びかけている。
別の場所では、二人の商人が荷札を手に何か言い争っていた。
こちら側の歩道を、同じ外套を着た一団が早足で通り過ぎる。
向こうからは大きな木箱を抱えた男たちが来る。
誰も止まっていない。
朝だというのに、街全体がもう動いていた。
(これが、帝都か)
知識としては知っていた。
帝国最大の都市。
政治、商業、魔法、研究の中心。
オスカーから何度も教わってきた。
けれど、数字や地図から想像していたものとは、まるで違う。
人が多いというのは、こういうことなのか。
窓の外を見ている間にも、知らないものが次々と通り過ぎていく。
屋根の上に大きな魔晶石を据えた建物があった。
何に使うのか分からない。
通りの角では、金属製の支柱に取り付けられた魔導灯の内部を、作業着姿の男が開いていた。隣にいる若い男が何かを確認しながら、細い器具を差し込んでいる。
無意識に眼がそちらへ向く。
魔晶石から伸びた淡い魔力が、支柱の内部に組まれた術式へ流れていた。
目を凝らすと、灯具へ魔力を送るだけの単純な術式ではない。途中で何度か流れを分け、出力を細かく調整している。
(こんな街灯にも、ちゃんとした術式が組まれてるのか)
もう少し見ようとしたところで、馬車が角を曲がった。
「あ」
建物に隠れて見えなくなる。
もう少し見たかった。
思わず振り返りそうになって、やめた。
まだ帝都に入って数分だ。
こんなことでいちいち馬車を止めていたら、学院まで何日かかるか分からない。
そう考えた直後、今度は反対側に、店先で何かの魔法を使っている女性が見えた。
薄い青の魔力。
水だ。
けれど、俺が普段使う水魔法とは流れ方が少し違う。
桶の中で水が細かく渦を巻き、その中に沈められた布から汚れだけが浮き上がっていく。
(洗浄? でも、あんな術式——)
また見えなくなった。
「……」
窓の右を見る。
左を見る。
少しして、自分が落ち着きなく首を動かしていることに気づいた。
御者台の方から、笑いを堪えるような音がした気がする。
馬車は大通りを進んでいく。
城門の近くでは旅人や商人が多かったが、中心部へ近づくにつれて、街の様子も少しずつ変わっていった。
大きな商店が増え、建物の造りも整っていく。
そして何より、魔法が多い。
街路灯。
店の看板。
建物の入口に組み込まれた小さな結界。
荷物の固定に使われているらしい術式。
普段なら気にも留めないような小さな魔法まで、眼を向ければそこかしこにある。
色も、流れも、組み方も違った。
もちろん、すべてが高度な魔法というわけではない。
むしろ一つ一つを見れば、初級や中級と思われるものの方が多い。
それでも。
(知らない使い方が、こんなにあるんだ)
それだけで楽しかった。
セレナから多くの魔法を教わった。
領地でも、兵士や魔術師、職人たちの魔法を見てきた。
それでも帝都へ来て数十分で、もう見たことのない魔力の流れがいくつもあった。
学院なら、どうなるのだろう。
帝国中から魔法を学びに来た学生がいる。
それを教える教師がいる。
研究者がいる。
考えただけで、胸の奥が騒がしくなった。
その時だった。
建物の切れ目から、遠くに白いものが見えた。
「……あれは」
身体を窓へ寄せる。
最初に見えたのは、いくつもの高い塔だった。
市街の建物とは明らかに違う。
白い壁。
陽光を反射する屋根。
そのさらに奥に、ひときわ大きな建物が見える。
皇城。
遠くからでも分かった。
周囲のどの建物よりも大きく、幾つもの尖塔が空へ伸びている。
これまで絵や本では何度も見た。
アルカディア帝国の中心。
皇帝がいる場所。
実物を前にすると、それだけで街の中心がどこなのか分かるような存在感があった。
だが。
「……ん?」
俺の視線は、その手前で止まった。
皇城の南側。
広い土地を埋めるように、いくつもの建物が並んでいる。
最初は、それ全体が一つの施設だとは思わなかった。
一つの街区に見えたからだ。
大きな建物。
細長い建物。
円形の屋根。
高い塔。
その間をつなぐ石畳の道。
少し離れた場所には、建物のない広い空間も見える。
訓練場だろうか。
さらに奥にも建物が続いている。
「まさか……」
御者が少し振り返った。
「見えてまいりましたね」
「全部、学院ですか?」
「ええ。あちらが帝都中央魔法学院です」
「全部……」
もう一度見る。
大きいとは聞いていた。
一学年だけでも千人が学び、四学年が在籍する。
講義だけではない。
研究も、実験も、実技も行う。
それなら広いのは当然だ。
頭では分かる。
けれど。
(これ、迷わないか?)
