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第三十二話「模擬戦——レイン対カシウス」

「なら── 俺と一度、戦ってみろ」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「……僕が、ですか?」


「ああ」


 カシウスは平然としている。


「あなたは帝国魔導師ですよね」


「そうだ」


「僕は十一歳ですが」


「それも知っている」


 分かっていて言っているらしい。


「必要ありません」


 真っ先に拒否したのはマルティナだった。


「今回の目的は、特別選抜候補としての事前視察です。戦闘能力は必須項目ではありません」


「だが、災害時の実績も評価資料に含まれている」


 カシウスが答える。


「なら、実戦時の判断力を確認する意味はある」


「十一歳の子供ですよ」


「分かっている」


「あなたは帝国魔導師です」


「それも分かっている」


 いい加減聞き飽きた、とでも言いたげにカシウスは答えた。

 マルティナの眼鏡が、わずかに光った。


 二人をよそ目に、ノアが僅かににやつきながら俺へ顔を寄せる。


「面倒な性格でしょう?」


 小声だった。


 俺としては、にやついている場合ではないのだが。


「聞こえているぞ、ノア」


「聞かせてるんですよ」


 こいつも大概だ。


「昔からなんですか?」


「学院の同期ですから」


「同じ二十八歳だ」


 カシウスが付け加えた。


「入学から卒業まで、ずっと一緒でした」


「腐れ縁ってやつですね」


「誰が腐っている」


「やっぱり反応するね」


 マルティナが額へ指を当てている。


 たぶん、先生として苦労したのだろう。


 カシウスが俺を見る。


「もちろん、拒否して構わない」


 その言葉に、なぜか少しだけ引っかかった。


 多分、見下されている。


 でも、無理やり戦わせようとしているわけではない。


「条件は?」


 俺が尋ねる。


「レイン」


 セレナの声が飛ぶ。


 振り返る。


「やってみたいです」


「理由は?」


 少し詰まった。


 実力を知りたい。


 本物の魔導師と戦ってみたい。


 それもある。


 でも、一番大きいのは。


(……負けたくない)


 この人に。


 俺を大したことがないと思っているこの人に。


 自分の実力を、認めさせたい。


「やりたいです」


 もう一度言う。


 セレナが俺を見る。


 レオンも黙っている。


 数秒。


「条件を決めろ」


 レオンが言った。


 ***


 使用可能なのは、上級魔法以下。


 殺傷を目的とする魔法は禁止。


 訓練場全体を、セレナとマルティナによる二重結界で覆う。


 互いの胸元には判定札。


 一定以上の衝撃か魔力を伴う攻撃が札へ触れれば、赤く発光する。


 先に光らせた方が勝ち。


 試合開始前、セレナが俺の胸元の札を固定する。


「レイン」


「はい」


「カシウスは、上級魔法を実戦の中で使い慣れています」


「はい」


「上級魔法を真正面から撃ち合わないこと」


「……分かりました」


「それから」


 少し声を落とす。


「勝ちに固執しないでください」


「試合なのに?」


「勝とうと考えることと、勝つために無理をすることは違います」


 紫の瞳が俺を見る。


「危険だと思ったなら、負けて構いません」


 少し不満だったのが、顔に出たのかもしれない。


 横からレオンが歩いてくる。


「レイン」


「はい」


「先日の稽古を覚えているか」


 木剣を、届くと思った瞬間に止めたことを思い出す。


 そして、『迷うな。振り抜け』という言葉。


「はい」


「セレナ殿の言うとおり、無理に勝つ必要はない」


 一度、言葉を切る。


「だが」


 俺を見る。


「自分で戦うと決め、勝機を見つけた瞬間には、迷うな」


 行くと決めた瞬間だけは、止まらない。


「分かりました」


 今度は、はっきり頷いた。


 ***


 訓練場。


 カシウスが黒い軍杖を抜く。


 俺も杖を構える。


 距離は、二十歩ほど。


 その間に障害物はない。


 真正面から。


 帝国魔導師と向き合う。


 心臓が速い。


 怖い。


 それでも。


 逃げたいとは思わなかった。


 マルティナが片手を上げる。


「互いに、相手を傷つけることを目的とした攻撃は禁止。私かミレイユ教授が危険と判断した場合、即座に中断します」


「了解した」


「はい」


 一度。


 息を吸う。


「── 始め!」


 その瞬間。


 カシウスの右腕へ。


 鮮明な魔力が走った。


 大きい。


 あまりにも、分かりやすい。


(左に避ければ── )


 身体が反応する。


 左へ踏み出した。


 直後。


 カシウスの左足から。


 糸のように細い魔力が、地面へ流れ込むのが見えた。


(しまっ── )


 ドンッ!


