第四十話「見誤っていたもの」
「中央部、出力低下!」
声に、顔を上げた。
東防衛線。
街道を横切るように張られた広域結界の一部が、僅かに歪んでいる。
「中央部へ出力を寄せてください」
「はい!」
結界班の術師たちが魔力を送り込む。
私は目の前の術式に魔力を流した。
淡い魔力が、結界を構成する線に沿って広がる。
薄くなっていた部分を補う。
歪みが少しずつ戻っていく。
「安定しました!」
「このまま維持を」
「はい!」
息を吐く。
東を見る。
街道。
森。
その向こう。
レインとカシウスさんが偵察に出た方向。
もう何度目か分からない。
気づけば、そちらを見ている。
「セレナ様!」
背後から声が飛んだ。
振り返る。
通信兵がこちらへ走ってくる。
その顔を見た瞬間、嫌な予感が胸を過ぎった。
「北東方面から、緊急報告です」
「レインですか」
考えるより先に聞いていた。
通信兵が一瞬、口を閉じた。
「……レイン様が、予定時刻を過ぎても帰還していません」
息が止まりかけた。
帰還していない。
その言葉だけが頭に残る。
「カシウスさんは」
「中継所へ帰還されています」
「レインだけが?」
「はい」
身体が勝手に北東を向いた。
一歩、足が出る。
「セレナ様」
結界班長の声。
止まる。
振り返らなくても分かっている。
背後には、私が維持を担っている広域結界がある。
その向こうには、避難を続けている人たち。
防衛線を守る兵士たち。
救護所。
魔獣が来れば、ここが最初に受け止める。
「……報告を」
足を戻す。
「分かっていることを、最初からお願いします」
「はい」
通信兵が伝信札を開いた。
「北東森林上空で、風裂鷲と岩翼蜥の混成群と接触。十数体」
そこまでは私にも届いている。
「カシウス様が飛行魔獣群を拘束。その間に、レイン様が北東へ四分間先行」
「はい」
「その後、レイン様からの伝信はありません」
帰っていない。
連絡も途絶えている。
「カシウスさんは、どこまで追ったのですか」
「レイン様の最終確認位置付近まで向かわれました。しかし」
通信兵が紙面を見る。
「途中で飛行魔法の維持が困難になったとのことです」
「維持が?」
「はい。魔力を流しても、外へ出した分が地面側へ引かれる、と」
「……」
身体の外に風を維持する飛行魔法。
「それから」
通信兵が続ける。
「その先の森林内で、大規模な崩落を確認」
指先が冷えた。
「規模は」
「上空から確認できるだけで、南北百メートル以上」
「レインは」
「確認できていません」
「伝信も?」
「ありません」
言葉が途切れた。
百メートル以上の崩落。
その中に、レインがいるかもしれない。
「……捜索は」
「すでに開始準備に入っています。カシウス様が指揮を執られます」
「編成は」
「工兵、土系術師、地脈測量員、救護員。護衛は予備隊から」
レオンさんはもう、捜索隊を動かしている。
それでも、北東へ向かいたいという衝動は消えなかった。
背後で結界が僅かに揺れる。
私は視線を戻した。
「……分かりました」
北東から目を離す。
「追加の記録をこちらにも回してください」
「はい!」
「レインの最後の伝信だけではありません。カシウスさんが飛行魔法を維持できなくなった位置。地脈観測値。周辺の魔道具の異常。全てです」
「了解しました!」
通信兵が走っていく。
私は結界へ向き直った。
行けない。
だから、ここで考える。
何が起きているのか。
少しでも。
***
「記録、届きました」
仮設机の上に紙束が置かれる。
時刻。
観測地点。
地脈の数値。
伝信記録。
私は一枚ずつ並べた。
「北東第一観測所。午後第二刻十一分から、地脈値が低下」
「はい」
「第二観測所は」
「その後です。午後第二刻十七分」
「第三は」
「二十三分です」
順番に動いている。
レインが空から見つけた魔力の空白。
それが地上の測定器にも現れている。
「伝信札の記録を」
「こちらです」
受信側に残った魔力反応に目を通す。
「……これは」
一度。
二度。
三度。
ごく短い反応。
「送信はされていません」
「分かっています」
でも、反応はある。
「これは、起動しています」
「起動?」
「レインが札に魔力を流した痕跡です」
通信兵が記録を覗き込む。
「では、壊れてはいなかった?」
「少なくとも最初は」
一回目は反応がある。
二回目は弱い。
三回目はさらに弱い。
その後、何もない。
「魔力切れでしょうか」
「レインが?」
「……いえ」
自分で言って、通信兵も首を振った。
レインの魔力量なら、伝信札を数回使った程度で枯渇するはずがない。
「札に入った魔力が」
記録から目を離さない。
「消えている」
「消えている?」
「起動に必要なところまでは流れている。でも、文字を保持して送信するところまで残っていない」
飛行魔法。
伝信札。
どちらも、身体の外で魔力を使い続ける。
「カシウスさんの報告をもう一度」
別の紙を取る。
『術式は発動する』
『外へ出した魔力が地面側へ引かれる』
『出力を上げても高度を維持できない』
「……同じ」
口から言葉が漏れた。
「何がですか」
「飛行魔法も、伝信札も」
魔力を身体から外に出す。
そして、術式の中で使う。
「周囲にある魔力を、全部消しているわけではない」
レインの報告を思い出す。
空白。
でも、境界は近づくほど曖昧だった。
