↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/96

第三十三話「成人の儀」

 十二歳になった。


 朝起きて、顔を洗って鏡を覗く。


 そこに映っているのは、昨日までとほとんど変わらない自分の顔だった。


 空色の髪。


 碧い瞳。


 十一歳だった昨日と比べても、当然ながら急に大人びたようには見えない。


「……もう成人なのか」


 アルカディア帝国では、十二歳で成人する。


 前世の記憶が残っている俺には、十二歳を大人と呼ぶことにまだ少し違和感があった。


 でも、そんなことにこの世界が構ってくれるわけじゃない。


 特に、アストリア家の嫡男である俺にとって、成人とは大きな意味を持つのだ。


 例えば、これまでオスカーから受けてきた地理、政治、経済や法律などの嫡男教育も、これからは知識を活かした領地運営の実務に進んでいく。


 そしてなんと言っても、今日は、アストリア家の第一継承者として正式な手続きを行うことになっている。


 ── それと。


 鏡から目を離したところで、あの日を思い出す。


『成人の儀を迎えたら── 』


『封筒が届くでしょう』


 マルティナ先生が言っていた、帝国中央魔法学院からの知らせ。


 成人の儀を迎えたら。


 つまり、今日からだ。


(……本当に届くのかな)


 ここ最近、つい何度も同じことを考えてしまう。


 特別選抜の事前視察。


 学院の話をしてくれたマルティナ先生。


 《風喰砲(かざはみほう)》の構造を細かく尋ねてきたノア。


 そして、カシウスとの模擬戦。


 あれだけ色々あったのだから、知らせは届くはずだ。


 もちろん、今日すぐ届くとは限らない。


 分かってはいるのだが。


「……気になるものは気になるな」


 扉の音に、思わず振り向く。


「レイン様。お目覚めでしょうか」


 オスカーの声だった。


「はい」


「成人の儀の準備が整っております」


「分かりました。すぐに行きます」


 学院ではなかった。


 何を期待しているんだ、俺は。


 小さく息を吐き、鏡から離れた。


 十二歳。


 まだ実感は湧かない。


 ***


 朝食の席でも、あまり気持ちは落ち着かなかった。


 廊下から足音が聞こえるたび、意識が向いてしまう。


 扉が開いた瞬間には、思わず顔を上げた。


 ──入ってきたのは、食器を運んできた使用人。


(……本当に、何やってるんだ、俺)


