始まりの、言葉
――二十一年前、ノルヴドヴァル王国王宮。
春の麗らかな日差しの中、第一王女ヘレナがユティラ王太子に嫁ぐことを祝う宴席が催されていた。
ノルドヴァル王国の重臣は勿論のこと、ユティラ王国の貴族や海向こうの他国の貴族も参加する、大きな宴だった。人々は両国の明るい未来について盛んに口にし、顔には笑みが浮かんでいた。主役のヘレナの周りには人が絶えず、楽隊の愉快な演奏が、人々の心を更に弾ませているかのようだった。
そんな宴の中で、唯一、人だかりがない場所があった。
「あら.......ご覧になって、グレーデンの王弟殿下よ」
「どなたかしら、お見かけしたことのない方だけれど」
「確か、末のアーノルド様といったように思うわ」
「病弱と噂の?......グレーデンはこの婚約を快く思っていないのかしら」
「さあ........」
――いやぁ、なかなか率直に言うなぁ。
グレーデン王の末弟・アーノルドは心の中でそう思いながら、宴席の料理を摘まんだ。
グレーデン側がこの婚約を快く思っていないのは事実ではある。ユティラとグレーデン、両国の間を綱渡りしていたノルドヴァルが、少なくとも今代に限っては、ユティラの庇護を受けることが確定したからだ。
――僕が来た理由はただの消去法なんだけどなあ。
国王である長兄は論外。次兄は産褥で三番目の妻を亡くしたばかりで、三兄は領地での水害対策に追われていた。よって未だ成人しておらず、公務の少ないアーノルドに御鉢が回ってきたのである。四兄弟の中で最も力がないことは事実だが、それでも王弟を遣わしただけ、グレーデンとしてはかなりの誠意を見せているつもりだ。
ユティラと手を結んだノルドヴァルに攻め入るか、という案まで出ていたのだから。
――流石にユティラを刺激するのは面倒だからと流れたけれど。
肥沃で温暖なノルドヴァルが、今後ユティラの支配下に入ってしまうのであれば、頭の痛い隣国に様変わりする。そうならぬようにと、アーノルドと同い年のノルドヴァル第二王女・カトリーヌとの縁談も密かに進められてはいるが、ノルドヴァル側が消極的なので、実現するかは怪しいところだ。
ノルドヴァル王国内のグレーデン派の貴族とは話も終わったし、そろそろ退散しようか。
そう考えてアーノルドが踵を返そうとした時、前方に賑やかな一団が通りかかった。その輪の中心にいる人物と、目が合った。うげ、と思った時にはもう遅く、輪を抜けて躍り出てくる。
「アーノルド王弟殿下、もうお帰りですか?」
会場全体に響きそうなほど大きな声で言うのは、ヘレナの兄にして、ノルドヴァル王国王太子、グスタフである。陽気で大雑把な彼とは初対面だったが、初めての挨拶とその後の振る舞いだけでも、お近づきになりたくないなぁと思っていた人である。既に酔っているのか、頬は僅かに赤らんでいた。
「ええ。久しぶりの宴で気後れしてしまったようです」
「それはもったいないことです。まだまだ宴は続くというのに」
「また明日も宴が催されると聞き及びました。今日だけで疲れてしまってはいけませんから」
「一理ありますな――しかし、お噂の通り、体がお強くはないのですな」
直接的な物言いとこちらを探るような眼差し。アーノルドは些かうんざりしながらも笑みを浮かべた。
「そうですね、確かに人よりは虚弱かもしれません」
「もしや殿下は外に出る機会が少ないのではありませんか? 先程お会いした時も、肌の白さに驚かされましたぞ」
「寝込んでいることが多かったものですから」
「それはいけません! 光を浴びねば人は健康になれないのですぞ。ノルドヴァルはグレーデンよりも温暖な気候、明日にでも散策なされると宜しいでしょう」
「お心遣い感謝いたします。それではお言葉に甘えさせていただきます」
今度こそ会場を出ようとしたが、王太子の前を辞する前に、本日の主役がやってきた。
「お兄様、アーノルド王弟殿下」
「おお、ヘレナにカトリーヌ。どうした」
