夏の訪問
七月に入り、空には夏を思わせる鮮やかな青空が広がっていた。
管理局の庭先では、朝から蝉たちが競い合うように夏の到来を告げている。
木漏れ日の差す事務所の扉を開けて足を踏み入れると、冷房のひんやりとした空気と、淹れたてのお茶の香ばしい香りが僕を迎えた。
「おはようございます」
僕が声をかけると、カウンターの奥でサトリさんが穏やかな微笑みを浮かべ、湯呑みをデスクへと置いてくれる。
『おはようございます、良治くん。今日は一段と暑くなりそうですね』
声よりも先に届く温かな思念に、僕も思わず破顔した。
「ありがとうございます。外はもう、立っているだけで汗が噴き出しますね」
『良治くんも、暑さには弱いですからね』
サトリさんの思念に、僕は思わず苦笑した。
『でも、以前よりずっと穏やかになりました』
「そうですか?」
『はい。ここへ来たばかりの頃は、無意識に周りとの間に一定の距離を置いているようでしたから』
そう言われて、僕は少しだけ視線を落とした。
自分では気づいていなかった変化を、サトリさんはいつも静かに見守ってくれていた。
以前の僕なら、誰かにそんな変化を指摘されることすら怖かったかもしれない。
けれど今は、その言葉を素直に受け取ることができる。
それだけ、この場所で過ごした時間は、僕自身が思っている以上に僕を変えてくれていたのだろう。
管理局の朝は、いつだって不思議な活気に満ちている。
大鴉が運んでくる飛行許可申請の束。河童の河野さんが提出してくれた河川の生態調査報告書。さらには、九尾さんが整えてくれた市内の結界点検の記録――。
今日もまた、人外と人間がこの街で共に生きるための新しい一日が始まろうとしていた。
雪原初音という名前を得てから、もう一か月。
かつて雪深い山奥で静かに暮らしていた彼女にとって、この強い日差しが照りつける夏の街は、何もかもが新鮮で眩しいはずだ。
人間の世界で暮らす彼女は、仙狐の伏見さんの営むスーパーで働きながら、少しずつこの街に馴染んでいった。
局へ顔を出すたび、最初は不安げだった表情も穏やかな笑顔へと変わっていった。
その変化を見るたび、僕もどこか安心していた。
僕が自分のデスクで書類に目を通していると、瀬尾局長が湯呑みを片手にゆっくり僕の席まで歩いてきた。
「良治くん。雪原さんが現世で暮らし始めて、そろそろ一か月くらい経つよね」
局長は手にしたクリアファイルに視線を落とし、親しみのある口調で続けた。
「そろそろ一度、職場の様子を見に行ってきたらどうだい」
まるで僕の考えを見透かしたような提案だった。
「はい。僕もそろそろ伺おうと思っていたところです」
局長は満足そうに目を細めて頷く。
「うん。きっと新しい暮らしにも少しずつ慣れてきた頃だ。何か困ったことがないか、君の目で見てきてあげなさい。……ただし、伏見さんの商売話にはあまり流されないようにね?あのお狐さんは、油断すると予定になかった物まで勧めてくるから」
そう言って局長は悪戯っぽく片目をつむる。きっと局長自身も、伏見さんの口車に一杯食わされた経験があるのだろう。
「……分かりました。気をつけます」
僕は思わず苦笑しながら頷いた。
机に広げた中途半端な書類へ目を向けると、僕の迷いを察したように――いや、サトリさんのことだから、本当に読んでいたのだろう。
サトリさんは優しく微笑み、
『私があとやっておきますよ。行ってらっしゃい』
と、思念を送ってくれた。
「ありがとうございます。では、行ってきます」




