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Laplace's demon  作者: Norn
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第7話:名を与える

 一斉に動き出した融合体は、ロザーリエを狙う。

 体を崩し、再構築を繰り返しながら、真っ直ぐに向かってくる。


 「この場は、絶対に……!」

 ロザーリエの瞳が赤く輝く。

 腕に黒い亀裂が走った。


 「虚界穿孔(ヴォイド・ブレイカー)

 森でも、避難所でも振るった力。

 虚空は複数の融合体を飲み込み、一瞬にして消滅させる。


 だが、残った融合体はまだ向かってくる。

 加えて、空からは宇宙外生命体そのものが向かってきた。


 融合体ほどの圧力はない。

 だが――数と熱量が違う。


 ならば倒す以外の選択肢は無かった。

 自然と、新たな技が発せられた。


 「深獄虚鐘(ベル・ネアン)

 赤紫の瘴気が空の一部を占領し、満たしていく。

 瘴気に満たされた領域は別世界と化し、理そのものが崩壊していく。


 浮いていた宇宙外生命体は存在してよい理由そのものを失い、崩壊した。


 「これは、一歩間違えたら……」

 眼前の状況に唖然とするロザーリエ。

 その隙を見て融合体は向かってきた。


 咄嗟に気づき、能力を発動しようと試みるが……

 嫌な音と共に、地面を赤が濡らしていく。

 口に手を当て、吐血していたことに気づいた。


 それでも融合体は止まらずに向かい来る。

 融合体の腕が触れそうになった瞬間、ロザーリエの体が無意識に動いた。


 『無理をしすぎている』

 頭の中に直接流れる声。

 直後、腕が振るわれ、眼前の融合体が世界から切り離された。


 右腕を見ると、黒い刃が生えた骨格の形へと変わっていた。


 『魔神顕装(キスキル・リラ)。 負担がかかりすぎたら、これを使え』

 肉体の支配権を戻され、ロザーリエは膝を地に付く。

 右腕も元に戻っていく。


 後ろを振り返った。

 玲司、シオン、兄妹。


 そこには守るべき者がいた。

 もう、失いたくはない。


 ロザーリエはゆっくりと立ち上がった。

 あと数匹。


 「魔神顕装(キスキル・リラ)

