第五十話「振り抜け」
「四班、攻撃位置に到着!」
下から届いた声に、息を吐く。
四班。
全部揃った。
でも、さっきの三秒はもう終わっている。
脈喰獣の四本の肢には、再び地面から魔力が流れ込んでいた。
「前回から十秒です」
記録係が時計を見る。
「分かりました」
時間は目安。
見るのは、四本の肢そのものだ。
採石跡では、切断班が脈喰獣に合わせて動いていた。
止まって待つわけではない。
巨体が一歩進めば、担当する肢も動く。
第一班が少し西にずれる。
第二班が岩場を避けて回る。
三班目も距離を詰める。
第四班の近くには、カシウスがいた。
暗い銀色の髪。
黒い軍服。
手には細い黒の軍杖。
第四班の兵士たちと一緒に、太い肢の動きを見ている。
いつあそこに入ったのか。
観測に集中していて気づかなかった。
さっき、第一班の魔法は維持できなかった。
カシウスの魔法も同じはずだ。
それでも、あそこにいる。
二十秒。
記録係の声。
四本を見る。
まだ大きな変化はない。
その時、採石跡の中央に立つセレナが目に入った。
白い魔導衣。
ほとんど同じ場所から動いていない。
目も閉じたままだ。
周囲で兵士たちが走り、巨大な魔獣が近づいているのに。
ただ一人、術式に集中している。
セレナの身体の中には、莫大な魔力がある。
でも、準備を始めてから、その大半は体内に留められている。
外に広げてはいない。
「レイン様」
後ろから声がした。
観測連絡所から伝令が上がってきている。
「セレナ殿から連絡です。これより、定めた境界に沿って魔力を通し、位置を確認するとのことです」
「外に出したら、吸われませんか」
「吸収は起きるそうです。出す量を抑え、短時間で確認する、と」
「分かりました」
伝令が下に戻る。
四本を見る。
四十秒。
セレナはまだ瞑目している。
その足元から、白い光が伸びた。
「……」
今までとは違う。
細い。
それでも、俺にはかなりの量に見える。
一本の光が地面すれすれを走り、採石跡の外周に沿って伸びていく。
さらにもう一本、別の方向に広がる。
その途中、光が揺れた。
「吸われてる」
光の一部が地面に引かれている。
細くなる。
だが、消えない。
セレナから絶えず新しい魔力が送り込まれている。
莫大な魔力を一度に外に出しているんじゃない。
身体の中に抱えている魔力から、少しずつ必要な分だけ、吸われた分を補うように送り続けている。
だから、短時間なら残せる。
それでも、外に出した魔力が奪われていることに変わりはない。
脈喰獣の肢が地面についたまま、術式全部を外に広げることはできない。
五十秒。
その直後だった。
肢を通る魔力の流れが変わった。
「……っ」
切り替わりじゃない。
四本全部。
地面から吸い上げる量が一気に増える。
外殻の白い筋が強く光った。
「吸収量、増えています! 四本ともです!」
記録係の筆が走る。
脈喰獣が止まった。
これまで、近くの兵士も武器の音も、何も気にせず進んでいた巨体が、初めてはっきりと動きを止めた。
そして、向きを変える。
セレナのいる方向に。
(……魔力に反応した?)
