第57話 嵐の予感
「淑妃娘娘(淑妃様)が、お前達を釈放しようとして牢に入れられたとよ」
「淑妃…?」
石宝は淑妃が誰だか分からず、自分と関わりが無いはずなのに、何故救おうとしてくれたのか不思議に思った。
「淑妃娘娘(淑妃様)を知らないのか?てっきり知り合いかと思ったぜ。淑妃娘娘(淑妃様)は、元皇城副司だった花娘子様だ」
「花娘子だと!?そうか…」
「何だ、やっぱり知り合いか?」
「…いや、俺の様な罪人が、高貴な淑妃娘娘(淑妃様)と知り合いなはずが無いだろう?」
「それもそうだな」
人懐っこい牢番は、罪人である石宝に対しても分け隔て無く話しかけた。
「1つ、頼みがある」
「何だ?」
「もし淑妃娘娘に会う事があれば伝えて欲しい…」
石宝はこの一刻(2時間)後、刑場の梅雨となり散って逝った。
「娘娘、石宝らは処刑されたそうです」
差入れをしに来た侍女から報告を受けた。俺は悲しみで胸が張り裂けそうだった。そして、自分がこんなにも石宝を愛していた事に驚いた。
「花淑妃はどうしてる?」
「はい、それが…石宝らが処刑されてからと言うもの、何も召し上がっておられない様子です」
「何?どこまで朕を心配させおるのじゃ。この人参の羹(高麗人参スープ)を淑妃に持って行くが良い」
「畏まりました」
李大監は徽宗皇帝の命令で、牢屋に入れられている淑妃に羹(スープ)を運んだ。先述の呉大監とは別の宦官である。
大監とは、本来は北魏時代の女官に与えられた官職が最初であるが、後に宦官を指す太監と混同される様になった。この作品に於いて大監とは、宦官の役職の1つである。
李大監が牢に着くと、腰を抜かして悲鳴を上げた。
「た、大変だぁ!誰かぁ!誰か!早く!」
李大監から報告を受けた徽宗皇帝は、青ざめた顔色をして太医らに叫んでいた。
「何としても淑妃を救うのだ!」
花淑妃は腰帯を解き、それで首を吊っていたのだ。
「なんと愚かな真似をしたのじゃ…。お前はもう朕の妃嬪なのだぞ。腰帯でなど…」
中国では、貴族の女が首を吊って自害する時は、白絹を用いるのが作法である。牢の中には当然、白絹など無い。だから誰も、腰帯を利用して首を吊るなど思いもしなかったのである。
「花淑妃は倭人であり、妃嬪に列せられて日が浅い為に作法にも疎く、我々の常識が通じず予測出来ませんでした。どうか我らに罰をお与え下さい!」
蔡京、童貫、高俅ら重臣一同はわざとらしく言い、平伏した。徽宗皇帝は一瞥しただけで、直ぐに花淑妃に向き直った。
「どうじゃ?まだ意識は戻らんのか?」
それに対して太医は答えた。
「陛下、幸い発見が早かった為に、息を吹き返しております。しかし、意識がいつ戻るかまでは判り兼ます」
「そうか…まずは良かった。そちを失うては、朕は平静ではおられぬ…」
意識が戻らぬ花淑妃の手を握り締めて、徽宗皇帝は涙を流した。
一方その頃、金国は宋国との国境付近に密かに兵を集め、不穏な動きを見せていた。金国が遼国を滅ぼした後、宋国は多額の金銀財宝と引き換えに、悲願である燕雲十六州の領土を譲り受けていた。
宋国ではお祭り騒ぎとなり、官民一体となって燕雲十六州を取り戻した喜びを分かち合った。これを実現させた蔡京を、英雄視した。しかし宋国は、金国を侮って約束の財宝の半分を先に納品したが、残り半分を渡さなかった。これが金の太祖・完顔阿骨打の怒りを買ったのだ。
「四太子!四太子!四太子!」
金国の兵士らは槍を掲げ、柄を地面に降ろすと、その振動で空気が震え大地が揺れた。黄金の甲冑を着た若武者が壇上に上がると、兵士らは更に興奮状態となった。四太子と呼ばれた若武者は壇上に登り、自分を見上げる兵士らを見た。
「宋国は長年の内乱によって国力を落とし、その軍事力は脆弱であり、我が金国によって滅ぼされた遼国にも劣る。その遼国を攻め滅ぼした我々は、宋国に泣きつかれて燕雲十六州を売ってやった。しかしその結果どうだ?奴らは約束を守らず、約束の財宝の半分にも満たない僅かな金を寄越しただけだ!遼を陥とす為に、我が金国の父兄の血がどれほど流れたと思っている!?」
「信義にも劣るクソどもだ!」
「そうだ、やっちまえ!!」
四太子は、相槌を打つ彼らを手でジェスチャーして黙らせ、続きを語った。
「その通り!先に約定を破ったのは奴らの方だ!正義は我にあり!」
「正義は我にあり!!」
兵士らが、それに続いて吼えた。四太子・兀朮が愛馬に跨がって駆けると、金軍は怒号を上げてそれに続いた。
1123年、遂に金国は南下を開始する。




