第三十七話「ここは俺が」
十を超える魔獣が、俺たちの前方の森から一斉に空へ舞い上がった。
「下がれ!」
カシウスの声が飛ぶ。
身体を支える風を維持したまま、後ろへ下がる。その間にも、魔獣は次々と高度を上げてくる。
近づいて、ようやくその姿がはっきり見えた。
一方は、巨大な猛禽だった。
広げた翼は、俺の身体の何倍もある。鋭い鉤爪と嘴を持ち、翼の縁には白銀の魔力が巡っていた。
(風裂鷲……!)
セレナに魔獣の生態を教わった時、図譜で見たことがある。
大森林の深部や断崖に棲む大型の飛行魔獣。
風属性の魔力で飛行を補助し、翼から放つ風刃と、上空からの急降下を得意とする。
そして、もう一種。
鳥ではない。
長い胴に、太い尾。
四肢から身体の側面へ、大きな翼膜が広がっている。全身を覆うのは、岩のような暗褐色の鱗だ。
(岩翼蜥)
大型の爬虫類型魔獣。
硬い外皮を持ち、翼膜で滑空しながら、風属性の魔力で高度を補う。
本来、風裂鷲とは生息域も縄張りも違う。
それが今は、十数体の群れになって飛んでいる。
(やっぱり、こいつらも逃げてきたんだ)
あの、魔力のない空白の場所から。
「来るぞ!」
カシウスの声。
風裂鷲の一体が大きく翼を振った。
翼の縁を巡っていた白銀の魔力が、一気に前へ流れる。
「風刃です!」
三本の風刃が、空気を切り裂きながら飛んでくる。
カシウスが前へ出た。
その瞬間。
「……え?」
カシウスの身体を包むように、薄い魔力の膜が広がった。
障壁だ。
でも、こんな障壁は初めて見る。
薄い。
あまりにも薄い。
あれでは、風刃を受け止められない。
そう思った直後、一枚目の風刃が迫る。
薄い障壁を流れていた魔力が、正面へ集中した。
そこだけが、一気に厚くなる。
ガンッ!
風刃が弾けた。
二枚目。
魔力が右上へ移り、衝突した風刃を弾く。
三枚目は左。
また魔力が移る。
三枚すべてが、カシウスの身体へ届く前に砕け散った。
(こんな防ぎ方……)
見たことがない。
最初から全身を薄い障壁で覆い、攻撃が来た場所だけ瞬間的に厚くしている。
あの模擬戦の時には、こんな障壁は使っていなかった。
あのとき俺は、カシウスが防御へ魔力を集める場所を見て、そこを避けて攻撃した。
だからカシウスは、攻撃を読む必要そのものをなくした。
(あれから、変えたんだ)
俺との戦いを受けて、この人も戦い方を変えている。
次の瞬間、カシウスの軍杖の先に青白い魔力が集まった。
風じゃない。
雷だ。
空気が鳴る。
バチッ。
青白い雷光が、空を一直線に走った。
速い。
風裂鷲が身体を捻るより早く、雷撃が胸を貫いた。
「ギィッ——!」
翼が硬直し、羽ばたきが止まる。
巨体が傾き、そのまま森へ向かって落ちていった。
一頭。
続けて、カシウスが杖を振る。
二条目の雷撃が、別の風裂鷲へ直撃した。
身体が大きく痙攣し、翼を畳んだまま落ちていく。
(速い……)
狙って、撃つ。
それだけで、空中を高速で動く風裂鷲にほとんど反応させていない。
その時。
下から魔力が見えた。
「カシウスさん! 下!」
岩翼蜥だ。
喉の奥が黄褐色に光っている。
土属性。
次の瞬間、口が開いた。
拳ほどの岩礫が、何発も撃ち出される。
カシウスが身体をずらした。
一発、二発と横を抜ける。
三発目。
薄い障壁の魔力が右肩へ集まり、岩礫を弾いた。
そのまま軍杖が横へ振られる。
今度は蒼い魔力。
水魔法で生み出された水が、一気に凍った。
三本の氷槍が、岩翼蜥へ飛ぶ。
一発目は胴。
硬い鱗に弾かれる。
二発目は翼膜の付け根に突き刺さった。
三本目が、反対側の翼膜を貫く。
「ギャアアッ!」
両翼の形が崩れ、岩翼蜥の身体が大きく傾いた。
風属性の魔力を激しく放つ。
それでも姿勢を戻せない。
旋回しながら、森へ落ちていく。
(相手によって……魔法を変えてる)
速い風裂鷲には雷。
硬い岩翼蜥には、外皮ではなく翼膜を狙う。
最初から、倒すことだけを考えているわけじゃない。
どうすれば一番早く空から落とせるか。
それを選んでいる。
帝国魔導師。
やはり、只者じゃない。
「前来ます!」
別の風裂鷲だ。
カシウスが振り向く。
雷光が走り、一撃で胸へ直撃した。
また一頭、羽ばたきが止まる。
数秒の間に、すでに四頭。
でも、森を見る。
また二つ、三つと新しい魔力の光が上がってくる。
「まだ来る……!」
風裂鷲と岩翼蜥。
