第四十二話「行かせたのは俺だ」
日が落ちていた。
森の中を、いくつもの灯りが木々の間を進んでいる。
「止まってください!」
先頭の工兵長が右手を上げた。
全員が止まる。
俺も足を止めた。
「この先ですか」
「ああ」
前を見る。
昼間、上空から見た場所。
レインを最後に確認した場所。
あの瞬間の判断が、頭の奥で何度も繰り返される。
行かせたのは俺だ。
四分なら戻ると、そう思った。
そう思ってしまった。
「この先、百メートルほどだ」
「分かりました」
工兵長が足元にしゃがみ込む。
地面へ長い探査棒を差し込んだ。
ゆっくり押し込み、途中で止める。
少し位置を変え、また差し込む。
「ここまでは問題ありません」
一歩、先へ進む。
俺もその後に続こうとした。
「カシウス様」
止められる。
「ここからは、我々が先に行きます」
「まだ、崩落地点までは距離があるが」
「地面が残っていても、その下まで残っているとは限りません」
工兵長が棒を持ち上げる。
「まず調べます」
「……そうだな。分かった」
下がる。
——焦るな。
そう自分に言い聞かせる。
(くそっ……)
何で、俺はレインを先に行かせた。
まだ、成人したばかりの子供のはずなのに。
あいつならなぜか、大丈夫だと思ってしまった。
取り返しのつかない選択をしたという感覚だけが、遅れて追いついてくる。
工兵が一歩進む。
棒を差す。
手応えを確かめ、次へ進む。
「右側、異常なし!」
「左も問題ありません!」
報告を聞きながら、俺は周囲を見る。
「護衛は左右に広がれ。工兵より先には出るな」
「はっ!」
「後方との退路も確保しておけ」
「了解!」
移動中、何度か魔法を試した。
この辺りでは、もう魔力を奪われる感覚はない。
灯りが少しずつ森の奥へ進む。
その先で、森が大きく崩れていた。
「……」
広い範囲で地面が沈んでいる。
周囲の木は根元から内側へ傾き、何本かはそのまま土砂と一緒に落ち込んでいた。
崩れた斜面には、ちぎれた根とむき出しになった岩。
その間を、大小いくつもの亀裂が走っている。
暗くて、底までは見えない。
俺は崩落地を見た。
レインを最後に確認したのは、この近く。
「レインを最後に確認したのは」
崩落地の北側を指す。
「この辺りだ」
工兵長がすぐに向きを変えた。
「どの程度の誤差がありますか」
「……正確な位置までは出せない。百メートル程度は見てくれ」
「分かりました」
男はそれ以上聞かなかった。
「崩落地を区切って調べる! 最終位置の周辺を優先しろ!」
「はい!」
工兵たちが散る。
護衛兵がその外側につく。
土系魔術師はまだ魔法を使わない。
救護員も担架と道具を置いて、すぐ動けるようにしていた。
俺は崩落地を見る。
ここだ。
この辺りでレインは消えた。
四分。
あの時、俺が許した時間。
——いや。
許した、ではない。
俺が決めた時間だ。
「レイン」
名前を呼んだ。
返事はない。
当然だ。
それでも呼んでしまう。
振り返った顔。
あの時の目。
「行け」と言った自分の声が、耳の奥で反響する。
その声が、今は一番重い。
「カシウス様」
声に意識が戻る。
「こちらへ」
工兵長が地面を指していた。
棒が途中まで刺さっている。
「ここだけ手応えが違います」
「空洞か」
「まだ分かりません」
即答だった。
「土が緩んでいるだけかもしれない。下に割れ目がある可能性もあります」
「どうする」
「細く掘ります」
「頼む」
工兵二人がその場所にしゃがむ。
大きくは掘らない。
人が入れる穴でもない。
まず、地面へ細い穴を開けていく。
少し掘る。
棒を入れる。
また少し掘る。