最初に浮かんだ感想がそれだった。
中央にある一際大きな建物から、左右へいくつもの棟が伸びている。
その後ろにも別の建物がある。
道が交差している。
遠くには同じような石造りの建物がいくつも見える。
初日に一人で放り出されたら、目的の教室へ辿り着ける自信がない。
それでも、不安より、楽しさの方が大きかった。
あそこに図書館がある。
研究棟がある。
実験施設がある。
訓練場がある。
そして、俺と同じくらいの歳の学生が何千人もいる。
これまでとはまるで違う生活が、あの中で始まる。
自分の鼓動が聞こえた。
馬車がさらに進む。
学院へ近づくにつれて、通りを歩く若い人間が増えてきた。
その中に、同じ服装をした者たちが混じり始める。
(学院の制服か)
すぐに分かった。
濃紺を基調とした立襟の学院服。
襟と袖口、前合わせには細い銀の縁取りが走り、左胸には、開かれた書物とその奥にそびえる塔を象った銀の学院章が留められている。
下衣は濃灰で統一されているらしい。
男子生徒はパンツ姿だったが、女子生徒にはスカートを穿いている者とパンツを穿いている者の両方がいた。
腰には共通して黒革の帯が巻かれている。杖や小さな鞄、見慣れない魔法具を吊るしている者もいて、ただの装飾ではなさそうだった。
さらに見れば、襟元を走る銀線の数が学生によって違う。
一本。
二本。
三本。
四本。
(学年かな?)
俺と同じくらいの年頃に見える学生は、ほとんどが一本だった。
装飾そのものは決して多くない。
それでも、濃紺の生地に銀が映え、何人も並んで歩いていると自然に目を引いた。
数人で笑いながら歩く者。
一人で本を読みながら歩き、前から来た人間にぶつかりそうになって慌てて避ける者。
大きな筒状の荷物を抱えた学生。
背中に剣を負った学生。
見慣れない形の杖を持つ者もいた。
通りの向こうでは、明らかに高価そうな馬車から降りた少年が、御者から荷物を受け取っている。
そのすぐ横では、荷車から大きな鞄を下ろした少女が、家族らしい男女に何度も頭を下げていた。
服装は違う。
乗ってきた馬車も違う。
けれど、学院の門へ向かう時には、同じ紋章の制服を着ることになる。
その当たり前の事実が、なんとなく不思議に感じられた。
やがて馬車が速度を落とした。
窓の外いっぱいに、学院の正門が見える。
学校の入口だと思えば、十分すぎるほど大きかった。
門の奥。
一直線に伸びる石畳の道の先に、正面校舎が建っている。
左右には広い芝地と木々。
そのさらに奥には別の建物の屋根がいくつも見えた。
門の脇には学院の紋章。
数日前から何度も書類で見てきた印だった。
なのに今は、まるで別物に見える。
「着きました」
馬車が止まった。
「……はい」
扉を開ける。
足を地面へ下ろした。
五日ぶりに、旅の途中ではない場所へ降りた気がした。
学院の門前は、新入生らしい学生とその家族で溢れていた。
「受付はこちらです!」
「入寮する方は、先に荷物札を確認してください!」
「保護者の方は中央棟より先へは入れません!」
学院の職員らしい者たちに混じって、制服姿の上級生たちも案内に立っている。
声の飛び交い方だけなら、少し祭りに似ていた。
ただ、並んでいるのは屋台ではなく机で、学生たちが手に持っているのは食べ物ではなく書類だ。
俺も馬車から鞄を下ろす。
衣類や本など、大きな荷物は後ろに積んである。
「レイン様、こちらは我々が」
「いえ。寮までなら自分で運びます」
「ですが——」
「学院に入ってからも毎回運んでもらうわけにはいかないでしょう」
御者が少し困った顔をした。
俺も一瞬考える。
確かに、大きな箱まで一人で持つ必要はない。
「……やっぱり、大きい方だけ、入口までお願いできますか」
「承知しました」
結局、半分ほど手伝ってもらった。
全部自分で運ぶと言った直後なので少し格好がつかない。
受付の列へ並ぶ。
前には、立派な刺繍の入った外套を着た少年。
後ろには、使い込まれた革鞄を両手で抱えた少年がいた。
順番が来る。
「入学許可証をお願いします」
受付に座っていた上級生へ書類を渡す。
彼は名前を確認し、別の紙と見比べた。
一瞬だけ、その指が止まる。
「レイン・アストリア……」
「はい」
顔を上げ、俺を見る。
その視線に何か引っかかるものを感じたが、すぐに普通の表情へ戻った。
「確認できました。入寮ですね?」
「はい」
「男子寮はこの道を進んで、二つ目の分岐を右です。棟番号と部屋番号はこちらに。明日の入学式までは学院内を自由に見て構いませんが、実験棟と訓練施設には許可なく入らないでください」
「分かりました」
部屋番号が記された札と、折り畳まれた学院案内図を受け取る。
その場を離れてから、案内図を開いた。
「……」
思わず足が止まった。
正門。
大講堂。
講義棟。
中央図書館。
研究棟。
実験棟。
魔導工房。
訓練場。
治癒所。
学生食堂。
寮。
それぞれが小さな文字でびっしりと書かれている。
しかも一つではない。
