第62話 宋江の死
「陛下、申し訳ございません。花淑妃をお止めする事は出来ませんでした」
黄龍と称する老宦官が、徽宗皇帝に事の顛末を報告していた。
「そうか、花娘子は行ってしまったのか…」
「はい。ですが必ず戻って参りましょう。約束致しましたので」
「良い。花淑妃は、自由にしてやろう」
「恐れながら、花淑妃からの伝言を承っておりまする。2度も無断で城を抜け出して、申し訳ございません。必ず戻るとの仰せでした」
徽宗皇帝は寂しそうな目をして、花娘子が去った東門の方角を見た。
「花淑妃!よくぞ来てくれた。地下で眠る楊志も、喜んでいる事だろう」
「間に合った様ね。楊志…ごめん…皆んな、ごめんなさい…私は…」
楊志や林冲らの亡骸を前にし、込み上げて来る涙で言葉が続かなかった。俺は、こうなる事を知っていた。相手が方臘では無く、金国となってしまったが俺だけが、こうなる事を知っていたのだ。知っていながら結局、何も変える事が出来なかった。
楊志の棺に取り付いて号泣する俺の姿は、生き残った梁山泊の義兄弟達の更なる涙を誘った。どれほど泣き続けたのか分からない。丸一日か、二日経ったのか。肩を叩かれて、「葬儀を始める。兄弟達をもう旅立たせてやろう」と宋首領に言われた。
それから後の事は、ほとんど覚えていない。葬儀が終わると、抜け殻の様に呆然としていた。これが現実のものとは思えなかった。いや、全て夢であって欲しいと願った。
「索超や秦明や史進。こんなに強い人達が、どうやって殺されたの?」
俺はやっと声を振り絞って、皆の最期を聞いた。話しを聞くと、本来であれば石宝や龐万春らに殺される所を、金国の武将らに変わっただけで、ほとんど同じ殺され方をしていた。
「兀朮は、そんなに強いの!?」
兀朮は、林冲と楊志の2人がかりでも倒せないほど強かったと聞いた。林冲と楊志は九品の強さを誇る武将だ。それが2人がかりでも倒せないとなると、宗師以上の強さを持つと言う事になる。もしも相対した時、一瞬でも気を抜けば俺でも負けるかも知れない。
「上手くいきましたな?蔡太師」
「ははは、まったくだ。お主の見事な策のお陰よのぉ。褒美を取らせねばな」
「くふふっ、有難き幸せ。ですが蔡太師、これで梁山泊の生き残りは僅かとなりましたが、奴らの結束は強く、ここで纏まられると何かと厄介。そこで褒美として昇進させ、地方に赴任させます」
「なるほど、バラバラにした所で1人ずつ始末する訳だな?」
「さすが蔡太師。察しが早う御座いますな。くふふっ…」
蔡京は徽宗皇帝に、梁山泊の活躍を面白おかしく聴かせて、昇進の勅書を賜る事に成功した。
梁山泊の頭領達、全員に官職が与えられた。州の統制となった者や、知事になった者までいた。金国の太祖・阿骨打が崩御し、直ぐには南下して来ないと朝廷は読み、民も朝廷も束の間の平穏を楽しもうと言われ、それに従った頭領は赴任地へと赴いて行った。
高俅は先ず手始めに、副首領の盧俊義をターゲットにした。徽宗皇帝の命で勝利の宴を開き、招待したのである。盧俊義に用意された食事や酒の全てに、水銀が入れられていた。
盧俊義は帰りの船の中で具合が悪くなり、船酔いかと思って甲板に出て風に当たろうとし、水銀中毒の症状が出て手足が震えて立っていられなくなり、足を滑らせる様にして河に落ちた。既にほとんど手足が動かせない状態であり、そのまま盧俊義は溺死してしまった。
「くっははは。盧俊義の奴め、死におったか。次は宋江の番じゃ!」
盧俊義の死が宋江の耳に入れば、警戒されてしまう。高俅の打つ手は早かった。その翌日には、徽宗皇帝からの祝いの美酒だと称して宋江の元へ届けられた。
「陛下より賜った美酒ですぞ。某は報告の義務がある故、飲まれるのを見届けまする」
「陛下の君恩、有難く頂戴致しまする」
宋江は杯に注いで飲み干した。
「これは何とも美味い酒ですな。陛下に感謝致します!」
酒を届けに来た高俅の使いは、宋江が酒を飲むのを見届けてから立ち去った。
