第二十二話 ティータイム
午後、陽光が柔らかく差し込む東屋で、私——ルチアは至福のひとときを迎えていた。
テーブルの上に並べられているのは、侍女のエレノアが淹れた極上の紅茶と、私が先日焼いた(そして怪力でゴツゴツになった)あの手作りクッキーである。
「さあルチア様、冷めないうちにどうぞ。王太子殿下が絶賛された『愛の焼き菓子』でございますわ」
「愛の焼き菓子って言い方やめなさい……! ただの形崩れよ……っ」
口ではツンツンと抗議しつつも、私はそっとクッキーを口に運んだ。
サクッ……。香ばしいバターの風味が口いっぱいに広がる。
(……あ、あれ? 意外と美味い……? 自分で作ったから微妙かと思ってたけど、バターと砂糖をアホほど投入したおかげで味だけは一級品じゃないの……!)
前世のニート時代、安売りカップ麺と冷凍食品で済ませていた舌には、この濃厚な甘みが脳に直接響く。
美味しい。実に美味しい。思わず「ふふっ♪」と笑みがこぼれ、身体が勝手に喜んでしまう。
(……って、待った!! 駄目だ駄目だ!! 味わってる場合じゃない!!)
ハッと我に返った私は、慌てて自分の胸元へと視線を落とした。
ドレスの上からでもくっきりと分かる、自己主張の激しいふくよかな膨らみ。
前世48歳おじさんの理性が、脳内で緊急警戒アラートを打ち鳴らす。
(このクッキーのカロリーが……また全部『ここ』に配分されるのよ!! 砂糖とバターのかたまりを食べたら、体内の女性ホルモンが狂喜乱舞して、また胸が育っちゃうじゃないのよぉぉぉ!!)
「ルチア様? なぜご自分の胸を凝視しながら、そんなに悲壮な顔をされているのですか?」
「エレノア……! 私、やっぱりこのクッキー食べるのやめるわ! これ以上カロリーを摂取したら、本当に服が入らなくなるもの!」
悲壮感を漂わせる私に対し、エレノアはうっとりと微笑みながら優雅に首を振った。
「ご安心くださいルチア様。お腹周りの肉をすべて『完璧な胸』へと定着させたルチア様の肉体は、今やカロリーをすべて美しさへと変換する無敵の淑女体質となっておりますわ。脂肪の記憶形状は完了しているのです!」
「だから科学を凌駕するなって言ってるでしょうがぁぁぁ!!」
おじさんとしての叫び虚しく、エレノアは「さあ、殿下がお越しになる前に、もっと召し上がって幸福感を蓄えましょう♪」と、更なる焼き菓子を皿に盛りつけていく。
「話を聞けぇぇぇ!!」
(……だめだ。「可愛いから」「お嬢様だから」という謎理論で全てを押し通す狂気の館だ、ここは……!)
東屋を包み込む甘い香りと、私(中身:48歳おじさん)のおじさんとしての悲痛な叫び。
そこへ、静寂を破るように軽やかな足音が近づいてきた。
「おや、ルチア。二人で何やら楽しそうなお茶会をしているではないか」
「ほほほ、良い香りに誘われて来てしまいましたわ」
現れたのは、我が親——グランベルク公爵夫妻であった。
相変わらず「自慢の可愛い娘」を見る澄み切ったドヤ顔と優雅な笑顔を浮かべている。
「「私たちもいただいてもいいかね?」」
二人は示し合わせたように重なり合う声で尋ねると、私の返事を待つこともなく、エレノアが素早く用意した椅子へと腰掛けた。
(出たな、親バカ狂気夫妻……!! 私の男の娘疑惑すら『可愛いからヨシ!』と脳内改変して押し通す、この館の元凶たち……!!)
「お父様、お母様……これ、私が焼いたクッキーなのですけれど……」
「ほう! 我が愛娘手作りの焼き菓子とな!?」
お父様(公爵)は目を輝かせると、ゴツゴツとした不格好なクッキーを迷わず一口で放り込んだ。
サクッ……。
「……う、美味い!! なんという力強さ! 見た目は無骨だが、口の中で爆発する濃厚なバターと砂糖の暴力……! これぞ我が愛娘ルチアの溢れんばかりの情熱と愛だ!」
「まあまあ! 本当に美味しいわ、あなた! ルチア、こんなに素晴らしいお菓子が焼けるなんて……さすがは私たちの自慢の娘ですわ!」
二人して大絶賛しながら、怒涛の勢いでクッキーを口へ運んでいく。
(だから形崩れを愛で押し通すなーっ!! バターと砂糖をドカ盛りしただけだって言ってるでしょうが!!)