空へ出た瞬間、興奮したように散開する。
左右から。
上から。
俺たちを囲む。
その一体が、こちらを向いた。
風裂鷲。
違う。
カシウスじゃない。
俺だ。
翼の縁が光る。
「っ!」
風刃。
二枚。
俺は右手を上げた。
詠唱はしない。
前方だけに、局所結界。
一枚目がぶつかる。
透明な膜が軋んだ。
二枚目。
「くっ……!」
結界が揺れる。
でも、耐えた。
風刃が砕けた、その瞬間。
カシウスの雷撃が、風裂鷲へ突き刺さった。
巨体が落ちていく。
「飛行を崩すな!」
「はい!」
カシウスはすぐ別の魔獣へ杖を向ける。
俺が自分への攻撃を防げれば、その分カシウスは俺の前へ割り込まなくていい。
でも、それだけだった。
俺がいることで、カシウスの動きが楽になっているわけじゃない。
むしろ逆だ。
風裂鷲が一体、カシウスの背後へ回る。
雷撃。
落ちる。
次は岩翼蜥。
氷槍が翼を貫き、落ちていく。
強い。
明らかに、この程度の魔獣が何体かいるだけなら、カシウス一人で問題にならない。
なのに、攻撃の向きが少しずつ変わっていく。
二体。
三体。
俺の方を狙っている。
「っ!」
高度を上げる。
風裂鷲が追ってくる。
横から岩礫。
避ける。
さらに上から風刃。
カシウスが俺との間へ入った。
障壁が風刃を弾く。
すぐに軍杖が上を向き、雷が一体を落とした。
でも、その間にもう一体が俺へ近づく。
カシウスがまた位置を変える。
(……俺がいるから)
距離を取れない。
追撃もできない。
魔獣を落としても、俺の周囲を離れられない。
だから、次の一体が来る。
カシウスは、俺を守りながら戦っている。
その時だった。
さっき翼膜を貫かれた岩翼蜥。
もうかなり下まで落ちている。
戦闘から外れた。
そう思っていた。
その喉が、再び黄褐色に光った。
「——カシウスさん!」
死角。
下。
カシウスが振り向く。
同時に左腕を上げ、薄い障壁の魔力もそちらへ動き始めている。
でも。
岩礫の方が、僅かに早い。
考える前に魔力を動かした。
完全無詠唱。
カシウスの左下に、小さな局所結界を張る。
ドンッ!
岩礫が砕けた。
「っ!」
衝撃で結界も砕ける。
カシウスの障壁が、そのすぐ後ろまで厚くなっていた。
もし俺が防がなくても、直撃はしていなかった。
それでも、カシウスが一瞬だけこちらを見る。
すぐに軍杖を、落下中の岩翼蜥へ向けた。
青白い雷光。
今度こそ、岩翼蜥の身体から魔力の光が消えた。
森へ落ちていく。
「周りを見ろ!」
「はい!」
息を整える。
前。
右。
後ろ。
魔獣は次々と空へ上がってくる。
「カシウスさん!」
「何だ!」
「あれは、まだ見えてます!」
北東。
森の奥にある、魔力のない空白。
ゆっくりと、さらに北東へ進んでいる。
「動いてるか!」
「はい! でも、速くはありません!」
二人で北東へ進んでも、すぐに見失う速さじゃない。
問題はそこじゃない。
この魔獣たちだ。
俺たちが北東へ進めば、こいつらもついてくる。
それに、さっきから明らかに俺を狙う個体が増えている。
カシウスは魔獣を倒しながら、俺の進路まで塞がれないように動いている。
このまま十数体の飛行魔獣を連れたまま、何があるか分からない場所へ近づく?
無理だ。
観測どころじゃない。
「一度戻りますか!」
叫ぶ。
カシウスは答えなかった。
正面から風裂鷲。
雷。
一頭が落ちる。
直後に岩礫。
障壁で防ぐ。
別の風裂鷲が、俺の方に回り込んだ。
風刃。
右手を出す。
局所結界。
一枚。
二枚。
受け止める。
その隙に、カシウスが軍杖を両手で握った。
魔力が変わる。
「……っ」
空気が重くなった。
身体が押される。
違う。
風じゃない。
魔力そのものの圧力だ。
カシウスの身体から、今までとは比べものにならない量の魔力が溢れ出している。
青白い雷属性の魔力。
それが空へ広がっていく。
一本。
二本。
三本。
細い雷の筋が空中へ伸びる。
でも、魔獣へは向かわない。
俺たちの周囲。
もっと外側へ。
円を描くように配置されていく。
(何を……)
見たことがない。
術式そのものが複雑すぎる。
一つの魔法なのに、何十もの魔力の流れが同時に走っている。
魔力が見える俺でも、どこから組み立てればいいのかすら分からない。
その時、一体の風裂鷲が俺へと向きを変えた。
翼の縁に白銀の光。
風刃。
俺はすぐに局所結界を張った。
ガンッ!
