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愛しの仮面夫婦  作者: 結塚 まつり


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王太后ヘレナの宿痾

「ノルドヴァルの為に生き、果てよ」


幼い頃に言い聞かせられたその言葉が、今もヘレナの(しるべ)になっている。



***



ヘレナ=エレオノーラ・フォン・ノルランデルは、ノルドヴァル国王の娘として生まれた。ノルドヴァル王国は大国グレーデンとユティラの南方に位置する小国で、常に両国の機嫌を伺って生き延びてきた。ヘレナがユティラの王太子と婚約できたのは、望外の幸運である。


「ヘレナ。ノルドヴァルの未来は、そなたにかかっている」


そう言い聞かされたヘレナの胸には、いつしか、己が国を守るのだという自負が生まれていた。

ユティラ王太子との夫婦関係は良好とは言い難かったが、後継者となるヴィクトルは生まれた。赤子が死にやすいとされる三年を乗り越え、安堵していた矢先のこと。


「……なんですって? もう一度言いなさい」

「はっ、はい……その、グレーデンが、ノルドヴァルに宣戦布告を……既に西部のエールヴァールを初めとした地方は陥落した、と」

「馬鹿な……」


グレーデンが突然、ノルドヴァルに宣戦布告したのである。

信じられない話だった。弟が婚約者を迎え、次世代も安心だと思ったのはつい三ヶ月前のことだったのに。


「陛下、殿下、お願いです。どうか我が祖国ノルドヴァルに援助を」


ヘレナは国王と王太子に懇願した。小国とはいえど、王太子妃の母国だ。すぐに援助をしてくれるだろう。

けれどその思いとは裏腹に、ノルドヴァルへの援助が決定されたのは、ノルドヴァルの都が陥落した後のことだった。ユティラが派兵の動きを見せたと知るや否や、グレーデンは速やかに兵を引き上げ、グレーデンに優位な講和条約を結ばせた。

――この戦で、ノルドヴァルは領土の半分と国王夫妻、王太子を失った。

空位となったノルドヴァル王位を引き継いだのは、ヘレナの末の妹。そしてその夫として王配の座についたのは、グレーデン王の末弟だった。


「……どうしてもっと早く派兵してくださらなかったのですか」

「渋る貴族が多かったのだ」

「なぜ、王太子妃の祖国が踏み躙られるのを傍観できたのですっ!」

「グレーデンと戦うには、準備が整っていない。それに、季節が悪かった」


三国はいずれも雪が深い。通常、戦は雪解けを待って開始となる。

されど今回、グレーデンは冬に侵攻を開始した。恐るべき速度で進軍し、瞬く間に都が落ちた。

物資も兵士も、ひと月かけて集めるのが精一杯だったと、夫たる王太子は弁解した。


「すまなんだ。だが、分かってくれ。我々も苦渋の思いだった」

「……よく、わかりました」


頷いたヘレナに、王太子は分かりやすく安堵した様子だった。


「もうすぐ、ヴィクトルの四歳の誕生日だ。盛大に祝ってやらねばな。何が欲しいか、聞いておいてくれ」

「殿下がくださるものなら、王子はなんでも喜ぶでしょう」

「おお、そうか?」


――遅すぎた。

ヘレナの胸には、そのひと言だけがとぐろを巻いていた。

――遅すぎたのだ。


「あっ、お母様!」


部屋に戻ると、ヘレナに気づいた息子が駆け寄ってきた。


「見てください、お花がさいていたんです! 雪がまだつもっているのに!」


綺麗ね、と呟いて、ヘレナはしゃがみこんだ。まだ幼い息子に、視線を合わせ、肩を掴む。


「王子。あなたは、誰よりも、強くならねばなりません。誰よりも賢く、強く」

「おっ、お母様?」

「……グレーデンに、負けてはなりません」

「お母様、痛いです、お母様……」

「グレーデンに、必ず勝つのです」


ならば、この子を強く育てればいい。

グレーデンを討ち滅ぼす、英雄に。

ヘレナは肩を握る手に、強く力を込めた。


「王子。わかりましたか」

「……はい、お母様」


息子が十歳になる前に、義父にあたる国王が死去し、夫の王太子は国王に、ヘレナは王妃となった。次期国母として、かなりの発言力を得てきたと感じ始めた頃、ヘレナはある仕掛けを施した。


