国王夫妻は仮面を被る
雪が深く降り積もる冬の最中。
ニコ・パルヴァは緊張した面持ちで先輩となる侍従の後を歩いていた。冷静に、冷静に、と一歩一歩心の中で数えながら歩いていたけれど、何もないところで転んだ。大丈夫ですか、と先輩が膝をついて心配そうにこちらを見遣る。
「し、失礼しました……! だっだい大丈夫です!」
「緊張しなくても大丈夫ですよ……といっても、初めてでは緊張してしまいますよね」
先輩は困った、と言わんばかりに微笑む。
ここはユティラ王国王宮。
ニコは今日から、国王陛下つきの侍従見習いとなるのであった。
「陛下の前では決して失態は犯しませんので……!」
「そんなに青褪めなくても平気ですよ。陛下はさほど厳しいお方ではありませんから」
「そ、そうなのですか?」
思わず声が上擦った。おや、と先輩は眉根を寄せた。
「陛下について、何か噂を?」
「いえ、その、えっと……」
タジタジになるニコに対して、先輩は話して下さい、と笑顔で言う。笑顔なのに怖い。どうしてだ。
「あ、あの、三年前の事件で、下手人たちに恐ろしい罰を下したと……」
三年前、毒殺未遂にあった国王は、関与した者たちを厳罰に処した。
下手人である料理人イスモは既に亡くなっていたが、その死体は葬られることなく、市街にて晒された。
監督不届きとして、女料理人ソニヤと厨房長は王宮から追放された。厨房長は名誉爵位を賜っていたが、これを自ら返上した。
指示役であるキヴィランタ伯爵家三男・マルコは斬首に処され、マルコの兄であり、当主であるキヴィランタ伯爵は枢密院顧問の職を辞し、数年にわたる宮廷への出仕停止が命じられた。
ーーそして黒幕と見られる王太后は、最北の地・エテラヴオリ離宮に幽閉された。
のみならず、反同盟派の貴族たちの不正や汚職を一気に検挙し、粛清の嵐が吹き荒れたのだ。
毒の後遺症で醜く爛れた顔を隠す為に仮面を纏う国王は、銀の戦神いう噂と相まって、ひどく恐れられている。
「それは確かですが、法に則った正当な処分ですよ。悪事を犯さなければ、何も恐れることはありません」
「そうなのでしょうか……」
「勿論です」
「で、では、仮面が気に入らず、作った職人を切り捨てたというのは」
「根も葉もない噂です」
「そ、そうなんですね……じゃ、じゃあ、仮面をつけているときは常にお怒りだというのは……」
「全くのデタラメです」
笑顔で言い切った先輩は、続く言葉で硬直した。
「で、では、寝室から毎夜遅くまで悲鳴が聞こえるという噂は……」
「……ふむ」
ふむって何!? どういうこと!? とニコは心の中で盛大に悲鳴をあげる。
「お、王子殿下を睨みつけているという噂も……」
「……うぅん」
「現在第二子を懐妊中の王妃殿下を監禁しているという噂は……!?」
あはは、と先輩は空笑いする。ニコの背筋に冷や汗が流れた。
「ほ、本当なんですか!?」
「どうでしょうねー」
棒読みやめてくれないかな超怖い!
「お、ヨナス」
と、いくつか年上と思しき別の侍従が、書類を片手に声をかけてきた。カイ先輩、と先輩はパッと笑みを浮かべる。
「新人指導か。はー、お前も年をとったな」
「やめてくださいよ、独り身に染みますから」
「ははっ、悪いな。俺は一足先に、嫁さんもらっちゃったからな」
「ううー、ずるいですよ先輩」
「なはは、悔しければお前も可愛い嫁さんを捕まえるんだな!」
じゃーな、と手を振った侍従が遠ざかっていく。全く、と溜息を吐きながらも、先輩は笑みを浮かべていた。
「ーーこほん。話を戻しますと。常に仮面をつけていらっしゃるのは事実ですから、お考えを読み取るのは難しいですが……すぐに慣れますよ」
「はあ......」
本当に本当だろうか、とニコは先輩を見上げるが、先輩は微笑むばかりで何の答えも返してはくれないのだった。
「さて、今日はやることがいっぱいありますからね。頑張ってついてきてください」
「は、はいっ!」
***
カチャカチャと、カトラリーを動かす音だけが響いている。
――いや噂ってどこまでほんとなの!? ねぇ誰か教えて!?
