第10話 あの男の帰還
「何?太后様の軍が、金軍の背後を脅かしているだと!?何処だ?何処にいらっしゃる?」
呉玠は地図を広げ、花太后の位置を聞くと暫く黙って考え、そして大声で笑い出した。
「勝ったわぃ。この戦、我が軍の勝利じゃ!ほんに太后様は、勝利の女神様じゃて」
弟の呉璘も、兄が笑っている意図を読んで共に笑った。呉玠は金軍にわざと負けて逃げて深追いさせ、その戦線が伸び切って金軍が細く長くなった所で、呉璘が無防備に曝け出した金軍の横腹を突いた。
混乱する金軍の背後から太后の軍勢が現れ、呉玠は逃げるフリを止めて反転迎撃し、太后の軍と協力して金軍を挟撃した。
金軍は宋軍よりも大軍であったが、戦線が伸び切った事によって局所では宋軍よりも寡兵となり、衆寡敵せず散々に打ち破られた。呉玠と呉璘は、3日間で三十余度戦いを挑み、金軍を徹底的に叩き大破した。
兀朮 は流れ矢を受けて負傷し、河東から燕山へと退却して行った。これによって粘没喝は、略奪した物資を捨てて逃げ金軍は殲滅した。こうして富平の戦いで敗れた宋軍は、和尚原の防衛に成功して結果的に勝利を収めた。
しかし、またしても兀朮は北方に帰らず、傷が癒えると敗残兵をまとめて再び南下しようと企んでいた。しかし、その企みを阻んだ者がいた。抗金の英雄の1人である張栄だ。
張栄は元々は梁山泊の漁民であり、宋江亡き後に数百人の義勇兵を集めて金軍と戦った。数百に過ぎなかった義勇兵も、気が付けば1万を超えていた。朝廷の招安を受けて山東一帯を中心に金軍相手に暴れ回った為に、金軍は張栄を「張敵万」と呼んで恐れた。
実はこの張栄は、水滸伝の張順のモデルである。勿論、史実にも張順が存在する為に、この2人を掛け合わせて水滸伝の張順と言うキャラが誕生したのだ。
この戦いに勝利した呉玠は、張徳遠の薦挙によって西諸路都統制に昇進し、四川を領有した。呉玠が生きているうちは、金軍から寸土も四川の地を奪われる事が無かった名将である。
金軍に圧勝に次ぐ圧勝で、国中が沸いた。このまま勢いに乗って開封府を取り戻し、更に北伐を敢行して燕雲十六州をも奪い返して、金軍を遙か北の地に追いやれるのでは?と皆が夢を見て、主戦論者が朝議を席巻した。
しかし、その主戦論に水を差す者が現れた。秦檜である。秦檜は北の地で、完顔撻辣に重用されていた。
彼は隙を見て、家族で小舟に乗って脱出し、宋軍の漣水軍に逃げ込んで「金国から逃げ帰って来た」と話した。しかし朝廷の殆どの者は、これを疑っていた。1人で逃げ出すのも困難なほど監視されていたはずのに、家族皆で脱出など出来るものかと。つまり秦檜は金国の間者であり、宋国を売り渡した売国奴だと思われていた。
現代の北朝鮮から脱北しようとして見つかり、見せしめの為に何人が処刑された事か。監視生活の隙を突いて亡命する事の難しさは、日本人である自分達でも時々流れて来るニュースで何と無く理解出来る。
宋人である秦檜は監視されており、その為の妻子と言う人質まであった。それにも関わらず、足手纏いな妻の王氏と幼子の秦熺を連れて逃げる事など可能であろうか?裏取り引きがあって、何らかの目的で帰国を許されたと考える方が妥当である。
後世、歴史研究家達によって、この推論は事実であったと証明された。それを知った千年以上後の現代中国人は、今もなお売国奴・秦檜を恨み続け、岳王廟に置かれた秦檜夫婦の像にツバを吐き掛け、脱いだ靴で殴り、ゴミを投げ付ける。現代の中国人達に何ら関わりも無い、千年以上前の人間に対して今も尚、恨み続けているのだ。これが中国人である。
日本人が日中戦争や太平洋戦争で、何人の中国人を殺したと思っている?中国人はその恨みを忘れる事など決して無い。やられたら数倍の苦しみを与えて恨みを晴らすと言うのが中国人である。
