仮面夫婦の話し合い
1.アンネリーゼ視点
無事に聖堂での結婚式を終えた。豪華な衣装を脱いで、湯浴みと支度を済ませたら、いよいよ床入りである。
アンネリーゼは寝台に腰掛け、深々と息を吐いた。
結婚式を見届けて、侍女や護衛は祖国に帰った。元敵国であるこの土地に、アンネリーゼはただひとりだ。
淋しい、と思った自分に気づいて、アンネリーゼは己を叱咤する。王妃としてこの国の為尽くす。それがアンネリーゼの使命だ。
ー陛下と仲良くできれば、言うことはないのだけれど……
王妃としての至上命題は世継ぎを産むこと。勿論、冷え切った夫婦でも子は成せるが、出来ることならばある程度打ち解けたい。
ー陛下は、わたくしのことをどう思っていらっしゃるのかしら。
「……王女?」
「ひゃあっ!?」
考え込んでいたアンネリーゼは、背後からの声に文字通り飛び上がった。ぎこちなく振り向くと、先程夫になったばかりのユティラ国王が立っている。
「へ、陛下! 申し訳ありません、お出迎えもせず」
「いや、構わない。……考え事を?」
ソファを示され、アンネリーゼは国王の向かいの席に腰を下ろす。冷えるだろうからと侍従が置いていったお茶は、とっくにぬるくなっている。
「は、はい。陛下はわたくしをどう思っていらっしゃるのかと」
「ぶっ」
国王は口に含んでいたお茶を吹き出した。アンネリーゼは血相を変え、ゲホゲホと咳き込む国王の側に駆け寄る。
「陛下!? 大丈夫ですか!? まさか毒」
「いや、驚いてしまっただけだ。毒ではない」
「左様でございますか」
目が合うと、国王は分かりやすく目を逸らした。その耳は、微かに赤く染まっている。熱でもあるのだろうか。
「…………とても、可愛らしい方だと思う」
「あら、嬉しいですわ。わたくしも、陛下が格好良いお方でときめいておりました」
「んぐ」
国王の喉からすごい音が漏れた。大丈夫だろうか。
「……私は、銀の死神とあだ名されていた。グレーデンが圧倒的優位であった戦況をひっくり返し、講和にまで持ち込んだ」
国王は深く息を吸い込む。数拍の沈黙の後、絞り出すような声が漏れた。
「……あなたはそれを知っていて、そう仰っているのか」
「ええ、勿論存じております」
アンネリーゼは国王の瞳をしっかり見つめて頷いた。
「グレーデンの王女としては、恨み言のひとつでも申し上げたいところですが……アンネリーゼとしては、陛下を勇敢な方であると思います」
「…………は?」
国王は驚いたように目を瞠る。アンネリーゼは言葉を探して口を噤んだ。
「だって、初陣の時、陛下はまだ17歳。しかもグレーデンが優位な状況でした。どれほど恐ろしく、責任が伴うことであったか、わたくしの想像ではきっと足りないでしょう」
グレーデンの兵士は、死神と言った。先頭に立ち、目につく敵を片っ端から斬り殺す悪魔と罵った。
ユティラの傷病兵は、恩人と呼んだ。あの方のおかげで命を救われたことがあると語った。
どちらも事実であろう。彼は国を守る為、グレーデンの兵を殺し続けた。そして劣勢をひっくり返すまでに至ったのだ。
勿論、それは彼ひとりの手柄ではあるまい。けれど道中で知った民からの支持の高さと、愚直にアンネリーゼに問いかける素直さからは、悪魔とも恩人とも言われた彼の姿が垣間見える。
――彼は少なくとも、死を司る神ではない。
「人殺しを正義とは思いません。されど戦において、敵を殺すことは、即ち民を守ること。ゆえにわたくしが陛下を恐れることはございません――わたくしはあなたの妻、ユティラ王国ヴィクトル三世の王妃。ユティラの民のひとりでございます」
言い切ると、国王は口を半開きにしてアンネリーゼを凝視していた。やがて静かに頷く。
「王女の……いや、王妃の覚悟を甘く見ていたこと、謝罪する。ユティラを共に統べる者として、あなたを遇すると誓う」
「ありがとうございます」
その言葉だけで、十分すぎるほどだ。
――ああ、でも。
アンネリーゼはふと、心に秘めていた不安を零した。
「ただ、お会いしてみて、少しだけ不安を抱きました」
「……っ、」
「わたくしの可愛さだけで、陛下を射抜くことができるかどうか」
「……は?」
「ほら、わたくしって可愛いでしょう? けれど、陛下の周りには経験豊富な未亡人も、妖艶な令嬢もいらっしゃる。陛下自身、お美しい方ですから、そういったお誘いも多いでしょうし」
「そういった誘いには乗ったことがない!」
「あら、そうでしたの。失礼いたしました」
あまり性的関心がない方だろうか。どうしよう。
アンネリーゼが考え込む横で、国王は再び茶器に口をつけていた。その手は、ぶるぶると震えている。
「それならわたくし、陛下と相思相愛になって、陛下の御子を沢山埋めるように頑張りますわね!」
「ぶーっ!」
吹き出したお茶が再び机に撒き散らされる。陛下はお茶を吹くのがお得意なのかしら、とアンネリーゼは首を傾げた。
「さ、陛下! 寝台に参りましょう!」
気を取り直してアンネリーゼが国王の手を握ると、国王の顔は分かりやすく真っ赤に染まる。
「お、おおお王妃」