 そもそも、今日知らせが届く保証すらない。


 俺は何事もなかったように朝食へ戻った。


 向かいでは、レオンとテレシアがいつも通り食事を続けている。


 気づかれてはいないはずだ。


 ……多分。


 朝食を終えると、成人の儀のための正装に着替えた。


 濃紺の上衣。


 胸元には、銀糸で星霊花(ルミア)を意匠化したアストリア家の紋章が刺繍されている。


 鏡の前で襟を整えていると、後ろから手が伸びてきた。


「少し曲がっていますよ」


 テレシアだった。


「あ、ありがとうございます」


 テレシアは襟元の留め具を直し、半歩下がった。


 以前は見上げていた顔が、今は俺の目線より僅かに下にある。


「よく似合っています」


「そうですか?」


「ええ」


 テレシアが小さく頷く。


「もう十二歳なのですね」


「はい」


「十二年……」


 俺の顔を見ながら、少しだけ目を細める。


「随分、大きくなりました」


「十二年もあれば、それなりには」


「そういう意味ではないのですけれど」


 テレシアが微笑む。


 それから、もう一度俺の服を整えた。


「十二歳になってしまいましたね」


「なってしまった?」


「嬉しいですよ。ただ、少し寂しいだけです」


「十二歳になっても、母様の息子なのは変わりませんよ」


「……そうですね」


 テレシアの表情が僅かに緩む。


「私にとっても、何歳でもレインはレインですよ」


 そう言って、テレシアの手が俺の頭に触れた。


 結局、十二歳になっても撫でられるらしい。


「……母様」


「はい?」


「そろそろ恥ずかしいのですが」


「あら」


 そう言いながらも、手は離れない。


「今日で最後にします。もう成人ですからね」


 俺は諦めて、そのまま撫でてもらうことにした。


 ***


 成人の儀は、屋敷の大広間で行われた。


 正面には、アストリア家の紋章旗。


 その前にレオンが立っている。


 周囲には、アストリア家に仕える者たちや領軍の幹部が並んでいた。


 思っていたより、静かな儀式だった。


 最初に行われたのは、アストリア家の正式な記録への登録。


 厚い帳面に、俺の名前と成人した日付が記される。


 続いて、一枚の書類が机に置かれた。


 オスカーがペンを差し出す。


「こちらに、レイン様ご自身で署名を」


「第一継承者としての正式な署名になります」


 名前を書くこと自体は、これまでも何度もしてきたことだ。


 研究記録や課題、セレナに提出するレポートには、いつも名前の欄がある。


 だが、今回は今までとは意味が異なるものだった。


 初めて、アストリア家の成人した正式な嫡男として、署名する。


 いつもと同じ名前なのに、書き始めるまでに一呼吸かかった。


 指定された場所に、自分の名前を書く。


 レイン・アストリア。


 書き終えると、記録を担当していた役人が確認する。


「確認いたしました」


 それだけだった。


 拍手もない。


 何か特別な音が鳴るわけでもない。


 その静けさが、不思議と重かった。


 ***


 儀式を終えると、今度は軍旗の置かれた部屋に連れられた。


 布地に縫い込まれた銀糸の間を、細い魔力が巡っている。


 《旗契(きけい)》。


 東部合同演習で見た。


 当主や指揮官が軍令に付けた魔力署名を照合し、それが正規の軍令なのかを確かめるための仕組み。


 旗の前に、レオンが立っている。


「覚えているな」


「はい」


 演習の日に、レオンから言われた。


 十二歳の成人の儀を終えたら、俺の魔力も第一継承者として《旗契(きけい)》に登録する、と。


「こちらに」


 軍務を担当する男に促され、旗の前に立つ。


「右手を」


 指定された場所に掌を置く。


 触れた布は、思ったより硬かった。


「少量の魔力を流してください」


「はい」


 掌から魔力を流す。


 俺の魔力が旗の中に入り、旗の銀糸が淡く光った。


 幾つもの線を伝い、中央の星霊花(ルミア)の紋章に集まる。


 やがて、ゆっくりと光が消えた。


 男が横に置かれた認証具を確認する。


「登録を確認いたしました」


 手元の記録に何かを書き込む。


「レイン・アストリア様を、第一継承者として《旗契》に予備登録いたします」


 俺は旗から手を離した。


「これで僕の魔力も識別できるようになったんですね」


「ああ」


 レオンが答える。


「でも、僕の署名で父様の命令を上書きすることはできない」


「合同演習の時に説明した通りだ」


 現当主はレオン。


 今の軍令権もレオンにある。


 俺の魔力を登録するのは、もしもの場合に備えるため。


「...僕が、この旗を引き継ぐ時が来たら」


「今度は僕が、軍を動かさなければならないのですか?」


 レオンが俺を見る。


「そうだ」


 短く答えた。


