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愛しの仮面夫婦  作者: 結塚 まつり


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12/32

仮面夫婦が生まれた日

婚姻から半年。庭園の木々は葉を落とし始め、朝夕はすっかり冷え込むようになった。人々が厚手の上着を取り出し始めた秋の真っただ中、ユティラ王宮を駆け足で進む人影があった。一際背の高い男は、護衛や侍従の制止も聞かず、息を切らして部屋に駆け込む。


「――リゼ!」


息を切らして立っているのは、国王ヴィクトルである。あらあら、と寝台に座るアンネリーゼは笑った。ヴィクトルはアンネリーゼの姿を目にして、安堵した様子で一度大きく息を吐いた。その後、きゅっと唇を噛みしめ、大股で寝台に歩み寄る。


「ヴィク、そんなに慌てずとも、わたくしはだいじょ――」

「済まない。俺の手落ちだ」

「......それは、否定致しませんけれど」


ヴィクトルはアンネリーゼの手を強く握った。


「この程度のことは、覚悟の上よ。わたくしは王女として生まれ、この国の王妃となったのだから」

「......リゼは、強いな」

「ふふ。わたくしは雑草並みに強いと、家族からも評判だったのよ」


――アンネリーゼの食事に毒を盛られたのは、今日の昼のことだった。

大して強い毒ではなく、すぐに解毒剤も用意された。けれど直後は腹痛と胸の痛みに苛まれ、一時は意識を失った。日が暮れてようやく起き上がったが、まだ完全回復とは言い難い。


「今、関係者を洗い出している。必ずや、下手人に厳罰を下す」

「それはよろしくないわ、ヴィク」

「だが、君の身が危険に!」

「あなたは王太后殿下のことを尊敬しておられるでしょう?」


ヴィクトルは鋭く息を飲んだ。

事実、先王が戦場にいた間、政を行い、ヴィクトルを育てたのは王太后だ。肉親としても為政者としても、ヴィクトルが王太后を尊敬するのは道理である。


「講和条約の証として嫁いできた王女を害するほどの権力と意思がある方は、あの方くらいでしょう。間接的に関わっている可能性が高いと見るのが妥当だわ」

「.......そう、だな」


ヴィクトルは唇を噛みしめる。アンネリーゼは俯くヴィクトルの頭を撫でた。


「大丈夫よ。わたくし、あの方の気持ちも、ほんの少しだけ分かるつもりよ」


アンネリーゼの護衛を勤めていた騎士のひとりは、手柄を求めて戦場に行き、そして死んだ。傷病施設で顔見知りになった兵士が、次に訪れた時には死んでいた。

決して、家族を失った痛みが分かるとは思えないし、領土を奪われた悲しみも理解することはできないけれど、それでも王太后がどれほどにか嘆いたかは、少しだけ想像できる。


「この上、あなた(自分の息子)までわたくし()に取られたら、それはお嫌でしょう」

「......生憎と、俺は初対面でリゼを愛してしまったのだが」

「可愛すぎるのも罪ね。ふふ」


ヴィクトルはそっとアンネリーゼの頬に触れた。


「……リゼ。無理はしないでくれ。恐ろしかっただろう」


アンネリーゼは目を見開いた。ゆるゆると、その口角が下がる。


「……グレーデンでは、毒を盛られることは滅多になかったの」

「あぁ」


王子ならば兎も角、三番目の王女に王位継承の目はない。だからこそ、暗殺の対象にはなり得なかった。


「……だから、ほんの、少し」

「あぁ」

「死ぬには、ほんの少し、早すぎるわ、って。思った、わ」


ヴィクトルはアンネリーゼを抱きしめた。押し殺した嗚咽が漏れる。


「済まない。ほんとうに、済まなかった」

「ヴィクのばかぁ……」


アンネリーゼはぽろぽろと涙を零した。目がほんのり赤くなるくらい泣いてから、アンネリーゼはヴィクトルを押しやる。頭ひとつ分高い位置にある青い瞳を見上げた。


「……わたくし、考えたのだけれど」

「なんだろうか」

「いちゃいちゃするのはやめにしましょう」

「..........................は?」


ヴィクトルはたっぷり沈黙した後で、かろうじて一文字を絞り出した。


「ヴィクトルがわたくしの虜だと思われているからいけないのよ。愛称で呼ぶのも、手を繋ぐのもやめて........あとはそうね、夜もお喋りを減らしましょう。そうしたら.......あら、どうされたの。怖いお顔」


ヴィクトルの顔が強張っていたので、アンネリーゼはきょとんとした。何か可笑しなことを言っただろうか。王太后に嘘を吐くのは心苦しい、と言われたらどうしようもないが。


「それは、耐えられない」

「あら」

「リゼと愛し合えないなんて、耐えがたい」


アンネリーゼは目を丸くし、次いで噴き出した。ヴィクトルはむっとした様子で唇を尖らせる。


「君は笑うが、俺は――」

「外だけよ、部屋ではいつも通り。わたくしだって、ヴィクのことをずっと陛下と呼ばなきゃいけないなんて悲しいし、共寝できないのは寂しいわ」

「……漏洩の危険は、部屋だからとてないわけではなかろう」

「それは侍従を信頼しなくてはね。もしも情報が漏れたら、側仕えを……いえ、護衛も含めて全員挿げ替えましょう」


僅かに背後で緊迫した空気が流れたが、アンネリーゼは気にも留めなかった。


「あからさまではないか?」

「ええ。けれど、相互監視になるからちょうどいいでしょう? 彼らだって、国王や王妃の側付きという栄誉を手放したくはないはずよ」

「……だが、演技をするのも大変だろう。俺が王太后殿下に」

「あら、公の場でわたくしと話をするとき、ヴィクトルは絶対に目を合わせないし、声も冷えてるじゃない。目を合わせたら顔が赤くなって大変って、わたくしは知っているけれど、不仲説を流している人は、もういるのよ」

「......逐一潰してきたが、まだ残りがいたか」

「いいのよ。可愛いヴィクは、わたくしだけが知っていたらいいの」


ふふ、とアンネリーゼは笑う。ヴィクトルは唇を噛みしめた。


「……悪くない、手ではあると思う。だが、噂がより加速してしまうだろう。君への負担も大きい」

「大丈夫よ。他の人がなんて言おうと、わたくしはあなたがわたくしを愛していることを知っているし、わたくしはあなたのことを愛しているのだから」

「......一度だけ、そのように。もしももう一度、王太后殿下がリゼを害することがあれば――次は、離宮に退去していただく」

「あら、よろしいの? 近い距離にいた方が、親孝行もしやすいでしょうに」

「……王太后殿下のことは尊敬している。あの方は、私が知る中で最も優れた為政者だ」


だが、とヴィクトルは表情の読めない瞳で言葉を続けた。


「家族としての情は、与えてはくださらなかった」

「――……」


アンネリーゼはヴィクトルの手を握った。

ヴィクトルは実母である王太后を、常に肩書きで呼ぶ。王太后もまた、ヴィクトルを名前で呼んだことがない。

彼らがどのような年月を重ねてきたのか、アンネリーゼは知らない。父母に慈しまれ、兄姉に可愛がられて育った我が身には、推し量ることすら難しかろう。

だから、とヴィクトルはアンネリーゼの頬を撫でた。


「君が、俺にとって初めての家族で――愛おしくて愛おしくて堪らないんだ」

「知ってるわ」


ヴィクトルは小さく笑い、アンネリーゼの唇を奪った。


「二度と、君を危険に晒さない」

「期待しているわ、わたくしの旦那さま」



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