第四十七話「事実と解釈」
『レイン・アストリアを救出。生存。意識あり』
伝信された文字を、もう一度読む。
生存。
そこだけを、もう一度。
「……よかった」
声が漏れた。
紙を持つ指から、なかなか力が抜けなかった。
目を閉じる。
一度だけ、深く息を吐いた。
「セレナ様」
通信兵の声に顔を上げる。
「レイン様は現在、こちらの後方救護所へ移送中です」
「容体は」
「意識あり。左足と右脇腹を負傷。かなり身体が冷えているとのことです」
「分かりました」
紙を置く。
「到着したら知らせてください。それまでは今の配置を維持します」
「はい」
東防衛線の向こう。
日が沈みかけている。
森のさらに奥では、今も魔力低下域が西へ動いている。
だが、レインは戻った。
その事実だけで、今は十分だった。
***
「先生」
掠れた声だった。
救護所に入った瞬間、足が速くなった。
寝台。
何枚もの毛布に包まれたレイン。
左足は固定されている。
顔や髪には、まだ落としきれていない泥が残っていた。
頬にも小さな傷がある。
けれど、碧い瞳がちゃんと私を見ていた。
「……レイン」
気づけば、自分の両腕が少し上がっていた。
「セレナ様」
救護員の声。
「右の脇腹を痛めています。上体を動かさないようお願いします」
「……はい」
止まる。
分かっている。
今、抱きしめていい身体ではない。
上げかけた腕を下ろす。
代わりに、毛布から出ていたレインの手を包んだ。
冷たい。
それでも、生きている。
「おかえりなさい、レイン」
「……ただいま、戻りました」
その返事を聞いて、ようやく身体の奥に張りついていたものが少しだけほどけた。
「本当に」
一度、言葉が止まる。
「よく、戻ってきました」
「……はい」
レインの指が僅かに私の手を握った。
それだけでよかった。
「先生」
「はい」
「話さないといけないことがあります」
「分かっています」
救護員を見る。
「短時間なら。ただし、少しでも意識が落ちるようなら止めます」
「ありがとうございます」
椅子を寝台の横に寄せる。
手を離す。
「カシウスさんから、魔力低下の原因と思われる魔獣とその四本の肢について、簡単な報告は届いています」
「はい」
「詳しく聞かせてください。ただし」
紙を一枚取る。
「まず、あなたが実際に見たことだけを」
レインが一瞬だけ目を伏せた。
そして、頷いた。
「最初に見たとき、肢は六本ありました」
「六本」
「はい。そのうち、四本だけが太くて、地面に深く刺さっていました」
書き留める。
「外殻は?」
「黒灰色で、岩みたいでした。表面に白い結晶の筋がありました」
筆が一瞬止まった。
机の端に置いていた古い記録を見る。
『地の魔力を喰らう』
『接地中、周囲の術式が衰弱』
『殻に白き晶脈あり』
三つ、重なる。
「続けてください」
「四本の太い肢に、地面から魔力が流れ込んでいました」
「四本すべてで?」
「はい。ただ、流れている量は同じじゃなかったです。一番強い一本がありました」
「はい」
「僕は、その一本を狙いました」
レインが少し黙る。
「はい」
「そこが吸収の中心なら……一番大きな流れを止めれば、全体の吸収量も一気に落ちると思いました。そうすれば、また魔法が使えるんじゃないかって……」
なるほど。
考え方そのものに、飛躍がなかったわけではない。
でも、無根拠でもない。
「その一本を攻撃した」
「はい」
「どうなりましたか」
「傷ついて、地面から離れました」
「その直後」
「残った三本が、一気に強くなりました」
「三本とも?」
「はい」
「魔獣の背中は」
「……明るくなりました」
筆が止まった。
「弱くならなかった?」
「はい」
「むしろ、残った三本から吸い上げる量が増えた」
「そう見えました」
一本が外れた。
それでも、全体は弱らない。
それどころか、残る三本が不足した分を埋めたのか。
「そのあと、崩落したんですね」
「はい」
レインの指が、毛布を掴んだ。
「僕が、攻撃なんてしなければ──」
