王妃の兄の来訪
春の花々が散り、若葉が青々と葉を茂らせる初夏。
ユティラ王宮は忙しない空気に包まれていた。掃除夫たちは埃ひとつないように、隅々まで王宮を磨き上げ、執事やメイドは今後の予定の調整に余念がない。シェフたちも腕によりをかけて仕込みを始めている。
慌ただしい王宮の中、国王夫妻の共通の私室で、ヴィクトルは忙しなく歩き回っていた。
「リゼ、変じゃないか? やはり、もっと落ち着いた色味の方が........」
「もう、ヴィクったら。大丈夫よ、よく似合っているから。いつも通りで十分よ」
先程から何回も鏡で身だしなみを確認する夫を見遣り、アンネリーゼは笑う。側付きの侍従たちの緊張をよそに、彼女はひとり悠然としていた。
それもそのはず。婚姻から一年と少しが経った今日、迎える客人は――
「お兄様は、ヴィクトルがすっぽんぽんでも気になさらないと思うわ」
「いや、それは気にしてほしいが.......」
――王妃アンネリーゼの兄、グレーデン王国王太子フレデリクである。
***
砂塵を城門の前に四頭立ての馬車が止まる。煌びやかな扉が開けられ、軽やかな足取りでひとりの青年が降りてくる。
滑らかな絹糸を思わせる黄金色の髪、同色の睫毛は白い肌に影を落としそうなほどに長い。太陽の如く鮮やかな瞳を細めた青年は、門前に佇む国王夫妻を認め、深く腰を折る。
「ユティラ国王陛下に拝謁叶い、幸いに思います。グレーデン王国より参りました、王太子フレデリク=クリストファー・アヴ・グレンダールでございます」
「遠路遥々よくぞお越しくださった。ユティラ王国国王、ヴィクトル三世である。長旅でお疲れだろう。すぐに王宮まで案内しよう」
「ありがとうございます」
城門を潜ると、街道は花や国旗で彩られていた。沿道には民衆が集まり、歓声を上げている。フレデリクは窓から顔を出し、民衆に手を振り返した。
「ふふ、なんだか一年前のことを思い出すわ」
「あぁ......そうだな」
アンネリーゼが初めてユティラ王宮に足を踏み入れた時も、こうして街には熱狂が渦を巻いていた。戦後二年しか経っていなかったせいか、アンネリーゼの人柄が知られていなかったせいか、今よりも歓声は小さかったけれど。
「聞き及んでいたが、リゼによく似ているのだな」
「そうね、わたくしとお兄様は、六人兄妹の中でも一番似ていると言われていたわ。女装をすると本当に瞳の色くらいしか違いがないの」
「じょ、女装?」
「あら、お話したことがなかったかしら。お兄様、女装が得意なのよ」
「初耳だ......」
女装が得意な王太子とはこれ如何に。
「上ふたりのお姉様に小さい頃に着せられて、慣れてしまったんですって。こう、ドレスの中で膝を曲げているから、ちょっと背が高い女性、くらいで収まるのがすごいところよね」
「あぁ、うん.......」
もはやどこから突っ込めばいいのかも分からず、ヴィクトルは曖昧な返事をした。
王宮の迎賓館に案内し、使節団の荷物が運び込まれると、公式な謁見まで少し時間が空いた。長旅の疲れを取るため、と銘打ったその時間に、アンネリーゼとヴィクトルはひっそりと迎賓館を訪れた。
「ごきげんよう、お兄様」
荷物が積み上げられたままの客間では、フレデリクがゆったりとソファに腰かけ、本を読んでいた。
「あぁ、リゼ、久しぶりだねーー国王陛下。わざわざお越しくださりありがとうございます」
「いや。兄妹の歓談のお邪魔ではなかっただろうか」
とんでもない、とフレデリクは穏やかに笑う。
「音に聞くアンネリーゼの夫君と、お話してみたいと思っていました」
「音に聞く、とはいったい.......」
「リゼにべた惚れで、一途で、リゼ以外の女性の心はてんで分からなくて、恥ずかしがり屋で、夜は情熱で」
「リゼッ........!」
筒抜けである。
思わず悲鳴じみた声を上げたが、アンネリーゼはきょとんとしている。
「あら嫌だわヴィク、全部が全部、わたくしが手紙に書いたわけではないのよ?」
「それはそれで問題だが.......」
何しろ侍従か護衛の中に、グレーデン王太子の息がかかったものがいるということで――
「大体一割くらいは王宮に流布している噂が出典のはずよ!」
「ほぼ全部リゼからの手紙じゃないかっ!」
ぎゃんっと吠えれば、ほほ、とアンネリーゼは笑う。それを見て、フレデリクはくすりと笑った。
「楽しそうで何よりだよ」
「あら、わたくしがいるんだから、楽しくなるに決まっているでしょう?」
「それもそうか」
「お母様たちはお元気? お姉様たちにはお会いしていて?」
「あぁ、みんな元気だよ。そうそう、シグリーズ姉上がご懐妊されたのは聞いた?」
「ええ、お手紙を頂いたわ。悪阻は大丈夫? 前回はだいぶ苦労されていたみたいだけれど」
「今回はまだ大丈夫だそうだよ。父上の生誕祭にも元気よく乗り込んできた。オーロフとも喧嘩してたよ」
「ならよかった、心配ないわね」
ぽんぽんと交わされる会話は、川の流れのように留まることを知らない。口を挟むこともできず、ヴィクトルはソファでおとなしくしていた。
ヴィクトルは穏やかな家族というものが分からない。王太后である母のことは常に王妃殿下と呼んでいたし、父とはあまり顔を合わせなかった。兄弟もいなかったこの身には、1年の隔たりなどないかのように語らう兄妹の心境を推し量ることは難しい。
「――そういえば陛下」
「......な、なんだろうか」
ぼんやりしていると、いきなり流れ矢が飛んできた。ヴィクトルは慌てて居住まいを正す。
「立場で言うと、僕と陛下は王太子と国王。一応、義兄弟というくくりにはなりますが、義弟である陛下の方が二歳年上ですし。私的な場では、どのようにお呼びすればよろしい?」
「お好きなように」
「では義弟どのとお呼びしますね。僕のことはフレデリクとお呼び捨てしていただいて構いません」
流石に呼び捨ては躊躇われたので、ヴィクトルもどのをつけて呼ぶことにする。
「というわけでアンネリーゼ」
「お兄様が口にする順接が順接の役割を果たしていることの方が少ないことは重々承知しておりますわ、何かしら」
「義弟どのと話をしたいから、一度出てくれるか?」
「えっ」
全く、と呆れ顔をしたアンネリーゼは、しかし躊躇わず立ち上がる。
「あんまりヴィクを困らせないでね、お兄様。可愛らしい方なんだから」
「はは、僕が妹の夫君を虐めるような人間に見えるのかい」
「見えるから言ってるのよ――それじゃヴィク、庭園を散策したら戻ってくるわね」
「え、」
兄妹の語らいの場ではなかったのか――と唖然とするヴィクトルを他所に、ヴィクトルの正面まで移動したフレデリクはにこりと笑む。
「さて、義弟どの。ここからは、男と男の話し合いをいたしましょう」