「お兄様が殿下がお帰りのようだと声高に言っておられたから、御挨拶に........アーノルド王弟殿下、本日はお越しいただき誠にありがとうございました」
第一王女ヘレナは、小国の王女とは思えない、完璧な礼を見せる。第二王女のカトリーヌは、気が散っているのか、気に入らないことでもあったのか、愛想笑いが家出をしているらしかった。アーノルドはにこやかな笑みを浮かべる。
「いえ、こちらこそ、素晴らしい宴にお招きいただいたこと、感謝申し上げます。ノルドヴァル王国の更なる発展を、心よりお祈り申し上げます」
「ありがたいお言葉、光栄に思います――それでは、御前失礼いたします」
ヘレナは恭しくアーノルドに一礼した後、兄に冷ややかな視線を向けた。
「お兄様」
「あ、あぁ」
「先程から、随分と酔っていらっしゃるご様子……ご自分の声の大きさも判断できないのであれば、部屋にお戻りになっては如何?」
「す、済まない……」
「祝福を受けるべき立場で、兄を咎めなければならないあたくしの気持ちをお考えになってくださる?」
本当ですわ、とカトリーヌが甲高い声で姉に同調した。
「お兄様はいつもそう。ヘレナお姉様が可哀想だわ。いつだって周囲のことをご覧にならないんだから」
それは君たちの方じゃないかな、とアーノルドは思ったが、賢明にも沈黙を貫いた。
「済まない、ヘレナ……」
ヘレナは深々と溜息を吐いた後、他の貴族令嬢たちを従えて、宴の中央へと戻っていく。求心力といい、礼儀作法といい、ともすればグスタフ王太子よりも優れているように見えるが、随分攻撃的だ。
はは、とグスタフ王太子は歪な笑みを浮かべた。
「情けないところをお見せしましたな。ヘレナは自分の祝いの席だというのに、全く浮かれた様子がない。我が妹ながら、その冷静さには驚かされますよ」
「.......ええ、その通りですね」
「ヘレナの言う通り、私自身は大した才覚はないのでね。代わりに家族には恵まれはしましたが」
「そのようなことは」
いきなりそんなことを言うので、アーノルドはぎょっとした。どうやらかなり酔っているらしい。
「いやいや、ユティラ王太子殿下との婚約だなんて、私ひとりでは絶対に成し遂げられなかった。ヘレナ本人が優秀だからこそ選ばれたのですよ」
「王太子殿下の尽力もあってのことでしょう」
「どうでしょうなあ」
どこか寂し気に、王太子は笑う。もしかしたら、彼自身も、妹であるヘレナへの劣等感に悩んでいるのかもしれない、と頭の隅に余計なお節介の言葉が浮かんだ。
「まあでも、家族が優秀というのはありがたいものですよ。貴国の国王陛下を見ていると、切にそう思います」
「........はい?」
突然グレーデンのことに話が飛んだので、訳も分からずアーノルドは目を瞬かせた。
「お若いながらも、国政をひとりで担っていて大変な苦労をされていると聞き及びます。きっと、小国では計り知れない苦労があるのでしょう」
「あぁ.......」
若くして父母が亡くなってから、長兄は懸命に国を守ってきた。だが、決してひとりではなかったはずだ。年少のアーノルドは兎も角も、次兄と三兄は、いつも長兄を支えていた。
「確かに並大抵の苦労ではなかったでしょうが、おひとりではなかったはずですよ。ニコラス兄上とエドヴァルド兄上がいらっしゃいましたから」
「おや、そうなのですか?」
怪訝そうな表情と声音に、アーノルドは益々戸惑った。
「ニコラス王弟殿下は三人も妻に死なれて余裕がなく、エドヴァルド王弟殿下は、若き日の盗賊退治で右腕を失ったとお聞きしましたが........」
「........確かにそれは事実ですが、決して兄上方が陛下を支えていなかったということにはなり得ません」
そうでしょうか、と王太子は首を捻る。
「グレーデンは才を重んじるわけではないのですねぇ」
――その瞬間、アーノルドはノルドヴァルを攻め滅ぼそうと決めたのだ。




