第二十四話「差し伸べられた手」
魔獣災害から一週間が経った。
俺はレオン、オスカーとともに、被災した東部の村を訪れていた。
新しい木材で補修された防獣柵。
土魔法で均された街道。
屋根に板を打ち付ける職人たち。
仮設の治癒所には、支援物資の空箱が積み上げられている。
あの日、優先されたのは人命だった。避難を急いだ以上、森に近い村々への被害を完全に防ぐことはできなかった。
荒廃した村で、領民たちが黙々と片付けを続けている。
人の命が守れても、暮らしはもとに戻らない。
そんな事を考えていると、見覚えのある顔が目に入った。
「ニコ?」
外壁が崩れた家の前に、ニコたちがいた。
畑はところどころ抉られ、育っていた野菜が散乱している。
今日になって、ようやく避難先から戻ってきたらしい。
父ヨハンは壊れた家畜小屋の前に立ち、中を確認していた。
「……三頭足りない」
小さな呟き。
ヨハンがこちらに気づく。
「レオン様、レイン様、オスカー様」
ニコたちも振り返り、揃って頭を下げた。
「先日は、本当にありがとうございました。おかげで家族は全員無事でした」
「いや」
レオンは短く答えた。
「無事で何よりだ」
ヨハンは頷いた。
だが、その顔には深い疲れが残っている。
命は助かっても、失ったものは少なくない。
「ニコ……」
なんて声をかければいいか、分からなかった。
大丈夫、なわけがない。
ふと、崩れた壁に目が向いた。
俺の土魔法なら、少しくらい直せるかもしれない。
「オスカー。僕も何か手伝えませんか?」
オスカーは静かに首を横に振る。
「お気持ちは分かります。しかし、ニコ殿の家だけを先に直すわけには参りません」
「……知り合いだから、ですか?」
「はい。復旧の順番は、被害の程度や家族の状況を踏まえ、現場の責任者が決めております。私どもが個人的な判断で変えるべきではありません」
周囲には、同じように壁や屋根を壊された家が何軒も並んでいる。
「……では、僕も復旧作業に加わるのは?」
「現場から要請があれば構いません。ただし、レイン様が直したい場所ではなく、必要と判断された場所で、です」
「……分かりました」
オスカーの言っていることは正しい。
ニコの家だけを特別扱いしてはいけない。
それでも。
正しいと分かったからといって、目の前の友達を先に助けたい気持ちまで消えるわけではなかった。
そんな俺を見て、ニコが口を開いた。
「なんだよ、その顔」
「え?」
「家も畑も、また直せるだろ」
ニコは荒れた畑へ目を向ける。
「父ちゃんも言ってた。家族全員で、またやり直せるって」
「ニコ」
ヨハンが少し困ったように笑った。
「お前が言う台詞じゃないだろう」
「でも、言ってたじゃん」
「言ったがな」
二人のやり取りで、場が少し明るくなった。
「だからさ」
いつもの調子で歯を見せる。
「また遊ぼうぜ、レイン」
「……うん。ありがとう、ニコ」
俺も頷いた。
「また遊ぼう」
ニコたちと別れ、再び歩き出す。
隣のレオンが小さく呟いた。
「……強いな」
俺も、同じように思った。
***
その後、レオンとは途中で別れ、俺はオスカーと別の村へ向かった。
さっきの村よりも、被害が大きかった。
外壁に大穴が空いた家や、爪跡を残したままの扉。
領軍の工兵や村人、職人たちが、ひっきりなしに行き来していた。
それなのに、一週間が経ったにしては、復旧はあまり進んでいないように見えた。
「……まだこんなに」
思わず呟いた。
「レイン様。復旧に必要なのは、人手だけではありません」
オスカーは辺りを見渡しながら言った。
「木材、石材、治癒薬、食糧。そしてとりわけ、魔晶石。復旧のための材料が、どれも不足しているのです」
「魔晶石も?」
「はい。結界を張り直すにも、治癒所を動かすにも、土木用の魔道具を使うのにも、魔晶石が必要です」
辺境のアストリア領は、資源に乏しい。
目の前の村を見て、初めてその意味を実感した。
そのときだった。
「だから、こっちが先だと言ってるだろ!」
怒鳴り声。
振り返ると、二人の男が大きな金属製の魔道具を挟み、睨み合っていた。
一人は農家らしい、肌の焼けた男。
もう一人は、頭に布を巻いた職人だった。
傍らには、赤ん坊を抱いた女性が気まずそうに立っている。
「用水路が崩れたままなんだ! このままじゃ、残った畑まで駄目になる!」