夕食の時間である。延臣たちが見守る公開食事、部屋の隅に控えたニコは心の中で悲鳴を上げていた。
顔の上半分に仮面をつけた国王は、火傷のような痕が覗く口元に、黙々と料理を運んでいる。同じように仮面をつけた王妃はーー彼女は毒を盛られたわけではないが、常に国王と揃いの仮面をつけているーー夫の方を一度も見ず、時折息子の面倒を見て笑みを溢した。そういうとき、国王がじいっと王妃と王子の方を見ているのが、ニコには恐ろしくて堪らない。
「陛下は相変わらずか」「王子殿下も災難だな……」「ここまでとなると、ねぇ?」
密やかに落ちた声に、ニコはぴくりと体を強張らせた。貴族たちは、何やら同情たっぷりの眼差しで王子と王妃を見ている。
「王妃」
「はい、陛下」
と、国王が口を開いた。ニコは知らず、重ねた手に力を込めた。
一体、どんなことを仰るのかと注視するが、国王は変わらず手元の料理を見ている。王妃は一瞬顔を上げたが、すぐに視線を落とした。
「……王子をそう甘やかすな。次代を担う王太子として、自立心を身につけさせねば」
「はい、陛下」
温度のない冷ややかな国王の発言に対しても、王妃の声は微塵も揺らがない。寧ろ、どこか面白がっている雰囲気すらあった。王子は王子で、父王にしらーっとした視線を向けている。
「王妃として、また王子として、威儀ある振る舞いを」
「……はい、陛下」
王妃は俯いた。国王は王妃を一瞥もせず、黙々と食事を続けている。
噂の真偽を早くも確信して、ニコの背につーっと冷や汗が流れた。
***
「噂って本当なんですね」
「ええ? どの噂ですか?」
「妃殿下を監禁してるとか、王子殿下を睨むとか……俺、晩餐会の間ですら、ピリピリした空気に耐えられないと思いましたもん」
「うーん」
先輩はニコの発言を聞くと、困ったように眉根を寄せた。
「すべてを見てから物を言ったほうがいいと思いますよ」
「え、でも」
「さぁ、早く陛下のお部屋に行きましょう。今日はこの後、妃殿下と王子殿下との団欒のお時間ですよ」
「ええっ、団欒!?」
団欒なんて出来るのか、とニコは本気で心配した。まぁまぁ、と先輩に宥められ、恐々と部屋に向かう。
「パルヴァ侍従」
「は、はい」
部屋に入る直前、改めて名を呼ばれて、ニコは背筋を正した。先輩は口角を釣り上げる。
「――驚かないでくださいね」
「はい?」
困惑するニコに構わず、先輩は扉を開けた。
途端、目を見開いた。
「ねえヴィク、次のお休みはアレクも連れて遊びに行きましょうよ」
「いい考えだな」
――国王ヴィクトルは、王妃アンネリーゼと寄り添い座っていた。仮面を外した王妃の膝の上では、第一王子アレクシスが安らかに寝息を立てている。
「どこがいいかしら。城下だと大袈裟になってしまう気もするけれど……王宮内だけだと退屈よね」
「少し離れたところなら、アレクも退屈しないのではないか」
「うーん、ヴィクはどっちがいいと思う?」
「安全面から考えると、王宮内の方が望ましいな」
「そうよね。この子もいるし……あぁ、そういえば、エテラヴオリからアレクとあなた宛に贈り物が届いたんですって?」
「……あぁ。長い手紙付きでな」
「読んで差し上げたら?」
「……考えておく」
王妃は国王の顔に手を添わせた。そして何の躊躇いもなく、仮面に手をかける。
思わずひ、と声が漏れそうになった。国王の顔には、火傷のような醜い痕が残っている。けれど王妃は顔色ひとつ変えず、国王の頬を指でなぞった。国王は目を細めた。
「どうした」
「大好きだなって思っているだけよ」
「俺の方が君を愛している」
「あら、わたくしだってあなたのことが世界で一番大好きよ」
「いや、俺の方が」
漫才のようなやりとりを打ち切ったのは、王子の泣き声だった。王妃はあらあら、と言いながら、膝の上の王子を抱きかかえる。
「嫌な夢でも見たの? 大丈夫よ、アレク。お父様とお母様はここにいるわ」
「アレク、どうした。大丈夫か」
「ふえええん」
夫婦はなんとか息子を泣き止ませようと奮闘している。その姿からは、家庭崩壊状態という噂の欠片も見当たらない。
「え、な、え......!?」
「ね、言ったでしょう?」
混乱するニコに向かって、先輩はにこりと笑った。
「驚かないでくださいって」
「........無理がありませんか!?」
慌てるニコの眼前で、国王夫妻は泣き止んだ王子を抱きしめている。
「ねえヴィク、次の子はあなたに似るかしら、それともアレクと同じでわたくしに似るかしら」
「どちらにしても絶対に可愛いことは間違いない」
「ふふ、それもそうね」
国王夫妻は唇を重ねた。暗く寒い冬なのに、なぜかこの部屋だけ温度が高いような気がするのは――気のせいだろうか。
ぽん、と先輩がニコの肩を叩く。
「いいことを教えてあげましょう」
「な、なんでしょうか、ランデル侍従」
「我々侍従に大切なことは――慣れと、甘い空間への忍耐です」
悟りきった様子に、ニコは先輩のこれまでと自分のこれからを思い、涙を禁じえなかった。
これにて完結となります。ここまでお読みくださりありがとうございました。悲劇続きだった私の作品で、こんなにも愛が重いバカップルを書けて嬉しかったです。
それでは、またいつか別の作品でお会いできましたら幸いです。




