第51話 李逵と喬道清
喬冽は昭徳城内で呆然として、天井の一点を見つめていた。弟弟子に敗けたのが、ショックであった。自分は幼い頃より「神童」「天才」と、もて囃されて来た。しかしその結果はどうだ?己の才能にあぐらをかき、散々に打ち負かされたのだ。
いや、こうなる事は薄々感じていた。ただ認めたく無かったのだ。師傅 (お師匠様)が一清を連れて来た時、自分など及びもしない才能を持っている事に気付いていた。ただ認めたく無かったのだ。
だから嫉妬し、嫌がらせもした。師傅 (お師匠様)が、自分よりも一清を選んでしまう事が怖かったからだ。
少しずつ頭が冷えて来ると、これからどうするべきかと思案した。取り敢えず晋寧に向かい、国師である孫安と合流して戦力の増強を図るべきだと考えた。
「こいつらはどうしますか?始末しますか?」
「いや、解放してやれ。命は助ける約束だ」
「畏まりました」
喬冽は李逵が、血の滲んだ涎を垂れ流しながらも、決死の思いで綱を咥え、耐えているのを見て胸が打たれた。
「梁山泊の絆は、まるで私と孫安の様だ。済まなかったな。…もう少し早く会いたかった。そうすれば、私も…」
喬冽が発した最後の方の言葉は、聞き取れないほどか細いものだった。彼らの様な好漢達にもっと早く会えていたならば、自分は道を踏み外したりしなかったのだろうか?一清に指摘などされずとも、今の己が正道では無く魔道を行く事など分かっている。だが、何才らを殴り殺してしまった時から、魔道に堕ちる道を自ら選んだのだ。今更、生き方を変える事など出来ない。
「まだだ。私が一清に敗れようとも、晋が敗れた訳では無い。孫安と合流さえすれば、梁山泊など相手では無いわ」
喬冽は城を捨てて、晋寧に救援に向かった孫安と合流する為に脱出を図った。城壁から探らせると、西門を囲む兵が少ないとの報告を受けた。喬冽は東門から打って出て攻めると見せ掛ける為に、わざと東門に旗を多く立て銅鑼や鐘を打ち鳴らした。
一昼夜も騒ぎ立て、2日目の深夜過ぎに決死隊と共に西門を突破した。西門を守る秦明に気付かれて追われたが、一騎討ちで手傷を負わせて逃げ仰せた。しかし安堵するのも束の間、その騒ぎで梁山泊軍に気付かれて林冲が向かって来る姿が見えた。
「くっ…林冲か…」
槍棒術には自信があったが、さすがに元八十万禁軍師範には勝てそうも無い。敗けずとも一騎討ちで時間がかかれば、逃げる時を失ってしまう。ここで戦うのは得策では無いと考え、晋寧に向けて一目散に逃げ出した。崖畔の樹林を抜け、馬を駆け続けて逃げに逃げた。
何処まで逃げて来たのか確認する為に、石崖を登って嶺を望んだ。崖を下ると人影が見え、敵か?と身構えると、それは孫安であった。
「おーい!そこに見えるは、孫殿帥では無いか!?」
晋寧にいるはずの孫安が、何故ここにいるのかと訝しんだ。もしや晋寧に着いたのか?それにしては、早く着いたものだ。それほどまでに、逃げるのに無我夢中だったのだろうと納得した。
「喬左丞相、どうしてここに?」
お互いが堅苦しい挨拶を交わした事に、目を合わせて大笑いした。
「小安(安ちゃん)、晋寧を攻めていたのでは?何故ここに?」
「阿冽(冽ちゃん)こそ、どうしてここに?」
親友である2人は、いつもの口調に戻って話し始めた。
「いや何、昭徳城が落ちたと聞いたのでな。お主の事が気になったのよ」
「小安、持つべきものは親友だな」
「何があったのだ?」
喬冽は、かつての弟弟子に術を破られ、城を捨てて逃げた事を話した。
「そうか…先程、斥候の報告で昭徳城が落ちたそうだ。これからどうする?」
「…威勝城に急行して守りを固め、晋王を守るべきだろうな?本来であれば…」
「?何を言っているのだ?分かっているなら、そうするべきだろう?」
「阿冽、ここは良く考えるべきだ。実はな、俺は既に梁山泊に降ったのだ」
「な、何だって!?」
「晋寧も既に落ちている。俺は、晋寧を攻めていた梁山泊の盧俊義に敗れ、捕虜となって投降したのだ」
「………」
