変わらない眼差し
局長は地図を折り畳むと、顔を上げた。
「……じゃあ、こだま様を呼ぼうか」
「こだまさんを?」
思わず声が出た。
「うん。場所を探す時にも手伝ってもらったからね。現地でも、自然の気配を見てもらった方がいい」
——こだまさんに会うのは、森を出た日以来だ。
そう思うと、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなった。
「呼ぶって……どうやって?」
「少し待っていれば、こちらに気づいてくれるよ」
「……そんな簡単に?」
僕が首を傾げた、その時だった。
窓の外で、木々がざわりと揺れた。
風が吹いたわけでもないのに、事務所の周りにある木々が一斉に葉を鳴らしている。
そのざわめきが、少しずつ近づいてくる。
「……もう近くまで来ています」
サトリさんが、窓の外へ目を向けたまま、ぽつりと呟いた。
「……来たみたいだね」
局長が窓の外を見る。
僕もつられて目を向ける。
木々の間から、淡い緑がかった黒髪がゆっくりと現れた。
淡い水色の衣が木漏れ日を受け、柔らかな光をまとっている。
――あの姿を、僕は知っている。
こだまさんが局の扉を開けて入ってくる。
琥珀色の瞳と目が合った。
その瞳を見た瞬間、森で過ごした日々が、ふっと胸の奥によみがえった。
「久しぶりだね。元気そうだ」
「こだまさん……」
それだけしか言えなかった。
もっと話したいことはあったはずなのに、いざ本人を目の前にすると、胸の奥から言葉が出てこない。
森にいた頃のこと。
あの日、背中を押してくれたこと。
そして、あれから一度も会いに行けなかったこと。
いろんな言葉が浮かんでは、消えていく。
そんな僕を見て、こだまさんは昔と変わらない、穏やかな笑みを浮かべた。
「……もう心配ないね。ずいぶん丸くなった」
「……そう、ですか?」
思わず聞き返す。
「うん。出会った頃は、もっと近寄るなって顔をしていたもの」
こだまさんが、くすりと笑った。
その声を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
――そうだった。
森にいた頃、こだまさんと出会う前まで僕は、誰かに心を開くことなんて考えもしなかった。
人と関わることを恐れて、誰かが近づいてくるたびに、心の中で距離を取っていた。
そんな僕に、こだまさんは何も求めなかった。
ただ、そこにいてくれた。
何度も話しかけてくれて。
人の世のことを教えてくれて。
最後には、僕が自分で歩き出すまで待っていてくれた。
あの日から、どれだけ時間が経っただろう。
僕は森を出て、人の世へ戻った。
たくさんの人と出会って、たくさんのことを知った。
そして今は、こうして誰かと並んで歩いている。
自分でも、少しだけ不思議だった。
――ああ。
この人は、やっぱり変わらない。
僕が森を出てから、どれだけ時間が経っても。
どれだけ遠くまで歩いてきても。
こだまさんは、あの日と同じように僕を見てくれている。




