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ロストメモリー  作者: 島山 平
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成田賢太郎の日記(12) 六月二十一日 (月)

 一つ、わかったことがある。有紀子さんは、今日の一日を楽しんでいた、ということだ。中村課長と過ごした休日を。


 朝から有紀子さんのアパートの側で待機していたら、やはりというのか、中村課長の車がやってきた。建物の側で停車した車に見覚えがあって、それはアピタの駐車場で見た、中村課長のものだと気づいた。あのときは、やはりと思うと同時に、体中に悲しみが染み渡った。十時七分前、二人がデートをするという事実を確信した時間だ。

 ボクたちの距離は二十メートルほど離れていて、中村課長がこっちを気にする様子はなかった。それでも、有紀子さんが現れたら、ボクの存在に気づくかもしれない。記憶がなくても、ボクの車のことが気になる可能性がある。なにしろ、彼女は何度かボクの車に乗ったのだから。

 急いで車を発進させ、アパートの向こう側に姿を消すことにした。車を降りて、アパートが見える位置まで歩いて移動した。あのときの自分は、本当に惨めで悔しかった。コソコソ隠れて、好きな女性が他の男とデートに出掛けるのを見ているしかなかったわけだから。


 建物から現れた有紀子さんは夏らしい軽やかなワンピースを着ていて、恥ずかしそうに中村課長の車へ乗り込んだ。車が発進して、ボクのいる方へ進んでくる予感がした。本当にヤバいと思って、慌てて車まで戻り、二人を追うことにした。悪いことをしているような、ハラハラした恐怖を味わった。でもやっぱり、悔しかった。

 二人は喫茶店 (昔ながらの) に入り、ボクは店が見える位置で待機するしかなかった。有紀子さんの家から十五分ほど走ったところにある喫茶店だった。若い女性を誘って入るにしては、少しばかりジジ臭いのではないかと思うほどの店。

 でも、外から確認したところ、有紀子さんは終始笑顔だった。彼女の性格ならば多少つまらなくても相手に気を遣うと思うけれど、あれは本物の笑顔だったと思う。店を出てきて車に乗り込むときも、歩き方がウキウキしていたくらい。ボクを誘って、初めて二人で出掛けたところも喫茶店だった。案外、有紀子さんは古い店を好むのかもしれない。

 本当は、ボクも店内に入りたかった。もっと近くで、二人の様子を確認したかった。でも、こんな顔をしているからそれはできない。ボクの顔は目立ち過ぎて、一目見たら忘れられないくらいの印象を持たせてしまうようだ。尾行には向かない。この顔のせいで、決して探偵にはなれないと思う。


 夕方、有紀子さんがアパートの側で車から降りるまで、二人の行動は概ね観察できた。車の中はわからないけれど、二人は若干の距離を保ちながら、それでいて親密そうに接していた。

 中村課長が、有紀子さんに対し意図的に近づこうとしないのが印象的だった。手や肩がぶつからないようにしているのがわかったし、人混みで距離が近いときも、有紀子さんのカバンに触れるようにして彼女を守っていた。それが悔しかった。

 彼の悪いところを、下心丸出しなところを見れば、嫌いになることもできたかもしれない。有紀子さんが今日のデートを嫌がっている素振りでも見せてくれたら、二人の今後は進展しないと安心できたかもしれないのに。そのどちらもなく、健全なデートだけを見せつけられた。ボクが付け入る隙なんて、どこにもなかった。


 今、こうして日記を書きながら、思うところがある。誰かを愛するということは、その相手を手に入れて初めて、証明されるのだろうか。恋人になり、やがて結婚する。婚姻届を出して夫婦となる。そんな結果を残さなくては、愛しているとは言えないのだろうか。

 違う、きっとそうじゃない。

 言葉にはできないような、結果や形なんて必要のない想いが、愛なんだ。相手を想いやる、その人のために尽くすことが、愛。具体的に、結婚して生活を共にし、支え合うのも愛。一方で、遠くから見守り、相手のためになるように努力するのも愛。ボクの愛は、どっちなんだろう。どっちなら、有紀子さんを本当に幸せにしてあげられるんだろう。


 ボクは有紀子さんを愛している。できることなら、死ぬまで一緒にいたい。でも、今の有紀子さんにはボクに関する記憶がなく、中村課長に惹かれている。それは紛れもない事実。そして、彼女は今、苦しんでいない。むしろ、幸せに包まれている。きっと、記憶を失いさえしなければ、ボクと二人で幸せを分かち合うことができていたと思う。

 だからといって、そうでなくてはならないのだろうか。ボクと過ごすよりも、中村課長と過ごす方が幸せ、その可能性はゼロではないのではないか? 二つは比べようがないけれど、少なくとも、現状で有紀子さんが幸せなのは事実。それなのに、ボクが横やりを入れて、以前の関係を修復しようとするのは正しいことなのか? それは、有紀子さんの幸せに繋がるのか?


 ボクにはわからない。もしかすると、以前の関係を修復したいという気持ちは、ボクのエゴなんじゃないのか。現在の有紀子さんは、そんなこと望んではいない。記憶がないのだから。

 自分が有紀子さんとの幸せを掴むために、彼女の今の幸せを奪っても構わないのだろうか。どうすれば、彼女を本当の意味で幸せにしてあげられるんだろう。

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