↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人外適応管理局 ―ようこそ、人と妖が暮らす街へ―  作者: 日旅こつめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
76/109

暁

「……少し、見せてもらってもいいか?」

「もちろん」

 局長の許可を得て、白澤さんは局長の腕の中の幼子をじっと見つめ始めた。

 静かな書斎に、しばらく沈黙が降りる。

 やがて――。

「……やっぱり、そうか」

 低い声が落ちた。

「何か、分かりましたか?」

 僕が尋ねると、白澤さんはコーヒーへ一度だけ目を落とし、それから静かに口を開いた。

「……残っていた痕跡は、この子のものだ。この子から漏れ出ている力が、周囲の人外に影響を及ぼしている」

「……やっぱり、この子が原因なんですね」

「ああ。だが、朧ほどの力じゃない」

 白澤さんは幼子を見つめたまま、少しだけ目を細めた。

「それでも、長く近くにいれば悪影響を受ける可能性はある」

 白澤さんは初音さんへ視線を向けた。

「初音くんは、少し離れていた方がいい」

「……分かりました」

 初音さんは小さく頷いたものの、その視線は幼子から離れなかった。

「……でも」

 少しだけ迷うように、彼女が言葉を継ぐ。

「この子、ずっとひとりだったんですよね? だったら……私も、そばにいてあげたいです」

「近づくのは危険だぞ」

「はい。分かっています。……だから、ここから見ています」

 初音さんは、どこか寂しそうに微笑んだ。

「触れられなくても……この子が目を覚ました時に、『怖くない場所だ』と思ってもらえたら嬉しいから」

 白澤さんは何も言わなかった。

 しばらくして、手にしていたカップを静かにテーブルへ置く。

「……気持ちは分かる」

 その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

「だが、この子をこのままにしておくこともできない」

「……」

「力はまだ小さい。だが、安定しているわけじゃない。このまま何もせずにいれば、また膨れ上がる可能性がある」

 白澤さんは、局長へ視線を向けた。

「そうなれば、今より広い範囲の人外に影響が出るだろう」

「……はい」

 局長は幼子を抱いたまま、静かに答えた。

 その横顔には、昨夜から消えない迷いが浮かんでいた。

 白澤さんは、それを見ていた。

 きっと、千年前にも同じ顔を見たのだろう。

 大切な存在を守るために、人の世から切り離すしかなかった時の顔を。

「まず、この子をどうするのか。そして――名前がないままじゃ、心を通わせることも難しいだろう」

「……名前、ですか」

「ああ。少なくとも、この子を呼ぶための名前が必要だ」

 局長は腕の中の幼子を愛おしそうに見つめ、小さく息を吐いた。

 「そうだね……この子自身が自分の名前を選べるようになるまで、まずは僕たちが呼べる名前を考えよう」

 僕は静かに昨日のことを思い出していた。

 自分でも不思議なくらい、自然に言葉が出た。

「……『暁《あかつき》』」

 その名を口にした、まさにその瞬間――幼子がぱっと目を覚ました。

「……え?」

 小さな瞳が、ゆっくりと僕へ向けられる。

 まるで、初めて自分のために呼ばれた名前を認識したかのように。

「あ……すみません」

 僕は少し慌てて言った。

「昨日、局長が話していたでしょう? 朧さんと隠り世へ行く前夜に、ここで会っていたって……。あの夜の先に今があるんだと思ったら、なんとなく、この名前が浮かんで……」

 局長は、腕の中の幼子を見つめ直す。

「……暁、か」

 その声に、幼子が小さく瞬きをした。

「……どうやら、気に入ったみたいだな」

 白澤さんがわずかに口元を緩める。

「……そうだね。……暁」

 局長がもう一度名前を呼ぶと、暁は静かに局長を見つめ返した。

 しかし――白澤さんの声から、いつもの気だるさが完全に消えた。

「で……瀬尾くん。君は、この子をどうするつもりだ?」

 局長はすぐには答えなかった。

 腕の中の暁を見つめる。

 暁の小さな手が、局長の服をかすかに握っていた。

「……隠り世へ送る」

 やがて、局長が呟いた。

「千年前、朧を送った時と同じように……」

 その言葉は、決意というより、自分に言い聞かせているように聞こえた。

「でも……」

 初音さんの表情が曇る。

「分かってる。……他に方法はないんだ」

 局長は腕の中の暁を見る。

「この子を現世に置き続ければ、また周りの人外に影響が出る。それに、この子自身も人の感情を吸い続けてしまう」

 そこで一度、言葉を止めた。

「——ここには……いられないんですね」

 初音さんが俯く。

 局長の指が、暁の小さな髪をそっと撫でる。

「何も知らないまま、ただ向こうへ送ることだけはしたくない」

 やがて、局長が呟いた。

 その様子を、白澤さんは黙って見ていた。

 そして――。

「ああ」

 静かに頷く。

「隠り世へ送るのが、一番いいだろう」

 その言葉は、決断を急かすものではなかった。

 むしろ、局長が自分で辿り着いた答えを、そのまま受け止めるような声だった。

「ただし――」

 白澤さんの声が落ちた。

「この子は、そのまま送ればいいわけじゃない」

 局長が顔を上げる。

「……そうだね」

「隠り世へ行けば、人の負の感情に触れることはなくなる。だから、これ以上力が膨れ上がることは抑えられるだろう」

 白澤さんは腕の中の暁へ視線を向けた。

「だが、すでに抱えている力まで消えるわけじゃない」

「……じゃあ」

 僕は暁を見る。

「この子も、朧さんと同じように……送る前に力を抑える必要があるんですね」

「ああ」

 白澤さんは静かに頷いた。

「千年前の朧もそうだった。隠り世へ送る前に、周りの人外へ影響しない程度まで力を封じた」

「完全に消したわけじゃないんですよね?」

「そうだ。力そのものをなくしたわけじゃない。ただ、周囲へ影響を及ぼさないように抑えた」

 僕は小さく息を吐いた。

「……この子も、同じようにする」

「ああ」

 白澤さんの視線が、再び局長へ向く。

「まずは、この子から漏れ出ている力を抑える。それができなければ、安全に送り届けることはできない」

「……分かった」

 局長は頷いた。

 けれど、その声にはまだ迷いが残っていた。

 白澤さんは、それを責めなかった。

 むしろ――その迷いこそ、分かっているというように、しばらく局長を見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。