第三十四話 妃教育とバランス?
「――それではルチア様、本日は王妃宮より招かれた『伝統の妃教育:宮廷礼儀作法の神髄』の御講義でございますわ」
自室の扉を開けるなり、侍女のエレノアがシャキッとした足取りでそう告げた。
(……また始まったわよ。この前は夜会デビューとスパイ騒動で胃が爆発しかけたっていうのに、今度は本格的な妃教育ですって?)
前世で48歳のおじさん(元ニート)を生きていた私にとって、「宮廷の厳格なマナー」や「王族を魅了するための作法」なんてものは、宇宙の神秘ほどに縁遠い世界だった。だが、今の私はグランチェスター公爵家の令嬢にして、アストルフォ王太子の婚約者。逃げることは許されない。
「はあ……。分かったわよ、エレノア。今日も今日とて、完璧なお嬢様を演じればいいんでしょ……?」
私はため息をつきつつ、コルセットで締め上げられたウエストと、日々のホルモン分泌で育ち続ける圧倒的な胸元のバランスを確認しながら、講義室へと向かった。
講義室の長机の前に鎮座していたのは、王宮きっての「鬼の礼儀作法教官」として恐れられる、厳格な伯爵夫人マチルダであった。その目はガラス玉のように冷徹で、一目見ただけで背筋が凍りつく。
「お見えになりましたね、ルチア様。王太子の妃たる者、立ち居振る舞い一つで国が揺らぐ心得ておきなさい。……まずは基本中の基本、『完璧なカーテシーと、お茶会の優雅なエスコート作法』を見せていただきます」
(いきなり実践かよっ!?)
私は心の中で絶叫しつつ、脳内の「これまでの完璧なお嬢様ムーブ」の記憶を総動員した。
ドレスの裾を上品につまみ、背筋をスッと伸ばし、顎を15度引く。
(ふふん、これまでの舞踏会や数々の修羅場で培った私のお嬢様スキルを舐めないでよね……っ!)
優雅に膝を曲げ、完璧な角度でお辞儀をきめる。
しかし——その瞬間、私の身体の「ある変化」が悲劇を引き起こした。
「ふむ……姿勢の美しさは見事です。ですがルチア様、少し前傾姿勢になりすぎて……おや?」
マチルダ教官が怪訝な顔をする。
原因は明白だった。連日の過剰な栄養摂取とホルモンの影響で「異常発達を遂げた胸元の圧倒的ボリューム」が、重力に従って前方に猛主張を始めていたのだ。
(あ、やばい……! 重心がおかしい……胸の重みでバランスが……っ!!)
バランスを崩した私は、優雅なカーテシーから一転、そのまま教官の目の前へとダイブする形になってしまった。
「きゃっ……!?」
「――っ!?」
私の「育ちすぎた胸元」が、マチルダ教官の胸板(正確にはお腹付近)にドスッ!と完璧に直撃する。
静まり返る講義室。
教官は目を見張り、信じられないものを見るような目で自分の胸元と私を交互に見つめた。
「な……なんという……。礼儀作法の最中に、これほどの『暴力的なまでの豊満さと柔らかさ』で教官の急所を突くとは……っ! これでは作法どころではありません、精神攻撃ではありませんか……っ!!」
「ち、違うのよ教官! これは意図してやったわけじゃなくて、私の肉体が勝手に……!」
冷や汗をダラダラと流しながら必死に弁明する私。
だが、そこへタイミング悪く、講義の様子を見にきたアストルフォ王太子が扉を開けて入ってきた。
「ルチア、調子は——って、おや? 何をしているんだい?」
アストルフォ様が目の前の光景(鬼教官に胸を押し付けて密着している婚約者の姿)を目撃し、目を見開いてフリーズする。
そして、次の瞬間——顔を真っ赤に染め上げ、鼻血が出そうな勢いでプルプルと震え始めた。
「る、ルチア……っ! 僕以外の者にあんまり激しいスキンシップをとるなんて……っ! 教官、ずるいぞ! 代わりなさい……っ!!」
「殿下、何を血迷っていらっしゃるのですか! 私は今、厳格なる妃教育の最中……っ!」
(もうやめてぇぇぇ!! 妃教育の初日から、礼儀作法じゃなくて「胸の暴力性」で教室を大パニックにさせちゃったじゃないのよーーーっ!!)
完璧なお嬢様を目指すはずが、今日も私の48歳おじさんの理性は、謎の方向へ全速力で暴走していくのだった……!




