もう、共にはいられない
「このまま熱が引かねば万一のことも……」「だが生き永らえたとて、この痕は……」「しかし未だお世継ぎが……」
***
ヨナスは王宮を走り回っていた。
事件から三日ーー国王の暗殺未遂という一大事件を受けて、王宮は現在門が閉ざされ、身分を問わず出入り禁止となっている。貴族の中にはこれを不服とする者もいたが、調査の為となんとか押し切った。
ーどうしてこんなことに……
ヨナスは書類を持つ手に力を込めた。
毒のみならず、暗殺の類は全て警戒していた。だというのに、王は倒れた。下手人は判明しているが、平民の若い料理人が国王を恨む道理があろうはずもない。よって黒幕がいると考えられたが、料理人と接触したと思しき謎の人物の足取りを追うことが出来ず、調査は難航していた。
ーあぁクソッ、僕ら侍従がもっとちゃんとしていれば!
噛み締めた奥歯が痛い。それでもヨナスはやりきれない気持ちのまま、ギリっと奥歯を噛み締めた。
原則として、厨房で毒味は済まされる。遅効性の毒の可能性もあるため、王族が口にする一時間前には、毒味役が食事を食べるのだ。されど今回、急な軽食の命令に対し、簡単な毒味しかされなかった。大丈夫だろうという安易な油断が、今回の事件を招いたのだ。
ーカイ先輩も牢に捕えられてしまったし……せめて僕が、もっと何か出来たら。
軽食を運んだカイは、いの一番に疑いをかけられ、牢に繋がれた。料理人が自殺したため、直接の下手人ではないだろう、とは思われたが、それでも何かしら関与しているという疑いを晴らすことが出来ず、未だ牢にいる。
ーどうすれば、僕は一体何をすれば役に、
「うぎゃっ!」
考え事をしていたせいで、角で人とぶつかった。尻餅をついた拍子に、手に持っていた書類が宙を舞う。
「っ、すまな……ランデル侍従」
「き、キヴィランタ侍従」
角を曲がったところで、マルコとぶつかった。マルコは元々王太后付きだが、事件以後は調査の為、一時的に国王付きの侍従らと行動を共にしている。
「いえ、こちらこそ、よそ見をしていて……すみません」
「いや……」
マルコは書類を拾おうと手を伸ばしかけたが、半ば奪い取るようにして書類をかき集めた。皺になるのも構わず、書類を握り締める。
「……キヴィランタ侍従。男爵家の僕が、伯爵家のあなたにこんなことを申し上げるのは、不敬であると承知しています」
「……?」
「ですが……ひとつだけ、お聞かせください」
この件で顔を合わせるまでは忘れていた。それほどに些細な会話ーーそれもヨナスは、遠くでそれを聞いただけだ。
「ソニヤという女料理人が捕らえられたと聞きました」
「あぁ、そのようですね。自殺した料理人の師だとか」
ヨナスは唾を飲み込み、まっすぐにマルコを見つめる。
「ーー彼女に言い寄っていたというのは、誠ですか?」
マルコは目を見開き、次いで笑った。
「随分、荒唐無稽な噂をお聞きになったようですね。伯爵家の三男坊であるこの私が、平民の女使用人如きに言い寄るですって?」
「……僕も、荒唐無稽だと思います。それに、彼女の身元も調査中だと聞きますから。あなたが捕まっていないのなら、繋がりがないということなのかも」
「ならば」
「でも、その噂を口にした人を……僕は信頼しているんです」
初めてヨナスがマルコに会った時。カイが助け舟を出してくれて、その場を抜け出した直後、ヨナスは確かに聞いたのだ。
ーーよく言うぜ。この前言い寄ってた料理人とは、だいぶタイプが違うじゃねえか。ソニヤとかいったか。
ーーそう言ったカイの声を、ヨナスは今でも覚えている。
「お答え、いただけますか。キヴィランタ侍従」
ヨナスが言い切ったのと同時に、硬質な足音と、金属が擦れる音が背後から近づいてきた。何事かと振り返り、ヨナスは硬直する。
今回、調査を全面的に任された近衛隊だった。
「ーーマルコ=オイヴァ・キヴィランタ。幾つか尋ねたいことがある。同行願えるだろうか」
マルコは僅かに顔を歪めた。
