夢を叶える一つの輝き。
それは、春先のことだった。時刻はおよそ十四時頃という昼下がり。その日は休日だという事もあり、街は活気とともにこの時間帯特有の微睡に包まれていた。
そんな誰もが穏やかさを堪能していたそんな時、街の中でも一際異彩を放つとある建物から不安を駆り立てるような大きな爆発音が聞こえてきたのである。
響く轟音と、立ち込める白煙に人々は皆一成に圧倒され、そしてその後一瞬の間に広がったパニックによってまさしくクモの子を散らすように四方散り散りに逃げ惑う。
そして、その爆発を起こしたのは、例の『双樹』の一角。プロジェクト『ブリーディング』が行われていた部屋部屋のうち一つで、問題は起こった。
簡単に説明すると、それはとある一人のホムンクルスの暴走によるものであった。
この『ブリーディング』プロジェクト、大雑把にって仕舞えばDNEの構造が極めて近しいもの同士で次の世代を造るというものである。そうするとどんな問題が起こるのか。生まれてくる子供のどこかしらに異常が出やすいのだ。
ただそれだけならば、問題はなかった。倫理的には不味い事だろうが、少なくとも大ごとにはなりはしない。
しかし、彼らは皆受精の方法から生まれてくるその時まで普通とは違う。そして皆魔術錬金術において人並み以上の才能があり、環境故その手のものに明るい。これが不幸を読んだのだ。
彼は、生まれた時は何の問題はなかった。十四になるその時まで、至って普通のホムンクルスとして生活していた。いや、もしかしたら誰も知らないどこかで、その兆しがあったのやも知れぬ。
その日、突如として彼はその体を奇形の化物へと変えてしまった。なりは鬼のようであり、正気はとうの昔に消えている。低いうねり声を響かせ、赤く光る目は人でないと一目でわかるほどギラギラと、丸々としていた。
その悪鬼は非常に強力な魔力を使い、近くにいた人々そのすべてを虐殺して回った。
人を憎んでいるようにも見えず、また楽しんでいる節もない。ただひたすらに目に入った物をぐちゃぐちゃに壊し尽くす、アレはもうそれしかできない哀れな存在なのだ。意味も意志も意義もなく、無意味に無意識に無作為に壊すだけの存在。
ーーーーまさに鬼。
幸いだったのが、これが『双樹』の建物内で起きた事だろう。もし、この異形の怪物が大衆の目に晒されていれば、パニックはより大きなものになり、二次災害まで起きていたかも知れぬ。
そしてここには一般人とは違う力を持ったものが集まっている。本来ならばこの場所での化け物騒動など、即鎮圧されるためにあってないようなもの。
それが、対応に当たった全ての人がまるで歯が立たなかった。元々至高の存在を作り出すためのプロジェクトでできた副産物が暴走した結果だ。誰も敵わなくて当然と言える。
低能の職員は逃げ出し、対応にあたる上級の職員ですら僅かな足止め程度にしかならない。すでに被害は二桁後半に差し掛かっておりこのままでは『双樹』そのものが再起不能のえもいわれぬ状況になってしまう。
逃げ惑うのは職員だけではない。無論その中には変わり果てた貴奴と同じホムンクルスもいる。だが、被験体の一人がこうなってしまってはおそらく皆廃棄処分されることだろう。そして、それは彼ら自身もよく理解している。
それでも、今はあの羅刹の様な存在から逃げたかった。ただ殺されるのと、処分される可能性が高いとでは大きな差がある。それに、化物に嬲り殺されるだなんて最期は真っ平御免だった。
そしてそれはあの少女も例外ではない。天賦の際を持ち合わせていても、彼女はそれを戦闘に置き換える術を知らなかった。ただひたすらに造り編み出す事のみをしてきたものにとって初実践の相手としては、あの化け物は荷が重すぎる。
