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第四十三話「二日目」

「レオン様。州政府から、夜間分の報告が届きました」


 夜明け前。


 俺は東防衛線の本営で、地図の上に並ぶ印を見ていた。


 昨夜から届いた報告は、内容ごとに分けて机の端に積まれている。


 魔獣群の出現。


 各地の避難状況。


 地脈値の低下。


 そして、北東森林で続いているレインの捜索。


「読め」


「はい。州東部では第Ⅲ級非常配備を継続。州軍第三大隊は東部方面で展開中。第二大隊は州都周辺の避難路と幹線街道を引き続き確保しています」


「魔獣群は」


「夜間も新たな群れが確認されています。北東森林の複数箇所から、次々と西側に出てきています」


「昨日から追っていた群れとは別か」


「はい。新たに確認された群れです」


 まだ出てくる。


 森の奥にいる魔獣が、何かを避けるように西側へ押し出され続けている。


「領都は」


「昨夜、東街道側で確認された群れは守備隊が追い払いました。現在、市街周辺に新たな接近報告はありません。屋敷にも被害はありません」


「テレシアは」


「ご無事です。オスカー様が屋敷に残り、避難民の受け入れと屋敷の対応を取りまとめています」


「レインのことは」


「昨夜のうちに、オスカー様を通じて伝わっています」


「……そうか」


 それだけ答える。


 テレシアが何を思ったか、想像できないわけではない。


 それでも、テレシアなら自分の役目を見失わない。


 屋敷に残る者たちを支えながら、レインの帰りを待っているだろう。


 そう信じている。


「地脈の低下域は」


 別の紙が開かれる。


「昨夜、一度停止。その後、再び西に移動しています。州政府の地脈調査班は、昨日の退避命令で深部から撤収済みです」


 昨日の会議でレオニスが出した命令だ。


 森の深部では魔獣の移動が急増し、調査員の退路を維持できなくなった。


「上空からの確認は」


「カシウス様の報告では、低下域に近づくと飛行魔法の維持が困難になるとのことです。森林上空からでは樹冠の下まで確認できていません」


 地上から近づけない。


 上空からも、中までは見えない。


 分かっているのは、地脈値が極端に低下した範囲が移動していること。


 そして、その周囲から魔獣が逃げ出していることだけだ。


「最新位置を」


「こちらです」


 通信兵が新しい札を置く。


 北東森林。


 昨夜の位置から西。


 さらに、その前の位置。


 三つの札を目で追う。


「森林口まで」


「およそ二十二キロです」


「……待て」


 地図を引き寄せた。


 見覚えのある線が、その下を通っている。


「旧東断層か」


 北東森林を抜け、農業盆地を横切り、その先で領都方面まで延びる古い断層。


 領内の地脈や水脈を調べる時にも、何度も目にする断層だ。


 低下域の位置が、その線に沿っている。


「さっきの予備隊の配置案を持ってこい」


 紙が差し出される。


 夜のうちに作らせていた案では、領軍の予備一個中隊を領都東門側へ回すことになっている。


 森から出る魔獣が増えている以上、最後の防衛線を厚くする考え自体は間違っていない。


 だが、この進路なら先に危険になるのは東門ではない。


「東門への移動は中止だ」


「では、予備隊は」


「森林口側に残す。盆地に出る道を押さえさせろ」


「はっ」


「州軍第三大隊に連絡。盆地西側の避難路を受け持てる部隊があるか確認してくれ。こちらは森林口と盆地東側を受け持つ」


「承知しました」


 通信兵が伝信札を取る。


「それと、盆地東側の二集落。避難はまだだったな?」


「はい。まだ避難命令は出ていません。これまで確認されていた魔獣群の進路からは大きく外れていました」


「そうか。なら、今から出す。二集落とも避難を開始しろ」


「はっ」


「家財の搬出は後だ。使える馬車は人に回せ」


 軍務官が新しい命令を書き始めた。


 ***


「二集落とも、住民を出し始めています。ただ、問題が一つあります」


「何だ」


 午前。


 避難状況を確認していた軍務官が、別の紙を差し出した。


「穀物と保存食の搬出が終わっていません。住民側から、もう少し時間が欲しいと」


「全量を運ぶなら」


「半日は必要です」


「待てない」


 即答した。


「備蓄は残す。荷車も人の移送を優先しろ」


「承知しました」


 軍務官が下がろうとしたところで、本営の入口が騒がしくなった。


「お待ちください!」


「レオン様に直接お話を!」


「どうした」


 声をかけると、兵士が振り返った。


 その前には、土の付いた上着を着た男が立っている。


 五十歳ほどだろう。


 日に焼けた顔をしていた。


「東側の集落で、住民を取りまとめている者です」


「入れ」


 兵士が道を開ける。


 男は俺の前まで来ると、一度頭を下げた。


「備蓄を置いていけという命令は、本当でしょうか」


「本当だ」


 男の顔が強張った。


「あれがなくなれば、冬を越せません」


「分かっている」


「一年かけて作ったものです」


「ああ」


「家だってそうです!」


 声が大きくなった。


「昨日まで普通に暮らしていたんです。それを今日になって、全部置いて逃げろと言われても——」


「その通りだ」


 男が言葉を止めた。


「納得できないのは当然だ」


「なら、あと少しだけでも——」


「時間は約束できない」


 地図を男の方に向ける。


「森の地脈が急激に弱くなっている範囲が、こちらに動いている。その周囲では、森から新しい魔獣群が次々と出ている」


 男が地図を見る。


「何が来るんです」


「まだ分からん」


 嘘をつく意味はない。


「分からないからこそ、安全だとも言えない」


 盆地の東側にある二つの集落を指す。


「備蓄を運ぶために馬車を使えば、その分だけ人が残る」


「……」


「半日後も道が使えるとは、俺には言えない」


 男の拳が強く握られた。


「置いていったものは」


「記録を取らせる」


「家もですか」


