大地の記憶
事務所を出て、車に乗り込む。
助手席に局長、後部座席に僕とこだまさんが揺られていた。
周囲はすっかり綺麗な住宅街になり、子供たちが遊ぶ広場や散歩道のある大きな公園が見えてきた。
「この公園のどこか、なのは間違いないけれど……」
車を止め、局長が周囲を見渡しながら呟いた。
大まかなエリアまでは絞り込めている。
けれど、広い公園のどこに「思念」が潜んでいるのかまでは、まだ分からない。
車から降りると、こだまさんは静かに目を閉じた。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
そして、そっと足元へ手を伸ばした。
指先が地面に触れる。
「……」
しばらくの間、こだまさんは何も言わなかった。
公園には子供たちの声が響いている。
遠くでは犬の鳴き声も聞こえる。
けれど、こだまさんの周りだけ、時間がゆっくりになったような気がした。
「……こだまさん?」
僕が声をかけると、こだまさんは目を閉じたまま、小さく首を傾げた。
「まだ、よく分からない」
「分からない?」
「うん。ここに何かがあることは、自然も感じているみたい。でも、広すぎるね」
こだまさんが顔を上げる。
「みんな、少しだけ落ち着かないみたい」
「みんな?」
「木々も、鳥も、草も」
そう言って、こだまさんは公園の奥へ視線を向けた。
「でも、何が嫌なのかまでは、まだ聞き取れない」
局長が周囲を見渡す。
「じゃあ、歩いてみようか」
「うん」
僕たちは公園の奥へ向かって歩き始めた。
最初は、子供たちの遊ぶ声があちこちから聞こえていた。
けれど、少しずつ遊具のある広場から離れていくにつれて、その声も遠くなっていく。
代わりに、木々のざわめきや鳥の鳴き声が大きくなっていった。
「……あ」
こだまさんが足を止めた。
「どうしました?」
「あの木」
こだまさんが指差した先には、一本の木が立っていた。
「周りの木には鳥がいるのに、あの木には一羽も止まっていない」
僕は目を凝らした。
確かに、周囲の木々には何羽もの鳥が飛び交っている。
けれど、その木だけが不自然なほど静かだった。
局長が近づいていく。
「何か感じる?」
「ううん。思念そのものは感じない」
こだまさんは木の幹にそっと手を当てた。
「でも……この木は、ここを嫌がってる」
「木が?」
「うん」
こだまさんが少し困ったように笑う。
「正確には、この木自身が嫌がっているというより……根っこの先にあるものを避けている感じ」
「根っこの先……」
僕は地面へ目を落とした。
けれど、そこには普通の土と草しかない。
「この下に何かあるんですか?」
「分からない。もっと奥だと思う」
こだまさんは、再び歩き出した。
僕たちもその後を追う。
さらに進むと、公園の雰囲気が少しずつ変わってきた。
整備された道が途切れ、木々の間を細い遊歩道が伸びている。
人の姿もほとんどない。
「……こだまさん」
「うん」
「さっきより、静かじゃないですか?」
僕が言うと、こだまさんは頷いた。
「うん。自然が少しずつ、声を潜めてる」
その言葉を聞いて、僕は周囲を見渡した。
風は吹いている。
木々も揺れている。
なのに、どこかおかしい。
葉の擦れる音が少ない。
鳥の声も聞こえない。
虫の音すら、いつの間にか途切れていた。
「……ここから先だね」
こだまさんが呟いた。
目の前には、小高い丘があった。
「ここ、ですか?」
「この辺りだと思う」
こだまさんはそう答えた。
「でも、まだ一点までは分からない」
局長が丘を見上げる。
「じゃあ、上まで行ってみよう」
黄色い立ち入り禁止のロープが張られている。局長はそれを見ると、迷うことなくロープの内側へ入った。
足元には古い木の根がいくつも地面から顔を出していた。
その根を避けながら進んでいくと、やがて丘の頂上が見えてきた。
「……ここも、昔の姿とはまるで違うね」
こだまさんが、周囲を見渡しながら呟いた。
「そうなんですか?」
「うん。いまは小さな池があるけれど……千年前は池なんてなくてね」
こだまさんは、丘の向こうへ目を向けた。
「風が吹き抜ける広い草地だったんだ。そこに、大きな木が一本だけ立っていてね」
その言葉に、局長がふと足を止めた。
「……大きな木が、一本」
掠れた声だった。
「局長?」
「……いや」
局長は、それ以上何も言わなかった。
ただ、池の向こうに立つ一本のねじ曲がった大木を見つめている。
今では池になっている場所も、周囲に広がる木々も、千年前とは何もかも違う。
それでも――。
局長には、そこに別の景色が重なって見えているようだった。
こだまさんが、池のほとりまで歩いていく。
「ここは……」
局長の声が、先ほどよりも小さくなる。
何かを思い出しているようだった。
「局長、何か分かったんですか?」
局長は答えなかった。
池を見つめたまま、しばらく黙っている。
やがて、ゆっくりと目を細めた。
「……まだ、分からない」
そう呟いた直後だった。
こだまさんが、少しだけ眉を寄せる。
「でも……」
池を見つめたまま、静かに続けた。
「自然が、この場所を避けている理由は分かった」
「何ですか?」
「ここだけ、大地の記憶が途切れてる」
「……途切れてる?」
「うん」
こだまさんは静かに頷いた。
「この場所には、昔ここにあったものの記憶が残っている。でも、その一部分だけ……何かに覆われているみたい」
局長が池の周囲を見渡す。
「何かに?」
「うん」
局長は黙って目を閉じた。
しばらくして、ゆっくりと目を開く。
「……いる」
その声に、僕の背筋が伸びた。
「分かったんですか?」
「ああ」
局長は池の中央を見つめていた。
「まだ姿は見えない。でも、この辺りに間違いない」
こだまさんも池を見つめる。
「じゃあ……ここなんだね」
「はい」
局長が一歩、池へ近づいた。
その瞬間だった。