「こっちは家が潰れてるんだぞ! 今夜も赤ん坊を外で寝かせろって言うのか!」
畑を直さなければ、野菜が駄目になる。
家を直さなければ、今夜を過ごす場所がない。
だが、魔道具は一台しかない。
一触即発の空気に、オスカーが止めに入ろうとした。
そのとき。
「荷馬車だ!」
村の入口から声が上がった。
「西の街道から、荷馬車がくるぞ!」
周囲の視線が一斉にそちらへ向く。
街道の先。
砂埃の向こうから、何台もの荷馬車が近づいてくる。
一台。
二台。
その後ろにも、長蛇の列をなして続いていた。
「あんなに……?」
村人たちがざわめく。
先頭の馬車には、旗が掲げられていた。
万年筆の筆先を思わせる、特徴的な紋章。
帝国三大公爵家の一つ――メルヴィン公爵家の紋章だ。
荷馬車の列が村へ続々と入ってくる。
先頭の一台が止まり、身なりの整った男が降り立った。
「メルヴィン公爵家より、魔獣災害の復旧支援物資をお届けに参りました!」
ざわめきが大きくなる。
「メルヴィン家から?」
「どうしてこんな辺境まで……」
荷台を覆っていた布が外された。
保存食。
治癒薬。
木材、石材と建築用の工具。
そして、魔晶石の詰まった木箱。
村長の老人が、おそるおそる男に近づいた。
「こ、これほどの物資を……?」
「この一隊分は、こちらの村へ」
男は穏やかに答えた。
「他の被災地へも、別便を向かわせておりますので、遠慮なくお使いください」
一瞬の静寂。
そして。
「助かった……!」
誰かが声を上げた。
「これで屋根を直せるぞ!」
「治癒薬もある!」
「魔晶石まで……!」
村中が一気に騒がしくなった。
ついさっき言い争いをしていた二人も、呆然と荷馬車を見つめている。
物資が職員によって仕分けられていく。
そのうち一人が、魔晶石がぎっしり詰まった木箱を覗き込んだ。
「しかし、これほど質の良い魔晶石を、よくこんなに揃えられたな」
「珍しいものなんですか?」
俺が尋ねると、オスカーの顔が僅かに曇った。
「ここ数年、高純度の魔晶石は値上がりが続いております」
「そうなんですか?」
「ええ。ですから、これだけの量をすぐに用意できる家は、帝国内でもそう多くはありません」
理由を聞こうとしたところで、先ほどの男がこちらへ歩いてきた。
「レイン様、オスカー殿」
近くで見ると、四十歳前後だろうか。
短く整えられた髪に、皺一つ無い上品な上着を着ている。
柔らかい物腰で、男は俺たちの前で一礼した。
「ご挨拶が遅れました。私、メルヴィン公爵家で政務官を務めております、アルベルト・ハインツと申します」
「レイン・アストリアです」
挨拶を返す。
「支援、本当にありがとうございます」
「お役に立てたのであれば何よりです」
アルベルトはもう一度、丁寧に頭を下げた。
「このたびの被害、心よりお見舞い申し上げます。必要と思われるものはこちらで選定いたしましたが、不足がございましたら追加分も手配いたします」
さらりとした口調だった。
これだけのものを持ってきたのに、恩を着せるような言葉は一つもない。
「レイン様も、先日は結界の防衛に加わられたそうですね」
「はい。でも、僕一人の力ではありません」
「もちろんです」
アルベルトは穏やかに微笑んだ。
「それでも、そのお年で自分にできる役割を果たされた。それは立派なことでしょう」
「……ありがとうございます」
褒められたのは、素直に嬉しかったが、同時に少し居心地の悪さを感じた。
だが、俺が守れたのは、結界を支えた魔術師や、魔獣を押し留めた兵士たちがいたからだ。
それに、今日この村を立て直し始めたのは、俺ではない。
今、目の前へ届いた物資だった。
「それと」
アルベルトが懐から封書を取り出す。
「当主セヴェリン様より、テレシア様へ書状をお預かりしております。屋敷へ戻られる際、ご一緒してもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
俺は頷いた。
***
屋敷へ戻った俺たちは、応接室でアルベルトを迎えていた。
俺と、レオン、テレシア、オスカーの四人。
そして、向かいにアルベルトが座っている。
「今回の支援、大変助かった」
レオンが言った。
「正式な礼状は改めて送るが、まずはセヴェリン公へ感謝を伝えてほしい」
「承知いたしました。必ず当主へお伝えいたします」
アルベルトはテレシアへ向き直る。