それでも、どうにかその歩みを遅らせようと足掻いているうちに、ついに最後の一人となってしまった。いや、最後の一人というのは間違いだ。もう一人、この場に残っているものがいる。
「あぁ、酷いな。やはりこんな事行うべきじゃなかったんだ。」
「・・・爺様?」
いたく悲しそうな声でそう溢した還暦を超えた老人、エーヴィルが後ろから現れ、優しく少女の肩に手を置く。
「まったく、やった事もないのにあんなの相手にやる事じゃないよ。こういうことは大人に任せて素直に逃げるべきだ。」
「・・・ずっと部屋でものづくりに没頭してる貴方がそれをいうのですか?」
「はっはっは、まぁそう思われてもしょうがないか。とは言えーーーー。」
小さく、おそらく彼にしか聞き取れない声で短く紡ぐ。
刹那、鬼の周りを囲うようにして無数に展開する魔法陣の数々。そこから放たれるは白き鋭刃。形成された白刃の檻は悪鬼の皮膚を切り裂きその動きを止める。
「何、昔取った杵柄という奴だ。」
そう、特に大したことでもないといったふうに言葉にするエーヴィル。
彼がまだ『双樹』に入ったあたりの頃、まだ十五かそこらの頃だ。その頃の彼は、自身の夢であった英雄になることを目指し、研究の他にも郊外まで出向いて実践練習を兼ねて、害ある魔物たちを狩っていた時期があった。そこで、錬金術の攻撃的な使い方や魔術をより効率よく使う術、そして物と対峙する経験を培ったのである。
流石に今は外出までとはいかないが、錬金術師の研究には何一つとして意味のない殺傷性の魔術の修練だけは密かに行っていた。
「うむ、格好はつけてみたが長くは持たないだろうなぁ。3分でも持てば上々といったところか。」
言葉通り、すでに動きを抑えている光刃にはヒビや黒い汚染が確認できる。それは時を追うごとに僅かにだが広がっていた。
「?何をやっているんだ。早く逃げないか。まだ死にたくはないだろう?」
「・・・どうせすぐに処分される運命です。ですから、ここでアレを倒すために残ります。」
先程まで目の前で起きていた事態に驚きから惚けていた少女は「逃げろ」というエーヴィルの言葉で我に帰る。そして自身の運命を悟ってか今ここに残り、かの化け物に一矢報いることを望んだ。しかし・・・
「ダメだ、今すぐここから去りなさい。」
「どうせ死ぬのにですか!?だったらせめてここで・・・。」
「君は死なないよ。」
声を荒げて抗議する少女に、彼は冷静にただ一つの事実を持って答えるだけ。そして、その「死なない」と言ったエーヴィルの言葉に、彼女はすっとんきょんな声を上げる。
「・・・へ?」
「言葉の通りだ。君はこの後も生き続ける。『ブリーディング』なんて巫山戯た企画始まって以来最高の才能。最もソレに近いと言われている君を、皆がこんなことで廃棄させるわけがない。それに王妃も君のことを気に入っていると聞いた。まず、君だけは助かるさ。」
君だけは、つまり他の皆はそのまま予測通り殺処分されるのだろう。それは、この少女にとってあまりにも非常な情報だった。自分だけが生き残る。ただ才能が飛び抜けて高かったというだけの理由で。きっと、もっと生き残るのに相応しいのもいたことだろう。もっと生きたかったものもいたことだろう。それを全て差し置いて自分なんかが才能如きで選ばれるなんて。
「そんなこと・・・私にはできません。」
「いやぁそんなふうに言ってくれるとは、とても良い子に育ったもんだ。・・・俺はね、よかったと思ってる。確かに何百人もの子たちが、意味もなく無残にも殺されていく。それでも、たった一人でも生き残れる者がいるっていうのは喜ぶべきことなんだ。」
「で、ですが、貴方はどうするのですか!?こんなのを一人で相手にするだなんてとても無理な話です!!」
