第9話:憎しみの行方
夜が更け、避難所も静まり返る。
周囲の人々は皆、寝息を立てて眠っている。
そんな中、ロザーリエだけは目覚めた。
「……来ますわね」
毛布からゆっくり出て、周囲を見渡す。
足元を見ながら、音を立てないように進む。
慣れない歩き方に手古摺りながらも、段々とコツを掴んでいく。
避難所の外に出た時、違和感を覚える。
上空には何も無い。
ただし気配はある。
今までと比べ物にならない、強大な存在の気配が。
しかし、辺りを見回しても宇宙外生命体も、融合体も存在していなかった。
ただ、黒いフードを被った人間が立っていた。
スカートを履いていることから、少女と判断した。
夜の闇に溶け込む黒そのものと言って良い。
「貴女……どなたですの?」
その声に、少女は振り向く。
「……イシュでいい」
それだけだった。
イシュと名乗る少女は、赤い瞳でロザーリエを見つめる。
「そう……貴女はどうして此処に?」
その瞬間、ハイドラが呟く。
『……お前を呼びに来た』
「呼ぶ?」
『奴は上位個体だ。 ロザーリエ、警戒しろ』
「ということは......あなたと同じですのね」
ロザーリエは魔人顕装を発動し、身構える。
正面のイシュは、表情一つ変えずに呟く。
「……そうか、警戒するか」
その直後、イシュが腕を振った。
何も見えない。
だが次の瞬間、頬に熱が走った。
遅れて肩にも激痛が襲う。
ロザーリエが手を当てると同時に、鮮血が流れ出した。
「これは......刃?」
イシュは頷くと、針をいくつか取り出す。
するとそれらは、瞬時に肥大化し、ナイフへと形を変えた。
針だと思ったが、違う。
伸長したそれは、鋭いナイフへ姿を変えていた。
再びナイフが投擲される。
小さい上に、見てからの回避は不可能だった。
「虚界穿孔」
片手を突き出し、空間を破壊する。
しかし、イシュは身を翻して躱す。
虚空は空を喰らうだけに終わった。
ロザーリエの瞳が揺れる。
躱された。
今までこの力を受けて生き残った者はいない。
それどころか、避けられたことすらなかった。
「なっ――」
言葉が続かない。
その隙だった。
イシュの指先が僅かに動く。
何かが飛んだが、見えない。
認識した時には既に遅かった。
小さな衝撃。
左肩、脇腹、右の太腿。
三箇所に違和感が走る。
ロザーリエは反射的に距離を取った。
服を見る。
小さな穴が開いていた。
「……?」
血はほとんど出ていなく、傷も浅い。
針が刺さった程度。
そう思った。
だが、イシュが静かに口を開く。
「......見えていない」
次の瞬間だった。
肩に刺さっていた針が脈動する。
嫌な音が響き、肉が押し広げられ、骨を擦られる感覚。
ロザーリエの顔から血の気が引く。
「ッ!?」
針だったものが肥大化する。
瞬く間にナイフへ変貌した。
肩から刃が突き出る。
脇腹でも太腿でも、同じことが起こった。
「ぁ、あぁぁぁッ!!」
体が悲鳴を上げる。
大量の血が地面を濡らした。
呼吸が乱れ、視界が明滅する。
「どうして……」
見えなかった。
何が起きたのか理解できない。
ただ分かるのは、目の前の少女が圧倒的な強者だということだけだった。
イシュは近づいてくる。
ゆっくりと一歩ずつ。
まるで脅威を感じていないかのように。
「......未熟だ」
静かな声。
嘲笑ではない。
事実を述べているだけだった。
「力に振り回されている」
ロザーリエは歯を食いしばる。
反論したいが、できない。
実際、その通りだった。
能力を得てからまだ日が浅い。
戦い方も分からない。
ただ力を振るっているだけだ。
肩を貫く刃を押さえながら、ロザーリエは荒い呼吸を繰り返す。
血が指の隙間から零れ落ちる。
立っているだけでも辛い。
それでも視線だけは逸らさなかった。
「……何故ですの」
イシュは答えず、ただ静かに立っている。
ロザーリエは歯を食いしばる。
「何故、私を襲いましたの!」
数秒後、イシュは短く答えた。
「……襲っていない」
「何ですって」
「確認に来ただけだ」
ロザーリエの眉が歪む。
意味が分からない。
目の前の存在は自分を傷付けた。
それが事実だ。
だがイシュは続ける。
「……お前を呼びに来た」
「呼ぶ?」
「こちら側へ」
その言葉に、ロザーリエの瞳が鋭くなる。
黒い刃が再び唸る。
「ふざけないでくださいまし」
怒気が混じる。
「私の家族を殺した存在に従えと?」
夜風が吹いた。
イシュの黒い髪が揺れる。
その赤い瞳に感情は見えない。
「……家族は死んだか」
「死にましたわ」
「そうか」
その一言だった。
謝罪も弁明もない。
それが逆にロザーリエの怒りを刺激した。
「そうか、ですって……?」
拳が震える。
「貴女たちが! 貴女たちが父様と母様を殺したんですの!」
声が夜へ響く。
避難所の人々を起こさないよう抑えている。
だが怒りまでは抑えられなかった。
イシュは静かに聞いていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……違う」
ロザーリエの呼吸が止まる。
「何が違いますの」
「お前の家族を殺したのは我らだけではない」
理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
「……どういう意味ですの」
イシュは夜空を見上げる。
月は雲に隠れていた。
まるで何かを覆い隠すように。
「……最初に攻撃したのは人類だ」
ロザーリエの瞳が揺れる。
「嘘ですわ」
即座に否定した。
だがイシュは首を振らない。
ただ事実を述べる。
「……恐れた」
「何を」
「我らを」
短い言葉だが、重い。
「皇帝候補は、接触を試みた」
「……」
「だが人類は脅威と判断した」
イシュの声は変わらない。
感情がない。
だからこそ嘘に聞こえなかった。
「攻撃が始まり、候補の妹は消息を絶った。 よって我らは応じ、戦争になった」
それだけだった。
長い説明はないが、十分だった。
ロザーリエは何も言えなくなる。
頭の中が真っ白だった。
宇宙外生命体が敵。
そう信じていた。
そうでなければならなかった。
そうでなければ。
父と母の死を理解できない。
しかし、もし本当に、人類が最初に攻撃していたのなら。
「……そんな」
声が震える。
「だったら」
その先が続かない。
だったら誰が悪い。
誰を憎めばいい。
誰を許さなければならない。
分からない。
何も分からない。
イシュはロザーリエを見つめる。
そして。
「……お前が決めろ」
そう言った。
「何を憎むのか」
夜風が吹き、その言葉だけが残った。
ロザーリエは俯く。
拳を握ると、血は滴り落ちる。
宇宙外生命体が憎い。
それは変わらない。
だが胸の奥に、初めて別の感情が生まれていた。
人類。
その言葉が脳裏に浮かぶ。
避難所の人々ではない。
玲司でもない。
シオンでもない。
だが確かに存在する。
この戦争を始めた者たち。
その存在への憎しみが。
静かに芽吹き始めていた。
「いずれまた会おう」
イシュはそれだけ言うと、背を向けて歩き出した。
ロザーリエはその背を追わなかった。
……追えなかった。
全身から力が抜けていく。
傷の痛みも、流れる血の感覚も、今は遠い。
暗くなっていく視界の中、ロザーリエはただイシュの背を見つめ続けた。
やがて、その姿も夜の闇へ溶けていく。
残されたのは静寂だけだった。
そして、ロザーリエの意識は、ゆっくりと深い闇へ沈んでいった。




