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愛しの仮面夫婦  作者: 結塚 まつり


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仮面夫婦の転機

懐妊が公になってから二ヶ月。

お腹も目立ち始め、アンネリーゼは部屋でのんびり過ごすことが多くなっていた。とはいえ、公務を疎かにもできないので、有力貴族のサロンや、あまり体を動かさずに済む慰問には積極的に参加していた。ヴィクトルはその度にひどく心配したが、動かなさすぎるのも良くない、という侍医の言葉を聞くと、捨てられた子犬のような目で見つめてくるのであった。


「――ようこそお越しくださいました、王妃殿下」

「お招きくださりありがとう、ニスカヴァーラ公爵夫人」

「ご体調は如何ですか。悪阻は終わったとお聞きしましたが……」

「ええ、最近は調子がいいの」


ニスカヴァーラ公爵夫人――元サーリヤルヴィ公爵令嬢であるレベッカは、アンネリーゼの返事を聞くとホッとした様子で頬を緩めた。

かつては反同盟派の筆頭令嬢としてアンネリーゼと対立したこともあったが、今では社交界を纏める夫人のひとりとして、アンネリーゼとも親しく話をする仲である。

レベッカの先導でサロンに着くと、ホットチョコレートのいい匂いがした。悪阻が終わってからも相変わらず甘い物が好きなことに変わりないので、アンネリーゼは自然と頬を緩めた。


「御機嫌よう、王妃殿下」「お目にかかり光栄でございます」「お体はおかわりありませんか?」


それも束の間、夫人たちが口々に話しかけてくる。懐妊以後、派閥に関わらず、アンネリーゼに(おもね)る人が増えた。最近では、密かに反同盟派から脱したという貴族もいるらしい。男系の王族が少ないユティラ王家では、それほどまでに王妃の懐妊は尊ぶべきものなのだろう。


「今日は、懐妊中でも食べやすいという軽食をご用意いたしました。お口に合えばいいのですが」

「お気遣いありがとう、夫人。嬉しいわ」


サロンでの歓談は和やかに進んだ。出産経験のある夫人たちは、出産に際しての心得や出産後の体調管理についてを説き、出産未経験の令嬢たちは、その話を興味深そうに聞いていた。


「――それにしても、本当に安心しましたわ。いつ、御子にお目にかかることができるのかと、ずっと心配しておりましたから」

「心配をかけましたね。わたくしも、いつ神の思し召しがあるのかと、やきもきしておりましたわ」

「陛下もご安心なさったことでしょう。会議や謁見ではいつも通りのご様子、と夫から聞き及んでおりますが、きっと内心ではお喜びなのでしょう。ねえ?」


――とはいえ、完全に反同盟派がいなくなったわけでもなく。

アンネリーゼはふくよかな老婦人の言葉に笑みを返した。


「ええ、次代を担う子の誕生を、大変お喜びのご様子でしたわ。各地から医術に優れた者を集めるようにとも仰せになりましたの。有難いことですわ」

「それは素晴らしいこと。陛下も父としての責務に励まれているようですわね」


ふくよかな夫人は、皺が刻まれた顔に穏やかな笑みを浮かべる。


「殿下も、その御期待に応えなければなりませんね。次代を担う御子――次の王となる御子をお生み遊ばされること。これに勝る務めはございませんでしょう」


どうか神の御加護がありますよう、と伝えられ、アンネリーゼは慈悲深い笑みを浮かべて頷いたのであった。



***



「リゼ!」


茶会を終え、身支度を整えてから共同寝室に戻ると、ヴィクトルが駆け寄ってきた。頭のてっぺんからつま先までをじっくりと眺め、無事だな、と呟く。


「もう、ヴィクったら。サロンひとつで心配しすぎよ」

「仕方ないだろう。今、君の体にはもうひとつの命があるんだ。心配しても心配しても足らない」

「赤ちゃん、あなたのお父様は随分心配性よ。暫くは外出もできそうにないわ」

「が、外出!? 赤子は弱いというし、成長しきるまでは出来るだけ安全な場所で」


ソファに腰を下ろしたアンネリーゼは、あらだめよ、と首を横に振る。


「それじゃあいつまでも赤ちゃんが強くなれないわよ。元気になったら、一緒にピクニックにでも行きましょう。この子が生まれる頃には、春も近くなっているでしょうから」

「......リゼがそう望むなら」

「ふふ、ありがとう」


ヴィクもお疲れ様、とアンネリーゼはヴィクトルの頭を撫でる。アンネリーゼに負担をかけぬため、と貴族たちからの探りや、大国からの祝いの品々の対処もしてくれているので、ここ最近、疲れを見せる日が多かったのだ。