「レイン」
止める。
「それは後です」
「……」
「今は報告を終わらせましょう」
「……はい」
「次は、地下で見たものを」
レインが息を整える。
「最初は、岩の中を流れる魔力が見えていました」
「魔晶石の鉱脈ですね」
「はい」
「魔獣そのものは?」
「全部は見えてません」
すぐに答えた。
「天井を突き破ってきた太い肢を一本だけ見ました」
「一本だけ」
「はい。そこに近い鉱脈から、その肢に向かって魔力が流れていました」
「それ以外の三本は、見ていない?」
「見てません」
「ですが」
レインが軽く息を吸う。
「天井と、右の壁と、奥と、左。離れた四か所で、鉱脈を流れる魔力が強くなったんです」
「四か所」
「はい」
「同時に?」
「違います」
レインの目が少しだけ鋭くなる。
「順番でした」
紙の上に、四つの印を書く。
一。
二。
三。
四。
「最初に一か所が強くなって、それが弱くなると、別の場所が強くなりました」
「次も?」
「同じです」
「四か所を一巡した?」
「はい」
「何度?」
「……そこまでは正確に数えられてません」
「構いません」
分からないなら、分からないままでいい。
「変化するまでの時間は」
「時計がなかったので、正確には」
「体感で構いません」
「数秒で次々変わる感じじゃなかったです。しばらく一つが強くて、そのあと別の場所に変わりました」
私は昨日からの地脈計の記録を横に置いた。
百秒前後の大きな変動。
完全な周期ではない。
地下での観測時間は不明。
同じ現象だとは、まだ言えない。
だから、線では結ばない。
その隣に、別の紙を置く。
カシウスさんの報告。
『術式は発動する』
『外へ出した魔力が地面側へ引かれる』
『出力を上げても高度を維持できない』
さらに、レインの伝信札の起動、減衰、送信失敗の記録。
そして、地面から魔力を吸い上げる四本の肢。
「……」
「先生?」
「少し待ってください」
私は目を閉じて状況を整理した。
一本を外したら、残り三本が強くなった。
地下では、強い場所そのものが移った。
もし最初から一本だけが中心なら、その一本を外した瞬間、少なくとも吸収全体は大きく落ちるはずだった。
だが、そうならなかった。
「レイン」
「はい」
「あなたが最初に見た、一番強い一本」
「はい」
「それが常に一番強かったという証拠はありますか」
「……」
レインが止まった。
「ありません」
「地下ではむしろ」
「強い場所が変わってました」
「はい」
四つの印を見る。
「固定された一本が中心なのではなく」
紙の上で、一から二。
二から三。
三から四へ線を引く。
「その時々で、四本のうちどこが多く吸うかが変わっている」
レインが四つの印を見る。
「一本が外れたら」
「残り三本が、その分まで吸った」
「……」
「四本が、互いの負荷を引き受けている」
「可能性が高いです」
断定はしない。
でも、今ある事実にはこれが一番よく合う。
「なら」
レインが言う。
「一本ずつ狙っても……」
「残りへ負荷が移る」
私は頷いた。
「少なくとも、一本だけを止める方法は使えません」
通信兵を呼ぶ。
「カシウスさんと本営に伝えてください」
「はい」
「地面から魔力を吸収する太い肢は四本。一本の接地が外れた直後、残る三本への流入が増大」
通信兵が書き取る。
「地下では、離れた四地点の魔力流が順番に強くなる現象を確認。四本が負荷を分担している可能性が高い」
「了解しました」
「単独の肢だけを狙った攻撃は避けてください」
「はい!」
通信兵が走る。
「先生」
レインが古い紙を見た。
「それは?」
「古い記録です」
頁を開く。
「地の魔力を喰らう。接地している間、周囲の術式が弱くなる。外殻には白い結晶の筋」
「……同じ?」
「一致する点は多いです」
黒灰色の外殻。
白い晶脈。
地中からの吸収。
周辺術式の衰弱。
「記録上の名前は、脈喰獣」
「脈喰獣……」
「ただし、残っているのは幼体の殻片についての記録だけです。成熟個体の生態は残っていません」
