第二十六話「魔獣に宿る魔法」
「さて、魔導階梯のことはもういいですね」
「はい」
「私からも、伝えておかなければならないことがあります。――先日の魔獣災害についてです」
声の調子が変わった。
俺も杖を抱え直し、セレナを見る。
「レインが送ってくれた情報のことです」
セレナは机に向かい、広げられていた地図を指した。
北東方面。
二つの風喰狼の群れが合流しかけていた場所だ。
「通信を受けた時点で、北東方面にはまだ十数頭の風喰狼が残っていました。それまでは、風撃を回避するか、防御してから反撃していたのですが――」
セレナの指が、地図の上を滑る。
「二つの風嚢へ魔力が流れ、口元で合流してから放たれる。その仕組みが分かれば、片方を崩すだけで攻撃を止められます」
「片方だけ?」
「はい。風嚢が膨らみ始めた個体の片側を、風刃で傷つけました。すると左右の均衡が崩れ、口元で合流できなくなった魔力が霧散したようでした」
紫の瞳が俺を見る。
「あなたの情報が届いてから、効率的に風喰狼を無効化することができました。そのおかげで、北東方面で新たな負傷者を出さずにすんだ」
新たな負傷者が出なかった。
その言葉が、ゆっくりと胸へ染み込んでくる。
俺の見つけたことが、誰かを守った。
「ありがとうございます、レイン」
「僕が礼を言う側です。使ってくれたのは、先生ですから」
セレナが一度、瞬きをした。
「……では、お互いに礼を言うのはやめましょう」
「はい」
セレナらしい答えだった。
「ただ」
セレナの目線が、机の上に置かれた記録紙に移る。
「あなたの観測が正しいことは、戦闘で確かめられました。しかし、まだ仕組みを解明できたわけではありません」
「仕組み?」
「風嚢のどこで魔力が変質し、どのように圧縮されているのか。二つの流れが、どう合流するのか」
セレナは紙を重ねると、椅子から立ち上がった。
「レインに見てもらいたいものがあります。こちらへ」
案内されたのは、研究館の地下だった。
石造りの階段を降りるにつれて、空気が冷たくなっていく。
突き当りの金属製の扉を、セレナが開いた。
冷気が白い靄となり、足元に流れ出す。
部屋の中央には、大きな氷の塊が置かれていた。
その中に。
灰青色の獣が、一頭横たわっている。
「……風喰狼」
戦場で見た牙も、爪も、今は動かない。
閉じられた瞼や、霜の付着した毛並みだけを見れば、眠っているようにも見えた。
だが、その胸は上下してはいなかった。
「北東で討伐された個体のうち、風嚢の損傷が少ない一頭を、領軍から研究用に提供してもらいました」
セレナは氷に視線を向けたまま説明する。
「腐敗しないよう、氷結保存してあります」
村を襲い、結界を壊そうとしていた魔獣だ。
それなのに。
冷たい氷の中に横たわるその姿を目の前にすると、胸の奥に言葉にしづらい重さが残った。
仕組みを知れば、次に誰かを守ることにつながる。
そんなことは分かっている。
それでも、すぐに興味だけを向けることはできなかった。
「気分が悪いのであれば、無理に立ち会う必要はありません」
「……いえ」
俺は首を横に振った。
「見ます」
目を背けたからといって、殺された風喰狼が生き返るわけではない。
なら、せめて、無駄にはしたくない。
「分かりました」
セレナが氷に手を触れる。
「凍てつく水よ。我が指し示すところのみ、その形を解け」
掌から淡い蒼の光が広がり、風喰狼の胸から喉元を覆っていた氷だけが、音もなく溶けていった。
灰青色の毛の下から、左右へ膨らんだ風嚢が現れる。
「死後は魔力が流れていないため、レインが戦場で見たものを、そのまま再現することはできません」
「はい」
「ですから、実際の器官と、あなたの記憶にある魔力の経路を照合します」
セレナは細い刃物を手に取った。
「処理は私が行います。レインは、戦場で見た位置とずれがないか確認してください」
「分かりました」
灰青色の毛をかき分け、セレナが風嚢を覆う外皮を慎重に開いていく。
血や内臓が目立たないよう、必要な部分だけを処理する手つきだった。
やがて、外側からは見えなかった組織が現れた。
薄い膜のようなものが、幾重にも重なっている。