「僕はまだ......父様のように軍を率いられる自信がありません」


 つい、弱音を吐いてしまった。


 これまで、領軍の兵士とは何度も関わるようにしてきたし、父様の姿も目に焼き付けてきた。


 だからこそ分かる。


 報告を一つ聞いただけで、次にどこへ兵を送るべきか決める。


 名前を呼ばれた兵士が、迷わず命令に従う。


 他領の兵士からさえ、「背中を任せられる」と言われる。


 あれを。


今の俺にできるかと言われたら── できない。


 レオンは少し黙ったあと、軍旗に目を向けた。


「心配か」


「……はい」


「なら、大丈夫だ」


 レオンの大きな手が、俺の肩に触れる。


「自分ならできると思っている者の方が、よほど危うい」


「お前は、いつか、この旗を引き継ぐ立場になった」


「それまでに、やるべきことをやればいい」


 低い声だった。


「……分かりました」


 俺は頷いた。


 ***


 すべての手続きが終わった頃には、思っていた以上に時間が経っていた。


 魔法を使ったわけでもない。


 剣を振ったわけでもない。


 ほとんど立って話を聞いたり、名前を書いたりしただけだ。


 それなのに。


「……はぁ」


 部屋を出たところで、思わず声が出た。


 隣を歩いていたレオンがこちらを見る。


「十二歳になった気分はどうだ」


「今のところ、疲れただけです」


 レオンが僅かに口元を緩めた。


「そういうものだ」


「父様もですか?」


「ああ。私もそうだった」


 少し、意外だった。


 レオンにも、そんな頃があったらしい。


 俺たちは並んで廊下を歩く。


 外には、屋敷の庭園が見えた。


 星霊花(ルミア)は、まだその緋色を庭一面に残している。


「成人したからといって、昨日まで知らなかったことが突然分かるわけではない」


 レオンが前を向いたまま言う。


「失敗もしなくなるわけではない」


「はい」


「だが── 」


 少しだけ間が空いた。


「自分で決めたことについて、『子供だから』という言い訳ができなくなる」


 足が、僅かに遅くなった。


 その言葉で、カシウスとの模擬戦を思い出す。


 必要以上に力を見せる必要はないと、事前に言われていた。


 それでも、最後に決めたのは俺だ。


 勝ちたい。


 認めさせたい。


 そう思って、自分の力を示した。


 その判断をしたのは、他の誰でもない。


「……はい」


 今度は、少しゆっくり頷いた。


 レオンはそれ以上何も言わなかった。


 俺も聞かなかった。


 廊下を進む二人分の足音が、しばらく続いた。


 ***


 夕刻。


 形式的な儀式を終え、屋敷の者たちから祝いの言葉を受けた。


 普段はほとんど顔を合わせない分家筋の者たちも数人来ていた。


 そのうちの一人から、


「レイン様が本家を継がれるのであれば、我々も安心です」


 と祝いの言葉をもらったくらいで、特別な話はなかった。


 その後は、家族だけで食卓を囲んだ。


 料理は普段より少しだけ豪華だった。


 レオン。


 テレシア。


 そして俺。


 これが一番落ち着く。


 食事を終える頃には、祝いの品を届けに来たセレナも加わっていた。


「レイン」


 テレシアが杯を置く。


「十二歳の誕生日、おめでとうございます」


「ありがとうございます、母様」


「おめでとう」


 レオンも続ける。


「ありがとうございます、父様」


 セレナがこちらを見る。


「成人、おめでとうございます」


「ありがとうございます、先生」


 短いやり取りだった。


 前世では。


 誕生日なんて、いつからか歳が一つ増えるだけの日になっていた。


 仕事を始めてからは、自分でも忘れている年があったくらいだ。


 でも、今は違う。


 今日まで無事に育ったことを、喜んでくれる人がいる。


 何かを成し遂げたからではない。


 魔力が見えるからでもない。


 領主の息子だからでもない。


 ただ、俺が十二歳になった。


 それだけで。


「レイン?」


 テレシアに呼ばれ、顔を上げる。


「どうしました?」


「いえ」


 首を横に振る。


「......何でもありません」


 料理を口に運ぶ。


 まだ、温かい。


 ***


 食事が終わった後も、セレナを交えてしばらく話していた。


 その時。


 扉が静かに叩かれた。


「失礼いたします」


 オスカーが入ってくる。


 その手には、一通の白い封筒があった。


 一目で分かった。


 封蝋に刻まれているのは、開いた書物と塔。


 帝国中央魔法学院の紋章。


「それ……」


 思わず身体が前に出る。


 朝から何度も気にしていたものが、目の前にある。


 オスカーが微笑んだ。


「帝国中央魔法学院より、レイン様宛てでございます」


 胸の奥が一気に騒がしくなる。