「うっ…こ、これは…やはり…」
宋江も、これが毒酒では無いかと疑った。しかし、皇帝から賜った酒だ。飲まない訳にはいかない。幸いにも速効性のある毒では無い。恐らく、長く苦しめて殺そうと言う悪意が感じられた。
「良かった。儂が死ぬまで、まだ間に合う…」
宋江は早馬で、李逵を呼び寄せた。皇帝から美酒を賜ったが、1人で飲むのも味気ない。そこで義弟の李逵にも恩寵を分け与えようと思いついたと言い訳した。
李逵が到着し、宋江から酒を注がれて正に杯を口に運ぼうとした時だった。
「ま、待って!飲んではダメよ!!」
俺は盧俊義が溺死したと聞いて、この水滸伝最期の結末が頭に過ぎり、全力で一昼夜を駆けて来たのだ。
「花娘子!いや、花淑妃ともあろうお方が、そんなに取り乱してどうされましたかな?」
宋江は、李逵を道連れに死ぬつもりだった。それを邪魔してくれるなと、目で訴えていた。
「李逵、ダメよダメ。飲んではダメよ。お願いだから飲まないで!」
「花淑妃娘娘(花淑妃様)、そいつはあんたの頼みでも聞けないな。この酒は、宋哥(宋兄貴)が俺と一緒に飲む為に呼んでくれた、皇帝から賜った有難い美酒なんだ。お前さんに、飲ます美酒は一滴たりとも無ぇよ」
そう言うと、李逵は杯に入った酒を飲み干した。
「へへへ、コイツはぁ、美味い酒だぁ。さすが、皇帝様が飲む酒は違うねぇ?」
「り、李逵…」
俺は、李逵が酒を飲んでしまったので、その場にへなへなと倒れ込む様に崩れ落ちた。
「ははは、花娘子。そんなに落ち込むなよ、せっかくの美酒が不味くならぁ。おいらだって、そんなに馬鹿じゃない。これが毒酒だって事くらい分かってる」
「な、何で!?」
「へへへ、おいらは嬉しいんだ。兄貴の杯を見りゃあ、先に飲んじまった事が分かる。もう兄貴は助からねぇ。他にも義兄弟達は大勢いる中、呉軍師でも無く義弟の花栄でも無く五虎将筆頭の関勝でも無く、おいらと一緒に死ぬ事を選んでくれたんだぁ。こんなに嬉しい事はねぇ。おいらは、いつだって兄貴が歩く道を斬り開くんだ」
そう一息に言うと、毒酒の甕を掴んで飲み始めた。
「おいらが一番嬉しいのは、兄貴の死を見ないで済む事だ」
そう言って、さらに一甕を飲み干した。
「兄貴、すまねぇ。こんな美酒なんて飲んだ事が無いもんで、もう酔いが回っちまった。じゃあ、ちょっくら先に逝って、地獄の鬼共を躾けておきまさぁ。花娘子、おいらは陛下の女を抱いたって鬼共に自慢してやらぁ」
ガシャーンと、顔から料理の入った皿に脱力して崩れ落ちた。その死に顔は、満足そうに微笑んでいた。
「李逵ぃー!!」
(李逵よ、すまぬ…)
宋江は、自分の杯に残った酒を注いで口に運んだ。
「花淑妃、儂を恨むか?だがどうしても、李逵を遺して逝く訳にはいかなかった。我らは替天行道と忠義双全を旗印に掲げた。儂の死後、朝廷に対して謀叛を起こす者を出しては、その旗印の下に集まり命を落とした義兄弟達の死が無意味なものとなろう。李逵は儂が毒酒を飲んで死んだと聞けば、必ずや朝廷に弓を引くであろう。それだけは、阻止する必要があったのだ」
宋江は毒の入った美酒を、美味そうに飲んだ。
「本当に良い酒じゃ。これが毒酒で無ければ、もっと良かったのじゃが…末期の酒としては上出来じゃ」
宋江は、俺の目をじっと見て言った。
「花淑妃、最期に頼みがある。儂の死後、1人の謀叛人も出さない様にしておくれ。頼めるのは、もう貴女だけじゃ」
宋江は風で棚引く替天行道の旗を見つめて言った。
「先に逝った義兄弟達よ、儂も今逝く…。おおぉ、李逵よ。もう迎えに来たのか?相変わらず、せっかちな…」
ガシャーンと宋江も料理が入った皿に崩れ落ち、その勢いで小皿や杯が落ちて割れた。
「宋江様…私に後を託すなんて…殺生な頼みを…」
死者から託された想いだ、無碍になんて出来ない。
「この花娘子、しかと遺言承りました…。安心して、お眠り下さい…」
俺は杯に酒を注ぐと、地面に酒を撒いて死者の霊を慰めた。