「は……王太后殿下の侍従である私に、キヴィランタ伯爵家の三男である私に、どのような疑いを掛けられているというのですか?」
「料理人ソニヤと、男女の関係にあるそうだな」
ご冗談を、とマルコは近衛兵の発言を笑い飛ばす。
「一度二度話しただけで男女の関係と思われるとは……平民の戯言を真に受けていただいては困りますね」
やれやれ、と言わんばかりにマルコは首を横に振る。
「では、このハンカチはそなたのものではないと?」
近衛兵が懐から取り出したハンカチを見て、ヨナスは思わずあっと声を上げそうになった。
真白のハンカチの左の隅にはM.O.Kというイニシャルが、そしてその四辺のレースには、キヴィランタ伯爵家の家紋が刻まれていたのだ。
「……もしやその料理人が盗んだのでは? かれこれ王宮に勤めて十年近く、ハンカチを落としたこともありましょう」
「そうかもしれないな。具体的なことは、詰所で伺わせていただく」
「まーー待ってくれ、これは何かの誤解だ」
「暴れるな」
呆然とするヨナスの目の前で、マルコが連れられていく。我に返り、あ、あのっ、と声を張り上げた。
「カイせんぱ……国王陛下付きのエーゲシュトラント侍従から、キヴィランタ侍従がソニヤ料理人に言い寄るところを見たと聞いたことがあります……!」
それは、何かしら証言をすれば、カイが早く助かるのでは、という淡い期待から漏れた言葉だった。近衛兵は振り向くと、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「ーー情報提供感謝する、ランデル侍従」
近衛兵が去ると、ヨナスはその場でへたり込んだ。
マルコの関与も、その背後も、ヨナスにはまだ分からないーーけれど、これで今回の事件の犯人が分かるかもしれない。ひいては、カイが解放されるかもしれないのだ。
ヨナスは逸る気持ちを抑えて、くしゃくしゃになってしまった書類を寝室へ運んだ。現在、国王に代わり、王妃が政務をこなしているのだ。
寝室は静かだった。事件の翌日に一度国王は目を覚ましたものの、はっきりと意識を取り戻したわけではなく、今もなお苦しんでいる。浅い眠りと呻きを繰り返しているような状態だった。
ーーしかも、その顔と体には、火傷のような痕が浮かんでいたのだ。毒のせいなのか、投与した薬のせいなのかは分からない、と苦しげに侍医が語っていたのを耳にした。
「失礼致しま……」
「……ねえ、ヴィク」
戸を開けたヨナスは、寝台の上に王妃がいるのを認めて目を瞬いた。ここ最近、仮面夫婦の噂をかなぐり捨てて側に張り付いていたが、ここまでひっついているのは久しぶりだった。
「わたくし、耐えられそうにないわ」
何を、と思わず口にしそうになって、ヨナスは慌てて言葉を飲み込んだ。
「……あなたのことが、好きだったわ。可愛くて、格好良くて……わたくしに甘くて、全てを受け止めて愛してくださって。わたくしも、あなたの全てを愛していたの」
何やら怪しげなことを呟いているーーと扉の前から動けないまま、ヨナスは思った。
「でも、これ以上は、無理みたい」
何がですか、まさか顔に傷ができたから陛下のこと嫌いになったんですかそんなわけないですよねだってあれだけラブラブバカップルな陛下と殿下が。
「ーーもう、一緒には、いられないわ」
「そ、そんな!」
思わずヨナスの口から縋り付くような声が漏れた。そこで初めてヨナスの存在に気づいたのか、王妃がこちらを向く。
「……ランデル侍従ね。書類をこちらに」
「あ、ぁああの、もう、一緒にいられないって、どういう」
あぁ、と王妃はこともなげに言う。ヨナスの不敬には目を瞑ってくれるらしい。
「言葉の通りよ」
「な、何故ですか!? 確かに陛下は、毒の影響で未だ床から起き上がることは出来ませんし、お顔や体に痕も……でも、だからってそんな、」
「あらいやだ。わたくしがいつ、ヴィクと離れると言ったの」
「……へ?」
くすり、と王妃は笑う。紅を塗った口角が、不気味なまでに高くつり上がった。
「わたくしはあの人に、母親を捨てさせるのよ」




