↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人外適応管理局 ―ようこそ、人と妖が暮らす街へ―  作者: 日旅こつめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
86/106

それぞれの想い

 白乃さんが、ぽつりと言った。

「暁に、伝えたいことがあるの」

「何だ?」

 白澤さんが尋ねる。

 白乃さんは、少しだけ笑った。

「ありがとうって」

 僕は思わず顔を上げた。

「……暁に?」

「ええ」

 白乃さんは、自分の胸元へそっと手を置いた。

「その痕跡のせいで、あの人の魂は……弱っていったのでしょう?」

「ああ」

「だったら、本当なら……恨むべきものよね」

 そう言って、白乃さんは少し寂しそうに笑う。

「でもね」

 窓から差し込む朝の光を見つめながら、静かに続ける。

「その痕跡があったから、あの人の輪廻は続いた」

「だから私は、あの人と何度も一緒にいられた」

「……」

「九百年もの間、何度もよ」

 初音さんが、そっと目を伏せた。

 僕も、何も言えなかった。

「もちろん、私たちが惹かれ合ったことまで、全部この痕跡のおかげだなんて思ってないわ」

 白乃さんは、ゆっくり首を横に振る。

「きっと、あの人はあの人の人生を生きていて」

「私は私の人生を生きていて」

「それでも、何度も出会ったのよ」

 その言葉には、長い時間を生きてきた人だけが持つ、静かな確信があった。

「でも……」

 白乃さんは目を細める。

「もし、この痕跡がなかったら」

 ほんの少しだけ間を置く。

「出会えなかった人生も、きっとあったのでしょうね」

 店の中は静かだった。

 誰も、その言葉を否定しなかった。

「だから――」

 白乃さんは、穏やかに笑った。

「暁ちゃんには、時間をくれてありがとうって伝えたいの」

 白澤さんが、白乃さんを見る。

「……時間?」

「ええ」

 白乃さんは頷いた。

「魂を弱らせたものでもあったけれど」

 その声は、少しだけ震えていた。

「同時に、私たちが一緒にいられる時間を、長くしてくれたものでもあったから」

 白乃さんは、目を閉じる。

「だから私は、あの子を恨めないわ」

 そして、ほんの少し笑った。

「むしろ……ありがとうって言いたい」

 白澤さんは、しばらく何も言わなかった。

 やがて、静かに頷く。

「……あの子にとっても大切なことだ」

「ええ」

 その言葉に、白乃さんは小さく笑った。

 僕は、白乃さんの横顔を見つめていた。

 寂しそうだった。

 それでも――不思議なくらい、穏やかな顔をしていた。

 九百年もの間、何度も繰り返してきた別れ。

 今度は、もう「また次がある」とは言えない。

 それでも白乃さんは、最後に残ったものを恨むことを選ばなかった。

 ただ――。

「ありがとう」

 その言葉だけを、暁に届けようとしていた。

 そして――。

 その「ありがとう」は、暁自身にも届くのだろう。

 まだ小さなあの子が、その意味を理解できるようになる日が来たなら。

 その時、きっと。

 自分の存在が、誰かを苦しめていたことを知るのだろう。

 それでも――。

 そんな自分に、ありがとうと言ってくれた人がいたことも。

 その記憶は、いつかあの子の心を、ほんの少しだけ温めてくれるのかもしれない。

 

「……まったく。お前という奴は、九百年経っても学習しないね」

「あら、失礼ね。私ほど学習してきた女はいないわ」

「毎回同じ男を探し出して、同じように惚れて、最後は一人で格好をつけて身を引く。それを学習とは言わん」

「私は……その時々の彼の人生に恋をしているの。あなたみたいな偏屈には分からないわよ」

「はいはい。見事な大馬鹿野郎だよ」

「ふふ。最高の褒め言葉ね」

 白澤さんは一瞬だけ言葉を詰まらせ、それからフッと小さく息を吐いた。

「……呆れてるんだよ。褒めてない」

「知ってるわよ」

 そう言って、二人は軽口を叩き合いながら可笑しそうに笑う。

 ――学習していないのは、本当はどちらなのだろう。

 僕は、横顔しか見せない白澤さんを密かに見つめていた。

 九百年。白乃さんがあの人を待ち続けた時間を、白澤さんもまた、ずっと隣で見てきたのだ。

 いや――きっと、それだけじゃない。

 二人が共に過ごしてきた時間は、それよりもずっと長い。

 それだけの年月を、白澤さんは変わらず白乃さんの隣で過ごしてきた。

 報われないと分かっていて。

 白乃さんの視線が、自分に向けられることはないと知っていて。

 それでも見捨てず、寄り添い、白乃さんが選んだ決断を誰よりも尊重して、自分自身は静かに身を引く。

 大馬鹿野郎なのは――きっと、白澤さんの方なのだろう。

 ふと見ると、カウンターの中に立つ初音さんも、どこか切なそうな目を白澤に向けていた。

 初音さんも、気づいているのだろう。

 この軽妙な皮肉の裏に隠された、白澤さんのあまりにも不器用な情を。

 そして初音さんは、そっと白乃さんの手に自分の手を重ねていた。

 その手のひらは、カウンターの外からは見えない。

 けれど――。

 初音さんは、白乃さんのすぐそばにいた。

 きっと、これからも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。