一枚目を弾く。
二枚目。
結界が軋んだ。
魔力を追加する。
厚く。
広げるんじゃない。
当たる場所だけ。
風刃が砕けた。
カシウスは詠唱を止めない。
その身体には、あの薄い障壁が残ったままだ。
俺が何もしなくても、自分への攻撃ならこの人は防げる。
俺が自分を守れば、カシウスが俺のために術式を崩さずに済む。
カシウスの魔力が、さらに膨れ上がった。
青白い雷の筋が、俺たちを囲むように空を走る。
「蒼雷よ」
低い声。
魔獣たちが一斉にこちらへ向かってくる。
「天を鎖し」
雷がつながった。
「逃れ得ぬ檻となれ——《雷鎖天牢》」
瞬間。
空が青白く染まった。
「っ……!」
思わず目を細める。
何十本もの雷が、空中を走った。
上下。
左右。
斜め。
絡み合い、巨大な檻を形作る。
そうとしか見えなかった。
俺たちを取り囲んでいた飛行魔獣たちが、その中へ閉じ込められる。
一体の風裂鷲が外へ抜けようとした。
雷の壁へ接触する。
バヂンッ!
「ギィッ!」
弾き返された。
別の岩翼蜥が強引に突破しようとする。
翼膜へ何本もの雷が絡みついた。
身体が痙攣し、檻の内側へ落ちる。
「特級……」
声が漏れた。
知っている。
特級魔法。
国家でも扱える術者が限られる領域。
セレナが三年前の災害で使ったのも、特級だった。
俺はまだ使えない。
それどころか、今見えている術式を追うだけで精一杯だった。
十数体の魔獣を、まとめて空中へ閉じ込める。
これが帝国魔導師の魔法。
「何してる!」
カシウスの声。
我に返る。
「西へ戻れ!」
「……え?」
「檻が持ってる間に離脱しろ!」
西。
中継所の方角へ戻る。
それが本来の命令だ。
単独行動は禁止。
カシウスから離れない。
危険なら撤退する。
俺は北東を見る。
まだ見える。
森の奥。
魔力の光が欠けた場所は、ゆっくりと移動を続けている。
「カシウスさんは?」
「俺はここを動けん!」
雷の檻が大きく揺れた。
風裂鷲が内側から何度も風刃を叩きつける。
岩翼蜥も岩礫を撃ち込んでいる。
雷の線が歪む。
次の瞬間には、カシウスの軍杖から青白い魔力が流れ込み、破れかけた場所を塞いだ。
別の場所がまた歪む。
すぐに魔力が走る。
カシウスは一歩も動けない。
「行け!」
西へ戻ればいい。
それが一番安全だ。
父様との約束も守れる。
カシウスとも、すぐに合流できる。
俺は北東を見る。
あの異常が何なのか、まだ分からない。
でも、そこから何百もの魔獣が逃げている。
さっきの村も。
避難列も。
領都へ向かっている魔獣たちも。
全部、あそこにつながっているかもしれない。
そして、あれを見られるのは俺だけだ。
喉がひどく乾いた。
一人で行く?
この先へ?
