第48話 宋江、敗れる
「喬左丞相か。お主が行ってくれるなら、梁山泊など敵では無い」
幻魔君・喬冽は、晋国に於いて護国霊感真人と呼ばれて敬われ、左丞相の位に就いていた。
「だが、壺関は左丞相が行ってくれるので良いとして、実は晋寧を守る三弟(田虎三兄弟の末っ子である田彪の事)からも援軍要請が来ているのだ」
「それには心配及びません。某が参りましょう」
晋寧の援軍を買って出たのは、喬冽と同郷の孫安であった。孫安は、晋国に於いては殿帥に就き、晋軍を統括していた。
孫安は父の仇討ちをして、役人の追求を逃れる為に逃亡していたが、同郷で親友だった喬冽が田虎の配下となっている事を知ると、彼を頼って晋に来た。喬冽の推薦を受けて田虎の配下となり、手柄を立てて殿帥の地位を得た豪傑である。
「おお、孫殿帥か。お主ら2人ならば万が一の事などあろうはずが無い。宋江の首を楽しみに待っているぞ」
「ははっ!お任せ下さい。首領のみならず、頭領らの首も添えて見せましょう」
孫安は、喬冽と並んで退室して行った。喬冽は8歳で棒術をマスターしたが、唯一打ち負かされた相手が、この孫安であった。孫安より強い者など見た事が無い。そして仙術に於いては、自分に勝る者などいないと思っている。師傅 (師匠)である羅真人が、浮世に関わる事など有り得ないからだ。
梁山泊軍は、田虎から降った唐斌と耿恭の2将を道案内役として先陣に置いていた。降将を先鋒とする事は、珍しくは無い。偽投降を疑っているので、かつての味方と戦えるのかと忠誠を試し、また、降将に手柄を立てさせて、古参の配下達に仲間であると打ち解けさせる意味合いもあった。
北西の方角に軍影が現れた。その旗印を見た耿恭は、腰を抜かすほど驚き恐れた。
「何と!信じられない。まさか、もう出て来るとは…」
その旗印には、『護国霊感真人 軍師左丞相 征南大元帥喬』の文字があった。李逵が500人の手勢を率いて突撃しようとしていたので、耿恭は李逵を止めた。
「お待ちを!あの者は晋王の配下の中で最も強く、更に妖術まで使う恐るべき相手です」
「ははは。俺様が軽く捻ってやらぁ。そんなにびびってちゃあ、勝てるもんも勝てやしねぇ」
「李逵殿、敵を軽んじられぬよう」
唐斌も李逵を諌めたが、李逵は既に興奮状態で耳を貸さなかった。鮑旭は敵の弓矢を警戒して、500人の手勢に団牌(盾)を装備させた。李逵は怒号をあげて、晋軍に斬り込んだ。
幻魔君・喬冽は、恐れを知らず向かって来る李逵を見て大笑いをした。
「ははは、血迷うたか?勇気と無謀を履き違える者は愚か者よ。蟻が象を倒せるものか!」
「疾っ!」
喬冽は剣を抜いて天に掲げ、ぶつぶつと呪文を念じた。すると、雲一つ無く青々とした晴天が、見る見るうちに黒雲で覆われ辺りには黒霧が漂い、強風が起こり土を飛ばして塵を巻き上げた。そして、その塵が土壁となって李逵達を取り囲み、黒霧が包み込んで閉じ込めた。
閉じ込められた李逵達は、暗闇の中では一条の光明も無く、手足は黒霧に掴まれて髪の毛一本でさえ動かす事は出来なかった。言葉を発する事も出来ず、耳には風雨の音だけが聴こえていた。
「ははは、見たか我が法力を!我を恐れよ、我を讃えよ!我は人に非ず!幻魔君なり!」
李逵達が捕えられた。梁山泊軍は動揺して押され始めたが、朱武と呉用が立て直して壺関の門を開け、吊り橋を降ろして兵を退かせた。しかしその好機を逃さず、軍勢を率いて喬冽は押し寄せた。
宋江は怒って怒鳴った。
「我が兄弟達と500の配下を返せ!さもなくば、貴公を捕えて屍を臼で挽き、畑に撒くぞ!」