 俺が避けた先の地面から。


 石柱が突き上がった。


「っ!」


 完全無詠唱。


 風。


 横から自分の身体を叩き。


 強引に軌道を変える。


 石柱が外套の裾を掠めた。


 足が地面につく。


 その瞬間。


 目の前に影。


(速い!)


 カシウス。


 すでに踏み込んでいる。


 右腕へ集めていた魔力の一部は。


 ただ見せるためのフェイク。


 残りは身体強化へ流れていた。


 黒い軍杖が振り抜かれる。


 土壁。


 完全無詠唱。


 ゴッ!


 一撃。


 岩が砕ける。


 破片が視界を塞ぐ。


 その向こう。


 深紅の瞳と、目が合った。


 カシウスが。


 初めて、僅かに笑った。


「……本当に見えているんだな」


「え?」


 杖が来る。


 杖で受ける。


 硬い衝撃。


 腕が痺れた。


「今の右腕」


 距離を取る。


「最初から、攻撃するつもりはなかった」


「── っ」


「魔力だけを流した」


 カシウスは追ってこない。


 その場で、俺を観察している。


「普通なら、あの時点では動かない」


 赤い瞳が俺を射抜く。


「だが、お前は魔力が動いた瞬間に左へ避けた」


 最初から。


 試されていた。


 魔力視が本物なのか。


 それを確かめるためだけに。


 わざと、見える餌を置いた。


「報告書は本当らしい」


 黒い軍杖を構え直す。


 僅かに腰が落ちる。


「なら── 」


 口元から笑みが消えた。


「ここからは、本気で騙すぞ」


 背筋がぞくりとした。


 ***


 魔力が動く。


 右腕。


 左肩。


 脚。


 杖。


 一度に四か所。


 どれが本命だ。


 カシウスが踏み込む。


 脚。


 俺は風弾を二発。


 完全無詠唱。


 一発目。


 首を傾けて避けられる。


 二発目。


 杖で弾かれる。


 左手に光。


 次の瞬間。


 光が消えた。


 違う。


 地面。


「地よ、穿て!」


 石槍。


 右へ避ける。


 待っていたように。


 風刃。


「っ!」


 水膜。


 一瞬で生成。


 風刃が水面を裂く。


 威力が落ちる。


 身体を捻る。


 白銀の刃。


 頬を掠める。


 息を吐く暇もない。


 今度は。


 杖。


 脚。


 背中。


 三か所。


(どれだ)


 一つずつ読むな。


 全体を見ろ。


 カシウスの魔力は。


 何度も、意味のない場所へ流れている。


 全部を信じれば。


 全部に反応してしまう。


「地よ、連なれ── 」


 声。


 今度は詠唱。


 魔力の総量が一気に跳ね上がる。


 上級。


 これは。


 さすがに偽物じゃない。


「穿て、《岩槍列》!」


 地面が爆ぜた。


 一本。


 二本。


 三本。


 時間差で来る。


 土壁。


 完全無詠唱。


 一枚。


 ドンッ!


 砕ける。


 二枚目。


 ドンッ!


 これも割れる。


 三枚目を作る時間はない。


 なら。


 水。


 足元へ広げる。


 風。


 水面を一気に押す。


 濡れた土が崩れ。


 岩槍の一本がほんの僅かに傾く。


 隙間ができた。


「っ!」


 そこへ身体を滑り込ませる。


 最後の岩槍が肩を掠めた。


 痛み。


 だが。


 判定札は光らない。


 転がる。


 立つ。


 すぐに杖を向けた。


 水弾。


 一発。


 カシウスが払う。


 弾ける。


 地面へ。


 二発目。


 これも杖で防がれる。


 また。


 水が落ちる。


 三発目。


「同じ手を── 」


 カシウスの言葉が止まった。


 気づいた。


(遅い)


 右手を下へ向ける。


 雷。


 完全無詠唱。


「── 《雷針》」


 青紫の閃光。


 狙うのは。


 カシウスではない。


 足元。


 濡れた地面。


 バチッ!!


