表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Laplace's demon  作者: Norn
10/11

第10話:答えはまだ。

 ――い。


 ――ねがい。


 ――お願い、目を覚まして。




 ロザーリエは目を覚ます。

 白い天井が見える。

 体の感覚はほぼ無いに等しい。


 瞼をゆっくり動かす。

 霞んでいた視界が少しずつ輪郭を取り戻していく。

 そして、一人の女性の顔が映った。


 「……良かった」

 安堵したように微笑むシオン。

 ロザーリエは数秒ほど彼女を見つめた後、小さく呟く。


 「私……」

 起き上がろうとする。

 だが全身に激痛が走り、再びベッドへ沈んだ。


 「無理しないで」

 シオンが肩へ手を添える。


 「丸一日眠っていたのよ」

 「一日……」

 その言葉にロザーリエは目を見開く。


 脳裏に夜の出来事が蘇った。


 黒いフード。

 赤い瞳。

 圧倒的な力。


 そして――戦争の真実。

 ロザーリエの表情が曇る。

 シオンはその変化を見逃さなかった。


 「何かあったの?」

 優しい声だった。

 だからこそ答えられない。


 宇宙外生命体、人類、どちらが悪いのか。

 何を憎めばいいのか、自分でも分からなくなっていた。


 「……何でもありませんわ」

 小さな嘘だった。

 シオンはしばらくロザーリエを見つめていたが、それ以上は聞かなかった。


 代わりに近くに置いてあった器を差し出す。


 「スープよ」

 温かな湯気が立ち上る。

 質素な物だったが、避難所では十分贅沢だった。


 「玲司が心配してたわ」

 「玲司が?」

 「あなたが目を覚ますまで何度も様子を見に来てた」


 思わず苦笑が漏れる。

 あの青年らしいと思った。


 「変な人ですわね」

 「そうかしら」

 「そうですわ」


 ロザーリエは器を受け取る。


 温かい。

 その熱が指先から伝わってくる。


 気づけば、父と母を失ってから初めてだった。

 誰かが自分のために用意してくれた、温かい食事は。


 ロザーリエは静かに視線を落とす。

 胸の奥が少しだけ痛んだ。

 その痛みの正体を、まだ言葉にはできなかった。




 数日間、ロザーリエはベッドの上で生活をしていた。

 宇宙外生命体は現れない。

 穏やかな数日間だった。


 昼には玲司やシオン、避難所の子どもたちと会話をし、夜にはフクロウの声を聞く。

 そんな日々を過ごしていた。


 その中の、とある一夜。


 『ロザーリエ』

 ハイドラが、不意に話しかける。


 「……何ですの」

 ロザーリエは、窓の外を眺めたまま答える。

 『以前、我が何者か問うたことがあるな』

 「そうですわね」


 静かな夜だった。

 普段は鳴いているフクロウも、今夜は黙り込んでいた。

 聞こえるのは風の音だけ。


 『我は本来、お前と出会うはずではなかった』

 「……?」

 『本来ならば、別の存在に取り込まれるはずだった』

 ロザーリエが眉をひそめる。


 「取り込まれる?」

 『そうだ』

 ハイドラは続ける。


 『我は力を授けるために存在する。 能力を与え、権能を与え、器を完成へ導く。 それが役目だ』

 ロザーリエは自らの掌を見る。


 虚界穿孔(ヴォイド・ブレイカー)

 未来断絶(ロックアウト)

 魔神顕装(キスキル・リラ)


