ひとりで背負わない
「それから――瀬尾くんの話だ」
「……うん」
局長が苦笑する。
「隠り世への扉を開けられるのは僕だけ。でも、僕自身は隠り世へ行くことができない」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
局長は、少しだけ寂しそうに笑った。
「この土地と結びついているからね。隠り世を維持するためにも、僕はここを離れられない」
局長は腕の中の暁へ目を落とす。
「扉を開いて、この子を向こうへ送り届けることはできる。でも、僕自身が一緒に渡ることはできないんだ」
「じゃあ……この子を送ったら、局長は……」
「僕は、ここに残るよ」
穏やかな声だった。
けれど、その言葉の重さを――白澤さんは知っていた。
「……そうか」
白澤さんは、それだけを口にした。
その目には、長い年月を共にしてきた者にしか分からない、複雑な色が浮かんでいた。
呆れにも似た諦め。
それでも見捨てることのできない、深い心配。
そして――また同じ場所で苦しもうとしている友を、今度こそ一人にはしたくないという思い。
けれど、それを言葉にはしない。
「なら、なおさら準備が必要だな」
「……うん」
「力を抑えて、向こうで安定していられる状態にする。そこまでできてから送る」
「ああ」
「それまでは、この子を現世に置いておく」
白澤さんは一度、暁を見る。
それから、静かに局長へ視線を戻した。
「……君が納得できるところまでな」
局長が顔を上げた。
「白澤さん……」
「何だ」
「……いや」
局長は小さく笑った。
「ありがとう」
「礼を言われるようなことじゃない」
白澤さんはそっけなく答えた。
「千年前から、君が勝手に背負い込むのを見てきただけだ」
「……それは、否定できないね」
「だろうな」
ほんの一瞬だけ、白澤さんの口元が緩んだ。
けれど、その目は局長から離れなかった。
まるで――今度は一人で背負わせないと、言葉にせず伝えているようだった。
「だから……抱え込むなよ」
「……え?」
「みんなでだ」
白澤さんは暁へ目を向けた。
「この子には、この子の時間がある。だが、時間は無限ではない」
それから、局長を見る。
「白乃の旦那の魂の件もある」
局長はしばらく何も言わなかった。
やがて、腕の中の暁を見つめながら、小さく頷く。
「……うん」
その表情から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「分かった」
僕は二人を見つめていた。
白澤さんは、千年前から局長を見ている。
誰かを守るためなら、自分のことを後回しにすること。
守ると決めた相手を、自分の手の届かない場所へ送り出すこと。
そして、そのたびに――本当にこれでよかったのかと、自分自身に問い続けてきたことも。
白澤さんは、暁を隠り世へ送ること自体を否定しているわけではない。
けれど、それをただ「仕方のないこと」として急かすつもりもないのだろう。
必要なことを一つずつ示しながら、局長が納得できるところまで待とうとしている。
「……それまでの間は、僕が預かるよ」
局長が言った。
「僕は神様の依代だから、この子の影響は受けにくい。それに――良治くんにも手伝ってもらうよ」
局長が僕を見る。
「ああ、槇尾くんは半妖だから、他の人外よりも影響を受けにくいな」
白澤さんも同意する。
「……はい」
僕は頷いた。
「僕も、この子のそばにいます」
白澤さんは僕たちを見て、静かに息を吐いた。
「よし」
それから、少しだけ鋭い目をする。
「ただし、何か変化があったらすぐに知らせろ。力が膨らみ始めるようなら、予定を変える必要がある」
「ああ」
局長が答えた。
「分かったよ」
ひとまず、暁についての話はそこで区切られた。
けれど――。
「もう一つ、やらなければならないことがある」
白澤さんの声が、再び書斎に響いた。
その表情から、先ほどまでの柔らかさが消える。
「白乃の旦那の魂についてだ」
僕は息を呑んだ。
暁のことだけでも手いっぱいなのに、まだ終わっていなかった。
そして、この話は――白乃さん自身にも、伝えなければならない。
「まずは、今日はここまでだな。初音くん、私は明日白乃の店に行く」
初音さんの顔色が変わる。
「分かりました。私も同席します」
「よろしく頼む」
白澤さんは静かに頭を下げた。