「ははは、笑わせてくれる。宋江よ、人智を超えた存在であるこの幻魔君を、どうやって捕えると言うのだ?」
宋江は激怒して、林冲、徐寧、索超、張清、魯智深、武松、劉唐に下知して一斉に攻めさせた。
喬冽は目を閉じて呪文を唱え、剣を抜いて大喝した。
「疾!」
喬冽が呪文を唱えると、西の彼方から数え切れない程の魔兵が、黒雲に乗って襲来するのが見えた。朱武は素早く兵を配置して、襲撃に備えた。
「疾!」
喬冽が続けて呪文を唱えると、天地の光を遮って闇が広がり、起こした風が砂を飛ばして石を巻き上げ、大地を揺らした。天変地異を起こし、闇に乗じて魔兵が梁山泊軍に襲いかかった。魔兵は甲冑や鎧を着ていたが、その剥き出しとなった顔は骸骨だった。
林冲らは応戦したが、視界を奪われて実力を発揮出来ず、身を守るだけで精一杯であった。そこへ宋江の悲鳴が聞こえて、首領を守る為に林冲は馬を回し、獅子奮迅の働きで血路を開くと、北を目指して逃げた。
喬冽は、魔兵を率いて宋江の後を追った。まだ昼前であったはずなのに、空に暗雲が立ち込め、星一つ見えない夜闇が広がっていた。それでも宋江らは平野を駆け、北へと走った。
「疾!」
喬冽が呪文を唱えると、平野は大海へと姿を変えて行く手を遮った。
「馬鹿な!海だと!?」
断崖に変わった先には、大海原が広がっていた。馬は怯えて、そこから先に動こうとしなかった。背後から魔兵が押し寄せて来るのが見えた。魯智深、武松、劉唐が吼えた。
「大哥(兄貴)、この先に道は無し。なれど、手をこまねいては縛に就くしか無い。平野が大海に変わるなど、有り得ない事。幻術の類いに違いありません。我らが時間を稼ぎますので、早くお逃げ下さい!」
武松は、命を賭して義兄である宋江を守ると言った。魯智深と劉唐も、武松に続いた。魔兵が追いついて3人を襲ったが、蹴散らされて傷一つ付けられなかった。
「疾っ!」
喬冽は埒が開かないと、呪文を唱えた。すると黒雲から光が差し込んで、金色の甲冑を身に纏った神人が現れて、3人を手で掴んで捕えてしまった。
「宋江!もはや逃れられん。馬から降りて大人しく捕らわれるならば、命だけは助けてやろう!」
宋江は天を仰ぎ見て嘆いた。
「宋江、死すとも惜しむに足らず。ただ君恩、未だ報ぜず。両親は年老い、自分の他に面倒を見る者もいない。李逵ら兄弟を救う事も出来ず。事、ここに至れば、死んで辱めを受けず」
宋江は剣を手にして、自刎しようとした。林冲、徐寧、索超、張清、湯隆、李雲、郁保四の7人も「死んで護国の鬼となりて、賊徒共を殺さん!」と言い、宋江と共に自刎しようとした。その時、声を掛けて来た者がいた。
「待ちなさい!早まらないで!私は土地神です。貴方達の忠義の心に打たれました。貴方達を救って、水寨に帰してあげましょう」
その土地神の頭には2本の角が生え、赤い髪に青黒い肌をしていた。少し肌けた胸元の膨らみから、女神と見える。土地神が大地を握って海原に土を撒くと、一条の道が出来た。
「さあ行きなさい。妖水は滅しました。速やかに陣営に帰り、力を蓄えて国の為に報じなさい」
土地神が魔兵に向き直ると、土地神の姿形は風となって消え、その風は旋風となって魔兵に吹くと、骸骨兵は崩れて塵となって消えた。
林冲らは、宋江を護って陣へと逃げた。
幻魔君・喬冽は、塵に還られて崩れた魔兵に追い付き呟いた。
「この法力は…まさか師傅 (お師匠様)か?馬鹿な…下界に興味が無い師傅 (お師匠様)が、何故だ?何故、私の邪魔をするぅぅ!!」
喬冽は、宋江らが去った方角の天を仰ぎ見て吼えた。