 確かに、自分はハイドラから力を得ている。


 「本来の相手は誰ですの?」


 少しだけ、夜風が吹いた。

 ハイドラは沈黙する。

 そして。


 『ネヴ=ソス』


 その名だけを告げた。

 聞いたこともない名前だった。


 「それは誰ですの?」

 『皇帝候補』

 「皇帝?」

 『我らの頂点となる存在だ』


 ロザーリエは少しだけ考え込む。


 「そのネヴ=ソスは今どこにいますの?」

 『知らぬ』

 「会ったことは?」

 『ない』

 「それで皇帝候補だと?」

 『厳密には、そう定められていた』


 心の臓を這うように、ハイドラは少し蠢いた。


 『だが今は違う。 我はお前の中にいる』


 ロザーリエは目を閉じ、一言呟いた。


 「嫌なこと、ですわね」




 翌朝。

 歩けるようになったロザーリエは、避難所の外に置かれた木箱へ腰掛けていた。


 朝日が森を照らしている。

 以前ならば当たり前だった光景。

 しかし今は、その穏やかさがどこか遠く感じられた。


 「起きてたのか」

 聞き慣れた声がする。

 振り返ると玲司が立っていた。


 手にはスープが入った缶が二つ。

 片方を差し出してくる。


 「はい」

 「ありがとうございますわ」


 しばらく二人は無言だった。

 鳥の鳴き声だけが響いている。

 先に口を開いたのは玲司だった。


 「体調はどうだ?」

 「だいぶ良くなりましたわ」

 「そうか」


 短い返事。

 それでもどこか安心したように見えた。


 玲司は空を見上げる。

 そしてぽつりと呟いた。


 「お前、変わったな」

 「そうですの?」

 「最初に会った頃より」


 ロザーリエは少し考える。

 確かにそうかもしれない。

 以前の自分なら、子供たちと遊ぶことなど考えもしなかった。


 「玲司」

 「何だ」

 「貴方はどうして、私にそこまで優しくしてくださるんですの?」


 玲司は少し驚いたような顔をした。

 だが答えは早かった。


 「一人だったからだ。 俺も母さんも、一人になる辛さは知ってる」

 静かな声だった。

 だからこそ、胸に刺さる。

 ロザーリエの瞳が揺れた。


 「だから放っておけなかった」

 ロザーリエは返事ができない。

 その時だった。


 「二人とも朝から難しい顔してるわね」

 明るい声。

 振り返るとシオンが立っていた。


 いつものような笑顔だが、少し顔色が悪い。


 ロザーリエは気になったが、本人は気付いていないようだった。

 シオンは二人の間へ座る。


 「何の話をしてたの?」

 「別に」

 「絶対別にじゃない顔してたじゃない」


 玲司はため息を吐く。

 ロザーリエは少しだけ笑った。

 それを見てシオンも微笑む。


 そして、不意に真面目な表情になった。


 「ロザーリエちゃん」

 その呼び方に、ロザーリエは顔を上げる。

 シオンは真っ直ぐ見つめていた。


 「一つ聞いてもいい?」

 「何ですの?」

 少しの沈黙の後、シオンは言う。


 「これからも私たちと一緒に来ない?」

 ロザーリエの呼吸が止まった。

 言葉の意味を理解するまで数秒かかる。


 「それは……」

 シオンは優しく続ける。


 「もちろん、お父さんやお母さんの代わりにはなれない」

 「……」

 「でもね」


 彼女は小さく笑った。


 「家族にはなれるかもしれない」

 胸が痛む。


 家族、その言葉だけで。


 父の顔が浮かぶ。

 母の声が聞こえる。

 花壇に作った墓。


 朝日。

 別れ。

 全てが脳裏を過った。


 「私は……」

 答えようとして、言葉が出なかった。

 欲しかったはずだ。


 居場所も、温かさも、誰かと生きる未来も。


 だが、失う恐怖も知っている。

 シオンは急かさなかった。

 玲司も何も言わない。


 長い沈黙の後、ロザーリエは静かに答えた。


 「……少しだけ、考えさせてくださいまし」


 シオンは微笑んだ。

 「ええ。 ゆっくりでいいわ」


 その言葉が、何故だか酷く温かかった。


 ロザーリエは俯く。

 まだ答えは出ない。

 だが、少なくとも嫌ではなかった。


 そんな風に思えた。

 その時だった。


 「――っ」

 隣でシオンの肩が僅かに震える。

 シオンが胸元を押さえている。


 「シオン?」

 ロザーリエは立ち上がり、駆け寄る。

 玲司も気付いたようだった。


 「母さん?」

 「大丈夫よ」

 シオンはすぐに笑顔を作る。


 しかし、その顔色は明らかに悪い。

 額には薄く汗も浮かんでいた。


 「少し立ちくらみがしただけ」

 「休んだ方が良いんじゃないか」

 玲司の言葉にシオンは苦笑する。


 「最近、少し働き過ぎたかもしれないわね」

 避難所では誰もが忙しい。

 子供たちの世話、怪我人の手当て、食料の管理。


 シオンはその多くを担っていた。

 疲労が溜まっていても不思議ではない。


 「今日はゆっくりしてくださいまし」

 ロザーリエがそう言うと、シオンは少し驚いたような顔をした。

 そして柔らかく微笑む。


 「ありがとう」

 その瞬間だった。

 避難所全体を震わせるような音が響く。


 三人の表情が変わる。

 避難所の人々も一斉に顔を上げた。

 空気が一変し、先程までの穏やかな朝は消え去っていた。


 避難所の人々が動き出す。

 悲鳴、怒号、泣き声。

 様々な音が混ざり合う。


 ロザーリエは立ち上がると、胸の奥で何かが脈打つのを感じた。


 恐怖ではない。

 怒りでもない。

 戦わなければならないという感覚だった。


 シオンが息を呑む。

 玲司は周囲を見回した。

 そして再びサイレンが鳴る。


 長く、重く。

 まるで災厄の到来を告げるように。


 ロザーリエは避難所の出口へ視線を向けた。

 その先には森がある。


 そして、空にはまだ見えない敵がいる。


 静かな朝は終わった。

 戦いが、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