第二十話 黄昏
夕闇がほんのりと空を茜色に染め上げる刻限。
王立庭園の最奥、白薔薇が咲き誇る東屋のベンチにて、私——ルチア・フォン・グランチェスターは、一人静かに腰掛けていた。
少し遠くを眺めながら、物思いに沈む。
(……あかん。最近の私の人生、怒涛の勢いで狂いすぎでしょ……)
頭の中で、これまでの惨劇(?)をプレイバックする。
激甘スイーツのドカ食いと過激な補正コルセットで爆誕した自前の胸の膨らみ。
セシリアの決死の暴露「それは贅肉ですわぁぁぁ!」すら「贅肉だろうが関係ない!」と一蹴したアストルフォ様の限界突破な愛。
そして舞踏会の夜、アストルフォ様から迫られたあの熱い接近戦——。
(あ、危なかった……っ! あの時は間一髪で押し返して『心の準備が……』ってガードしたから良かったものの、私の『人生48年物のファーストキス』が奪われる秒読み段階に入ってるじゃないのよーーーっ!!)
ハァ……と可憐な吐息を零し、頬に一筋の風を受けながら黄昏れる。
夕日に照らされたミントグリーンのドレスと、物憂げに伏せられた長いまつ毛。
中身が48歳ネットサーフィンおじさんだとは天地がひっくり返っても誰も思わない、完璧な「絵画のように儚く美しい美少女」がそこには完成していた。
◇
「……ほう」
その時、離れた茂みの影から、低い低音の男声が漏れた。
声を潜めて佇んでいたのは、外交視察のためにこの国を訪れていた隣国・ヴァルハイト帝国の第一王子、ルーク・ヴァルハイトであった。
長身に軍服風の仕立ての良い上衣を纏い、鋭い切れ長の瞳を持つ彼は、帝国内でも「冷徹な氷の王子」と恐れられている人物である。
彼はこの時、王宮の退屈な案内を抜け出し、庭園を一人で視察(という名の散策)していたところだった。
そして、たまたま見かけてしまったのだ。
夕刻の庭園で、黄昏に身を委ねる一人の少女を。
(……なんという美しさだ。まるで黄昏の光から生み出された妖精のような……)
ルーク王子は息をのんだ。
夕日を浴びて輝く繊細な髪、愁いを帯びた可憐な横顔、そしてどこか儚げに遠くを見つめる瞳。
今まで数多の貴族令嬢からアプローチを受けてもピクリとも動かなかった彼の心が、ドクンと激しく脈打った。
(あの憂いを帯びた瞳……彼女はいったい何を想い、胸を痛めているのだ? 守ってあげたい……この手で抱きしめて、その愁いを払ってやりたい……っ!)
氷の王子の心に、一瞬で情熱の火が点火した。
彼には見えていなかった。
ルチアの脳内で「お肉が胸に集まった理由」や「48年物のファーストキスをどう防衛するか」というおじさんマインドが激しくのたうち回っていることなど——。
王子のフィルターを通せば、ただの「深窓の令嬢の切ない溜息」にしか聞こえないのだ。
ルーク王子は足音を殺し、吸い寄せられるようにゆっくりと東屋へ近づく。
「ごきげんよう、可憐な淑女よ」
静寂を破って響いたのは、鈴の音のように低く心地よい、それでいて威厳に満ちた男声だった。
驚いて振り返ると、そこには見慣れぬ豪華な仕立ての軍服風上衣を纏った、背の高い美青年が立っていた。
夜空を溶かし込んだような深い紺青の髪に、氷のように澄み切った切れ長の瞳。
その立ち姿一つ取っても、ただ者ではない洗練された気品が全身から溢れ出ている。
(……え? 誰この超絶イケメン……!? って、ちょっと待って!!)
ルチアの中の前世48歳おじさん脳が、王宮の知識データベースを爆速で検索する。
(この独特な刺繍の軍服……それに氷みたいな切れ長の男前……まさか、今日から外交視察で来訪してるっていう隣国・ヴァルハイト帝国の第一王子、ルーク・ヴァルハイト殿下ーーーっ!?)
「……突然の非礼をお許しいただきたい。あまりに美しい花が夕闇に佇んでいたものだから、つい足を止めてしまった」
ルーク王子は右手を胸に当て、一切の隙がない洗練された動作で優雅に一礼(カーテシーへの返礼)してみせた。
(あ、あかん!! ヤバいヤバい!! 隣国の超VIPなお王子様じゃないのよ!! ここで失礼な態度を取ったり、中身おじさんがバレて国際問題にでも発展したら、我がグランチェスター公爵家どころか国ごと吹き飛ぶわよーーーっ!!)
脳内で警戒アラートがけたたましく鳴り響き、冷や汗が背中を吹き出す。
絶対に一歩もミスは許されない。完璧なお嬢様として、極上のプロの対応を叩き出さねばならないのだ!
ルチアはすっと背筋を伸ばすと、ミントグリーンの裾をそっと持ち上げ、指先まで神経を通わせた完璧なカーテシーを披露した。
「お初にお目にかかります、ヴァルハイト帝国が第一王子、ルーク殿下。グランチェスター公爵が娘、ルチアと申しますわ。……私どもの庭園でおくつろぎのところ、お邪魔をしてしまいましたかしら?」
上目遣いに、物腰柔らかく微笑むルチア。
(どうよ!! 音ゲーで培った精密な動作制御と、連日の淑女教育が叩き出した完璧なお辞儀!! 失礼どころか満点回答でしょ!!)
だが、ルチアの完璧すぎる「儚げな美少女ムーブ」は、ルーク王子の心に想定外の大爆発を引き起こしていた。
(な……なんだこの愛らしさは……っ!! 自分の名を告げるだけで、まるで春の風が吹いたかのような……!)
ルーク王子の切れ長の瞳が、一瞬で熱を帯びる。
(噂に聞くグランチェスター公爵令嬢か……。アストルフォ王太子の婚約者候補と聞いていたが、まさかこれほどの逸材を隠していたとは。あの愁いを帯びた瞳……先ほどまでの溜息は、まさか冷徹な政治結婚に心を痛めているからではあるまいか……!?)
完全に一人で明後日の方向へ誤解を深めた氷の王子は、熱のこもった視線でルチアを一歩踏み込んで見つめた。
「……いや、邪魔などとんでもない。ルチア嬢、君に会えたことこそ、この国を訪れた最大の収穫だ」
「え……?」
そっと差し出されたルーク王子の手が、ルチアの華奢な手を取る。
(え、ちょ、ちょっと待って!? 距離感近くない!? 帝国の王子様って挨拶代わりに手を取るタイプなの!?)
焦るルチアを余所に、ルーク王子は引き寄せたルチアの手の甲へ、熱い吐息とともにそっと唇を寄せようとして——。
「ル〜チ〜アぁぁぁぁーーーっ!!」
「「!?」」
庭園の静寂を切り裂いて、遠くから殺気立った叫び声が響き渡った!
見れば、視察の合間を縫ってルチアを探しに来たアストルフォ王太子が、青筋を立ててこちらへ猛ダッシュしてくるところだった!
(ひえぇぇぇぇ!! アストルフォ様まで来ちゃったぁぁぁーーーっ!!)
隣国の「氷の王子」と、我が国の「限界突破愛の王子」。
二人の超絶イケメン王子に挟まれ、ルチア(中身おじさん)の胃孔は激痛を訴え始めるのだった!




