九百年の縁
白乃さんは、しばらく何も言わなかった。
「……それが、朧の思念なの?」
「ああ」
白澤さんが頷く。
「正確には、千年前に残された思念が、長い年月の中で変質したものだ」
「その変質に、私の妖気も……関係しているのね」
「そうだ。だが、それだけじゃない」
白澤さんは、静かに続けた。
「痕跡が魂に付着したこと。それが、もともとの原因だ」
「……そう」
白乃さんは静かに目を伏せた。
「じゃあ……魂が帰る場所へ帰れなくなったことに、私も関わっていたのね」
「……」
「私の妖気が、あの人の魂に残ったものを育ててしまった」
白乃さんは、窓の外へ目を向ける。
「それでも私は、あの人を探し続けた。生まれ変わるたびに、探して。見つけて。一緒にいた。……私があの人と一緒にいたことも、あの人の魂を弱らせることに繋がっていた——」
「白乃。勘違いするな」
白澤さんの声が、少しだけ強くなった。
「痕跡をつけたのはお前じゃない。お前がいなければ、あの男の魂に何も起きなかったという話でもない」
「……」
「確かに、お前の妖気が痕跡を育てた。それは事実だ。だが、お前たちが九百年近く繰り返してきた縁まで、間違いだったことにはならない」
白乃さんは、何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと息を吐く。
「……九百年よ」
「ああ」
「九百年も、私は待っていたの。探したの」
その声は、不思議なくらい穏やかだった。
「次があると思っていたから」
白乃さんが、窓の外を見る。
「死んでも、またどこかで生まれてくる」
「そうしたら、また会える」
その言葉を聞いて、僕は胸の奥が少しだけ痛くなった。
長い時を生きる僕たち。
だからこそ――。
白乃さんが「待つ」という言葉に込めてきた時間が、余計に重く感じられた。
「それが……もう、ないのね」
「ああ」
白澤さんは誤魔化さなかった。
「次があるとは、もう言えない」
白乃さんは目を閉じた。
泣かなかった。
ただ、ほんの少しだけ肩が揺れた。
しばらくして、白乃さんが口を開く。
「白澤」
「何だ」
「どうして今まで言わなかったの?」
白澤さんは、すぐには答えなかった。
「……確かなことが分からなかった。それに……」
白澤さんが、ほんの少しだけ視線を逸らす。
「お前に、余計な希望を持たせたくなかった」
「……相変わらずね」
「何がだ」
「そういうところ」
白乃さんは、ほんの少し笑った。
「一人で全部抱え込むところよ」
「……」
白澤さんは何も答えなかった。
「でも……ありがとう」
「礼を言われることじゃない」
「それでもよ」
白乃さんは静かに微笑んだ。
「知らないまま待ち続けるより、ちゃんと知っていたかった」
「……ああ」
白澤さんは小さく頷いた。
「……彼はまだ——間に合うの?」
「ああ」
今度の返事には、迷いがなかった。
「今、瀬尾くんが朧の零れた思念——『暁』をそばに置いている」
その名前に、白乃さんの目が揺れた。
「暁を隠り世へ送る。そうすれば、大元から流れ込んでいた力も弱まる」
「……」
「その上で、弱まった痕跡を取り除く。白乃の妖気によって定着した影響も、そこで解けるはずだ」
白澤さんは、静かに続けた。
「それができれば――今世を終えた時、あの男の魂は安らかな場所へ帰れる可能性がある」
白乃さんは、しばらく黙っていた。
やがて、白乃さんは窓の外へ目を向けた。
「……なら」
小さな声だった。
「私は、彼には会わない方がいいわね」
「ああ」
「会えば、また痕跡が強くなる?」
「その可能性がある」
白乃さんは頷いた。
「……せっかく見つけたのにな」
それだけだった。
初音さんは、ただ静かに、白乃さんの横顔を見つめていた。
九百年もの間、何度も出会ってきた。
生まれ変わるたびに、探して。
見つけて。
また別れて。
その最後に――。
自分から、会わないことを選ぶ。
それが、旦那さんの魂を救うために必要なことなら。