『成人の儀を迎えたら── 』


『封筒が届くでしょう』


 本当に。


 届いたんだ。


「開けても?」


 レオンを見る。


「ああ。お前宛てだ」


 封筒を受け取る。


 封蝋を切る。


 中には数枚の書類が入っていた。


 一枚目を開く。


 上部には、『帝国中央魔法学院特別選抜評議会』の名が記されていた。


 ゆっくり読み始める。


 だが。


 途中から、自然と目を動かす速度が上がった。


「……先生」


「どうしました?」


「これ」


 セレナに書類を渡す。


 セレナは受け取ると、数行に目を通した。


 そして、小さく頷く。


「正式に、認められましたね」


 もう一度、自分でも読む。


 レイン・アストリア。


 十二歳。


 事前視察と提出された記録を審査した結果。


 通常の入学年齢に満たない者に対する、特例入学資格を認める。


 つまり。


「僕……十二歳で学院に入れるんですね」


「そうなります」


 セレナが答えた。


 思わず書類に目を戻す。


 見間違いじゃない。


 帝国中央魔法学院。


 セレナが十二歳で入った場所。


 帝国中から魔法を学ぶ人間が集まる。


 研究設備。


 図書館。


 研究室。


 俺の知らない術式や理論、魔導具。


 行きたい。


 絶対に、行きたい。


 ただ、頭の片隅には、今日一日のことも残っていた。


 正式な書類に署名した。


 《旗契》に第一継承者として登録された。


 そして、これからは領地の実務についても本格的に学んでいく。


 セレナは十二歳で学院へ入り、それから魔法に多くの時間を注いできた。


 だが、俺はアストリア家の嫡男でもある。


 魔法だけを考えていればいい立場ではない。


 頭では分かっている。


 だが。


「先生」


「はい」


「学院の図書館は、研究館のより大きいんですよね?」


「比べる規模ではありません」


「術式関係の資料は?」


「かなり揃っていますし、専門の講義がいくつもあります」


「魔導具の研究設備は?」


「敷地の一区画が魔導具研究の施設です。高度な技師が何人もいます」


「じゃあ── 」


「レイン」


 止められた。


「少し落ち着いてください」


「あ……」


 興奮が抑えられない。


 横を見ると、テレシアが笑っている。


「朝からずっと気にしていましたものね」


「……気づいてたんですか?」


「食事を運んできた人を見るたびに、扉を見ていましたよ」


 見られていた。


 レオンを見る。


「父様も?」


「ああ」


 短い。


「……言ってくださいよ」


「聞かれなかったからな」


 二人とも気づいていたらしい。


 少し恥ずかしくなって、俺は手元の書類に目を戻した。


「マルティナ教授は、本当に研究室の机を用意してくれると思いますか?」


 セレナは少し考える。


「……あの方なら、すでに空けていても驚きません」


「もう?」


「私の時もそうでしたから」


 胸がまた高鳴る。


 書類の最後には、入学意思を示すための返答についても記されていた。


 返答期限までは、まだ一ヶ月の余裕がある。


「これを書けばいいんですよね?」


「ああ」


 レオンが答える。


「なら── 」


「今日、書く必要があるのか?」


 手が止まった。


「……いえ」


 改めて期限を見る。


 確かに急ぐ必要はない。


「決めるのはお前だ」


 レオンはそれだけ言った。


「行くのも、行かないのもな」


 俺は手紙を見る。


「分かりました」


 返答書を封筒に戻した。


 返事を急ぐ必要はない。


 頭の片隅に残った、嫡男としての役目についても考えなければならない。


 それでも、帝国中央魔法学院という場所への期待は消えるはずがなかった。


 どんな授業があるのだろう。


 どんな学生がいるのだろう。


 マルティナ教授の研究室は。


 中央には、俺の知らない魔法がどれだけあるのだろう。


 そんなことを考えていた。


 その時だった。


 再び、扉が叩かれた。


「失礼いたします」


 オスカーだった。


 だが、先ほどとは表情が違う。


 手には、小さく折り畳まれた一枚の書面。


 レオンがすぐに気づいた。


「どうした」


「セレスタ州政府より、至急の伝信です」


 部屋の空気が変わった。


 レオンが手を差し出す。


 オスカーから書面を受け取り、目を走らせる。


 さっきまで僅かに緩んでいた表情が消えた。


「……いつ届いた」


「ただ今です」


「他にも報告は来ているのか?」


「はい。複数の地域から同じような報告が届いており、州政府でまとめた上で東部各領に送られたようです」


 レオンがもう一度、書面を見る。


「地図を」


「すでに用意させております」


 何が起きた?