 雷光が。


 薄く広がった水を走った。


「ちっ!」


 カシウスが跳ぶ。


 当然だ。


 直撃させるほどの出力ではない。


 でも。


 濡れた地面で立ったまま受ける理由はない。


(跳んだ)


 見える。


 脚へ集中した魔力。


 空中。


 そこでは。地面を蹴れない。


 軌道を大きく変えられない。


 落ちる位置を追う。


(そこだ)


 土。


 着地点だけを。


 僅かに盛り上げる。


 カシウスの足が地面へ触れる。


「な── 」


 斜めになった足場。


 重心が崩れた。


 今!


 風弾。


 一発。


 二発。


 三発。


 三方向。


 カシウスが身体を捻る。


 一発目。


 避ける。


 二発目。


 腕で逸らす。


 三発目。


 胸。


 届く。


(今度こそ── !)


 そう思った瞬間。


 黒い軍杖が。


 胸の前へ滑り込んだ。


 バンッ!


 風弾が弾ける。


「惜しかったな」


 着地。


 同時。


 カシウスの左手。


 茜色。


(火── )


「っ!」


 火球。


 速い。


 土壁。


 間に合え!


 ドンッ!!


 爆発。


 熱。


 赤。


 衝撃。


 土壁ごと押される。


 靴底が地面を滑った。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


「はっ……」


 熱い息を吐く。


 腕が重い。


 でも。


 立っている。


 向こうを見る。


 カシウスも。


 俺を見ていた。


 先ほどまでとは。


 目が違う。


「なるほど」


 低く。


 呟く。


「確かに、戦える」


 その一言。


 胸の奥が。


 熱くなった。


 大したことがない。


 そう思われていた。


 少なくとも。


 今は違う。


(まだだ)


 もっと。


 認めさせたい。


 ***


 攻防が続く。


 風。


 土。


 火。


 水。


 魔法がぶつかるたび。


 訓練場に音が響く。


 息が上がる。


 額から。


 汗が落ちる。


 腕も重い。


 対して。


 カシウスの呼吸には。


 まだ余裕がある。


 強い。


 やっぱり。


 本物の魔導師は強い。


 真正面からでは。


 届かない。


 それでも。


 戦ううちに。


 一つ。


 分かってきた。


 カシウスは。


 魔力視そのものを。


 破っているわけではない。


 俺には。


 全部見えている。


 右腕へ魔力を流した。


 左脚へ流した。


 途中で止めた。


 杖へ戻した。


 地面へ送った。


 全部。


 見えている。


 ただ。


 俺が勝手に。


 右腕へ魔力が行った。


 だから右から攻撃。


 地面へ行った。


 だから土魔法。


 そう。


 意味を決めつけている。


 カシウスは。


 そこを利用している。


 見えている情報を。


 わざと増やして。


 俺自身に。


 間違った答えを選ばせる。


(……そうか)


 だったら。


 魔力を動かしたからといって。


 使う必要はない。


 魔法を作ったからといって。


 完成させる必要もない。


 相手に。


 そう思わせればいい。


 カシウスから。


 教えられた。


 なら。


(俺も使う)


 次の風刃を避ける。


 火弾。


 撃つ。


 水壁で防がれる。


 土弾。


 二発。


 一発は杖へ。


 二発目は。


 わざと外す。


 地面へ。


 パキッ。


 石が砕ける。


 小さな破片が。


 カシウスの後方へ転がった。


 誰も。


 気にしない。


 俺も。


 視線を向けない。


 カシウスが。


 踏み込む。


 火球。


 俺は。


 水球。


 衝突。


 ジュッ!