「ああ」


「畑も?」


「もちろんだ」


「全部、駄目になったら」


 男の声が低くなる。


「俺たちは、何を食って生きればいいんです」


 少しだけ間が空いた。


「冬を越すための食料は、領で用意する」


 男が顔を上げる。


「……だが、家も畑も元通りにできるとは、今ここでは約束できん」


 どこまで補えるか。


 今ここで軽々しく約束することはできない。


「だが今日は、人を連れて西に出てくれ」


 男はしばらく地図を見ていた。


 怒りが消えたわけではない。


 納得したわけでもないだろう。


 やがて、握っていた拳をゆっくり開いた。


「……分かりました」


 頭を下げる。


「すまない」


 それ以上は言わなかった。


 男が本営を出ていく。


 俺は、その背中が見えなくなるまで見送った。


「次の報告を」


「はい」


 ***


「北東森林の捜索隊からです」


 その言葉で、視線を上げた。


「最初の試験孔は岩盤に到達。空洞なし。現在、次の候補地点を掘削中です」


「レインは」


「まだ発見されていません」


「……そうか」


「昨夜確認された微弱な地脈変動についても測定を続けています。ただ、現在の機材では一地点ずつしか測れず、同じ変動か比較しにくいとのことです」


「工兵は足りているのか」


「追加が一個班あれば、別の候補地点も並行して確認できると」


「一個班を送れ」


「はっ」


「測量は」


「地脈計が足りません」


 地図の横に置かれた捜索報告を見る。


 一か所で測り、移動して、また測る。


 それでは、短い変化が同時に起きたのか分からない。


「州都に予備は」


「州政府の観測班に確認します」


「三基、確保できるか聞いてくれ」


「三基ですか」


「ああ。同時に測らせる」


 測量の方法を決めるのは、現場の測量員だ。


 必要なのは、そのための道具を届かせることだった。


「捜索隊を優先すると伝えろ」


「承知しました」


 軍務官が伝信を回す。


 俺は捜索報告を畳み、次の書類を取った。


 まだ見つからない。


 その事実だけは変わらない。


 だが、止まってはいない。


 ***


 昼過ぎ。


 俺は結界線後方の指揮所に移動した。


 東防衛線の状態を確認するためだ。


「中央部は維持できています」


 セレナが記録紙から顔を上げた。


 白い魔導衣には土が付き、栗色の髪も少し乱れている。


「北側は?」


「今のところ問題ありません。ただ、地脈値そのものが昨日より低い。結界への供給は細かく見た方がいいでしょう」


「分かった」


 俺は持ってきた紙を机に置く。


「捜索隊に地脈計を三基追加するよう、州政府に要請した」


 セレナの目が紙に落ちた。


「三基あれば、同じ変動を別の地点から同時に測れます」


「記録はこちらにも回す」


「お願いします。私は今防衛線を離れられませんが、記録ならここで比較できます」


「ああ」


 それでいい。


 セレナにはセレナの持ち場がある。


 周囲では結界班の術者が交代し、通信兵が新しい記録を運んでいる。


 俺は少し待ってから口を開いた。


「セレナ殿」


「はい」


「レインは、生きていると思うか」


 セレナの動きが止まった。


 紫の瞳がこちらを見る。


 数秒。


「分かりません」


「ああ」


「保証はできません」


「分かっている」


 それでも聞いた。


 父親として。


 ただ、それだけだった。


 セレナは手元の記録に視線を戻した。


「ですが、工兵からの報告では、崩落した地盤の下に空間が残っている可能性があります」


「……」


「まだ、捜索を止める理由はありません」


 短い答えだった。


「そうだな」


 俺も、それ以上は聞かなかった。


 セレナが再び記録を確認する。


 俺は指揮所を出た。


 結界の向こうに、東の森が見える。


 レインがいるのは、さらにその奥だ。


 行きたいと思う。


 それでも、俺は足を本営に向けた。


 ***


 午後。


「低下域、再び移動!」


 通信兵の声が本営に響いた。


 地図に新しい印が置かれる。


「森林口まで?」


「およそ十三キロです!」


 朝より近い。


「盆地東側の二集落は」


「住民の退避、完了しました。最後の馬車も西側の街道に入りました」


「よし」


 少なくとも、人は抜けた。


「森林口の配置は」


「領軍の予備隊、配置完了。州軍第三大隊からも、盆地西側の避難路に一個中隊を回すとの返答です」


「分かった」


 朝に出した要請が形になった。


 森林口に領軍。


 その後ろ、盆地から西に抜ける道を州軍。


 地図を見る。


 北東森林。


 森林口。


 農業盆地。


 その西に領都。


 低下域は、少しずつ近づいている。


「レオン様!」


 別の通信兵が立ち上がった。


「領都から緊急伝信です!」


「読め」


「外縁結界東側、魔力供給が急低下!」


 本営の声が止まる。


「結界班が補強を試みていますが……」


 通信兵が次の行を見る。


「東側の一部が、一度消失したとのことです」


「地脈値は」


「同時刻に低下を確認!」


 俺は地図を見る。


 低下域はまだ森の中。


 森林口まで十三キロ。


 それでも、領都ではもう結界が一つ消えた。


「再展開を急がせろ。予備魔術師を東側に回す」


「はっ!」


「盆地の避難路は閉じるな。西行きを優先したまま維持」


「承知しました!」


 命令が走り出す。


 森林口まで十三キロ。


 もう、遠いとは言えない。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


感想や評価をいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。


次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。


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