「何か食べる? わたくしは、サロンでホットチョコレートを頂いたからお腹一杯だけれど.......ヴィク、今日も昼食を取っていないんじゃない?」


ヴィクトルはそっと目を逸らした。外交使節が不在で、懐妊後から立て続けにあった有力貴族との会談も終わったこの頃、アンネリーゼ不在の時に食事を抜いてしまいがちであったのだ。


「もう、あれだけ昼食はちゃんと食べてと言ったのに――エーゲシュトラント侍従、厨房に何か軽く摘まめるものを作らせてちょうだい」

「御意」


ヴィクトルの侍従は恭しく一礼して出て行く。本来ならば王妃が国王の侍従に命令すべきでないが、サロン帰りのアンネリーゼが軽食を頼むのもおかしな話だし、アンネリーゼの侍従が国王陛下用に、と頼んでは、夫婦の仮面が剝がれてしまうので致し方ない—―厨房長だけは、仮面の内側を知ってはいるのだが。


「ここのところ毎日わたくしがお菓子を頼んでいるから、お菓子ならすぐに出てきそうね。うーん、健康にいいもの、とお願いすべきだったかしら」

「君が手ずから食べさせてくれるなら何でも構わない」

「まあ、ヴィクったら。嬉しいことを言ってくれるのね」


程なくして、侍従が戻ってきた。予想通り、アンネリーゼ用に作っていたお菓子があったようで、簡単な軽食とお菓子を載せた盆を持っていた。紅茶の茶葉もいつもと同じだから、軽食だけ大急ぎで作ってくれたのだろう。


「さ、ヴィク。どれから食べたい?」

「バゲット」

「はいはい」


サーモンとチーズが乗せられたバゲットを口元に運ぶと、ヴィクトルは一口でぱくりと食べてしまう。相変わらず口が大きい。もうひとつ食べるかしら、と卓上に手を伸ばすと、咀嚼を終えたヴィクトルが呟いた。


「......王太后殿下から、近く面会したいと申し入れがあった」

「あら」


妊娠が公になったからの二か月、何度かサロンや舞踏会で顔を合わせたが、断固として国王夫妻との三人での晩餐や散策には応じなかった。それがここに来て、どんな風の吹き回しであろう。


「......会いたくなければ、」

「会いたくないのはヴィクでしょう?」


ぐ、とヴィクトルは言葉に詰まり、アンネリーゼの手からバゲットを齧る。次は甘いものにしようかと、アンネリーゼはフランが入った硝子の器を手に取った。いつもの専属料理人が作ったのではないのか、盛り付けが少し違うような気がした。最近見習いが入ったと聞いたから、見習いが作ったのだろうか。


「拒絶されてしまうかもしれないものね」

「......そう、だな」


家族としては、足りない面もあったのだろう。家族としての情を与えてくれなかった、とヴィクトル本人も言っている。

――それでもヴィクトルにとって王太后は、頼るべき為政者であり、見習うべき先人だった。

言葉の選び方に僅かに迷い、スプーンを持つ手元を見つめる。ヴィクトルは掬ったばかりのフランを口に含んだ。


「けれど、わたくしもあの方も、過去のしがらみを捨てることはできずとも、過去を過去のものとし.......ヴィク?」


止める間もなく、卓上の茶器と軽食をヴィクトルが薙ぎ払う。パリン、と響いた甲高い音に、アンネリーゼ付きの女官が甲高い悲鳴を上げた。

どうしたの、と問いかけようとした刹那、ごぽり、とひどく重く鈍い音がした。


「.......ヴィクトル?」


こちらをじっと見つめたヴィクトルは、安心したように小さく笑う。


そうして、頭半分高い位置にある唇から、赤を零した。




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