 白い蒸気。


 視界が消える。


 その中で。


 後ろの小石へ。


 弱い風を。


 一度だけ送る。


 コロッ。


 少しだけ。


 位置が変わる。


 それだけ。


 蒸気が晴れる。


 カシウス。


 正面。


 息が苦しい。


 魔力は。


 まだある。


 むしろ。


 あり余っている。


 でも。


 身体が。


 追いつかない。


 頭も。


 少しずつ。


 熱を持っている。


 これ以上。


 長引かせたら。


 勝てない。


(次だ)


 次で。


 決める。


 杖を構える。


 深く。


 息を吸った。


 そして。


 胸の奥にある魔力を。


 一気に引き出した。


 空気が。


 震えた。


「── っ」


 結界の外。


 誰かが息を呑む。


 今まで。


 抑えていた。


 セレナとレオンに。


 見せすぎるなと言われたから。


 だけど。


 もう。


 そんなことを気にしていたら。


 勝てない。


 茜色。


 大量の光が。


 全身から腕へ。


 杖へ。


 集まっていく。


 火。


 これまでの魔法とは。


 桁が違う。


 カシウスの表情が。


 変わった。


「……お前」


 さらに。


 集める。


 圧縮。


 熱が。


 周囲の空気を。


 歪ませ始める。


 でも。


 まだ完成させない。


 詠唱。


「紅蓮よ── 」


 カシウスが。


 即座に動いた。


 当然だ。


 この魔力量。


 無視する方が。


 おかしい。


「蒼水よ、重なり── !」


 カシウスも。


 詠唱する。


 水。


 正面へ。


 大量の魔力。


 厚い水壁が。


 立ち上がる。


 その後ろ。


 さらに。


 土。


 防壁を。


 重ねるつもりだ。


 二重防御。


 俺の炎を。


 正面から。


 受け止める構え。


(そうだ)


 それでいい。


 もっと。


 意識を向けろ。


 さらに。


 魔力を集める。


 茜色の光が。


 膨らむ。


 頬を。


 熱気が撫でる。


 カシウスの赤い瞳が。


 俺を見る。


 杖を見る。


 その先。


 作られつつある。


 巨大な炎。


 だけを見る。


「紅蓮よ、我が前に集いて── 」


 あと。


 一節。


 それで。


 上級火魔法が。


 完成する。


 カシウスの防御へ。


 さらに。


 魔力が流れた。


 水。


 土。


 身体強化。


 全部が。


 正面へ偏っていく。


 魔力視で。


 見える。


 俺には。


 見えている。


 右。


 左。


 脚。


 杖。


 どこに。


 どれだけ。


 何のために。


 魔力を回しているか。


 狙いは。


 完全には。


 分からない。


 でも。


 一つだけ。


 分かる。


 今。


 カシウスの意識は。


 完全に。


 俺の正面へ向いている。


(── 見つけた)


 俺は。


 詠唱を止めた。


「── ?」


 カシウスの。


 眉が動く。


 完成直前。


 魔法が。


 止まった。


 茜色の魔力は。


 大量に残っている。


 でも。


 撃たない。


「な── 」


 カシウスの目が。


 見開かれる。


 その瞬間。


 完全無詠唱。


 風。


 ほんの。


 僅かな出力。


 カシウスの。


 右後方。


 さっき転がしておいた。


 小石が。


 ふわりと。


 浮いた。


 見ていない。


 カシウスは。


 見ていない。


 俺の目の前にある。


 巨大な火の魔力。


 それが。


 意識を。


 注意を。


 全部。


 奪っている。


 風。


 横から。


 僅かに。


 小石を押す。


 軌道が。


 変わる。


 カシウスの。


 右後方。


 胸元。


 真っ直ぐ。


「カシウス!」


 ノアの声。


 カシウスが。


 振り向いた。


 でも。


(── 遅い)