 俺も立ち上がる。


「父様?」


 レオンは書面を畳んだ。


「執務室に行く」


 ***


 執務机いっぱいに、セレスタ州東部の地図が広げられていた。


 アストリア領。


 その北東。


 東。


 南東部。


 オスカーが報告書を確認しながら、地図に印を置いていく。


「最初の報告は北東部です」


 赤い印が一つ。


「山地内部に生息する魔獣の群れが、生息域を離れて西に移動しています」


 別の場所に、二つ目の印。


「その後、東部森林でも同様の報告。本来は異なる生息域を持つ複数種が、ほぼ同じ時期に移動を始めています。大型の魔獣種も含まれています」


 レオンが地図を見る。


「接触した群れ同士の争いは?」


「現時点では、大きなものは確認されておりません」


「複数種が同じ進路を取っているのにか」


「はい」


 妙だ。


 魔獣にも縄張りがある。


 特に大型の魔獣なら、別種の群れが同じ場所に入れば争いになることが多い。


 それなのに。


 複数の種が、同じように移動している。


 オスカーが次の報告書を取る。


「加えて、東部三か所の地脈観測所から、測定値の低下が報告されています」


 セレナが地図に近づいた。


「どの程度ですか?」


「地点によって差があります。最も大きい場所では、通常値から三割近く低下しているとのことです」


「短期間で?」


「はい」


 セレナの表情が僅かに険しくなる。


「観測器の不具合の可能性は?」


「複数の観測器で同じ傾向が出ています。型式も一つではありません」


 なら。


 単純な故障とは考えにくい。


 さらに報告が続く。


 魔晶石の採掘場では、掘り出された魔晶石の魔力含有量が低下している。


 魔力を多く吸収する植物の一部にも変化が出ている。


 家畜が落ち着きを失い、東側の放牧地を避けるようになった地域もあった。


 これだけ別々の異常が、ほぼ同じ時期にアストリア領だけでなく、州東部の各地で起きている。


 偶然として片づけるには──


「……多すぎる」


 俺が呟くと、レオンが頷いた。


「ああ」


「州政府も同じ判断をしている」


 レオンが召集状の最後を見る。


「明日、州都で緊急対策会議が開かれる。東部の領主、州軍に加えて、魔法省と軍務省の担当者が招集されている」


「父様も?」


「ああ」


 レオンがオスカーを見る。


「明日の予定をすべて外せ。出発は日の出前だ」


「承知いたしました」


 そして。


 レオンの視線が俺に向いた。


「レイン」


「はい」


「お前も来い」


「僕も、ですか?」


「ああ」


「州政府の会議に?」


「発言させるためではない。まずは見ていろ」


 レオンは地図に視線を戻す。


「今日、成人したのだろう」


 朝のことを思い出す。


 正式な記録への登録。


 自分の署名。


 《旗契(きけい)》への登録。


 だが、これまでレオンやオスカーから話を聞くだけだったものを、これからは自分の目で見ることになる。


「……分かりました」


 もう一度、机の上の地図を見る。


 北東。


 東。


 南東。


 各地から報告された魔獣の移動方向が、赤い矢印で書き込まれている。


 北西へ向かう群れ。


 西へ向かう群れ。


 南西へ向かう群れ。


 その時。


「……待ってください」


 セレナが言った。


 地図を見つめたまま、僅かに眉を寄せている。


「どうした」


 レオンが尋ねる。


 セレナの指が、北東の矢印に触れた。


 そのまま、東。


 南東。


 三本の矢印を順に辿っていく。


「進んでいる方向だけを見れば、ばらばらです」


「ええ」


 オスカーが頷く。


「ですが、逆に見れば……」


 セレナの指が、それぞれの矢印を反対へ辿る。


 地図の東側。


 人の住む地域からさらに離れた、東部の奥地へ。


「どの群れも、東部の奥から離れるように動いています」


 レオンが目を細めた。


 召集状と地図を見比べる。


「州政府の報告にも、東部奥地からの離脱傾向について記載がある。だが、原因までは分かっていない」


「やはり……」


 セレナが小さく呟いた。


 その横顔を見て。


 三年前のことを思い出す。


 風喰狼(かざはみおおかみ)の群れ。


 擦り切れた肉球。


 欠けた爪。


 本来の縄張りから、長い距離を移動してきた痕跡。


『何かから逃げてきた、とか?』


 セレナは答えを出さなかった。


 出せなかった。


 判断する材料が足りなかった。


 だが今。


 地図の上には。


 離れた地域に棲む複数の魔獣。


 地脈の魔力低下。


 魔晶石の質の低下。


 植物の変化。


 家畜の異常行動。


「先生……」


「ええ」


 セレナは地図から目を離さなかった。


 東部の魔獣たちが。


 何かから──


 逃げている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


ついにレインは十二歳で成人になりました。


次話からは東部異変編が始まります。


感想や評価などをいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。


次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。