土を籠へ入れ、後ろへ回す。
その繰り返し。
ザッ。
ザッ。
探査棒の先が地中の石に当たり、鈍い音がした。
「カシウス様」
地脈測量員が呼ぶ。
崩落から少し離れた場所に、携帯式の地脈計が置かれていた。
「値は」
「かなり低いです」
「範囲は」
「まだ分かりません。地点を変えながら、低下域の端を探します」
「崩落地の東西も測ってくれ」
「はい」
地脈値が落ちている範囲と、崩落した場所。
その位置を重ねる。
何か手掛かりになるかもしれない。
測量員が地脈計を持って移動する。
「第二班!」
「はい!」
「北側をもう五十メートル広げろ。俺が最後に見た進路はそちらだ」
「了解!」
「南側は」
「地盤確認中です!」
「結果が出たらすぐ回せ」
「はっ!」
次々に届く報告を地図へ落としていく。
工兵が掘る。
測量員が測る。
護衛が周囲を警戒する。
俺はその結果を集める。
今は、それが俺の仕事だ。
***
「カシウス様!」
伝令が森の中を走ってくる。
「何だ」
「西側の斥候からです! 魔獣群を確認!」
「位置は」
「北東の低下域から逃げてきた群れです! 西へ流れていますが、このままでは捜索隊の退避路と接触します!」
「数」
「二十から三十!」
地図を見る。
退避路。
物資。
救護員。
その先には工兵たちがいる。
「護衛の半数はここに残れ」
「はっ!」
「残りは俺と来い」
「はい!」
工兵長が立ち上がった。
「こちらは」
「続けろ」
「分かりました」
「異変があればすぐ退け。護衛は残す」
「はい」
踵を返す。
「カシウス様!」
「今行く!」
森を走った。
***
長くはかからなかった。
木々の間を、魔獣の群れが西へ走っている。
こちらを狙っているわけではない。
ただ、後ろから何かに追われるように、進路上のものを押し退けながら走っている。
「前列、止まれ!」
兵士たちが武器を構える。
「退避路へ入れさせるな!」
「はっ!」
俺は軍杖を構える。
短く詠唱する。
土魔法。
群れの正面で地面が盛り上がり、低い壁となって進路を塞いだ。
先頭の魔獣が左右へ分かれる。
「右を押せ!」
「はっ!」
兵士たちが動く。
左へ流れた群れへ、もう一度詠唱する。
風魔法を放つ。
地面すれすれを走った風に、数頭が足を取られる。
群れの向きが北西へ変わった。
「追撃はするな!」
「はっ!」
魔獣が木々の向こうへ消える。
「斥候二名、後を見ろ」
「はい!」
「こちらへ戻る動きがあれば、すぐ報告」
「了解!」
待つ。
しばらくして、一人が戻ってきた。
「群れは北西へ離脱! こちらへ戻る動きはありません!」
「よし。戻るぞ」
「はい!」
すぐに踵を返した。
***
灯りが見えた。
「進んだか!」
崩落地点へ入る。
工兵長が掘っていた穴の横から立ち上がった。
「岩盤に当たりました」
「空洞は」
「ありません」
「……」
穴を見る。
掘り出された土。
露出した岩。
その先に、人が入れる空間は見つからなかった。
「外したのか」
「この場所は、です」
工兵長がすぐに地図へ手を伸ばす。
「次を調べます」
「ああ、頼む」
「次はこの二か所です」
印が置かれる。
「第一候補から始めてくれ」
「はい!」
また探査棒が地面へ入る。
「南側は?」
「二地点、地盤が緩んでいます。まだ掘っていません」
「第二班を一つ回せ」
「はい!」
「地脈測量は」
「崩落地の東側まで終わっています!」
測量員が記録を持ってくる。
俺は地図の横へ並べた。
崩落した範囲。
地脈値の低い地点。
最後に見たレインの進路。
まだ、情報が重ならない。
「次は西側を頼む」
「分かりました」
「カシウス様」
通信兵が紙を差し出した。
