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愛しの仮面夫婦  作者: 結塚 まつり


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蠢く影

「ソニヤ、そろそろ帰りな。日付変わっちゃうよ」


同僚に声を掛けられて、ソニヤは顔を上げた。時計の針は既に10時を指している。幸いにして雪は降り止んだけれど、真冬の最中、外が寒いことに違いなかった。


「あ、うん……もう少しだけ」

「真面目だなあ」

「妃殿下に喜んでもらいたいもの!」

「あーはいはい、流石、妃殿下にぞっこんなお菓子職人様だわ」

「ぞっこんじゃなくて、喜んでいただきたいだけ!」

「それをぞっこんっていうのよ」


じゃお先、と同僚が扉を閉める。ソニヤはこれまでの記録を見返して、むう、と頬を膨らませた。

ソニヤは13歳の頃から八年間、王宮で料理人として働いている。平民の女ということで、隅で細々と仕込みをしていたのだが、四年前、嫁いできたばかりの王妃さまにお出ししたお菓子が気に入られ、王妃さまにお菓子を作る係に任命されたのである。元敵国のお姫様ということで、初めはビクビクしていたが、とっても美味しかったわ、と言われて、料理人魂に火がついた。

王妃さまはお菓子をお出しする度に感想を伝えてくれる。あんまり美味しくなかったわ、と率直に言われると落ち込むが、だからこそ、王妃さまの口に合うお菓子を作ろう、と日々試作に打ち込むようになった。お茶係の料理人と顔を突き合わせ、どのお茶とお菓子が合うか、と語り合うこともしばしばだ。

そんなお菓子係としての日々は、最近多忙を極めていた。

なんと王妃さまがご懐妊されたのだ。

懐妊すると食の好みが変わるとは言うが、どうやら王妃さまは甘い物を以前にも増して欲するようで、毎日のようにお菓子を供するようになった。お好きなお菓子があるとはいっても、毎日それでは飽きてしまう。工夫を凝らし、盛り付けを考え、夜まで厨房にも籠った。


「んー.......グレーデンのお菓子とか、もっと勉強した方がいいかなぁ」


講和条約が結ばれた後、貿易やら交流が盛んになったとはいえ、お菓子までは普及しない。ユティラよりもやや南方に位置するグレーデンにしかない果物――梨やプラムも使ってみたいとは思うが.......なかなか難しいところだ。


「うーん」

「――遅くまで熱心だね、ソニヤ」

「オイヴァ!」


唸っていると、恋人のオイヴァが顔を覗かせた。彼はなんと、王家の方々の傍にお仕えしているらしい。没落したけど男爵家なんだ、と彼は笑っていた。没落したといっても貴族は貴族だから、最初はすごく尻込みしていたけれど、オイヴァが明るく声をかけてくれるので、段々と打ち解けたのだ。付き合い始めたのは二年前のことになる。オイヴァもソニヤも忙しくて、なかなか会える時間は少ないし、付き合っているのは秘密にしようね、と言われて誰にも言っていないけれど、ソニヤは満足していた。誕生日には美味しくてちょっと高いレストランに連れて行ってくれるし、贈り物だってくれるのだ。


「何か新しいお菓子を作りたいんだけど、なかなかうまくいかなくて........」

「あ、前にそれ言ってたよね」

「え? う、うん」

「だから僕、ちょっと相談してみたんだ。王妃殿下が祖国の味を楽しめるよう、果物とかの輸入も進めませんかって。だから、近いうちに届くと思うよ」

「えっほんとう!? ありがとう、オイヴァ!」

「どういたしまして」


にこり、とオイヴァは笑う。ほんとうに美しい人だ、とソニヤは思わず見惚れた。こんな人が自分の恋人なんて、未だに信じられない。


「そういえば、最近君のところで修行してるっていう子はどうしたの? 名前は、イスモ君、だっけ?」

「あ、うん! イスモ君、お父さんが体調崩しちゃったとかで、来週までお休みなの」

「早く良くなるといいね」

「うん.......事故の後遺症らしくて、長年苦しんでるみたいなんだよね」

「そうなんだ.......医師の治療とか、受けられたらいいけど」

「そうだね.......」


とはいえ、医師や司祭に治療を頼むには、多額のお金が必要となる。庶民にはなかなか難しい話だ。


「王妃殿下に出すお菓子を作るときも、その子は手伝ってるの?」

「うーん、ほんとにちょっとだけよ。カスタード液の仕込みとか、粉砂糖を振りかけるとかの仕上げとか.......そのくらい。まだ、王妃殿下にお出しするくらいのお菓子は作れないから」

「そっか。早く上達するといいね」

「きっとすぐに上達するわ! 勉強熱心な子だもの」


楽しみだね、とオイヴァは目を細めた。


「次、彼が帰ってきたら教えてよ。僕も会ってみたいな」


勿論よ、とソニヤは笑った。


「そろそろ遅いし、帰らなくちゃ。オイヴァは? まだお仕事?」

「いや……もう帰ろうかな。ソニヤが帰るんだったら送るよ」

「いいの? ありがと!」


ソニヤが帰り支度をしている間、オイヴァは厨房をじっくりと眺めていた。何も面白いところはないと思うが、滅多に来ないから面白いんだよ、と彼は言っていた。


「お待たせ!」

「行こうか」

「うん」


たわいない話をしながら、使用人宿舎に向かう。貴族であるオイヴァは王宮の外に家があるのに、こうして夜に会うと必ず送ってくれるのだ。


「……ねぇ、ソニヤ」

「ん? なぁに、オイヴァ」

「妃殿下たちにお出しするお菓子……」

「うん」


オイヴァはいつになく言い淀んだ。


「……仕上げを、イスモ君だけに任せないでね」

「え? あ、うん、勿論よ! 安心して、オイヴァ。わたし、仕事はちゃんとするんだから!」

「……うん」


それじゃまた、と手を振ったオイヴァが寂しそうな顔をしていたのが、やけに印象に残った。


「……あれ?」


後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、ふと、暗い草むらの中に白いものを見つけた。しゃがみ込んで手に取ると、上質なハンカチだ。四辺にレースが付けられていて、なんともお洒落だ。

オイヴァの物か、と慌てて追いかけようとしたけれど、既にその姿は夜の闇に消えてしまっていた。


「あーあ、もうちょっと早く気づいてたら……ん?」


ハンカチの隅に手をやったソニヤは、刺繍の感触に気づいて目を凝らした。


「M.O.K……? あれ?」


オイヴァの物なら、Oが一番最初に来るはずだ。だが、このハンカチの刺繍はそうではない。


「オイヴァのじゃないのかなぁ……?」


けれど、来た時にはなかったはずだ。白いハンカチが落ちていたら、流石に二人のうちのどちらかが気づくだろう。


「……まさか、オイヴァってミドルネーム?」


うーん、と首を捻りながらも、取り敢えずソニヤはそのハンカチを懐にしまった。洗濯して、オイヴァに聞いて、違ったら知り合いに聞いて回ろう。


ーーけれどそれから、ソニヤとオイヴァが会うことはなかった。



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