魂の帰る場所
店の奥から足音が聞こえてきた。
「お待たせ――」
白乃さんが顔を出す。
そして、僕たちを見ると目を瞬かせた。
「あら」
白乃さんの視線が、僕から白澤さんへ移る。
「……今日は二人で来たのね。白澤が来るなんて珍しい」
「うん」
僕が答えるより先に、白澤さんが静かに口を開いた。
「白乃。今日は、お前に伝えなければならないことがある」
その声を聞いた瞬間。
白乃さんの笑顔が、ほんの少しだけ消えた。
「……分かったわ」
白乃さんは手にしていた布巾を、静かにカウンターへ置いた。
「ここでいいかしら」
白乃さんがカウンターの中の椅子に座り、初音さんも隣に腰を掛けた。
白澤さんはその向かい、カウンターの外の椅子に腰掛けた。僕もその隣の席に座る。
白澤さんは、すぐには口を開かなかった。
僕も、初音さんも何も言わない。
何を話すのかは、もう知っている。
それでも――。
いざ白乃さんを前にすると、言葉を挟むことはできなかった。
いつもなら、開店前の店にはもっと生活の音がある。
食器の触れ合う音や、コーヒーを淹れる音。
白乃さんの明るい声。
けれど、今は誰も動かなかった。
「……白乃」
「ええ」
白澤さんが、ほんの一度だけ息を吐いた。
「旦那の魂についてだ」
その声は、いつもより低かった。
「私は、お前に黙って調べていた」
白乃さんの表情が、ほんの少しだけ変わる。
それから白澤さんは、これまで分かったことを静かに話し始めた。
旦那さんの魂に残っていた、長い年月を経ても消えなかった痕跡。
それが、今回この街で起きた異変と同じものだったこと。
その痕跡が、白乃さんの妖気に長く触れ続けたことで少しずつ変化し、輪廻を繰り返すたびに魂へ影響を及ぼし、その力を奪っていたこと。
そして――。
「……このままでは、いずれ魂そのものが消滅する可能性がある」
白乃さんは、黙って聞いていた。
「今までとは違う。魂そのものが、限界に近づいている」
白澤さんは目を伏せる。
「……だから」
白乃さんが、小さく呟いた。
「身体が弱く生まれてきていたのね」
白澤さんは答えなかった。
それが答えだった。
僕は思わず目を伏せた。
今まで聞いてきた、旦那さんの生まれ変わりの話が頭をよぎる。
生まれて。
生きて。
そして、また死んで。
それを何度も繰り返してきた。
白乃さんは、そのたびに待っていた。探していた。
「……それでも」
白澤さんが続ける。
「痕跡を取り除くことができれば、あの男の魂は、もう輪廻を繰り返さなくて済む」
白乃さんが顔を上げた。
「……どういうこと?」
「この痕跡が、あの男の魂をこの世に繋ぎ止めていたんだ」
白澤さんは静かに続ける。
「本来なら、とっくに輪廻を終えて、魂が帰る場所へ向かうはずだった。けれど、この痕跡が残っていたせいで……魂が、次の生へ引き戻されていた」
「……」
白乃さんは、黙って白澤さんを見つめた。
「だから、痕跡を取り除くことができれば、今世の生を終えたあと、もう次の生へ引き戻されることはない」
「……つまり」
白乃さんが、ゆっくりと言葉を探す。
「ちゃんと……魂が帰る場所へ帰れるのね」
「ああ」
「けれど……もう、生まれ変わらない」
「そうだ」
嘘や誤魔化しのない短い言葉だった。
けれど、その一言が店の中に落ちた瞬間。
何かが、静かに終わったような気がした。