「俺のことは気にしなくて良い。こんなクソみたいな研究をやめさせられなかった責任というものがある。せめてけじめくらいつけさせてくれ。」
前回、初めて彼がこのプロジェクトに加わった時、感じたものは失望と憤慨だった。『双樹』の歴史上、幾度となく繰り返されてきた由緒正しき企画だと説明された時、それに若くして自分が加われるという事もあって、興奮と光栄さに胸躍らせていたが、いざ入ってみればそんな幻想は尽く紛失されてしまった。
高みを目指すためのプロジェクトとといえばそれはまぁ聞こえの良いものであるがしかし、いざ蓋を開けてみれば、検体のホムンクルスをまるで道具のように扱い、用がなくなればゴミのように廃棄。そして、また彼らを生み出す方法も決して褒められたものではない。
きっと、この道に進むものからすれば検体をどう扱おうが構わず、それらのことなど考えないのが普通なのだろう。だが、かつて見た本の中の英雄に憧れた彼にとっては、それは見て見ぬ振りなど出来ず、まして普通のことなどと曰う事も出来はしなかった。
すぐに辞めさせることができればよかったのだが、その当時彼はまだ下っ端の何の力も持ちはしない一職員の一人に過ぎなかった。そんな男の言葉なぞ戯言として一蹴されるだけで、結果エーヴィルは唇を噛みながらただひたすらに従う他なかった。
そして今回、彼はついぞこの計画に反対いたが、しかし強引にも王妃の一存により決行が決まってしまった。だからこそ、今回はせめて、せめてもう少しだけでもまともな扱いをさせるようにと、非道がその底を見せぬようにと、もう一度この計画に加わったのだ。
だから、だから、だからこそーーーー
せめて君だけは生きてくれと。
「さぁ、早く行くんだ。あれももうもたない。」
「ま、待ってください!私は、私はまだ!もっと、もっとあなたから学ぶことが・・・!!」
「まったく、この世は学ぶだけじゃあないよ。けどまぁ、最後に一言ぐらいあっても良いか。これから先、めいいっぱい楽しむんだよベロニカ。」
名前を呼ばれた瞬間、堪えていた涙がこぼれ落ちる。本当は行きたくなんかない。だけど、目の前のあの人はそれを望んでいない。
だから、ゆっくりと重い足を持ち上げて、仰反るほど引かれる後ろ髪を振り切って、出口に向かう。
そして彼女の姿が見えなくなった時、まるで待っていましたと言わんばかりにタイミングよく砕ける白刃の檻。温かい目で、消えて行くベロニカの後ろ姿を見ていたエーヴィルは、それに向き合い瞬き一つを挟んで哀しげな表情を向ける。
「悪いなぁ、こんな姿になっちまってその上一緒に行くのがこんな老いぼれのジジイで。お前さんも若いイケメンの方が良かったろ?」
返事はない。ただ肌をつくような殺意と悪意が伝わってくるだけ。それをわかっていての独りよがりの問いだ、気にすることなく構える。
「さて、そろそろ始めるか。ボタンはどこかで掛け違えちまったが、着てるものまで間違えたもりは、ない。俺は強いぞ?」
そうして、展開される数多の魔法陣、浮かぶ短剣の数々。手には取り出した薬品を掴み、臨戦態勢へ。
それと呼応する様に成れの果ても、雄叫び嘶せ、がむしゃらに向かって来る。
燈滅せんとして光を増すその中、エーヴィルの脳裏によぎるのは、かつて夢見て諦めきれなかった夢の記憶。
「(むつかしいなあ。どうやれば、俺は英雄に慣れたんだろうなぁ。)」
その日、『双樹』で起きた数百年来の騒動は、激しい破壊音ののち起こった眩い閃光によって幕を下ろす。最後にアレがいたと思われる場所に残っているものはなかったという。
ひとひらの命と、国を守った英雄のことを知るものは、少ない。