「グレーデンの王女が、近頃シュルヤヴァーラに嫁いだとか。グレーデン王家は子沢山で羨ましいことですなぁ」

「ほんとうに。陛下も女人に興味をお持ちくださればいいのですけれど」

「然り然り」

「それにしても……心配ではありませんか?」

「は? 何がです?」


ぽかんとした様子の貴族に向けて、ヘレナは困った風を装って告げた。


「グレーデンです。卿の言う通り、あの国には王子王女が多く、しかもそのいずれもが国内外の王家や有力貴族と縁を繋いでいる。同盟国を増やし、先頃のような戦をまた起こすつもりではないのかと、気が気ではありません」

「まさか……」

「ありえない、とは言い切れませんでしょう? 近頃はグレーデン国に鉄の輸入が増えたとも聞いて……あぁ、恐ろしい」


ヘレナはわざとらしく身を震わせた。噂好きの貴族は、思案顔で数秒黙り込んだ。その後、にこりと笑みを浮かべる。


「……殿下のご心配には及びますまい。少なくとも我が国が攻撃を仕掛けられることはないでしょうからなぁ」


ヘレナはこれを少しずつ中身を変えて、色々な貴族に話した。心配はいりません、と笑う貴族の瞳が冷ややかになっていくことに、ヘレナは気づいていた。

事実として、グレーデンは軍備増強をしていた。ノルドヴァル侵攻の後、平定目的と銘打ってはいたが、決してそれだけではないだろうと、軍には素人のヘレナが見ても分かる数字の変化だった。

ヘレナはただ、揺れる水面にそっと水滴を垂らしただけ。

けれど、それだけで十分だった。


「……近頃のグレーデンの増長は目に余るな」

「え?」


遠回りの手法が実りをもたらしたのは、種を蒔き始めて数年が経ってからのことだった。


「そもそもノルドヴァル侵攻を許すべきではなかったのだ」

「……陛下!」


国王はグレーデンに向けて宣戦を布告した。武芸を好む国王本人も出陣し、初め、戦況は優勢だった。

けれど、次第に戦況は悪化していった。戦力差は然程ないが、グレーデンの戦略は奇想天外なものが多く、次第にグレーデン優位に傾いていった。

歯噛みしていたある日、信じられないことを聞いた。


「なんですって? 王太子、もう一度言ってみなさい」

「私も出陣いたします」


戦争が始まって三年、なんと王太子となった息子が出陣する意思を見せたのである。

思わずヘレナは声を荒げた。


「なりません! あなたは王太子、次期国王なのですよ!」

「だからこそです。今、戦線はグレーデン優位のまま膠着している。国王陛下が初めから戦場に出ていた以上、士気を上げるには私の出陣が必要不可欠です」

「あなたに何かあったらどうするのです! あなたは陛下の唯一の御子なのですよ!」

「たとえ私に万一のことがあろうとも、叔父上方がおられます。心配はないかと」

「王太子!」

「失礼致します」


王太子は貴族の同意も得て出陣していった。止めることができず、ヘレナは毎日息子の無事を神に祈った。

幸か不幸か、王太子は素晴らしい軍略で勝ち星を重ねていった。戦勝の報を聞く度に安堵し、また息子を誇らしく思ったものである。グレーデン優位を次第に崩し、このままいけば勝てるのでは、と思った矢先。

夫である国王が戦死した。

士気の著しい低下は免れなかった。

グレーデン側も長引く戦に辟易していたのか、この時講和の申し出がなされ、条約が締結された。

領地の微調整と、新王として即位する息子とグレーデン王女の婚約。同盟の締結。

ヘレナのこれまでの努力が水泡に帰した瞬間であった。

新王となった息子の妻は、グレーデンの妖精姫と呼ばれる、美しく慈悲深い姫だと聞いた。捕虜の待遇改善に奔走したため、他でもなく軍部からの信頼を得ているようだった。

――許さない。

初めて王女を見た瞬間に、ヘレナは思った。

可愛らしい姫。守られることに慣れた、祖国を支える気概もなさそうな少女。


「お初にお目にかかります。グレーデン王国フィリップ四世が三女、アンネリーゼ=フレイヤ・アヴ・グレンダールと申します」


――これが、王妃に(あたくしの地位を)


胸に込み上げてきたのは、紛れもない殺意だった。






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