 黒い刃が、脈打つように震える。

 ロザーリエ自身の鼓動と連動するように、

右腕の骨格が軋んだ。


 「っ……!」

 慣れない感覚だった。

 腕が重い。


 否、軽すぎる。

 少し動かそうとしただけで、身体が引っ張られる。


 次の瞬間。

 正面の融合体が跳んだ。

 崩れた脚部を無理やり再構築し、獣のような勢いで迫ってくる。


 ロザーリエは咄嗟に右腕を振るう。

 だが、速すぎた。


 「――!?」

 自分の想定以上に身体が前へ出る。

 踏み込みすぎた足が瓦礫を砕き、身体が半ば滑るように加速した。


 黒い刃が融合体を掠める。


 次の瞬間、融合体の上半身が音もなく崩れ落ちた。


 断面すら存在しない。

 切断ではない、削除。

 存在そのものが失われていた。


 だが。

 「くっ……!」

 ロザーリエは勢いを殺し切れず、そのまま地面へ片膝をつく。


 呼吸が乱れる。

 身体の動きに、感覚が追いついていない。


 『力に振り回されるな』

 脳裏に響く声。

 次の瞬間。左側のから別の融合体が現れる。


 腕が異様に長い。

 裂けた口から、濁った液体を撒き散らしながら迫る。


 ロザーリエは反射的に後退する。

 しかし、遅い。

 融合体の腕が目前まで迫る。


 「――っ!」

 咄嗟に右腕を盾のように振り上げた。

 黒い刃と融合体の腕が接触する。

 その瞬間、融合体の腕が根本から崩壊した。


 存在が耐え切れず、砂のように零れ落ちる。

 融合体が苦悶とも咆哮ともつかぬ声を上げる。


 ロザーリエは息を呑む。

 今のは狙ったわけではない。

 ただ、防ごうとしただけだった。


 だが、身体が理解し始めている。

 この刃が何なのかを。


 融合体が再び突進する。

 ロザーリエは歯を食いしばった。

 恐怖は消えない。


 それでも、逃げるわけにはいかなかった。


 ロザーリエが地を蹴る。

 今度は先ほどよりも小さい動き。


 恐る恐る。

 だが確かに、自分の意思で。


 融合体の懐へ潜り込む。

 飛び上がりながら、黒い刃を下から振り上げる。


 空間ごと裂けるような軌跡。

 融合体の身体が中央から崩壊した。


 ロザーリエは着地する。

 だが、呼吸はさらに荒くなる。


 全身が熱い。

 右腕が脈打つ度に、何かが削れていく感覚があった。


 残る融合体たちがゆっくりと立ち上がり、ロザーリエを見つめる。

 ロザーリエは右腕を構えた。


 数秒の沈黙の後、融合体は逃げるように姿を消した。


 『適応しているな、人間の娘』

 頭の中から声が響く。

 ロザーリエは答えない。


 ただ、赤く染まった瞳で、異形が消えた後の世界を見つめていた。


 ロザーリエの右腕が、ゆっくりと人の形へ戻っていく。

 同時に、全身から力が抜け、膝が崩れた。


 「ロザーリエ!」

 玲司が駆け寄る。

 ロザーリエは呼吸を荒げながら、小さく首を振った。


 「……平気、ですわ」

 だが、その声は震えていた。

 シオンが兄妹を落ち着かせながら、ロザーリエへ近づこうとする。


 その時だった。

 シオンの足がふらつく。


 「……っ」

 一瞬だけ、彼女が頭を押さえる。

 玲司が振り返る。


 「母さん?」

 「ええ、大丈夫……少し立ちくらみがしただけよ」


 笑っている。

 いつもの優しい笑み。


 だが。

 その首元を、黒い筋のようなものが一瞬だけ走った。


 ほんの一瞬。

 瞬きをする間に消える程度の異変。

 ロザーリエだけが、それを見ていた。


 「……?」

 胸の奥に、小さな違和感が残る。

 だが、疲労で思考がまとまらない。


 シオンは何事もなかったように言う。


 「避難所へ急ぎましょう」

 兄妹も不安そうに頷く。

 玲司はまだ心配そうだったが、母に促され歩き出す。


 ロザーリエは最後に、何もなくなった戦場を見る。

 異形の残骸すら残っていない。


 ただ静かだった。

 その静けさが、妙に嫌だった。


 「……何なんですの、あなたは」

 小さく漏れた独り言。

 ロザーリエは振り返り、歩く。

 誰に向けたものでもない。


 そのはずだった。


 『我に問うか』

 声が響く。

 脳を直接撫でるような、低く濁った声。


 ロザーリエの足が止まる。

 玲司たちはまだ気づいていない。

 前を歩き続けている。


 『貴様ら人類の定義では、我は異形に分類される』

 「……否定はしませんわ」

 『合理的判断だ』

 短い沈黙。

 やがて声は続ける。


 『我は皇帝補助機構。

資格者へ力を与え、適応を促し、完成へ導くために存在する』


 ロザーリエは眉を寄せる。


 「……皇帝?」

 『現段階の貴様には不要情報だ』


 淡々と返ってくる。

 そこに敵意はない。

 だが、理解できない異質さだけがあった。


 『だが現在、我は貴様へ接続されている。

故に貴様は、本来到達不能な力へ触れ始めている』

 ロザーリエは静かに右腕を見る。


 あの黒い刃。

 あれが、この存在によるものだというのか。


 『恐怖しているな』

 「……当然ですわ」

 ロザーリエは小さく吐き捨てる。


 「私の中には、理解不能な何かがいる」


 すると。

 ほんの僅かに間を置いて、声が返る。


 『理解不能。 ……興味深い表現だ』


 前方では、玲司がこちらを振り返っていた。


 「ロザーリエ?」

 その声で、現実へ引き戻される。


 ロザーリエは数秒黙り込む。

 やがて、静かに歩き出した。


 「……何でもありませんわ」

 そう答えながらも、胸の奥では確かに異物が脈打っていた。





 避難所へ辿り着いた後。

 簡素な毛布の上へ座り込み、ロザーリエは静かに俯いている。


 周囲では、避難民たちの小さな話し声が響いていた。

 玲司とシオンは、少し離れた場所で兄妹の面倒を見ている。


 ロザーリエだけが、一人だった。


 右腕へ触れる。

 既に元の形へ戻っている。

 だが、感覚は消えない。


 あの刃、あの力、自分の中にいる何か。

 ロザーリエは小さく息を吐く。


 「……あなたには、名前が無いんですの?」


 沈黙が走る。

 やがて、頭の奥へ声が響く。


 『識別は不要だ』


 『我は機構であり、個体ではない』

 淡々とした声。

 ロザーリエは眉を寄せる。


 「不便ですわ」

 『不便?』

 「呼び方がありませんもの」


 数秒の沈黙。


 すると、ほんの僅かに興味を持ったような間が空く。


 『……人類は、全てへ名前を与えたがる』

 「当然でしょう」

 ロザーリエは小さく呟く。


 「名前が無ければ、理解も区別もできませんわ」

 『理解』

 その単語を、声はゆっくり反復する。


 まるで解析するように。

 ロザーリエは少しだけ考える。


 脳裏に、幼い頃の記憶が浮かぶ。

 暖炉の前、分厚い本、父に読んでもらった物語。

 その中にいた、無数の首を持つ怪物。


 「……ハイドラ」

 自然と、その名前が口から漏れた。

 『それは何だ』

 「昔読んだ物語に出てきた怪物ですわ」


 ロザーリエは静かに目を伏せる。


 「私が知る中で、一番恐ろしい存在」


 沈黙。

 だが、否定は返ってこない。


 『恐怖の象徴へ、我を重ねるか』

 「嫌でしたら変えますけれど」

 『……構わない』


 ロザーリエは少し目を見開く。


 『現在、貴様は我をその名で認識している』


 『ならば、それが識別名となる』

 淡々とした返答。

 だが、どこか奇妙だった。


 まるで。

 その存在が、名前という概念を初めて得たような。


 ロザーリエは静かに目を閉じる。


 「……そう」

 小さく呟く。

 その時だった。


 『ロザーリエ』

 突然、名前を呼ばれる。

 ロザーリエの肩が小さく揺れた。


 『貴様もまた、識別名を持つ存在だ』

 「……当たり前ですわ」

 『興味深い』


 声が響く。


 『貴様らは、互いを名前で認識し、そこへ意味を宿す』

 ロザーリエは答えない。

 だが、ほんの少しだけ思う。


 この存在は。

 本当に、何も知らないのかもしれないと。

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