周囲の光が少しずつ薄くなっていた。
「発動している魔法に流れた魔力を……」
そこまで言って、止める。
まだ分からない。
「紙を」
「はい」
記録係から紙を受け取る。
「事実。北東森林の複数地点で、地脈観測値が急落」
書く。
「事実。飛行魔法は発動するが、維持が困難」
次。
「事実。レインの伝信札は複数回起動した痕跡がある。しかし、送信に至っていない」
筆を止める。
「ここからは仮説です」
「はい」
「周囲の魔力を無差別に消失させる現象ではない」
一行。
「発動中の術式に流れた魔力を、優先的に奪っている可能性」
書き終える。
これなら、いくつかは説明できる。
でも、まだ足りない。
「過去の記録を調べてください」
「地脈異常ですか」
「それだけではありません」
顔を上げる。
「魔獣もです」
「魔獣?」
「魔力を吸収する種。地脈の魔力を利用する種。魔晶石を枯らす種。似た記録を全部」
「帝国全域ですか」
「可能な範囲で」
「かなりの量になります」
「構いません」
「分かりました」
資料係が走る。
机の上に残った紙を見る。
レイン。
あなたは、何を見たの。
何が起きたの。
あの子なら、観察して、分からないものを一つずつ分けて考える。
そう思っていた。
いつも、そうしてきたから。
五歳の頃から、自分の目に見えるものを私に説明しようとしていた。
魔法を覚えれば、次の魔法を。
できるようになれば、さらに先を。
私はそれを止めなかった。
むしろ、期待した。
レインならできる。
レインなら分かる。
レインなら、危険になれば自分で戻れる。
「……」
違う。
信頼したことが間違いだったわけじゃない。
あの子は確かに、自分で考えられる。
でも、それとどこまで任せていいかは別だ。
私はいつの間にか、あの子が自分で考えられることを、危険まで一人で背負えることと同じにしていた。
「セレナ様」
顔を上げる。
結界班長だった。
「北側、魔獣群が接近しています」
視線を向ける。
森の向こうに、複数の魔力反応。
「数は」
「推定七十前後」
「遊撃隊は」
「迎撃位置へ移動中です」
「結界の北側を補強してください」
「はい!」
立ち上がる。
迷っている時間はない。
私はここを守る。
レインを探す人たちが、捜索だけに集中できるように。
ここを落とさない。
***
魔獣群が防衛線から離れていく頃、資料が届いた。
「これだけです」
机に置かれたのは、分厚い本ではなかった。
薄い古紙を何枚か綴じたもの。
「……これだけ?」
「該当しそうな記録は、一件だけでした」
頁を開く。
古い。
文字がところどころ掠れている。
図も完全には残っていない。
黒い外殻の破片。
その横に、簡単な記録。
『地の魔力を喰らう』
『接地中、周囲の術式が衰弱』
『殻に白き晶脈あり』
その下に名称。
「……脈喰獣」
初めて見る名前ではない。
魔獣学の資料で、一度だけ目にしたことがある。
だが、記録が少なすぎる。
「採取されたのは?」
「幼体の殻片とされています」
「個体そのものは」
「残っていません」
「大きさは」
「記録なしです」
「肢は」
「記録なし」
「生態」
「この三行だけです」
「……」
これでは分からない。
レインが遭遇したものが、本当にこれなのか。
それすら断定できない。
「成熟個体の記録は?」
「見つかっていません」
頁の小さな図を見る。
殻。
白い結晶の筋。
レインの最後の報告には、魔獣の姿そのものは入っていなかった。
だから、まだ結びつけられない。
「これを本部へ送ってください」
「脈喰獣の可能性あり、と?」
「いいえ」
首を振る。
「類似記録あり、とだけ」
「……はい」
「名前を先に付ければ、全てをその魔獣に合わせて考え始めます」
今、それが一番危ない。
「分かっていることと、推測を分けてください」
「了解しました」
資料係が記録を写し始める。
「セレナ様」
別の術師が測定器を持ってきた。
「地脈値です。先ほどから、少し変な揺れが」
「見せてください」
机に置く。
針が僅かに動いている。
下がる。
戻る。
また下がる。
「振動ですか」
「地面の揺れとは一致しません」
「間隔は」
「まだ測っています」
私は時計を見る。
一度、針が落ちる。
戻る。
待つ。
また落ちた。
「今」
「記録します」
術師が時間を書く。
待つ。
長い。
何も起きない。
そして、また針が沈んだ。
「……同じ?」
「ほぼ」
記録係が前の二つを見る。
「百二秒」
次。
「百一秒」
「もう一度」
「はい」
全員が測定器を見る。
待つ。
針が動いた。
「百秒です」
私はその数字を見る。
偶然かもしれない。
まだ三回。
でも、もしこれが規則なら。
「記録を続けてください」
「はい」
「判断はまだしません」
針がゆっくり元の位置へ戻る。
私は北東を見る。
レイン。
見つけるから。
だから、今は生きていて。
もう一度、測定器の針が僅かに震えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
感想や評価をいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。
次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。