「テレシア様も、お久しぶりでございます」
「ええ。アルベルトもお元気そうで」
テレシアが微笑んだ。
「最後に会ったのは、私の結婚式でしたか?」
「左様でございます」
アルベルトは封書を差し出した。
「こちらを、セヴェリン様から」
「兄上から?」
テレシアが受け取る。
テレシアが「兄上」と呼んだことに、思わず顔を上げた。
「セヴェリン公って、母様の……?」
「あら」
テレシアが目を丸くする。
「そういえば、きちんと話したことはありませんでしたね」
封書を膝の上に置いた。
「セヴェリン兄上は、私の異母兄です」
「父親は同じですが、母親が違います。私より随分と年上なのですよ」
テレシアの母が、メルヴィン家前当主の側室だったことは聞いている。
なら、セヴェリンは正妻の子なのだろう。
「年も離れているので、兄弟として一緒に育った、という感じではありませんね」
「そうなんですか」
「ですが」
テレシアは封書に目を落とした。
「昔から、折りに触れて気にかけてくださいます」
封蝋を切り、中の紙を開く。
視線が数行を追っていった。
やがて、その表情が柔らかくなる。
「何が書いてあるんですか?」
「魔獣災害の報を聞いた、と」
テレシアは手紙を見ながら答える。
「必要なものがあれば、遠慮なく申し付けるように。私も身体を大切にするように、と」
少し間をおいて、くすりと笑った。
「レオンとレインにもよろしく、と書いてあります」
「僕にも?」
「ええ」
会ったこともない伯父。
それでも、こうして大量の物資を送ってくれた。
「もう一つございます」
アルベルトが細長い包みを取り出す。
「レイン様へ。セヴェリン様からの贈り物です」
「僕に?」
包みを受け取る。
「開けても?」
「もちろんです」
包みを開く。
現れたのは、一本の杖だった。
今の俺には、まだ少し長い。
深い黒褐色の木材で作られ、表面には木目に沿って銀の紋様が精緻に刻まれている。
先端には、親指ほどの青銀色の魔晶石が嵌め込まれ、光をうけるたびに、水面のような淡い輝きを揺らしていた。
華美ではない。
それでも、細部まで丁寧に仕上げられたその杖には、子供向けの玩具とは明らかに異なる風格があった。
そっと手に取ると、小さな手にはまだ少し重い。
杖をもらってはしゃぐような年齢ではない。
そう思いながら、気づけば何度も魔晶石を光へかざしていた。
「まあ」
テレシアが声を上げる。
レオンも杖を見る。
「……良い品だな」
オスカーも静かに頷いた。
杖には小さなカードが添えられている。
そこには、短く記されていた。
『先日の災害で、領民を守るため魔法で力を尽くしたと聞いた。これからも学びを怠らぬように。いずれ顔を合わせる日を楽しみにしている』
しばらく、その文字を見つめる。
「アルベルトさん」
「はい」
「僕からも、セヴェリン伯父上にありがとうございますと伝えてください」
両手で杖を抱え直す。
「いつかお会いできたら、直接お礼を言いたいです」
「ええ、きっとお喜びになります」
アルベルトが微笑んだ。
***
アルベルトを見送った後。
俺たちはもう一度、応接室へ戻った。
オスカーの手には、支援物資の一覧がある。
「治癒薬は、当面問題ございません。魔晶石も、被害を受けた結界の更新分まで賄えるでしょう」
「そうか」
レオンが小さく息を吐いた。
張り詰めていた表情が、ほんの少しだけ緩む。
これで、復旧は進む。
今夜、屋根の下で眠れる人が増える。
明日から、畑へ水を流せるかもしれない。
「これだけの支援だ」
レオンが、閉じた扉へ目を向ける。
「いずれ、きちんと礼を返さねばならんな」
「はい」
俺は素直に頷いた。
助けてもらったのなら、いつか返す。
それで十分な話に思えた。
手元の杖へ視線を落とす。
セヴェリン・メルヴィン。
まだ顔も知らない伯父。
だが俺の中で、その名前はもう――。
困ったときに、手を差し伸べてくれた恩人の名前になっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、魔獣災害後の復旧を中心とした回でした。
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次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。