 カッ。


 乾いた。


 小さな音。


 小石が。


 カシウスの胸元。


 判定札へ。


 当たった。


 一瞬。


 何も起きない。


 そして。


 札が。


 赤く光った。


 静寂。


 俺自身。


 動けなかった。


 本当に。


 当たった。


 マルティナが。


 赤く染まった札を。


 確認する。


 一秒。


 二秒。


「……有効打」


 その声が。


 やけに大きく聞こえた。


 そして。


「勝者── レイン・アストリア」


 ***


 膝が、落ちそうになる。


 杖を、地面へ突く。


 何とか、立つ。


 疲れた。


 本当に。


 疲れた。


 顔を上げる。


 カシウスが、自分の胸を見ていた。


 赤く光る札。


 動かない。


 長い沈黙。


 やがて。


 ゆっくり、こちらを見る。


「……俺の真似をしたのか」


「はい」


 荒い呼吸のまま、答える。


「最初に……やられたので」


「……」


「魔力を集めても……使うとは限らない」


 一度。


 息を整える。


「そう教えてもらいました」


 カシウスの眉間へ。


 深い皺が刻まれる。


「それで、あの炎は全部囮か」


「全部ではないです」


「何?」


「防がれなかったら、そのまま撃つつもりでした」


 数秒。


 沈黙。


 結界の外から。


「ぶっ」


 妙な声。


 ノアだった。


 口元を押さえている。


 肩が震えている。


「……何がおかしい」


「いや」


 ノアが。


 ものすごく、にやついている。


「見事に自分のやり方で負けたなと思って」


「ノア」


「はいはい」


 全く反省していない。


 カシウスが、俺へ歩いてくる。


 少し、身構える。


 目の前。


 深い赤の瞳。


 さっきまで。


 俺を、本当に戦えるのかと疑っていた目。


「次は通じんぞ」


「はい」


 素直に、頷いた。


 多分。


 本当に通じない。


 この人なら、一度見た手は、対策する。


 なら。


「僕も」


「次は別の方法を考えます」


 一瞬。


 カシウスが黙った。


「……生意気なガキだ」


 踵を返す。


 でも。


 その声からは。


 最初にあった侮りが、消えていた。


 ***


「レイン」


 試合が終わって少し経ったところで、セレナとレオンに呼ばれた。


 声を聞いた瞬間、それまで胸の中に残っていた高揚が少しだけ萎む。


 嫌な予感しかしない。


 二人のところまで歩く間に、呼吸もほとんど平常へ戻っていた。


 身体のあちこちに疲労は残っているが、もう戦いの最中のように頭が熱くなってはいない。


 だからこそ。


 セレナの腕が組まれているのを見て、ちゃんと怖いと思えた。


「実力を出しすぎないように、と言いましたね?」


「……はい」


「今の魔力量は?」


「かなり出しました」


「完全無詠唱は?」


「何度も使いました」


「複数魔法の連続・並列使用は?」


「……かなり」


「上級火魔法の構築まで見せましたね?」


「はい……」


 セレナはそれ以上何も言わなかった。


 静かな方が怖い。


 助けを求めるように横を見ると、レオンも黙ってこちらを見ていた。


 どうやら逃げ道はないらしい。


「なぜですか」


 セレナが短く尋ねる。


 言い訳なら、いくらでも思いついた。


 相手が帝国魔導師だったから。