「本部からです。東防衛線の観測記録です」
受け取る。
地脈値。
約百秒ごとに僅かな揺れ。
「同じ変化が、この付近でも出るか確認してほしいとのことです」
「測量員へ回せ」
「了解しました」
通信兵がもう一枚の紙を出した。
「それから、本部より追加命令です」
「何だ」
「偵察隊分離からレイン様の未帰還まで、時刻と判断経緯を文書で送るように、と」
「……分かった」
「用紙はこちらです」
受け取る。
仮設机へ灯りを寄せる。
筆を持った。
『北東森林上空にて、飛行魔獣群と接触』
『カシウス・ヴァレリウスが飛行魔獣群の拘束を担当』
次。
『レイン・アストリアに西方向への撤退を指示』
そこで一度止まる。
続ける。
『本人より、異常現象の追跡のため先行の申し出あり』
『午後第二刻二十二分』
『カシウス・ヴァレリウスの判断により、北東へ四分間の単独先行を許可』
筆先が止まった。
レインが行くと言った。
それは事実だ。
でも、行かせたのは俺だ。
『理由。広範囲の魔力消失現象を追跡できるのが、同人のみであったため』
次。
『四分後、最後に姿を確認』
『指定時刻を過ぎても帰還せず』
『飛行魔獣群処理後、追跡』
『異常域付近で飛行魔法の維持が困難となる』
『森林内に大規模崩落を確認』
『対象を発見できず』
最後。
『単独先行許可者』
『カシウス・ヴァレリウス』
書き終える。
「……」
言い訳を書き足す場所はない。
必要もない。
紙を通信兵へ渡す。
「本部へ」
「はい」
通信兵が走っていく。
「カシウス様!」
地脈測量員だった。
「来てください!」
地脈計へ向かう。
「どうした」
「今、変化が出ました」
針を見る。
低い位置から、さらに一目盛りほど沈む。
そして、ゆっくり戻った。
「東防衛線の記録と同じか」
「似ています」
「時刻を」
「記録しました」
「次も見る」
「はい」
時計を見る。
待つ。
「九十」
測量員が小さく言う。
「九十五」
「百」
針は動かない。
百五。
百十。
百十三秒。
針が僅かに沈んだ。
「今です」
「間隔が違うな」
「はい。それに、最初より弱い」
測量員が記録する。
「これだけでは、東防衛線と同じ周期とは言えません」
「測定点を増やせるか」
「できます」
「崩落地の東西にも置いてくれ」
「はい!」
一度、変化はあった。
だが、それが何なのかはまだ分からない。
なら、測る。
今はそれだけだ。
***
長い夜が終わろうとしていた。
木々の隙間から、空が薄く白んでいる。
最初の穴は外れた。
二つ目はまだ掘っている。
その先の候補にも印がついた。
レインは見つかっていない。
「カシウス様」
通信兵が新しい地図を持ってきた。
「本部からです」
広げる。
北東森林。
昨日の崩落の後、ほとんど止まっていた地脈値の急落域。
そこから新しい線が伸びている。
「……動いたのか」
「はい」
「方向は」
「西です」
森の奥から森林口へ、線が伸びている。
「現在は」
通信兵の指が止まる。
「森林口まで、およそ二十二キロ」
「……」
レインを探している間にも、災害は動いている。
地図を畳む。
「捜索は続ける」
「はい」
「工兵の交代要員を入れろ。測量も止めるな」
「了解しました」
通信兵が走っていく。
「カシウス様!」
工兵長の声。
「次の場所、始めます!」
「ああ」
工兵長の下へ向かう。
行かせたのは俺だ。
まず見つける。
そして、生きて連れて帰る。
「掘るぞ!」
「はい!」
朝の森に、また土を削る音が響き始めた。
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