少しづつ、わかること
そんな日々を過ごす一方で、暁にも変化が現れていた。
身体の成長自体は、三歳くらいの姿からほとんど変わっていない。
けれど、以前よりもずっと多くの言葉を話すようになっていた。
朝になれば「おはよう」と言い、誰かが帰ってくれば「おかえり」と言う。
簡単な会話なら、僕たちの言葉を真似するだけではなく、自分で考えて返すことも増えてきた。
「暁」
僕が暁の前に、小さなお菓子を置く。
「これ、くれるの?」
「うん。どうぞ」
「……りょうじ。ありがとう」
「どういたしまして」
暁は嬉しそうに笑って、お菓子を手に取った。
また別の日には、僕の持っていた書類を取ろうとして、うっかり僕の手を叩いてしまった。
「いたっ」
僕が声を上げると、暁の動きが止まった。
「……りょうじ、いたい?」
「うん。ちょっと痛かったよ」
暁は、自分の手と僕の顔を交互に見る。
「……ごめんなさい」
「うん。もう大丈夫」
そう言うと、暁はほっとしたように笑った。
ほんの少し前まで、暁にとって言葉は、聞こえた音を覚えるものだった。
けれど今は違う。
誰かに何かをしてもらったら「ありがとう」。
自分が誰かを傷つけたら「ごめんなさい」。
言葉の意味を、少しずつ理解し始めている。
それは、誰かの気持ちを想像することでもある。
分からないことがあれば尋ねる。
聞いたことを覚える。
そして、自分の中で考える。
この数日だけでも、暁はずいぶん変わった。
それでも――。
時々、何かを思い出したように黙り込むことがあった。
「……おぼろ」
そう呟くことも増えている。
僕が「どうしたの?」と聞いても、暁は首を傾げるだけだった。
「……わからない」
けれど、その言葉を口にする時だけ、暁は決まって自分の胸に手を当てる。
まるで、そこに何かがあることを確かめるように。
僕には、それが何なのか分からなかった。
ただ――。
朧につながる何かが、暁の中で少しずつ輪郭を持ち始めている。
そんな気がしていた。
暁は僕の隣で、机の上に置かれた紙を眺めていた。
「りょうじ、これなに?」
「それはね――」
僕が答えようとした時だった。
「瀬尾くん……」
少し離れたところから、白澤さんの声が聞こえた。
「どうしました?」
「少し、話がある……」
二人は暁から少し離れた場所へ移動した。
僕はその様子を見ながら、暁のそばに残った。
「身体の大きさは変わっていない。だが、中身の形成が加速している」
「……加速してる?」
「ああ。言葉だけではない。妖気の変化も以前とは違う」
二人の声は小さく、僕のところまではっきり届くわけではない。
けれど、ところどころ聞こえてくる言葉に、僕は耳を傾けた。
「このまま成長が続けば、あの子がどこまで変化するのか……私にも予測できん」
「……」
「そして、それに伴って人外への影響が強くなる可能性もある」
しばらく沈黙が続いた。
「……まだ断定はできん。もう少し、様子を見る必要があるな」
白澤さんの声は、いつもの落ち着いたものだった。
けれど、その言葉の奥にあるものが、僕には少しだけ分かった。
白澤さんも、暁の成長を喜んでいるだけではない。
この先、この子に何が起こるのか。
それを警戒しているのだ。
「そう……ですか」
局長はそう答えると、暁のほうへ目を向けた。
暁は僕の隣で、机の上の紙を眺めている。
さっきまでの話など知らないように、小さな指で紙の端をなぞっていた。
局長は、そんな暁をしばらく見つめていた。
その目には、何かを決めたような色が浮かんでいた。
それから――。
「……よし」
ぽん、と手を叩く。
「今日は天気もいい。暁、外に行ってみるか?」
「……そと?」
「ああ。今日はみんなで出かけよう」
「みんな?」
「うん。サトリも一緒だ」
「……いく!」
暁の顔が、ぱっと明るくなる。
「どこいくの?」
「それは行ってからのお楽しみだ」
「おたのしみ?」
「そう。知らないものを見に行こう」
「……しらないもの?」
暁は少し考えてから、嬉しそうに頷いた。
「みたい!」
その声を聞いて、僕も思わず笑った。
少し離れたところでは、白澤さんが腕を組んだまま僕たちを見ている。
その目には、ほんの少しだけ複雑な色が浮かんでいた。
「……瀬尾くん」
「ん?」
「今日は、あまり遠くへ行くなよ」
「分かってます。結界にも注意をはらいます」
「それと、何か変化があればすぐに連絡を」
「はい」
白澤さんは、それだけ言うと診療所へ戻っていった。
僕は暁を見る。
暁は局長の手を取り、少し離れたところにいるサトリさんへ嬉しそうに顔を向けた。
「りょうじも!」
「はいはい。分かったよ」
僕も暁の手を取った。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」




