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愛しの仮面夫婦  作者: 結塚 まつり


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かつての王女たち

おかけなさい、と涼やかな声が響く。アンネリーゼはありがとうございます、と深々と礼をして椅子に腰掛けた。

日差しがぬかるんできた、ユティラの短い夏の終わりのことである。

アンネリーゼは王太后ヘレナに招かれ、彼女の庭園に来ていた。


「この度はお招きいただきありがとうございます」


アンネリーゼは侍女に目配せする。侍女が進み出て王太后の侍女に恭しく箱を差し出した。


「こちらはささやかながら、王太后さまにお持ちいたしました。お気に召していただければよいのですが」

「そう、わざわざありがとう」


とぽとぽと、目の前でお茶が注がれる。ふわりと花の香りが広がり、アンネリーゼは僅かに目を見開いた。茶器に口をつけて確信する。


「……これはエールヴァールのお茶でしょうか。既に早摘みのものが届けられているのですね」

「ええ。お気に召していただけたかしら?」


あなたの祖国のお茶よ、と王太后は微笑む。爽やかな風が二人の間を通り抜けた。


「……ええ、お心遣いありがとうございます。よもやこの時期にいただけるとは思っておりませんでした」

「あたくしも、このお茶は幼い頃から好んでいるからーーエールヴァールには家族でよく行ったものよ」


ーーエールヴァールは、二十年前にグレーデンがノルドヴァルを攻めた後、グレーデン領に編入された土地である。


「温暖で、作物もよく育つ穏やかな土地だったわ。二十年前は味が落ちてだいぶ心配したけれど。最近では、元の味に近づいていて嬉しいことだわ」

「左様でございましたか。わたくしも足を運んだことがございますが、穏やかな気候で長閑な様子でした。王太后さまがお気に召すのもよく分かります」

「あたくしよりも弟妹たちがはしゃいでいたわね。庭園で遊びまわっていたわ。そうしてその後必ず、ティータイムをするの」


王太后はひと口、茶を口に含む。ちゅんちゅん、とどこかで鳥が鳴いた。


「けれど、残念ね。あなたは二十年以上前の味を知らないのだもの。きっと二度と味わえないでしょうね」


緊迫した雰囲気が背後から流れた。侍女たちの背には冷や汗でも流れているのだろうか。アンネリーゼは背後の雰囲気を他所に微笑む。指先の震えなど、見せはしない。


「ええ。されどその土地の人々の技術や積み重ねは失われることはありません。一年、また一年と研鑽を積んで、異なる味が生まれる。今こうして飲んでいるお茶も、二度とは味わえないものでしょう。そう考えると、ひとつひとつ、出会うものが大切に思われますわ」

「……同じものは、二度とない。その通りね」


かちゃり、と王太后はソーサーにカップを置く。


「嫁いできて一ヶ月……こちらにはもう慣れて?」

「はい。陛下や王太后さまをはじめ、皆々様にお気遣いいただき、穏やかな日々を過ごしております」

「それはよかった」


よかった、という声は淡々としていて感情が滲まない。


「心配していたのよ。こちらとそちら(・・・)では、環境が違うもの。気のおけない人がひとりもいないとあっては、祖国を恋しく思い始める頃でしょう」

「ええ、確かに祖国を懐かしく思うことはございます。けれど」


王太后の眉がピクリと動いた。


「わたくしは陛下を、また陛下が配された侍女や護衛に信を置いております。勿論、いまだ公の場では緊張することもございますが、寂しさはあまり感じません」

「ーー……そう。あたくしの十八年(祖国で過ごした時)とあなたの十六年は、随分と重みが違うのね」

「そうかもしれません。同じ時を過ごしていても、重ねたものは同じとは限りませんもの」


アンネリーゼは澄まし顔で紅茶を啜る。王太后は平坦な声で同意を示した。


「そうね。国が違えば価値観も異なるとは真の話。あなたも暫し苦労するでしょうね」

「王太后さまのお言葉、しかと胸に留めます」

「ーーあぁ、けれど。あなたには無用の心配かしら」


先ほどとは真逆の呟きに、反応が一拍遅れた。その隙に王太后は言葉を挟み込む。


「あたくしは小国の出身だから、初めはほんとうに大変だったわ。身の置き場がない、と言うべきかしら。大国の強さや技術に圧倒されるばかりだったわ」


王太后は一度言葉を区切る。


「けれど、あなたはユティラと並ぶ大国の出。あたくしが感じた不安など、取るに足らない物かもしれないわね」

「いえ。わたくしも、祖国と異なる文化や暗黙の了解に、戸惑うことがございます」

「あら、気付かなかったわ。隠すのがお上手だこと」

「ユティラの王妃に相応しくあろうと努めております。王太后さまが築き上げた【ユティラの王妃】の威厳を、わたくしが壊すわけには参りませんもの」

「……そう。あたくし(ノルドヴァル)が築き上げた名を、あなた(グレーデン)が壊す、ね」


まるで二十年前のようね、と王太后は表情を決して呟いた。アンネリーゼの口の端が僅かに引き攣る。王太后はあら、と深い笑みを浮かべる。


「冗談よ。そんな顔をなさらないで」

「……失礼をいたしました」


お茶が冷めてしまったわね、と王太后は茶器の中を見つめて呟いた。茶器を傾け、中身を地面にぶちまける。


「新しいお茶を淹れさせるわ」

「――……ありがとうございます。では、お言葉に甘えまして」


アンネリーゼは微笑み、冷めたお茶を飲み干した。



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