カシウスもいない。
何があるのかも分からない。
怖い。
さっきまで俺は、カシウスが隣にいるから飛べていた。
攻撃が来れば、あの人が前に出た。
俺が自分で防げた時もある。
でも、それはカシウスがすぐ近くにいると分かっていたからだ。
それが、なくなる。
「……」
手が僅かに震えていた。
戻ろう。
一度戻って、父様たちへ伝える。
それでも十分じゃないか。
俺たちはここまででも、たくさんの情報を持ち帰れる。
無理をする必要なんてない。
そう思う。
雷鳴。
風裂鷲が檻へ突っ込み、弾き返される。
別の場所では、岩翼蜥が岩礫を連続で撃ち込んでいる。
カシウスが次々と魔力を送り込む。
壊れてはいない。
まだ余裕もある。
でも、俺を連れて二人で北東に進むことはできない。
また、さっきと同じになる。
この人は俺を守るために、自由に戦えなくなる。
そして、あの異常は俺にしか見えない。
(どうする)
レオンの命令。
任務。
怖さ。
全部、分かってる。
それでも。
俺は北東から目を離せなかった。
見る。
伝える。
それが俺の役目だ。
そのために、ここまで来た。
「カシウスさん!」
「何だ!」
「僕が行きます!」
言った瞬間、心臓が大きく鳴った。
カシウスがこちらを見る。
「……一人でか」
「はい」
怖い。
でも、答えは変えなかった。
「僕にしか見えません」
北東を指す。
「ここで戻ったら、あれが何なのか分からないままです」
「単独行動は禁止されてる」
「分かってます」
「何があるかも分からんぞ」
「……はい」
声が少し震えた。
隠せなかった。
「怖いです」
口に出すと、もっと怖くなった。
それでも。
「でも」
北東を見る。
「僕が見ないと」
雷の檻。
その向こうにある、森の奥。
「誰も見られません」
カシウスは何も言わなかった。
聞こえるのは、雷と魔獣の鳴き声、風の音だけ。
数秒が長く感じた。
やがて。
「……四分」
「え?」
「北東へ四分だけだ」
カシウスの声が変わった。
「高度を落とすな」
「はい」
「交戦するな」
「はい」
「異常の位置を確認しろ。正体が分からなければ、分からないままでいい」
「はい」
「四分で戻れ。何が見えてもだ」
俺は一度、強く頷いた。
「はい」
カシウスが伝信札を取り出した。
片手で《雷鎖天牢》を維持しながら、短く文字を入れる。
俺にも見えた。
『北東森林上空にて風裂鷲・岩翼蜥混成群と接触。十数体。』
続く。
『北東森林内、樹木・地表を含む広範囲で魔力反応が消失する移動現象を確認。原因不明。』
そして。
『現象位置確認のため、レイン・アストリアを北東へ四分間先行させる。カシウス・ヴァレリウスは飛行魔獣群を拘束。判断責任、同人。』
三度、伝信札が光った。
送信された。
カシウスが札を戻す。
「俺が許可した」
短く言う。
「責任は俺が持つ」
風裂鷲が雷の檻へ突っ込んだ。
青白い光が弾ける。
時間がない。
身体を北東へ向け、風を強める。
その時だった。
「——レイン」
「……え?」
振り向いた。
カシウスが俺を見ていた。
一瞬、分からなかった。
この人が、俺の名前を呼んだ。
初めてだった。
「行け」
それだけ。
「……はい!」
飛行魔法の出力を上げる。
一気に加速した。
風が耳元で唸り、森が足元を流れていく。
振り返らない。
前を見る。
北東。
魔力の消えた場所。
あれを見る。
位置を確認して、伝える。
それだけだ。
一分。
まだ見える。
さっきより、ずっと近い。
二分。
森の光が少しずつ不自然になっていく。
普通なら、木々も、草も、地面も、小さな生き物も、無数の魔力が重なっている。
なのに、その先だけない。
遠くからは、森の中に巨大な帯状の穴が開いているように見えた。
でも、近づくほど少し違う。
境目がはっきりしていない。
周囲から少しずつ、光が薄くなっている。
三分。
さらに近づく。
俺は考えそうになって、やめた。
意味はまだ分からない。
今、分かっていることだけを見る。
森林内で、広い範囲の魔力反応が失われている。
その範囲が、ゆっくりと北東へ移動している。
それだけ。
三分半。
時計を見る。
あと三十秒。
魔力のない場所は、すぐそこまで来ていた。
四分。
「……時間だ」
すぐに速度を落とす。
これ以上は行かない。
腰の革袋から伝信札を取り出す。
位置と地形。
見えている現象。
それだけを送る。
魔力を流すと、文字が浮かんだ。
『北東へ四分。現在位置——』
地図と地形を合わせ、位置を入れる。
続ける。
『北東森林内、樹木・地表の生物を含む魔力反応の消失を確認。消失範囲は——』
そこで、文字が消えた。
「……え?」
指が止まる。
送信した?
いや。
三度の明滅はない。
もう一度、魔力を流す。
『魔力反応消失域は北東方向へ——』
消える。
「何だ?」
伝信札を見る。
中央の魔晶石は光っている。
でも、弱い。
さっきまでとは明らかに違う。
もう一度、魔力を流す。
魔晶石が明るくなる。
直後。
光が急速に薄れていく。
「……何で」
壊れた?
いや。
さっきまで普通に使えていた。
もう一度、強く魔力を込める。
『カシウスさん。伝信札に異常——』
途中で文字が消えた。
「カシウスさん?」
返事はない。
当然だ。
声が届く距離じゃない。
伝信札を握る。
もう一度、魔力を流した。
『カシウスさん、こちら——』
そこまでだった。
中央の魔晶石から、光が完全に消えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
感想や評価をいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。
次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。




