第61話 5人目の大宗師?
金軍は撤退した。しかし勝利による撃退では無い。彼らの本国で何らかの政変が起こり、撤退した事は明らかであった。梁山泊と金国との戦いは完敗だった。
「林冲、しっかりせぃ!」
神医・安道全の看病の甲斐も無く、林冲は息を引き取った。林冲が倒れた病いは、中風(脳卒中)であった。激しい頭痛と共に痙攣を引き起こして意識を失った。そのまま意識が戻る事無く、帰らぬ人となったのだ。在りし日の林冲を知る義兄弟達は、皆が涙を流してその死を惜しんだ。
水寨に戻った楊志もまた疫病にかかり、安道全らに介抱されていたが、その甲斐無く息を引き取った。最期に「嫂嫂(義姉)…」と名前を呼ぼうとして事切れた。楊志の最期を看取った者の話しでは、「謝謝你(有難う)…」と口の動きで言っていたと言う。
また、妊婦となっていた為に対金国戦に参加出来なかった瓊英は、夫である張清の訃報を聞かされ泣き崩れた。
張清は、負傷した董平を追う 繩果(太祖・阿骨打の三男)から救う為に一騎討ちをし、得意の石礫を使い切っていたので槍に持ち換えて戦っていたが、トドメを刺そうと突いた槍を躱わされ、木に深く突き刺さってしまった。槍を抜こうとして抜けず、その隙を突かれて逆に繩果の槍を胸に受けて絶命した。
董平は、自分を救ってくれた張清の仇討ちの為に繩果を殺そうと舞い戻り、左腕を負傷していたので右手で握った槍だけで激しく打ち合った。しかし、手傷を負っていて実力を発揮出来ず、十合も打ち合うと繩果の槍に胸を貫かれて討ち取られた。
張清は命を投げ出して董平を逃したのだ。その思いを汲むならば、引き戻して仇を討とうとするべきではなかった。張清の死が、無駄死にとなってしまった。
梁山泊、いや瓊英に取って救いだったのは、この時に張清から受けた傷が化膿して破傷風にかかり、繩果は帰国して直ぐに亡くなった事だ。
魯智深は六和寺で武松の養生をしていたが、ある日、銭塘江から雷鳴の様な轟音が聴こえた。魯智深は何の音だと寺の僧侶達に尋ねた。すると「あれは潮信と呼ばれる現象で、銭塘江が逆流する音です」と聞いた。すると魯智深は、「潮信を聞いて円寂する」と言う五大山の智真長老から言われた言葉を思い出した。
「はっはぁ。どうやら、俺の寿命がもう尽きるらしい」
魯智深は、己の命の灯火が残り僅かである事を悟った。そして、武松が一命を取り留めたと聞いた魯智深は安心した。
「魯智深!魯智深、何処にいる?」
武松は目が覚めると、魯智深の手厚い介護によって一命を取り留めた事を知った。一言礼を言おうと、魯智深の姿を探した。
「おぅ、こんな所にいたのか?魯智深、ろ…」
武松は言葉を飲んだ。魯智深は座禅を組み、読経している姿で大往生していた。
「馬鹿野郎!魯智深…お前までが…俺を置いて逝くのか?」
武松は、魯智深のぶ厚い背中に顔を押し付けて泣いた。
俺は、義弟・楊志と梁山泊の頭領達の訃報を聞き、楊志を弔う為に後宮から去る決意をした。大宗師である俺が、後宮から抜け出す事くらいは簡単な事だった。軽功を使って城壁を軽くひとっ飛び…と思った所で、背後に凄まじいまでの圧力を感じた。
「何者なの?」
俺は、後ろを振り返らずに問い掛けた。
「お戻り下さい、淑妃娘娘。主上の命無くして妃嬪の方は、後宮から出る事は許されておりません」
「…どうしても、行かなければならないと言ったら?」
「その時は、力づくでもお戻り頂く他ございません」
「では、そうさせてもらうわ」
俺は軽功で城壁に飛び上がった。
「愚かな…」
声の主も軽功を用いて、俺の後に続いて飛び上がって来た。大宗師である俺が全力疾走しているにも関わらず、声の主を引き離す事が出来なかった。こうなってしまったからには、倒してから行くしか無いと思い、立ち止まって振り返った。
驚いた事に、声の主は宦官であった。だが、驚いたのはそこでは無い。その宦官が、齢80歳は超えているであろう年齢だったからだ。
「ほっほ。娘娘、無礼を承知で忠告致します。年寄りと思って甘く見ますと、痛い目を見ますぞ」
そう言って構えを取った老宦官から、異様な空気を感じた。身に纏っている外功が、只者では無いと警鐘を鳴らしていた。
「まさか貴方、大宗師なの?」
大宗師は4人では無かったのか?と思い、もしや大宗師に匹敵する者がまだ居たのか?と疑った。
「ええ、大宗師は4人では有りません。厳密に申し上げますと、その4人を束ねる者がおりまする」
「それが、お前だとでも?」
「はい。東の大宗師である貴女様は青龍。西の大宗師は白虎。南の大宗師は朱雀で北の大宗師は玄武。そして、それらを束ねる存在が、この私。中央に座す黄龍で御座います。黄龍は代々、至尊の身で在らせられる主上にのみ仕えておりまする」
「皇上専属なの?どうりで…」
どうりで見た事が無い宦官だった。徽宗皇帝の密命でしか動かない、秘中の秘だからだ。だけど、こいつの言っている事は本当だ。戦っても勝てそうも無く、逃げようとしても逃げ切れないだろう。
「私は義弟の楊志が亡くなったと聞いたから、弔う為に梁山泊に行くのよ。どうしても止めるつもりなら、自刎して果てるわよ」
相手が俺の屍体でも構わず持ち帰るつもりであれば、こんな脅しは無意味だった。俺は首に刀を当てて、老宦官を睨みつけた。
「ふぅ。何と強情なお嬢さんだ。娘娘、約束して下さい。義弟を弔ったら、必ず戻って来ると」
「分かったわ。誓う。倭国と侍の誇りにかけて誓うわ!」
日本人なら、その場しのぎの口約束なんて信じる方が悪いのよ。と思う所だが、この時代の中国人は違う。この「◯◯にかけて誓う」と言う誓いは、約束を破れば死んで償うと言うくらいの意味合いを持つ重いものだ。
老宦官は俺の誓いを聞くと、外功を解いて道を開けた。無言で右手を城外へと向けた。「さぁ、どうぞ。お行きなされ」とでも言っているみたいだ。
「有難う。約束は守るわ。皇上には、2度も勝手に城外に出てしまってごめんなさいと伝えて欲しいの」
「承知致しました」
俺は再び、無断で東京開封府を後にした。