 勝つには必要だったから。


 そもそも模擬戦を申し込んできたのはカシウスだ。


 けれど。


 興奮が薄れてきた頭で考えてみれば、どれも本当の理由ではなかった。


 勝つために力を見せる必要があった。


 それは事実だ。


 では、なぜそこまでして勝とうとしたのか。


 その答えは、もっと単純だった。


「……負けたくなかったんです」


 レオンもセレナも何も言わない。


 俺は少し視線を落とした。


「僕のことを、大したことがないと思われているのが分かって」


 口に出した瞬間、今さらになって恥ずかしくなってきた。


 十一歳の子供が、大人の魔導師に意地を張った。


 事実だけ並べれば、それだけの話でもある。


「だから……認めさせたくて」


 しばらく、レオンは黙って俺を見ていた。


 やがて。


「そうか」


 それだけだった。


「……怒らないんですか?」


 思わず聞いてしまう。


「怒ってほしいのか」


「そういうわけじゃ……」


 横でセレナが小さく息を吐いた。


「負けたくないと思うこと自体は、悪いことではありません」


「はい」


「私も、自分の研究をろくに読みもせず否定されれば腹が立ちます」


 セレナは真顔のままだった。


「ですが、自分の感情と、何を外へ見せるべきかは別問題です」


 その言葉で、さっきまで胸に残っていた熱がもう一段冷めた。


 訓練場の向こうでは、マルティナとノアが何かを話している。


 少し離れた場所では、カシウスが何やら書類に筆を走らせていた。


 俺が今日見せたもの。


 完全無詠唱。


 大量の魔力。


 五属性を切り替えながらの戦闘。


 複数魔法の連続操作。


 魔力視を利用した戦術。


 たぶん、その多くがこれから公になる。


 最初にレオンとセレナから言われた通り、もう「見なかったこと」にはできない。


「次からは、勝った後に何が起きるかまで考えてください」


 セレナが言った。


「……はい」


 今度は、素直に頷いた。


 試合前にも、二人の忠告の意味は理解していたつもりだった。


 けれど。


 実際にカシウスから軽く見られた時、俺はその先のことより、自分を認めさせたいという気持ちを優先した。


 そこは、間違いなく反省すべきところだ。


 ただ。


 全部を後悔しているかと言われれば、そうでもなかった。


 何となく、訓練場へ視線を戻す。


 地面にはまだ戦った跡が残っていた。


 砕けた土壁。


 岩槍が突き出した穴。


 雷を流すために撒いた水。


 最後の小石も、少し離れたところに転がっている。


 あの中で、俺は何度もカシウスに騙された。


 魔力が見えるから、相手より多くの情報を持っている。


 どこかで、そう思っていたのかもしれない。


 でも。


 情報が多いことと、それを正しく使えることは違った。


 カシウスは、俺に見えていることを逆に利用した。


 そして俺は、その戦い方を途中で学んだ。


 最後には、自分の魔力量と完全無詠唱、それに魔力視を組み合わせて、同じ考え方をカシウスへ返した。


 誰かに正解を教えてもらったわけではない。


 戦いながら、自分で考えた。


 そうして本物の魔導師から一本を取れた。


 思い返すほど、胸の奥には静かな満足感が残った。


 少し前までの「勝った!」という熱そのものではない。


 もっと落ち着いた。


 自分が少しだけ前へ進めたと確認できた時に感じる、あの嬉しさに近かった。


(……もっと強くなれる)