もしも万が一、中国と日本が戦争になれば、日本は100%負ける。何故なら今の中国の戦力は、アメリカと同等かそれ以上だからだ。その時、日本人は中国人から、どんな目に遭わされると思っている?生きたまま臓器を取り出すなど、誘拐された子供達が普通にやられて遺体は打ち捨てられている。そんなニュースは日本には流れ無いが、中国では流れているので彼らには珍しい事でも無い。つまりは、そんなレベルの報復では済まされない目に遭うと言う事だ。
秦檜は戻って来るなり開口一番、「もし天下に事無きを得ようとするならば、南は南、北は北とそれぞれ分か絶つべし。願わくば、撻辣に書をしたため、和を求め給え」と言い放った。
勿論この言葉は全て、撻辣の意を得たものであり、代弁されたものだ。秦檜は、撻辣の操り人形であった。
どうやって説いたのか分からないが、高宗は秦檜の言葉に耳を傾け、あろう事か范宗尹を罷免して秦檜を右僕射にした。そして呂頤浩は、左僕射となった。
張徳遠は、階州・成州・岷州・鳳州・洮州の5郡と、鳳翔府の和尚原、隴州の方山原を残して陝西の地を全て失い、閬州に退いて守った。
この地を預かる曲端と言う統制官が居たが、威名が轟き西方の人々から慕われていた。張徳遠はこれに嫉妬して、「先の富平の戦いの敗戦は、曲端統制が援軍を送っていれば負けなかった」と、朝廷に讒言し誹謗した。
高宗はそれを信じて曲端の兵権を奪い、万州に配置換え(降格人事)した。だが張徳遠はこれで満足せず、曲端を恭州の獄(牢獄)に送り、牢番に賄賂を贈って殺害させた。これにより、閬州の士大夫や軍民らは曲端の死を悲しみ、張徳遠を恨んだ。
「何だって!?秦檜が帰国して、右僕射になっただと!!」
俺は侍衛から報らされて驚き、女言葉を使うのも忘れて、素が出てしまった。
(秦檜…クソっ!やられた。俺の戦争中を狙ってのタイミングだな?秦檜は撻辣の傀儡だ。宋を和平派で統一し、戦を止めるつもりだ)
撻辣は血の気の多い金国の中でも異色の存在で、所謂インテリだった。粘没喝や兀朮らを、筋肉馬鹿と呼んで蔑んでいた。
「金国は、長年の戦で疲れている。今は良い。だが儂等もやがて歳を取り、戦え無くなる日がやって来る。いつまで戦えば良いのだ?」
撻辣は、戦に辟易していた。宋国が長江より北を諦めて、南で致し方無いと南方を治めてくれれば和睦の道もある。そう考えていた。だが、それを現実のものとするには、宋国の内部で、それも中枢にいる人間の協力が必要だった。
そこで秦檜に目を付けた。この男は頭が切れる。帰国すれば、必ずや重職に就くだろう。そう考えると、すぐに行動に移した。
秦檜は、金国では人質の身分である。いつ殺されても不思議では無い状態で、家族と共に暮らしていた。自分は死など恐れない。しかし、妻や子供が死と隣り合わせである生活は、自分が死ぬ事よりも怖かった。
ある日、突然に秦檜は撻辣に呼び出され、目を掛けられた。それからは側近の1人に加えられた。妻子にもご馳走を振る舞われ、何不自由無い生活を約束された。思えば自分は宋国にいた時、これほどまでに他人の優しさ、温もりを感じた事があっただろうか?そう感じた。
撻辣は、来る日も来る日も戦の虚しさを説いた。そして民の現状の暮らしを見せられた。元々この地は宋国の領土であり、宋の領民であった。彼らは、戦で荒れてろくに実らない土地を耕し、焼かれた家を建て直して貧しく苦しい生活を送っていた。
戦で苦しむのは、いつの世でも民である。平和な世の中にするには、和睦しか無い。泰平の世を求めるのは、真理だ。秦檜は恩人である撻辣の言葉を信じ、次第に心酔して行った。
泰平の世を作る。これは正義である。だから秦檜は、自分が撻辣に洗脳されているなど、思いもよらなかった。
「宋国が北方の地を諦め、南方の政権で満足さえすれば、泰平の世が築ける」
秦檜は、その道がどれほど困難でも、必ず成し遂げて見せると心に誓った。