紙を閉じる。
「ですから、完全に同一だとはまだ断定しません」
「はい」
「ただ」
ここまで一致するなら。
「以後は、脈喰獣である可能性を最優先に考えて構いません」
レインが小さく頷いた。
救護員がこちらを見る。
そろそろ限界だ。
でも、もう一つ確認する必要がある。
「レイン」
「はい」
「飛行魔法が使えなくなった時」
「はい」
「魔力は、どこに引かれましたか」
「地面です」
即答だった。
「自分の身体から魔力がなくなる感じでは?」
「ありませんでした」
「外に流した分だけ?」
「はい。外に出した魔力が、地面に引っ張られる感じでした」
私は四本の印を見る。
地面。
そこから四本の肢へ、魔力が流れ込む。
カシウスさんも同じ現象を報告している。
「先生?」
「……一本の線になります」
「何がですか」
「まだ仮説です」
そう断ってから、紙に書く。
外へ放出。
地面。
四本の肢。
魔獣。
「脈喰獣が四本の肢で、地中の魔力を強く吸い上げている」
「はい」
「そして、その近くでは、身体の外に出した魔力まで地面側に引かれた」
「……はい」
「なら」
外へ放出から、地面へ矢印を一本。
「周囲で発動した魔法の魔力まで地面側へ引き込み、四本の肢から一緒に吸い上げている可能性があります」
レインが紙を見る。
「だから、飛行魔法も」
「伝信札も」
維持できなかった。
「もちろん」
私は続ける。
「地面側に引かれた魔力が、本当にその四本へ入っているところまで確認したわけではありません」
「まだ仮説」
「はい」
でも、別々だった異常を一つの仕組みで説明できる。
「四本が、地中から魔力を吸い上げる接点になっているなら」
四つの印を囲む。
「全部の接続を同時に断てば」
「吸えなくなる?」
「少なくとも、今と同じようには吸えなくなる可能性が高い」
「同時に……」
「一本ずつでは駄目です」
すでに、それは確認した。
「ただし」
レインを見る。
「いつ、どうやって四本を同時に断つかは、まだ分かりません」
「……はい」
「実際にもう一度、観測する必要があります」
そこは推測で埋めてはいけない。
「四本を切れたら」
レインが聞く。
「あの魔獣は止まりますか」
「それも分かりません」
正確に答える。
「ですが」
四本の接続を失えば、少なくとも今までのように、周囲の術式を地面側に奪うことは難しくなるかもしれない。
なら。
「私の魔法を」
最後まで維持できる。
「止める手段はあります」
レインが私を見る。
「先生が?」
「はい」
即答する。
「ただし、四本の接続を断った後です」
「……分かりました」
「今は休んでください」
「でも」
「あなたに、もう一度見てもらう必要が出るかもしれません」
先に言う。
「ただし、今すぐではありません」
レインの口が閉じた。
「立つ必要もありません。戦う必要もありません」
四つの印を指す。
「必要なのは、何が起きているかを見ることです」
「……はい」
「それまでは治療を受けてください」
「分かりました」
救護員が今度こそ私を見る。
「もう休ませます」
「はい」
立ち上がる。
それでも、一度だけレインの手に触れた。
「先生」
「何ですか」
「……ありがとうございます」
「それは」
少し迷って。
「全部終わってからにしましょう」
レインが僅かに笑った。
「はい」
救護所を出る。
その瞬間。
「セレナ様!」
通信兵が走ってきた。
「魔力低下域、なお西進! 森林口への接近を継続しています!」
「現在位置は」
報告を聞く。
地図を見る。
もう、時間は多くない。
「本営に伝えてください」
「はい!」
「四本すべてを同時に地面から切り離す案を軸にします。攻撃時機は未確定。観測を最優先に」
「了解!」
「それと、レオンさんに」
一度、息を吸う。
頭の中で術式を最初から組み上げる。
一層。
二層。
最後まで、必要な工程を数える。
「四本を地面から切り離せれば」
顔を上げる。
あの魔法で。
「私が止めます」