必死に心でツッコミを入れる私に、お母様がうっとりと頬に手を当てながら言った。
「それにしてもルチア、今日のあなたも本当に可憐で美しいわ。……特にその、日に日に豊かになっていく胸元……! 親として誇らしい限りですわ」
「むむ! 当然だとも! ルチアの愛らしさとその育ち盛りな淑女の体躯は国宝級だからな! カロリーなど気にする必要はない、もっと食べてアストルフォ殿下を虜にするのだ!」
「だ〜か〜ら〜!!」
私は頭を抱えて叫んだ。
「これ以上カロリーを摂ったら、また全部『ここ』に配分されちゃうんですってば!! 服も入らなくなるし、おじさんとしての……じゃなくて、乙女としての尊厳が持ちませんわ!!」
焦って自爆しかけた私を、お両親はただの「愛らしい照れ」としか受け取っていない様子で、顔を見合わせてほほ笑んだ。
「ほほほ、何を仰いますかルチア。お腹の脂肪すら胸へと変換するその完璧な体質は、我がグランベルク家に伝わる至高の淑女体質……! 殿下も『素晴らしい祝福だ』と喜ばれるに決まっておりますわ♪」
「そうだとも! さあルチア、遠慮なさらず殿下の分も残さず食べつくし、さらに豊かなお身体になるのだ!」
「娘にドカ食いを推奨するなーーーーっ!!」
エレノアのみならず、両親までもが「可愛いからヨシ!」「カロリーは全部胸に行くからヨシ!」という謎理論で押し切ろうとしてくる。
(だめだ……! 侍女だけじゃない、この館の人間は上から下まで全員狂ってる……!!)
「ちょっとお父様、お母様!? 今なんて仰いましたの……!? 『グランベルク家に伝わる至高の淑女体質』って何ですのーーーっ!!??」
衝撃の事実に、私(中身:48歳元ニートおじさん)は思わず叫び声をあげて椅子から立ち上がった。
これまで私は、この異常な肉体の変化――
「ドカ食いしたカロリーがお腹ではなくすべて胸に配分される」
「連日のコルセット締め上げによって脂肪の記憶形状が完了する」
「下半身の男の象徴が萎縮し、上が肥大化していく」
これらすべては、侍女エレノアの狂気的な締め上げと、激甘スイーツドカ食い+女性ホルモンの異常分泌による「たまたまの奇跡(絶望)」だと思っていたのだ!
(まさか……原因は俺のニート脂肪やエレノアの締め上げだけじゃなくて、血統(遺伝)の仕業だったっていうのーーーっ!?)
困惑しきりな私に対し、お母様は優雅に紅茶を一口嗜むと、さも当然のようにうっとりと微笑んだ。
「あらルチア、知らなかったのですか? 我がグランベルク公爵家の女性は代々、『摂取したすべてのエネルギーと脂肪を、完璧な美貌と豊満な胸元へと自動追尾・定着させる』という、神に選ばれし絶対美の体質を持っているのですわ♪」
「そうとも! グランベルクの淑女に『お腹の贅肉』などという無粋な概念は存在しない! どんなに食べようが、すべては『究極の淑女の肉体』へと変換されるのだ!」
お父様までもが胸を張り、凄まじいドヤ顔で言い放つ。
(変換されるなーーーーっ!! 物理法則と生物学を遺伝レベルで凌駕するなーーーっ!!)
「し、しかしお父様!! 私は……私には元々、その……『男の象徴』みたいなものがついていたはずで……っ!」
「何を言っておるのだルチア」
お父様は深い頷きとともに、私の言葉をあっさりと切って捨てた。
「我が家の『淑女体質』が本気を出せば、不要な男性ホルモンなど一瞬で駆逐され、下半身の余計な突起など『胸を育てるための栄養素』として吸収・再配置されるに決まっているだろうが!」
「まあまあ、あなたったら言い方が直接的ですわ。……でもルチア、そういうことですのよ♪ あなたの身体が『完璧なお嬢様』へと覚醒したのは、我が家の血が正しく導いた必然なのですわ」
「栄養素として吸収ってなんなのよぉぉぉぉ!!(泣)」
頭を抱えて崩れ落ちる私。
つまり、私がどれだけ抗おうと、前世の男の理性で拒絶しようと、この血を引いている時点で「究極の巨乳美少女」へ不可逆進化することは決定事項だったのだ……!
「さあさあルチア様。ご両親のお墨付きもいただいたことですし、カロリーがすべて胸へ定着する『完璧な淑女』として、心置きなくこのクッキーをお召し上がりくださいませ♪」
「エレノアまで乗っかるなぁぁぁ!!」
グランベルク家の狂気的な遺伝子と、侍女の容赦ないドカ食い推奨によって、私のおじさんとしての尊厳は完全に詰んでしまうのだった。