セレナが魔力を外に出した。
四本の吸収量が増えた。
その直後に、進路が変わった。
「父様に! 魔力に反応した可能性あり!」
「はい!」
記録係が短く書く。
伝令が紙を受け取り、坂を駆け下りていった。
六十秒。
脈喰獣が一歩踏み出す。
今までとは違った。
速い。
次の肢がすぐ前に出る。
ズン。
続けて、もう一歩。
地面が連続して揺れた。
「……まずい」
セレナに向かっている。
切断班が慌ただしく位置を変える。
セレナは目を開けない。
術式の構築を止めない。
白い光だけが、細く外周を走り続けている。
脈喰獣がさらに速度を上げた。
土が大きく抉れる。
あの巨体が真っ直ぐ、セレナに迫っている。
下を見る。
伝令がレオンに紙を渡した。
レオンが読む。
顔を上げた。
「七十秒」
記録係の声。
残りは三十秒ほど。
「父様に、僕が囮になると——」
言いかけて、止めた。
今からでは間に合わない。
脈喰獣は、もうセレナに迫っている。
俺はレオンを見る。
声は届かない。
それでも、目を逸らさなかった。
俺が何を考えているのか、伝わった保証なんてない。
でも、さっきの報告は届いている。
セレナの魔力に反応した可能性。
そして、レオンは俺が魔力を外に出せることを知っている。
俺。
セレナ。
脈喰獣。
レオンが順に視線をやる。
そして、再び俺を見る。
次の瞬間、レオンが腰の剣を抜いた。
「……」
左足を半歩引く。
剣先を僅かに外に流した。
知っている。
この形を。
『迷うな。振り抜け』
あの時は木剣だった。
それでも、意味は同じだった。
八十秒。
「……分かった」
小さく呟く。
俺は救護員を見る。
「十秒だけ、魔力を外に出します」
「レイン様!」
「それ以上はやりません」
救護員が俺を見る。
俺は目で返す。
九十秒。
時間がない。
脈喰獣を見る。
セレナまで、もう何歩もない。
息を吸う。
身体の中に、ずっと閉じ込めてきた魔力。
その蓋を開いた。
「っ……!」
空気が震えた。
身体の周囲に魔力が溢れる。
火にも、風にも変えない。
ただ、外に出す。
一秒。
出した途端に、魔力が地面に引かれた。
奪われる。
それでも、止めない。
二秒。
脈喰獣がセレナの直前で止まった。
三秒。
巨体が急に向きを変えた。
こっちに。
俺のいる高台に。
四秒。
踏み出す。
今度は、俺に向かって。
五秒。
右脇腹が痛む。
頭の奥が重い。
外に出した魔力は、次々に奪われていく。
六秒。
巨体が向きを変えたことで、四本の肢の位置も変わる。
切断班が走る。
第一班。
第二班。
三班。
第四班。
カシウスが軍杖を構えた。
七秒。
四班。
全部、届く位置にいる。
八秒。
強い一本の流れが弱くなった。
次が、まだ強くならない。
来る。
九秒。
突如、脈喰獣が足を止めた。
四本全部の流れが一斉に薄くなった。
魔力を閉じる。
「今!」
赤旗が上がった。
レオンがそれを見る。
角笛。
低く、長い音が採石跡を貫いた。
四班が一斉に踏み込む。
大型の刃が振り下ろされる。
その一瞬だけ、魔術師たちの風が刃を押す。
維持はしない。
魔法が消える前に、鋼へ力を渡す。
一つ。
太い肢が裂ける。
二つ。
反対側で外殻が砕けた。
三つ。
地面から肢が切り離される。
四つ目。
刃が止まった。
「……!」
厚い外殻に食い込んだまま、動かない。
四本目に、地面からの光が戻り始める。
カシウスが動いた。
黒い軍杖が一度だけ振られる。
刃の後ろで空気が弾けた。
風が刃を押す。
長くは続かない。
だが、それで十分だった。
「おおおおっ!」
第四班の兵士がさらに踏み込む。
刃が最後まで抜けた。
四本目が地面に落ちる。
その瞬間。
脈喰獣の巨体が沈んだ。
轟音。
採石跡が大きく揺れる。
白い結晶の筋が一度、強く明滅した。
次の瞬間、残った二本の肢が地面を掻いた。
だが、うまく進めていない。
「っ!」
黒灰色の身体が大きく捩れる。
切断班のすぐ横を、外殻が薙ぐように動いた。
兵士たちが散る。
一人、足を取られた。
転ぶ。
その上に巨体が傾く。
カシウスが振り返った。
軍杖が動く。
風が走った。
今度は途中で消えない。
倒れた兵士の身体が地面を滑り、巨体の下から抜ける。
カシウスがその腕を掴み、引き起こす。
二人が走る。
その間にも、残った肢が土を抉る。
外殻が岩を砕く。
四班が一斉に後退する。
俺は地面を見る。
切られた四本。
一つ。
流れはない。
二つ。
ない。
三つ。
四つ。
「地面からの魔力流入、ありません!」
「四本ともです!」
信号兵が小旗を上げる。
下の観測連絡所から旗が返る。
その時。
「十二分!」
採石跡の中央から声が上がった。
セレナが目を開けた。
紫の瞳が、まだ藻掻き続ける脈喰獣を捉える。
「全員、境界の外に!」
今度は、はっきりと声が響いた。
切断班が走る。
第一班。
第二班。
三班。
第四班。
最後尾には、兵士を支えるカシウス。
脈喰獣が、もう一度巨体を持ち上げようとする。
まだ終わっていない。
全員がセレナのために境界から出た。
そして、その中央で。
セレナだけが、動かなかった。
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