「お主を説得すると言って、会いに来たのだ。考えても見よ、我らは共に国を憂い、民の為に立ち上がったはずだ。しかし晋王は、得た力を己の私利私欲の為のみに使っている。それに反して梁山泊は、替天行道の旗を掲げているだけでなく、誰にも成し得なかった遼国の南下を撃退し、遼の滅亡の一因を作った。梁山泊が私利私欲の為に動いていない事は、誰の目にも明らかだ」
喬冽は捕虜にした李逵達の姿に、かつての自分を見ていた。正道を歩んでいれば、きっと自分も彼らと共にいたかも知れない。一清の奴は、梁山泊の軍師だと言う。揺れる喬冽の心に、更に孫安は続けた。
「お主の師匠は、『徳に遇ひて魔は降る』と、お主の改心を予言していたそうな」
喬冽に衝撃が走った。師傅 (お師匠様)がその様に言ったと言うのが本当であれば、魔道に堕ちた自分が改心すると信じてくれていたと言う事だ。自分はまだ、師傅 (お師匠様)から見捨てられてはいなかったのだ。
「師傅 (お師匠様)、不肖の弟子をお許し下さい」
喬冽は二仙山の方角を向いて跪き、号泣しながら何度も謝った。
喬冽は、孫安と共に費珍・薛燦を連れて嶺を下り、公孫勝に会いに行った。公孫勝の前に出ると、拝謁して地面に額を擦り付けて罪を請うた。
「法師の仁愛を忘れた身勝手な自分の為に、我が国の大切な兵馬を損なわせてしまいました。私の罪は益々重い」
「師兄、良くぞ来て下さいました」
公孫勝は喜んで喬冽の腕を取って立たせ様としたが、喬冽は拒んで謝罪の言葉を続けた。
「罪人喬、目が有るとも人を識らず。今日、一清法師の左右に侍る事が出来て、こんな幸運な事はございませぬ」
「師兄、水臭い事を言わずに。さあ、宋兄貴の所へお連れしましょう」
公孫勝は、兄弟子と孫安らを伴って城内に入った。宋江と対面し、その穏やかな人柄に安心した。その後、捕虜にした李逵らとも対面した。
「長いこと縄を咥えてたせいで、まだ顎がガクガクするぜ!」
他の兄弟らは、李逵がブチギレて喬冽に襲いかかるのでは無いかと肝を冷やしたが、意外な反応で皆は驚いた。
「宋兄貴の為に働くなら、オイラ達はもう仲間で同じ釜の飯を食う兄弟だ。今日から宜しくな!」
喬冽も、李逵に殴られるくらいは覚悟していた。それを責めるどころか、あっさりと仲間と認めてくれたのだ。喬冽は思わず涙ぐんだ。
「けっ、よせやい!湿っぽいのは好きじゃねぇぜ。酒でも飲んで、お互い昔の事は水に流そうや」
李逵のサバサバとした根に持たない性格に、梁山泊の義兄弟達は微笑ましく思った。李逵が憎めない所は、こう言う所だと皆は思い、その輪に入って共に酒を飲んで騒いだ。
「嗚呼、梁山泊に来て本当に良かった」
喬冽は、グイっと杯を飲み干した。その酒の味は少しだけ、しょっぱかった。
本当に中国語と言うのは難しい。なにせ日本語は50音しか無いのに、中国語は第四声まであり、その組み合わせによって1300音以上あると言われている。分かりやすく言うと、「あ」の発音の仕方が4種類あると言う事。
中国語はこの発音で文字の種類を読み分けているのだ。発音で漢字の種類が変わる為に、間違った発音をすると意味が変わって来る。しかも現在は第四声だが、かつては第13声とか、もっとあったとも言われている。
日本で例を挙げると青森弁などは、津軽弁、南部弁、下北弁と3種類あり、同じ青森県民なのに、お互いにそれぞれの方言が何言ってるのか理解出来ない。
これと同じく中国語では、地方の年寄りなどはまだ第四声以上の発音をする為に、何言っているのか理解出来ない。この為、中国ドラマなど同じ中国人に対しても必ず字幕スーパーが表示されている。
だから中国語は難しいんだと前置きをして、特に日本人には難しい。たった50音しか発音していない日本人が、1300音も発音を聞き分けるのは厳しい。
例えば師兄の発音「シーシィォン」は、何度聞いても「シーション」と言ってる様にしか聞こえない。他にも「皇」をカタカナ表記で「ファン」とされる事が多いが、中国人は「ファン」とは言っていない。この作品では「ホワン」と表記している。
「皇后」は「ホワンホォ」だが、この「ホ」の発音が聴き取れにくいし、「ホーホー」と言ってる様に聞こえたりもする。「皇上」は「ホワンシィァン」で、「ワンシャン」と言ってる様にも聞こえる。
本当に中国語は難しい…と言うお話でした。