 きっと。


 まだまだ。


 そう思えた。


 ***


 視察団が帰る頃には、身体の疲れだけがはっきり残っていた。


 正門前には、朝と同じ三台の馬車が並んでいる。


 試験前はあれほど緊張していたのに、終わってみれば一日が妙に短く感じられた。


 マルティナは最後の書類を確認すると、鞄の中へ丁寧に収めた。


「本日の結果は、特別選抜評議会へ提出します」


「はい」


 答えながら、やはり気になってしまう。


 少し迷った末、尋ねた。


「僕は……どうだったのでしょうか」


 マルティナが眼鏡の奥で目を細める。


「まだ視察の段階ですよ」


「あ」


「あなたは、まだ十一歳です」


 そうだった。


 今日は、あくまで事前視察。


 何かに合格したわけではない。


 さっき帝国魔導師に勝ったせいで、妙に大きな一日になってしまった。


 だが、本来の目的を考えれば、学院が俺を実際の目で確認するための視察だった。


 そんな俺の横へ、ノアが近づいてくる。


「私は、模擬戦より最初の制御試験の方が驚きましたけどね」


「……あれですか?」


「あれです」


 差し出された手を握る。


 ノアは今日一日、《風喰砲》ばかり見ていたような気もするが、試験そのものもしっかり見ていたらしい。


「大きな魔法を一度撃てる人間なら、帝国にもいます。でも、同じ結果を十回、百回と再現できる人間は、意外と少ないんですよ」


 ノアは屋敷の方へ視線を向けた。


「《風喰砲》も同じです。最大出力だけなら、もっと強い魔導具はいくらでも作れます」


「はい」


「少ない魔力で動く。出力が安定する。使う人間が変わっても、ほぼ同じ結果が出る。そういう地味な強さを、私はかなり評価します」


「地味なんですね……」


「褒めていますよ」


「本当に?」


「八割くらい」


「残り二割は?」


「私の趣味です」


 真面目な顔で言われた。


 やっぱり、少し変な人だ。


 でも、不思議と嫌いにはならない。


 ノアはそこで笑みを少し収めた。


「研究は続けてください」


「はい」


「戦う以外にも、魔法で救える人間は大勢いますから」


 その言葉には、さっきまでのおちゃらけた調子がなかった。


 だから俺も、今度は真面目に頷いた。


「はい。続けます」


「あ、それと」


 ノアは何かを思い出すように言った。


「中央への現物提出が始まる時は、僕にも一報ください」


「ノアさんに?」


「ええ。魔法省にも、こういうものを好きな人間はいますから」


 ノアは笑う。


「研究を続けるなら、中央に知り合いが一人くらいいても損はないでしょう?」


「……そういうものですか?」


「そういうものです」


 ノアは少し低い声でそう告げた。


 少し離れたところでは、カシウスがすでに馬車へ乗ろうとしていた。


 最後まで話しかけてこないのかと思っていると、乗り込む直前にこちらを見る。


 目が合った。


「次は負けん」


 本当に、それだけだった。


 でも、朝のカシウスなら、そもそもそんな言葉さえ俺へ向けなかった気がする。


「僕もです」


 カシウスは鼻を鳴らした。


 そのまま馬車へ乗るのかと思ったが、足を止める。


「それと。中央に来たら、一度軍務省の演習場を見に来い」


「僕がですか?」


「ああ」


 カシウスの暗い赤の瞳が、俺を真っ直ぐに見る。


「お前の眼は、研究室の中だけで使うには惜しい」


「……見せてもらえるんですか?」


「見学だけだ。勘違いするな」


 それだけ言うと、今度こそカシウスは馬車へ乗り込んだ。


 やはり、次に会う時には、今日使った方法はもう通じない。


 向こうは、さらに俺の魔力視を利用する方法を考えてくるだろう。


 だが、不思議と嫌ではなかった。


 むしろ、次はどう戦えばいいのだろう。


 そんな考えが自然と浮かんでいた。


 最後に、マルティナがこちらへ向き直る。


「レイン・アストリア君」


「はい」


「もし学院へ来ることになっても、無理に『普通の学生』になろうとする必要はありません」


「……え?」


 突然の言葉に目を瞬く。


 マルティナは一瞬だけ、セレナへ視線を向けた。


「昔、それをさせない方がいい学生がいましたから」


「教授」


 セレナが少し低い声を出す。


 だが、マルティナは気にした様子もない。


「学院は、学生を同じ形へ削る場所ではありません。皆と学ぶべきことは皆と学び、一人で先へ進めることは先へ進めばいい。少なくとも、私はそう考えています」


 セレナの横顔を見る。


 先生は何も言わなかった。


 ただ、ほんの少しだけ懐かしそうに目を細めている。


 たぶん。


 この人がいたから、十二歳だったセレナ先生は、学院でも自分のやり方で魔法を学び続けられたのだろう。


「必要なら、研究室の机くらい用意します」


「……先生みたいに?」


「ええ。ただし、閉室時刻は守ってもらいます」


「私は守っていました」


 セレナが即座に訂正する。


「守っていません」


 マルティナも即答した。


 ノアが横で笑う。


 俺も、つられて笑った。


 帝国中央魔法学院。


 これまで、話の中にしかなかった場所。


 そこにも魔法を研究する人たちがいて、先生が十二歳の頃に使っていた研究室があって。


 もし俺が学院へ行けば。


 そこに、自分の机が置かれるかもしれない。


 そう考えると、胸がゆっくりと高鳴った。


 さっきカシウスに勝った時とは違う。


 あの時は、身体中が熱くなるような興奮だった。


 今はもっと静かで。


 遠くに見える知らない景色へ、早く辿り着いてみたい。


 そんな気持ちだった。


 マルティナが馬車へ乗ろうとして、ふと足を止める。


 こちらを振り返った。


「レイン・アストリア君」


「はい」


「成人の儀を迎えたら── 」


 ほんの少しだけ、口元を緩める。


「封筒が届くでしょう」



 そう言い残し、マルティナは馬車へ乗り込んだ。


 扉が閉まり、御者が手綱を鳴らす。


 三台の馬車がゆっくりと正門を離れていった。


 俺はその場に立ったまま、遠ざかる馬車を見送る。


 側面には、開いた書物と塔を象った学院の紋章。


 朝にも見たはずのものだった。


 けれど今は、少しだけ違って見える。


 あと一年で、成人の儀を迎える。


 その先に。


 帝国中央魔法学院がある。


 馬車が街道の向こうへ見えなくなるまで、俺はその紋章を眺めていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。

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