ノルドヴァルの若き王
時は巡る。
アンネリーゼの兄が帰還し、秋の気配を感じ始めた頃、ひとりの貴人がユティラ王宮を来訪した。
エーリク・ハルバード・フォン・ノルランデル=グレンダール。
弱冠15歳のノルドヴァル王国国王である。
「予定日に遅れてしまって申し訳ありません」
「いや、途中の街道で事故があったことは聞き及んでいる。無事で何よりだ。体調は大丈夫か?」
ヴィクトルは主賓室でエーリクを出迎えた。
「お気遣いありがとうございます、従兄上。近頃は体調が安定しているんです」
エーリクは青白い顔に笑みを浮かべる。袖から覗く手は細く、背丈も高くないので、ともすれば女に見えた。
「そうか、ならばよかった」
「陛下は如何お過ごしでしたか? アンネリーゼ従姉上に振り回されておられるのではないかと心配だったんですが」
「……そうか、俺が振り回される前提なんだな」
「え? 違いましたか?」
エーリクがきょとんとするので、ヴィクトルは言葉に詰まった。と、アンネリーゼの来訪が伝えられる。程なくして、礼装に身を包んだアンネリーゼが現れた。
「ごきげんよう、陛下。そしてようこそ、ノルドヴァル王陛下」
「こんにちは、妃殿下。お邪魔しております」
アンネリーゼはヴィクトルの横に座り、侍従たちを下がらせる。
「――久しぶりね、エーリク。元気そうでよかったわ。叔父さまはお元気? 暑さで寝込まれたと聞いたけれど」
「ええ、ですが僕が城を出た頃には回復していましたよ」
「それはよかった」
エーリクの父は、アンネリーゼの父――グレーデン国王の末弟にあたる。
「従姉上も、元気そうで何よりです。ユティラの礼装もお似合いですね」
「ありがとう。これ、お気に入りなの」
エーリクは居住まいを正し、二人を交互に見た。
「改めて、ご結婚おめでとうございます。お二人の前途に祝福が溢れておりますことをお祈りしております」
ありがとう、と二人は声を揃える。エーリクはしみじみと言った。
「少し心配していたんですけれど……仲睦まじい様子でよかったです」
「ぶっ」
「あら、わかる?」
ヴィクトルがお茶を吹き出した。アンネリーゼは茶器を片手に優雅に微笑む。
「げほっ、ごほっ」
「分かりますよ。だって従姉上のお名前を呼んだ時と、従姉上が僕の名前を呼んだ時、従兄上の目つきが怖かったですし。従姉上も従姉上で、侍従を下がらせたら一瞬で砕けた様子になりましたし」
「あら、ヴィクったらエーリクにまで嫉妬したの? 困った人ねぇ」
「いや、それは、そういうわけでは」
慌てるヴィクトルを見て、エーリクとアンネリーゼはくすくすと笑う。
「従兄上は従姉上の尻に敷かれてしまいそうだ」
「そんなことはないわ。ヴィクはわたくしにベタ惚れだけれど、わたくしもヴィクに惚れているもの」
「リゼ!?」
ヴィクトルが上擦った声を上げる横で、エーリクが訳知り顔で頷く。
「なるほど、ベタ惚れと惚れているの違いですね」
「さぁ、どうかしら。ヴィクはどう思って?」
「……惚れた者負けという言葉をしみじみと感じている」
「あらあら」
「僕も覚えておかねば。妻と仲睦まじくいるためには、尻に敷かれるのが大事、と」
「敷かれる側なのか……」
アンネリーゼはころころと鈴を鳴らすような声で笑う。
「――エーリクはまだ、婚約者は決まらぬのか」
「いえ、内々に決まりました。アンデシェン公爵家次女、ヘートヴィヒ公女です」
アンネリーゼは表情を変えない。ヴィクトルは僅かに眉を動かし、腕を組んだ。
「グレーデンか……母上が何か言いそうだな」
なんとか宥めるしかないか、とヴィクトルは呟く。
アンデシェン公爵家の当主は、グレーデン国王フィリップ四世の長弟である。
「ユティラの重臣も騒ぎそうねぇ。うまく抑えておくわ」
「ありがとうございます、従姉上」
「可愛い従弟妹たちのためですもの。でも、エーリク。ヘディを泣かせたら許さないわよ?」
「勿論です」
エーリクは微笑み、茶器を手にしたところで、侍従が控えめに寄ってきた。
「陛下。式部卿との謁見のお時間になります」
もうそんな時間か、とヴィクトルは懐中時計に視線を落とす。アンネリーゼはすぐに立ち上がった。
「なら、そろそろお暇しなくてはね。エーリクも、王太后さまにまだお会いしてないでしょう?」
「はい。陛下にお会いしたらすぐにいらっしゃい、とは言われておりますから、この後向かおうかと」
「すまないな、晩餐の時にでもゆっくり話そう」
「楽しみにしています――それでは陛下、御前拝辞いたします」
「失礼致します、陛下」
アンネリーゼとエーリクは並んで一礼する。顔は似ていないけれど、動作がどこか似ている、とヴィクトルは思った。
「伯母上にお会いするの、気が重いなぁ」
「あなたはカトリーヌ先王陛下に似ているから、長々と引き留められるものね」
「僕はカトリーヌ先王ではないんですけどねぇ。そろそろ己がノルドヴァル王女ではなくユティラ王太后だと認識していただきたいものですが……まぁ、無理でしょうね」
はぁ、とエーリクは溜息を吐く。
「それにしても、ヘディが選ばれるとは思わなかったわ。両国の反発も免れなさそうだけれど」
「またグレーデン王家に連なる者を迎えるのか、という声は封じ込めます。またノルドヴァルに王家の血筋を、と言われるのは、叔父上に頑張っていただかなくてはいけませんけれど」
エーリクは小さく笑い、次いでひどく冷たい顔をした。
「ヘディには申し訳なく思いますけれど、仕方ありません」
エーリクの声は淡々としている。ヘディ、と呼ぶ声にだけ、僅かな温もりがあった。
「今度こそ、グレーデン王家の血を確実に取り込まねば」
「……そうね」
彼が真実叔父の血を――グレーデン王家の血を引いているのか、アンネリーゼは知らない。カトリーヌ先王は、それを告げぬまま逝ってしまった。
「……でもね、エーリク」
「はい?」
「わたくしはあなたを、大切な従弟だと思っているわ」
エーリクは薄い茶色の瞳を見開き、くしゃりと顔を歪めた。
「……ありがとうございます、従姉上」
王太后の部屋に向かうエーリクと別れ、アンネリーゼは窓の外を見上げた。木の葉が色づき始めた秋、鳥は高く空を飛んでいる。焦茶色の姿は、どこか懐かしい。ユティラではあまり見かけない鳥だ。アンネリーゼは鳥を見つめ、小さく呟いた。
「……アーノルド叔父様も、相変わらずひどい方」
アンネリーゼの父には、弟が三人いる。面差しはよく似た四兄弟の中で、唯一年の離れた末弟・アーノルドは、優しいけれど、腹の底まで黒いと評判だった。
「エーリクとヘディに何かしたら、直接抗議しに行かなくちゃ」
もう一度窓の外を見上げると、鳥はいなくなっていた。