研究棟だけでも複数ある。
「地図が要るわけだ……」
さっきの不安が早くも現実になった。
案内図を片手に、寮へ向かう。
敷地内へ入ると、外から見ていた以上に学生が多かった。
上級生はすでに授業や研究が始まっているのか、何人も慣れた足取りで行き交っている。
すれ違うたび、いろいろな魔力が視界を横切った。
杖の先に残っている火属性の魔力。
腰に下げた魔導具の内部で一定の周期を刻む光。
腕に巻いた器具へ、細く魔力を流し続けている学生。
遠くの建物では、一瞬だけ強い青色の光が窓から漏れた。
すぐに消える。
(何だ、今の)
反射的にそちらへ行きかける。
三歩進んでから、寮とは逆方向だと気づいた。
「……先に荷物だな」
四年間もある。
学院が逃げるわけではない。
そう言い聞かせて、案内図へ視線を戻した。
男子寮は、学院の主要な講義施設から少し離れた場所にまとまっていた。
一棟ではない。
似た造りの建物がいくつも並んでいる。
指定された棟の入口へ入ると、外の騒がしさが少し遠くなった。
受付で札を見せ、階段を上がる。
廊下には同じように荷物を運ぶ新入生が何人もいた。
扉の前で家族と別れている者もいる。
すでに部屋へ入ったのか、開いた扉の向こうから笑い声も聞こえた。
自分の部屋番号を探す。
「あった」
鍵を差し込み、扉を開けた。
二人部屋だった。
左右に一つずつベッドがあり、それぞれに机と棚が置かれている。
部屋の広さも、家具も、必要十分という感じだ。
伯爵家の屋敷にある自室と比べれば、当然狭い。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ。
(学生寮って感じだな)
そう思うと少し楽しい。
片方の机には何も置かれていない。
同室者はまだ来ていないらしい。
どんな人間だろう。
貴族か。
平民か。
総合科なのか、それとも専科なのか。
受付で聞けば分かったのかもしれない。
けれど、明日には会う。
それならその時でいい。
大きな荷物を部屋の端へ寄せ、鞄を開く。
上の方には、学院から事前に届けられていた制服が畳んで入れてあった。
「……着てみるか」
旅装を脱ぎ、袖を通す。
少し硬い。
採寸はされていたので大きさは合っているが、着慣れた服とは感覚が違った。
胸元には、学院の紋章。
鏡の前に立つ。
空色の髪。
碧い瞳。
腰には、家を出る朝にもらった濃紺の鞘。
胸元には制服の下から、セレナにもらった紫のペンダントの紐が僅かに覗いている。
その上から学院の制服を着ている。
「……学生だな」
当たり前のことなのに、妙な感じがした。
鏡に映っているのは見慣れた自分のはずなのに、濃紺の制服を着ているだけで少し違って見える。
今日から、ここで暮らす。
明日から、ここで学ぶ。
そう思うと、じっとしているのが急にもったいなく感じた。
襟元を整える。
「よし」
荷解きは後でもできる。
せっかく学院まで来たのだ。
部屋にいる理由はなかった。
案内図を持って、もう一度外へ出た。
まずは明日使う大講堂。
それから総合科の講義棟。
迷って入学式に遅刻するのは避けたい。
寮を出て、地図を見ながら歩く。
大講堂はすぐに分かった。
分からない方がおかしいほど大きかった。
扉だけでも何枚あるのか分からない。
正面には長い階段が伸び、その上に学院の紋章が掲げられている。
(ここに新入生が全員入るのか)
千人。
数字で考えるより、建物を見る方が実感があった。
そこから講義棟へ向かう。
途中、中央図書館の前を通った。
足が止まった。
横に長い石造りの建物で、入口の上には大きく《中央図書館》と刻まれている。
開いた扉の向こうには、棚の一部だけが見えた。
「……」
入りたい。
ものすごく入りたい。
だが、今日は場所の確認をするつもりだった。
ここで入ったら、まず間違いなく出てこられなくなる。
経験上、自信がある。
「今はまだ」
誰に言うでもなく呟いて、歩き出す。
数歩。
振り返る。
「……」
もう一度前を向いた。
講義棟を探す。
案内図では近く見えたのに、実際に歩くと結構な距離があった。
しかも途中で道が二つに分かれている。
右へ行く。
少し進む。
案内図を見る。
「……違うな」
戻る。
さっそく迷った。
幸い、近くにいた上級生へ聞くとすぐに教えてくれた。
「総合科なら第二講義棟。あの時計塔が見えるだろ。その手前を左」
「ありがとうございます」
「新入生?」
「はい」
「最初の一週間はみんな迷うから気にするな。俺も去年、治癒所へ行くつもりで工房まで行った」
「そんなにですか」
「その地図、建物の大きさが全部同じように描いてあるからな」
上級生が笑う。
確かに。
図面上では指一本分の距離でも、実際には建物一つを回り込まなければならない。
「助かりました」
「明日遅刻するなよ」
「気をつけます」
言われた方向へ進む。
今度は間違えなかった。
時計塔の手前。
大きな建物の前に、人だかりができていた。
新入生らしい制服姿が多い。
(何だ?)