「あっ。初めては痛くて大変とよく聞きますので、優しくしてくださいませ!」
2.ヴィクトル視点
ヴィクトルが寝室に入ると、王女はこちらに背を向けて寝台に腰掛けていた。入室に気づいたそぶりがないから、何か考え事をしているのかもしれない。
ー当然か。
結婚式を最後に、彼女の侍女と護衛はグレーデンに帰国した。もはや見知った者はいない。心細く、不安だろう。
「……王女」
「ひゃあっ!?」
できる限り驚かせないように声をかけたつもりだったが、王女はその場で飛び上がった。振り向いてすぐに血相を変える。驚かせてしまった申し訳なさと、可愛いという気持ちが交互にせめぎ合う。
「へ、陛下! 申し訳ありません、お出迎えもせず」
「いや、構わない。……考え事を?」
話しやすいようにとソファを勧める。向かい合った椅子の中央に置かれた茶器を取り、お茶を口に含む。王女が可愛すぎて、落ち着かない。
ソファに座った王女は、生真面目な顔で言う。
「は、はい。陛下はわたくしをどう思っていらっしゃるのかと」
「ぶっ」
ヴィクトルは思わずお茶を吹き出した。王女が血相を変えて駆け寄ってくる。
「陛下!? 大丈夫ですか!? まさか毒」
「いや、驚いてしまっただけだ。毒ではない」
「左様でございますか」
目が合った。吸い込まれそうな新緑の瞳が美しい。
とてつもなく可愛いどうしよう本当に可愛い食べたい今すぐにいや落ち着け落ち着け。
「…………とても、可愛らしい方だと思う」
「あら、嬉しいですわ。わたくしも、陛下が格好良いお方でときめいておりました」
「んぐ」
どうしよう天使に格好良いって言われた超嬉しい。
ヴィクトルの歓喜はしかし、すぐに萎む。王女が言及したのは外見のこと、内面は互いに知らない。
――そう、己は彼女の祖国に夥しい被害を齎した敵国の王だ。
「……私は、銀の死神とあだ名されていた。グレーデンが圧倒的優位であった戦況をひっくり返し、講和にまで持ち込んだ」
死神。やめて。助けて、殺さないでーー
この髪を、顔を見た瞬間、恐怖に引き攣った顔を思う。血に塗れた己は、彼らの恐怖の具現であっただろう。
発声に失敗して、ヴィクトルは沈黙した。
「……それを知っていて、そう仰っているのか」
「ええ、勿論存じております」
王女はヴィクトルの瞳を見据えた。そこに、恨みや憎しみは見られない。
「グレーデンの王女としては、恨み言のひとつでも申し上げたいところですが……アンネリーゼとしては、陛下を勇敢な方であると思います」
「…………は?」
唖然とした。だって、と王女は続ける。
「初陣の時、陛下はまだ17歳。しかもグレーデンが優位な状況でした。どれほど恐ろしく、責任が伴うことであったか、わたくしの想像ではきっと足りないでしょう」
声が、出なかった。魅入られたように、王女の瞳を見つめる。
「人殺しを正義とは思いません。されど戦において、敵を殺すことは、即ち民を守ること。ゆえにわたくしが陛下を恐れることはございません」
嘘だろう、とヴィクトルは機能低下した頭で思った。
そんな都合のいいことがあるだろうか。どれほど恐れられ、忌避されているのかと思っていたのに。
「わたくしはあなたの妻、ユティラ王国ヴィクトル三世の王妃。ユティラの民のひとりでございます」
凛とした声で、毅然とした眼差しで王女は告げる。
「王女の……いや、王妃の覚悟を甘く見ていたこと、謝罪する。ユティラを共に統べる者として、あなたを遇すると誓う」
「ありがとうございます」
ふうわりと、王女はー否、アンネリーゼは微笑む。
「ですが、本音を申し上げると、お会いした時には少しだけ不安を抱きました」
ヴィクトルは目を見開き、次いで俯いた。
当然だ。死神相手に不安がないわけは――
「わたくしの可愛さだけで、陛下を射抜くことができるかどうか」
「……は?」
ほら、わたくしって可愛いでしょう?とアンネリーゼは笑う。うん可愛い、とっても可愛い世界でいちばん可愛い、とヴィクトルは心の中で百回くらい頷いた。
「けれど、陛下の周りには経験豊富な未亡人も、妖艶な令嬢もいらっしゃる。陛下自身、お美しい方ですから、そういったお誘いも多いでしょうし」
つい、アンネリーゼの言葉を遮るように声を発していた。
「そういった誘いには乗ったことがない!」
「あら、そうでしたの。失礼いたしました」
ダメだ落ち着こう。一旦お茶でも飲もう。自惚れるな自分、彼女はヴィクトルのことを好きなのではなく、単に妻として夫の浮気の心配を、
「それならわたくし、陛下と相思相愛になって、陛下の御子を沢山産めるように頑張りますわね!」
「ぶーっ!」
吹き出したお茶が再び机に撒き散らされる。先程から、醜態を晒してばかりだ。
「さ、陛下! 寝台に参りましょう!」
「おっ、おおお王妃」
アンネリーゼに手を取られ、思わず声が裏返った。
「あっ。初めては痛くて大変とよく聞きますので、優しくしてくださいませ!」
ヴィクトルは何も言えず、真っ赤になるばかりだった。
ただ、握られた手を離しがたくて、強くその手を握り返した。




