43 強襲
――ソレにとって"破壊"という行いに理由などなかった。目的もなければ意味もなく価値もない。
原初の頃より己の内に刻まれた本能であり衝動であり生理的欲求に過ぎなかった。
しかしそれでも嗜好性というものは確かに存在した。
どうせ破壊するなら物言わぬ土塊や木々よりも生き物が良い。
特に自分と似た形をした小さなモノであればなお良い。
存在そのものが不快なモノたちであるが、だからこそ引き裂き踏み躙った時の爽快感がたまらない。
故に――ソレはその光景を前に躊躇うことなく行動を開始した。
◇ ◇ ◇
月と星の照らす夜闇の下で彼らは走る。
しかし幼く疲労の溜まった子供たちを連れたその歩みは、決して軽快とは言えなかった。
「ああ、くそっ! なんでバレたんだ!?」
少年の手を引きぼやくコルネリアだが、同時に仕方がないとも思う。
自分たちを見張っていた村人に子供たちを捕らえていた牢の見張り、どちらも意識を奪い縛って転がしただけだ。
間が悪ければ見つかることもあるだろう。
「稀人の餓鬼共がいないぞッ!?」「余所者もだ!」「見張りはどうした!」
背後の村から響く怒声が状況の望ましくない進行を伝えてくる。
「……とにかく……キトゥたちと……合流する。……子供たちを助けた以上……こんなところに……用は……ない」
「同感だ、急ごう」
子供の一人を背負って進むクフォンの言葉に、同じように子供を背負って同意する。
他の子供たちも弱った体で懸命に足を動かす。クロエは殿を務め、背後を警戒している。
幸い合流場所は村からそれほど離れた場所ではなかった。
走って走って走り続けて無事にその場所へと辿り着く。
「クフォンッ、無事だったか!」
黒装束の一段から走りよってきたのはキトゥ。
事前の打ち合わせで、クフォンだけが村の中に侵入する事になり、その事に最も強く反対していた少年だ。
彼女への心配が人一倍なのも無理はない。
「……私は……大丈夫……それより……子供たちを」
しかしそのクフォンはといえば、今にも抱きつきそうな様子で駆け寄って来たキトゥを素通りし、背負っていた子供を黒装束の一人に預けた。
そんな彼女の指示を聞き、他の黒装束たちも各々子供たちを保護する。
どうやら子供たちの救出は無事に成功したらしい――キトゥは手を広げたまま固まっているが――ことを確認したルークたちも一息つく。
――しかしそんな彼らに無粋な声がかけられた。
「……ハァ……ハァ……。や、やっと……追い付いた……ぞ」
膝に手をつき荒い息を吐きながら、そう言ったのは村の代表者であるギリコ。
彼の背後には他の村の男たちも追い付き、此方を睨み付け剣呑な空気を発している。
やはり事が公になったのが早かった上に、子供連れで逃走が遅れたのが不味かったらしい。
救出こそ成功したものの、結局追い付かれてしまったようだ。
「くそっ、やっぱりソイツラが目当てだったのか……!」
「別に元はそういうわけじゃなかったんだけどな」
ソイツラ――保護された子供たちに視線を向け、忌々しげな声で吐き捨てるギリコ。
コルネリアはそんな彼に軽蔑の眼差しを向けつつ答える。
「ソイツラを返しやがれ! 大事な商品なんだよ!」
「……商品ね」
口から唾を散らしながら怒鳴るギリコの言葉にクロエは瞳を冷たくする。
「――もう諦めろ。人身売買は王国法で禁じられている」
「ふざけんな! ソイツラは稀人だッ、人間じゃねえ!」
己の非を認めず、さらには蔑称すらも口にする男の姿に周囲の黒装束が殺気立っていく。
ここままギリコに喋らせ続ければ、何時彼らが爆発してもおかしくない。
(……これはちょっと不味いな)
状況を認識できていないのではないかと思われる村長に対してルークは口を開く。