近づく。
建物の壁際に、大きな掲示板が設置されている。
何枚もの紙が貼り出され、その前に学生たちが集まっていた。
「二組だった!」
「俺、四階の教室だって」
「お前何科?」
「魔法工学。そっちは?」
「治癒」
聞こえてくる会話で分かった。
クラス分けだ。
そういえば、入学関係の書類には所属科までは書かれていたが、総合科のどの組になるかは通知されていなかった。
人の間から掲示板を見る。
科ごとに紙が分かれている。
魔法理論科。
魔法工学科。
治癒魔法科。
軍事魔法科。
他にもいくつもある。
その中から《総合科》を探した。
すぐに見つかる。
一組。
二組。
三組。
百人ほどしかいないはずなのに、名前が並ぶと意外に多い。
上から順に見ていく。
一組。
ない。
二組。
ここにもない。
(じゃあ、三組か)
視線を移す。
知らない名前が続く。
当然だ。
同年代の知り合いなど、今まではいなかった。
そのまま下へ追っていく。
途中、すぐ近くにいた二人の学生の会話が耳に入った。
「総合科って三組しかないのか」
「百人だけだからな」
「少なっ」
「受かる方がおかしいんだよ」
片方が笑った。
俺は紙を見る。
あと少し。
そして、見つけた。
自分の名前というものは、どれだけ大量の文字の中にあっても不思議とすぐ目に入る。
《総合科 三組》
その下。
《レイン・アストリア》
間違いない。
ただ。
「……ん?」
名前の横に、小さく文字が添えられていた。
顔を少し近づける。
《特別選抜》
「……そこも書くんだ」
思わず呟いた。
別に隠しているわけではない。
十二歳の時に取得した特例入学資格を二年延期し、通常の入学年齢で入っているとはいえ、入学の選抜自体は通常入試とは別だ。
書かれていても、おかしくはない。
ただ、名前の横にわざわざ付いているとは思っていなかった。
「特別選抜?」
近くから声がした。
反射的にそちらを見る。
二人の新入生が、俺の見ていた場所を覗き込んでいた。
「そんなのあるんだ」
「知らない」
それだけ言うと、二人は自分たちの名前を探して別の紙へ移っていく。
俺はもう一度、掲示板を見る。
総合科三組。
レイン・アストリア。
特別選抜。
その文字の周りには、知らない名前が三十以上並んでいる。
明日になれば、その名前に顔がつく。
話すことになる。
一緒に授業を受ける。
競うこともあるだろう。
今の俺には、誰がどんな魔法を使うのかすら分からない。
少しだけ口元が緩んだ。
掲示板から顔を上げる。
目の前には、総合科の授業で使う講義棟。
振り返れば、その向こうに中央図書館の屋根が見える。
さらに遠くには研究棟や実験棟が続き、学院の外へ視線を上げれば、その先に皇城の尖塔が立っていた。
知らない場所。
知らない人。
知らない魔法。
それが、ここにはいくらでもある。
胸元で、紫のペンダントが僅かに揺れた。
俺は掲示板に書かれた自分の名前を、もう一度だけ見た。
総合科三組。
レイン・アストリア。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
いよいよ、学院編が始まりました。レインの世界は、一気に広がります。
感想や評価をいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。
次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。




