妻と母
「陛下.......!」
指揮を終えたアンネリーゼが侍医からの報告を聞いていると、血相を変えた王太后が飛び込んできた。寝台で侍医や祈祷師に囲まれたヴィクトルを見て棒立ちとなる。その耳に、侍医たちの怒号や悲鳴じみた声が聞こえているのかどうか。
「王太后殿下」
アンネリーゼが近づいて声を掛けると、王太后は鬼の形相をした。折角の厚い化粧が崩れてしまうだろうに、とアンネリーゼは何の感慨もなく思う。
「そなた.......そなたの仕業か!? そなたが陛下に毒を盛ったのだな!? この下郎が! 己が孕んだから、子を玉座につければ権力を握れるとでも思うたか! グレーデンの女狐が、浅まし――」
パチン、と乾いた音が響く。王太后は蹈鞴を踏み、呆然とアンネリーゼを見つめた。あぁ痛い、とアンネリーゼは己の手を振って眉を顰めた。侍従のみならず、侍医たちまでも驚いたのか、一瞬、部屋は静寂に包まれた。
「な.......何をする、そなた、あたくしを叩いたな!?」
「あぁ、これは失礼。ついうっかり、手が伸びてしまいましたの」
「言うことに欠いて.......!」
「こんなことになるのなら、もっと早くにしておけばよかったと、後悔しておりますわ」
「なんですって!? そなた、あたくしを誰と心得る! 先王カール八世の妻にして、現国王ヴィクトル三世の母であるぞ! 敵国の王女がよくも.........!」
「元、をつけてくださる? あぁ失礼、小国の出である殿下には、数年前に変わった情勢でさえも、理解することは難しかったのかしら」
王太后は血相を変えた。握りしめた拳が震えている。
「そなた.......今、ノルドヴァルを侮辱したな?」
「小国であるという事実が侮辱に当たるとお思いならば、謝罪いたしましょう――ごめん遊ばせ、まさかユティラの一割にも満たぬ国土でありながら、大国を気取っているだなんて思いもよらなくて」
「ふざけるなっ!」
王太后は激昂した。アンネリーゼは微笑んだまま首を傾げる。
「何もふざけてはおりませんよ?」
「かくも他国を侮辱しておきながら平静でいられるとは、流石グレーデンの王女ね。冬の最中にノルドヴァルに侵攻を決めるような、危険な思想から逃れられないようだわ」
「ふふ、お褒めに預かり光栄ですわ。確かに我が国は、戦術に長けておりますものね」
ギリっと王太后は歯を噛みしめる。それにしても、とアンネリーゼは冷ややかな視線を向けた。
「やってきて早々、わたくしに質問ばかりなさるとは........てっきり陛下のお見舞いにいらしたものと思っておりましたのに、残念ですわ」
「! 陛下は、陛下はご無事なのであろうな!?」
「さて、どうでしょう。侍医は今夜が峠であると申していましたが」
「そなた......陛下の一大事にあって、随分と余裕があるようだな? やはり何かを隠しているのではないか」
まさか、とアンネリーゼは嗤った。
「どうやら殿下の耳に情報が入るのは随分後になりそうですから、ここで言ってしまいますけれど――陛下に盛られた毒は、本来わたくしが口にするはずだったのですよ」
王太后は目を見開いた。その顔から、瞬く間に色が失われていく。
「最近、毎日のようにお菓子を作らせておりましたの。陛下が空腹だと仰ったので、それを差し上げたのですわ――そうしたら」
アンネリーゼは言葉を詰まらせた。その瞳に涙が浮かぶ。
「陛下が、陛下が、いきなりっ.........」
「馬鹿な――馬鹿な、そんなことが、あるわけが」
アンネリーゼはそっと指で涙を拭い、呆然とする王太后を見つめた。
「――料理人のひとりが、遺体で見つかりました。今は、その背後を洗っているところです」
「そなたが指揮を執っていると? 何か疚しいことがあって、証拠を隠滅しようとするのではあるまいな」
「わたくしがわたくしを毒殺しようと試みたと? 流石は殿下、常人にはとても思いつかない推理をなさいますこと」
「自作自演という可能性もあろう」
「そうですわね――では、公平を期す為にも、殿下の側仕えの方々にも、調査に加わっていただきましょうか」
アンネリーゼは王太后の背後に立つ護衛と侍従に目を向けた。
「キヴィランタ侍従と、ルースア女官.......それと、タカタロ護衛をお貸しくださいませ」
否とは仰いませんよね、とアンネリーゼは微笑む。
「他でもなく、国王陛下の一大事なのですから」
――王太后は己の側仕えを残し、ヴィクトルの顔を見ることもなく、部屋に戻っていった。アンネリーゼは部屋に留まり、一睡もせず、ヴィクトルの傍に寄り添い、調査の指揮を執り続けた。




