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愛しの仮面夫婦  作者: 結塚 まつり


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交わらなかった母子

穏やかな日差しに目を覚ます。


「――おはよう、ヴィクトル。気分はどう?」


柔らかな声に、ヴィクトルは視線を向けた。誰よりも愛しい妻は、今にも泣きそうな顔をして、ヴィクトルの手を握っていた。

毒を盛られてから十日。

一時は命が危ぶまれていたヴィクトルは、緩やかに回復していた。


「リゼ、は」


口を動かすだけで、顔の皮膚が引き攣るような感覚があった。毒で喉が灼けたせいで、声はしゃがれていた。

アンネリーゼはくしゃりと顔を歪める。


「わたくしは大丈夫.......なんともないわ」


初めてヴィクトルが目を覚ました時、アンネリーゼは何度もごめんなさい、と謝った。真っ赤に泣き腫らした瞳で、それでもヴィクトルの前では泣くまいと、懸命に涙を堪えていた。リゼのせいではない、と事実を何度も伝えてようやく落ち着いたのは記憶に新しい。

本心として、アンネリーゼではなく自分が食べてよかったと思っている。子を身ごもっているアンネリーゼがこの毒を口にしていれば、早産も相まって命はなかっただろう。

ヴィクトルは鉛が付けられたかのように重い体をなんとか起こした。アンネリーゼが慌てて支えてくれる。


「……リゼ」

「なぁに、ヴィク。何か食べたいものでもある? 楽隊を呼びましょうか。あっ、本を読むのも……」

「王太后を、呼んでくれるか」


穏やかな声に、アンネリーゼはすっと表情を消した。

この十日間、起きた時には必ず侍従から報告を聞いていた。初めは僅かばかり躊躇う様子を見せていた侍従も、想定済みだと伝えれば、以前よりも効率よく情報を伝えてくれるようになった。

ーーだから分かっている。

王太后が毒を盛ったことも。

アンネリーゼが何かしらの報復をしたことも。

そうでもなければ、今頃もっと貴族たちは騒がしくしているだろうから。


「……わたくしは、この件に関して、あの方に謝るつもりはないの。ただーーあなたの気持ちを無視したことは、謝罪するわ」


構わない、と笑おうとしたが、頬が引き攣ってうまく行かなかった。


「いいんだーーもう、いい」


あの方に、もう、何も期待しないから。


ヴィクトルの顔をジッと見つめたアンネリーゼは、ややあってヴィクトルをぎゅうと抱き締める。ヴィクトルはそっと、その柔い体を抱き締め返した。



***



久しぶりに対面した王太后は、憔悴しきっていた。一気に十年以上も年をとったかのようにさえ、見えた。王太后はヴィクトルの顔を見て、一瞬ギョッとした様子で目を見開く。毒で火傷のような痕を負った顔を見て、侍従たちも痛ましそうな表情を見せた。アンネリーゼだけは、相変わらず男前ねと笑ったけれど。


「陛下……御顔にこのような痕が」

「致し方あるまい」


しゃがれた声に、更に驚いた様子で王太后は口を開く。されど何の言葉も発されなかった。


「……王太后。それほどに、リゼが恨めしかったか」

「は」

「私の妃をーーユティラの王妃を害そうと思うほどに、あなたはグレーデンを許せなかったのか」


しゃがれた声は細く、途切れ途切れだった。王太后はいつもより皺が目立つ顔に引き攣った笑みを浮かべる。


「何を仰っているのか、わかりかねますわ。あたくしとて、侍従が突然捕えられて驚いたのですよ」

「左様か。それで、質問にお答えいただけるか」

「……王妃を害すだなんて、あたくしがそんなことをすると? あたくしは陛下の母、ユティラの王太后なのですよ」


いいえ、と答える声はどこまでも凪いでいた。


「あなたは、これまでもこれからも、ノルドヴァル王女としてしか生きられないのだろう」

「ーーは、」

「……王太后。あなたには、エテラヴオリ(最北の王家直轄地)に行っていただく。長きに渡り国政を支えてきた疲れを癒すがよろしかろう」

「なーー何を仰るのです、エテラヴオリですって!? あたくしに王宮から去れというのですか!?」

「その理解で相違ない」


火傷痕が残る顔で微笑まれて、王太后は怯んだ。


「何故……何故、母であるあたくしにそのように非情なことを、」

「母?」


ヴィクトルは目を瞬いた。演技ではなく、純粋な驚きが含んだ声だった。


「ーーあなたは私を、息子と思っていたのか」


何を言われたか分からない、と言わんばかりに忙しなく王太后は忙しなく瞬きを繰り返した。


「私はてっきり、あなたは私を王位を継ぐ器としてしか見ていないものだと思っていた」

「どういう意味です。確かに、カール先王存命中はあなたが次期王ですが、今は……」


そうではない、とヴィクトルは言って、吐息だけで笑った。愚かなことを問うた、己に対する呆れゆえだった。


「あなたは、これまでに何度、俺の名前を呼んでくださった?」

「それは……母子といえど、礼節は必要で、」

「覚えている限り、あなたは俺の名を呼んだことがない」


王太后は絶句し、目を泳がせた。必死に過去の記憶を探っているのかもしれないが、それすらもヴィクトルにはもうどうでもよかった。


「……あなたが愛してくださったか、そうでないのか、もう、俺にはどうでもいい。俺には、リゼがいるから」


だから、とヴィクトルは慈悲深ささえ感じる笑みを浮かべた。


「もう、これ以上、俺の人生に関わらないでください」



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