この場で交戦などどいう事態は双方にとって好ましくないと判断したのだ。
「確か……ギリコさんでしたよね。諦めて出頭してください。僕たちは王都に戻ったら今回の件を報告するつもりですし……この状況で彼らから子供たちを奪えるとは思わないでしょう?」
「……ぐぅ……ッ!」
これはルークなりの譲歩だった。
『リヴェルの民』は皆高い身体能力を持ち、此方を監視していた以上自分たちが魔術を使えることも知っているはずだ。
如何に人数で上回ろうとも、この条件下で子供たちを奪うことなどできるはずもない。その程度の事は村人たちでも理解できているはずだ。
加えて自分たちはともかく、クフォンたちは村人に対し手を抜く理由は全くない。
そして仮にルークたちが王都で通報したとしても、彼らの背後にいるであろう人物次第では揉み消すことも可能だろう。
そうでなかったとしても、王都から調査なり何なりが来るまでに、証拠を処分するなりして逃げればいい話だ。
だからこそ彼らは大人しく見逃すのではないかとルークは思っていたのだ。
しかし、
「――うるせえっ! こっちは失敗するわけにはいかないんだよ!」
村の代表であるギリコの叫びと共に、村人たちは一斉に手に持った斧や鍬を強く握りしめる。
これは予想外だ。彼らがここまで必死になる理由が理解できない。
というよりもこれは、
(――怯えている?)
そう、彼らの表情には敵意以上に怖れがあった。それも目の前の自分たちに対するものではない。
もっと別の"何か"に対する恐れだ。その恐れが彼らから引くという選択肢を奪っている。
それが何かはわからないが、彼らの敵意に呼応するかのようにクフォンたちも敵意を剥き出しにし、彼らは月明かりの下で激しく睨み合う。
双方武器を構え、互いに一歩も引かぬ心構え。
説得は意味を持たず、ほんの小さな切っ掛けで一気に爆発しかねない緊張感が場を支配していた。
「――え?」
そんな中、その戸惑ったような声を上げたのはいったい誰だったのだろうか?
――村人たちと向き合って対立していたが故に、ソレを真っ向から見ることになったルークたちか。
――それとも自分たちに差す巨影に気付き、振り向き仰ぎ見た村人たちか。
――あるいは……ソレの片手に捕らえられ、今にも喰われかけている若い男か。
「……あ、やめ――」
男の言葉が最後まで発せられることはなかった。
生々しく不快な音が辺りに響き、首を失い残された男の体から鮮血が噴水のように吹き出す。
――ソレを構成する要素は、手、足、頭とシルエットだけならば人に近かった。
――ソレの身の丈は成人男性の倍はあった。
――ソレの全身は黒い剛毛に覆われていた。
――ソレは片手に死体となった男を掴んでいた。
――ソレの耳まで裂けた口は顔の半分を占め、剥き出しの乱杭歯の間からは異様なほどに赤い舌が覗き、ポタポタと血が滴り落ちていた。
「――【迅雷】ッ!」
その場の誰もが動きを止める中、真っ先に動いたのはルークだった。
咄嗟に放ったのは最も使い慣れた攻系魔術。ただの化外であれば十分に対処できる威力の一撃。
しかし――ソレが豪風と共に片手を振るうとバチリと音を立てて雷撃は弾かれた。
ソレの様子からは何の痛痒も見られない。
「け……化外だぁあああっっ!」
「ビ、ビルが……っ、ビルがぁあああ!?」
「逃げろ! とにかく逃げるんだ!」
一拍遅れて、その光景を前に正気を取り戻した村人たちが恐慌状態に陥る。
彼らは蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出した。
そしてそんな彼らを見たソレは、まるで獲物を見定めるかの如く鮮血のように紅く染まった単眼をゆっくりと細める。
そして――蹂躙が始まった。