「風嚢の中は、こうなっているんですね」
「ええ、単なる袋ではありません」
セレナが、層状に重なった組織を目で示す。
「レイン。こちらに魔力が流れていたのですか?」
「はい。胸部から来た魔力は、まず風嚢の付け根に入りました」
戦場で見た光を思い出す。
胸部から左右へ分かれた魔力。
風嚢に流れ込み、白銀に変わっていく光。
「この辺りです」
俺は付け根を指さした。
「ここに入ったときは、まだ属性を持っていませんでした」
「では、変質が始まったのは?」
「もう少し奥です」
セレナが、指示した場所へ細い器具を差し込む。
内部には、色の異なる部分がいくつもの輪を作るように並んでいた。
「この辺りから、少しずつ白銀に変わっていきました」
「一度に風属性に変わったわけではない?」
「はい。ここを通る間に、段階的に変わっていたように見えました」
セレナが、傍らの紙に片手で素早く線を引く。
「それでは、この組織が段階的に変質を担っている可能性がありますね」
さらに奥を見る。
層と層の間隔が、少しずつ狭くなってきた。
「この先で、魔力の光が強くなりました」
「量が増えたのですか?」
「いえ、同じ量の魔力が、小さく集まっていました」
「圧縮ですね」
セレナのペンが動く。
風嚢の入口。
変質を行う層。
圧縮を行う層。
俺が見た魔力の動きと、実際の器官が、紙の上で一つにつながっていく。
「身体の中に、最初から魔法を使う仕組みがくみこまれている……」
「人間が術式を学ぶのとは、違いますね」
セレナが答える。
「風喰狼にとっては、心臓が血を送り出すことや、肺が空気を吸い込むことと同じなのでしょう」
生まれたときから、その動きを行うために身体が作られている。
人間が何年もかけて覚える魔力操作を、魔獣は本能だけで行っているのだ。
風嚢の奥に目を向ける。
仕組みの解明はまだ途中だった。
左右に分かれた魔力は、どこかで再び一つになる。
「反対側も、同じ構造ですか?」
「今確認します」
セレナが慣れた手つきでもう一方の風嚢を開いた。
左右で見比べる。
細かな形の違いはあるものの、内部の組織はほとんど同じように並んでいた。
その二つの風嚢からそれぞれ伸びた細い管は、喉の中央へ向かっていた。
「この管の先で、二つの魔力が一つになりました」
「その二つの魔力は、正面から衝突していましたか?」
記憶を辿る。
二つの白銀の光。
左右から近づき、口元に集まる。
「いえ……」
「合流する前に、どちらも前を向いていました」
「前を?」
「二本の川が正面からぶつかるのではなく、斜めから同じ方向に流れ込むような……」
セレナが、二本の管の交わる箇所を確かめる。
「確かに、こちらも正面から向き合ってはいませんね」
左右の管は、口元に近づくにつれて緩やかに曲がっていた。
最後には、二つとも同じ方向を向いている。
「流れの向きを揃えてから合流させる構造になっている」
セレナが紙に新たな線を書き加える。
風撃が生まれるまでの経路が、紙の上に再現された。
「あなたの観測と、実際の器官は一致しています」
セレナの声が、わずかに弾んでいた。
俺も完成した図と目の前の風嚢を見比べる。
一つの大きな器官で処理するのではない。
魔力を二つに分け、それぞれで変質と圧縮を行い、最後に一つに戻している。
ふと、昨日村で見た土木用魔道具が頭をよぎった。
内部の魔晶石から魔力を引き出し、組み込まれた術式に従って地面を動かしていた、あの魔道具。
「先生」
「何ですか?」
「これ、魔道具で真似できませんか?」
セレナの指が止まった。
紫の瞳が、手元の図に落ちる。
やがてセレナは、新しい紙を一枚引き寄せた。
「……詳しく聞かせてください」
その声には、かすかな高揚が混ざっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
感想や評価などをいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。
次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。




